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第二章
再見
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2週間後の新暦102年獅子月17日。ギムレー基地で、ベネトナーシュ王国とアリオト伯国の講和条約が締結されていた。講和使節団代表は、アリオト伯国側が新君主代行、伯女マコ。ベネトナーシュ王国側が、王女にして全権のルナティシア。軍人や官僚たちに交じって、シグレ、アイシア、ディーネもオブザーバーとして列席している。
条約の内容はおおむね以下の通り。
1 アリオト伯国はベネトナーシュ王国への軍事侵攻の非を認め謝罪する。
2 アリオト伯国は、今後事前協議なしにベネトナーシュ王国の領土、領海、領空に侵入しないことを約する。
3 アリオト伯国は、ビフレスト島のスコル山脈以北の町や荘園の各種の自治権を認める。
4 スコル山脈の麓の北端を非武装中立地帯とし、アリオト伯国、ベネトナーシュ王国ともに兵力をおかない。
5 アリオト伯国は、安全保障の担保として、ナーストレンドにベネトナーシュ王立軍の駐留を認める。
6 スコル山脈以北の地下資源の採掘権はベネトナーシュ王国に譲渡され、免税特権が付与される。
細かい内容は別に締結される協定に任されたが、このように、領土の割譲も賠償金も要求しないのだから、一見してずいぶん寛容な条約であるとも言えた。が、条約締結に列席していた伯国側の人間たちは、一様に苦渋の表情を浮かべていた。もちろん中国人義勇兵の幹部や、オブザーバーとして出向いた中国人の政治顧問も。
まずもって。スコル山脈以北の自治権承認という話は、実質的に島の中、北部の独立を認めたに等しい。面子の面でも、税収その他経済面でもかなりの痛手だ。そしてナーストレンドに王立軍が駐留することは、名実ともに伯国が負けたことを内外に対して公式に認めることになる。
極め付けが地下資源の採掘権だ。ビフレスト島は地下資源に恵まれていることが伯国と中国の合同調査で判明していた。タングステンやボーキサイト、場所によってはイリジウムやプラチナまでが算出するその場所は、正に宝の山といえた。それの北半分がそっくり譲渡させられてしまい、税金を課すことさえできないのである。中国とてただで伯国に協力するつもりだったわけでは断じてない。軍事協力の代価は、伯国領内の地下資源の採掘権という約束がされていたのだ。要するに、伯国は中国からの借り入れの返済をビフレスト島から行うことができなくなり、中国にしてみれば伯国に落とした金を回収する計画がほとんど白紙に戻ってしまったのである。もちろん地下資源はビフレスト島だけにしかないわけではないが、伯国と中国は自分たちの食扶持を改めてゼロから都合せざるを得なくなってしまった。その時間的、経済的な損失を考えれば、笑顔で条約を受け入れろという方が無理な話だった。
ともあれ、これ以上状況を悪くしないためには、とにかく早急に戦争を終わらせるべきという話もわかる。と、伯国代表の一人とし列席したレオーネは思う。ちらりと窓の外に目をやると、滑走路のど真ん中に開いた巨大なクレーターが目に入る。あんなものを用いる戦争は、職業軍人である自分でもごめんだと思えたのだ。
ギムレー基地が占領された後、レオーネに率いられた伯国軍は、陸路と海路に分かれてどうにか2日かけて島の南部に撤退した。義勇軍も、ほとんどの装備や物資を置き去りにして、着の身着のまま航空機と車両で逃げ出してきたという有様だった。
そして、やっとの思いで味方の支配地域にたどり着いた彼らを迎えたのは、「こちらの半分しかいない敵に対してなんという失態か」「ナーストレンド奪還どころか、ギムレーまで奪われておめおめ逃げてくるとは何事だ」という非難と罵倒の声だった。レオーネはそれらを甘んじて受けた。言いたい奴には言わせておけ。生き延びたからには自分たちにはなすべきことがあるのだと開き直ったのだ。
だが、しばしの休息の後で、伯国軍と中国人義勇軍の間で立案された作戦は、相当に無理があり、しかも常軌を逸したものだった。
すでにビフレスト島方面の海軍力が壊滅している状況では、海路で大兵力を送ることは不可能。ならば、交通の難所であるスコル山脈を越えて兵を島の北部に進める以外にない。だが、山脈を大兵力で越えようとする動きを、ベネトナーシュ王立軍が見逃してくれるわけがない。
そこで、まずはギムレー基地を、R-17弾道ミサイル、通常スカッドによって無力化。ギムレー基地からの応戦を封殺。同時に、ナーストレンドに空挺部隊を降下させて一時的に制圧。敵軍をベネトナーシュ本土と、島の中部に分断し、指揮系統を寸断する。その隙を突いて可能な限り迅速に山脈を超えて大兵力を展開。ギムレーを奪還し、しかる後にナーストレンドも奪還する。これが作戦の概要だった。
だが、言うは易しの話で、作戦には当初から懐疑的な声も大きかった。険しいスコル山脈を大軍で越えるのは容易ではない。一つの計画の狂いが、一つの連絡のミスが作戦全体を危うくしかねない。加えて、分別のある職業軍人の間では、弾道ミサイルを用いることにためらいを感じるものも多かった。スカッドの威力は、義勇軍の演習を見学してその目で確かめている。だから問題だ。あんな威力を持つ兵器をこちらが用いれば、敵もさらに強力な兵器、ドラスティックな手段で報復してくる危険がある。戦争は局地戦にとどまらない、全面戦争に発展してしまうのではないか?
