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第三章
ドローミ海 鮮血の暴風雨
しおりを挟む今は終わりではない。
これは終わりの始まりですらない。
しかしあるいは、
始まりの終わりかもしれない。
- ウィンストン・チャーチル -
01
異世界の暦で新暦102年天秤月8日。
ベネトナーシュ王国領土、北ベネトナーシュ島沖。王国の北方に位置する国家、メグレス連合国との境界付近。ドローミ海と呼ばれるその場所は、強烈な低気圧の影響下にあった。猛烈な雨風が横殴りに叩き付け、高波が巨大な牙となって襲い来る。そこはある意味で聖域。人間という矮小な生き物が入り込むことを許されない場所。のはずだった。
波間を航行する船らしい影から、突然まばゆい光が閃き、次いで何かが噴煙を上げて飛翔していく。それはしばらく飛んだ後、傘のようなものを広げて減速し、静かに荒れる海に着水すると、突然カジキかマグロかと思える速さで走り出す。それは目標である、海中を泳ぐ巨大な影に向けて肉薄するが、巨大な影が深度を下げ、海底の複雑な地形に入り込むと、追跡しきれなくなる。それは、目標を見失い、海底の岩礁に激突して派手に爆発した。
「ちっ!なんてやつだ、こうも簡単にかわされるとは...。しかも目標をロストしただと...」
ベネトナーシュ王国王立海軍第5艦隊所属、ミサイル護衛艦”はぐろ”艦長、中井陽一一等海佐は舌打ちした。一筋縄でいく相手とは思っていなかったが、対潜ミサイル、07式垂直発射魚雷投射ロケットがここまで見事にかわされ、しかも爆発にともなうノイズで敵を見失ってしまうのは想定外だった。敵はこちらの対潜ミサイルの爆発で、こちらの視界を奪うことまで狙っていたのか?そうでないと信じたいが...。
『ホワイトホークより”はぐろ”。目標は再び南へ進路を取ります。どうあっても”灯台”に向かう気のようです』
ホワイトホークこと、SH-60Kのオペレーターが報告する。中井は「どういうことだ?」とつぶやかずにはいられなかった。相手はただの野生動物だ。それが、まるで誘導兵器のようにこちらが守るべき場所を目指して向かっていく。こうなると、もうそこに悪質な作為を感じずにはいられなかった。
「くそっ、対潜ミサイルでは仕留めきれんな。よし、F-2を呼び出せ。空と海から挟むこむぞ!」
中井の命令に応じ、船務士が外線を開き、無電池電話(ヘッドセット)に呼びかける。
「こちら”はぐろ”。アールヴ5および6、応答せよ。まだ生きてるか?」
『そんなものこっちが聞きたいよ!雨風でなにも見えないんだからな!』
無電池電話から、女の金切り声が返ってくる。
こんな命令を出した上官を殺してやりたい。ベネトナーシュ王国王立空軍第2航空師団第58飛行隊。通称アールヴ隊のパイロット、アールヴ5こと、橋本由紀保二等空尉はそう思わずにはいられなかった。こんな横殴りの雨の中で飛ばされるとは思わなかったからだ。F-2はカタログスペック上”全天候型”とついていても、限度がある。主翼に搭載した93式空対艦誘導弾が風に煽られて、まっすぐ飛ぶことさえ難しい。海上の”はぐろ”と、上空で情報支援をしてくれるE-767の2重の誘導がなければとっくに墜落している。
『愚痴はいい!航空支援できるのかできないのか?それだけ聞かせてくれりゃいい!』
「やるとも!やればいいんだろ!早く目標を指示してくれ!」
こうなったらさっさと任務を果たして帰還するだけだと、橋本はヤケ気味に返事を返す。
『ヘリの有線誘導魚雷でやつに正確にダメージを与える。その後が打ち合わせ通り君らの出番だ』
「了解!」
橋本は、それだけ答えると、戦術データリンクシステム、リンク16を通じて”はぐろ"から指示される目標の方向に機首を向けた。