しかし、そんな慎重論は、敗北の屈辱をすすぎ、勝利を渇望する声に抑え込まれ、「青龍偃月刀作戦」と名付けられた作戦は、その5日後、新暦102年獅子月1日をもって、実行に移されたのである。
伯国軍2万の軍勢が二手に分かれて山脈を超え始めると同時に、予定通りスカッドが発射される。スカッドの命中精度はGPSが使えないために非常に低かったが、義勇軍の技術士官や天候観測員の必死の努力が実り、5発の内1発をギムレー基地の滑走路に直撃させることに成功した。通常弾頭といえども、その爆発力はすさまじく、滑走路に隕石でも落ちたかと思うほどの規模のクレーターが開いた。戦果確認に出撃したSu-27が撃墜されて戻ってこなかったことがあって詳細は不明だったが、とにかくこれでギムレーから戦闘機が上がることは当分不可能になった。
同時に、ナーストレンドへの降下作戦が開始された。義勇軍が北京の参謀本部を拝み倒して特別に廻してもらった最新鋭の戦闘機、J-20は、そのステルス性能を活用してナーストレンドのレーダーサイトや対空施設を爆撃し無力化。空挺部隊が降下する露払いを見事に果たしたのである。ともあれ、ベネトナーシュ、ナーストレンド軍の反応も早く、激しい抵抗に、空挺部隊は作戦を縮小し、町の一部を占拠して立て籠もる形にならざるを得なかった。しかし、敵の分断という当初の目的はおおむね達せられようとしていた。
後は、伯国軍の主力が山脈を超えて東西からギムレーに攻めかかれば、作戦は成功したも同然だった。
だがしかし、その時伯国軍の予想もしない事態が起こった。山脈を超えるのを急いでいた伯国軍に、滑走路を破壊されて飛び立てないはずのベネトナーシュ王立空軍が攻撃をかけてきたのである。不意を突かれた伯国空軍のJ-10の飛行隊は、F-15Jが放ったサイドワインダーによって一方的に撃墜され、山脈を超えるために隊列が細長く伸びきっていた地上の伯国軍主力は、F-2やF-4Jが投下する燃料気化爆弾やナパームの洗礼を、ろくな応戦もできずにまともから浴びることになった。さらに、あらかじめ山脈の各所に潜んでいたベネトナーシュ王立軍の兵たちが、崖の上から岩や丸太、火のついた油壷をばらばらと投げ落として来る。
伯国軍は大混乱に陥った。勇猛にも先に進もうとする者たちは、あちこちに仕掛けられたコンポジションC-4の爆発が引き起こした崩落や土砂崩れに巻き込まれて生き埋めとなった。逃げようとする者たちは、送り狼と化した王立軍と日本人義勇軍によって後ろから矢や銃弾の雨を浴びせられた。中国人義勇兵たちは果敢に応戦したが、狭い山間の中では戦車も自走砲も、練度の高い機械化歩兵部隊も実力を発揮しきれず、AH-64D攻撃ヘリの対戦車ミサイルとロケット弾によってたちまち掃討されていった。伯国軍本隊の半分が戦死し、残りの半分は鎧も槍も投げ捨てて遁走した。
一方、本体とは別に進行していた伯国軍の別動隊は野営中に奇襲を受けることになる。夜の闇に紛れて周辺の山々に散開したニコラス指揮下の抵抗軍が、一斉に鬨の声を上げ、鐘や銅鑼を打ち鳴らしたのだ。周辺を大群に囲まれたと仰天した伯国軍は統制が取れなくなり、我先にと逃げ出した。だが、追い立てられた彼らが逃げた先は、深い谷の断崖絶壁だった。闇の中で先が全く見えない中、伯国軍は前方に下り坂があると勘違いして、冥府の入り口を目指して一目散に走って行ってしまったのだった。やっと周囲が静かになったときには、深い谷は伯国軍の屍で埋め尽くされていた。
スコル山脈の戦いが敗北に決しては是非もない。ナーストレンドで戦闘を続けていた空挺部隊も、催涙ガスと仕掛け爆弾で追撃を防ぎつつ、高速哨戒艇とMi-26大型ヘリで撤退していったのだった。
とまあ、伯国軍にすればなにが起きたのかもわからないまま敗北することとなったわけであるが、手品のタネを明かせば非常にシンプルな話だった。
実はベネトナーシュ王立軍は馬鹿正直にギムレー基地の滑走路を使うようなことはせず、ギムレー基地の北東の沿岸部にあらかじめ突貫工事で即席の飛行場を建設しておき、そこに航空隊を配備していたのである。もちろん、ジェット戦闘機が発着できるような飛行場を、普通のやり方では短期で完成させることは不可能だ。そこで、コンクリートを敷設して乾かす手間を省略するために取られたのが、ベネトナーシュ王国本土であらかじめ作っておいた巨大なコンクリートのプレートを船や輸送機で運び込み、それらを細長く敷き詰めて、長い杭で地面に固定し、継ぎ目をセメントやパテで埋めるという方法だった。完成した滑走路はややでこぼこになり、離着陸が多少難しいものになったが、使えなくはない。
つまり、ギムレー基地の滑走路を破壊しても王立軍の航空兵力を無力化することは叶わず、伯国軍の作戦は最初から前提を読み違えていたことになる。もう少し準備期間をおいて、島北部の様子を偵察していれば新たな滑走路に気づくことができたはずだった。だが、勝利を渇望するあまり拙速になった伯国軍は見切り発車で作戦を発動し、前述のごとく壊滅的な敗北を喫したのである。
そして、伯国軍の敗北の影響は軍事的なものにとどまらなかった。伯国の首都、ウルブスでは伯子のネオスに対する不満が高まり、戦死した兵の遺族たちによる暴動がたびたび発生した。軍や行政府でもネオスの政治、軍事に関する能力に疑問が呈された。結果、ネオスは敗戦の責任を取る形で君主代行を退き、ネオスの妹で、若干12歳のマコが君主代行に就いた。ようするに伯国は国を挙げてネオスをスケープゴートとすることにより、責任回避をしたのである。失った兵力を考えれば、これ以上の戦いは不可能と考えた伯国首脳部は、講和に向けて舵を切ったのであった。
どこで間違ってしまったのだろうか?講和の内容が書かれた文書に双方の代表であるルナティシアとマコのサインがされるのを眺めながら、レオーネは考える。というより、山脈で王立軍の空爆と銃撃からほうほうの体で逃れ、また死にぞこなってしまってからずっと考えていたことだった。
国内の不満を外に向けさせるために、ろくな準備もしないままベネトナーシュ王国と開戦してしまった時か?それ以前、疲弊した農村や労働者を救済する法案が否決され、貧困や失業、飢餓を防ぐのを怠った時か?あるいは、まだ伯爵が健在であった折、国の意思決定の迅速化を口実にいくつもの審議機関や紛争処理機関を廃止し、君主と最高評議会に権力を集中させ過ぎた時か?
だが、そこまで考えて、レオーネは過去を振り向いてももはや意味はないことに気づく。伯国は戦争に敗れ、講和はこの時点で締結されたのだ。それは事実であり、もう動かせない。人も国も、何が絶対に正しくて、何が絶対に間違っているということなどない。一つ言えることがあるとすれば、人か国かを問わず、選択と行動の結果に対する責任は負わなければならないということだ。今までの伯国は、責任というものをあまりに軽く考えすぎていた。子供でもいたずらをして人様に迷惑をかければどやされ、ひっぱたかれて学習する。この敗戦は、国が成長するためのきっかけになるかもしれない。ルナティシアとマコが握手を交わす姿を見ながら、レオーネはそう考えることに決めた。
講和が締結されれば長居する必要もない。特に、負けた側である伯国側使節団は速足でヘリに乗り込んで行く。まあ、ゆっくり茶飲み話でもする雰囲気でもないだろうが。と、中国人義勇軍の代表として列席していた揚准将は思う。今回ばかりは負けを認めざるを得ない。自分には北京から出頭命令が出ている。相応の賞罰を覚悟しなければならないだろう。だが、これで終わりというわけじゃない。まだまだ伯国との、異世界との付き合いは続くんだ。ベネトナーシュ王国と、日本人義勇兵たちとはまたまみえることもあるだろう。そういう思いをこめて、揚は北の方角に向かって言う。「再見」と。
ギムレーからベネトナーシュ王国本土へ帰還する使節団を乗せたCH-47J輸送ヘリ。けたたましいターボシャフトエンジンの音に交じって、ターボファンエンジンの音がする、しかも近づいてくることにシグレが気づく。シグレが窓から外を見ると、ルナティシアとアイシア、ディーネもつられて外を見る。潮崎のF-15Jがバンクを振り、コックピットの潮崎が親指を立てるのが見える。伯国の万一の動きに備え、上空を警戒していたようだが、無事に講和が成立した知らせを受けて、見送りのつもりなのだろう。
「本当に、いい男ですわね」
「いい男じゃな」
「ええ男じゃのう」
「いい男であるな」
離れていくF-15Jを見送りながらつぶやかれたルナティシアの言葉に、シグレ、アイシア、ディーネが相槌を打つ。そして、4人ともはっとして、それぞれ視線を交錯させる。次いで4人の間ににわかに火花が散り始める。
急に剣呑になり始めた機内の雰囲気に、同乗者たちは思う。「こりゃ修羅場確定だわ」と。
つづく
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