「目標進路変わらず南へ移動中。頭を抑えるぞ。12式魚雷改、攻撃始め」
目標の右前方に先回りしたSH-60K対潜ヘリが、突風と横殴りの雨に逆らいながら魚雷を投下する。パラシュートによる減速自由落下にみえるが、よく見ると、キラキラと光るものが魚雷につながっているのがわかる。魚雷は着水すると、ポンプジェットエンジンを作動させ、急加速して目標に向かって疾走する。SH-60Kの兵装担当席にあるディスプレイに表示される画像の中では、目標は先ほどと同じように潜行して海底の地形を利用して逃げ切る腹のようだった。だが、同じ手を二度食うつもりはない。兵装担当はジョイスティックを巧みに操作して、魚雷を目標に近づけていく。光ファイバーによって誘導される有線誘導魚雷に小細工は通用しない。物陰に隠れようが、浮上して音と泡で気配を消そうが、どこまでも追跡する。
「魚雷、目標の真下に入ります」
「いいぞ!起爆だ!」
ジョイスティックの脇に設置されたボタンが押され、ディスプレイの中で、「Detonation」を表す表示が点滅する。
上空のF-2にとって、雨風で視界は相変わらず最悪だったが、高度を下げているため、海中で起きた爆発ははっきりと赤外線で観測できた。そして、海面に魚雷でダメージをうけた目標が浮かび上がってくるのが目視でどうにか観測できる。赤外線ビジョンで見る目標は、正に海の竜だった。四肢は海に適応して鰭となり、太い尻尾の先には半月上の尾びれがある。全長は目測でも18メートルはあるか。地球のイメージでは、白亜紀の海の王者、モササウルスか、新生代始新世の海の頂点捕食者だった原鯨類、バシロサウルスが近いか。だが、頭にある無数の角や、全身を覆う鱗、長めの首を見る限り、こちらの世界ではすっかりなじみになった竜の仲間が海に適応した種だということを表している。
「予定通り、対艦ミサイルで引導を渡すぞ!」
『了解!』
橋本と、バディのアールヴ6の2機は、目標をHMD(ヘルメットを一体化した照準、火器管制装置)のサイトに捕らえると、93式空対艦誘導弾を発射する。誘導はデータリンクがしてくれる。こちらはさっさと機首を引き起こして高度を取るだけだ。レーダーディスプレイの中で、2発の対艦ミサイルが目標に命中するのが確認される。
「ホワイトホーク、目標が殲滅されたかどうか、確認できるか?」
『待ってくれ。今向かっているところだ』
橋本は、一応目標にとどめをさせたかどうか、ヘリに確認してもらうことにする。ともあれ、心配はしていなかった。目標に対艦ミサイルが命中してから、にわかに天候が回復し始め、雨風がすっかり穏やかになり始めたからだ。どうやら、目標が死亡したために、その力で起こされていた悪天候が回復したらしい。バカげた話だが、彼女には確信があった。どうやら任務完了のようだ。が...。
「所属不明の機影を探知!データを転送する!」
橋本はぎょっとする。E-767から転送されてきたデータで判明した所属不明機は、自分たちのわずか1000メートル右を並走しつつ低空で飛んでいたからだ。さっきまでの悪天候でレーダーに引っかからなかったのか?
『射撃管制レーダーの照射を確認!』
E-767からの警告とほぼ同時に、F-2のコックピット内にアラートが鳴り響く。
「ちっ!王国に対する侵略行為と認定!かまうな攻撃だ!」
2機のF-2から、ほぼ同時に04式空対空誘導弾が発射される。が、その時予想外のことが起こった。発射がされるかされないかの内に所属不明機が加速をかけつつ回避行動に入ったのだ。
『ばかな!なんだあの動きは!?』
アールヴ6の言葉に、橋本は全く同感だった。所属不明機は前進翼と尾翼、カナード翼を持つ、見慣れない形をしている。その特異な構造故か、なかなかの機動性を持つようだ。だが、問題はそこにはない。その回避の早さはまるで、こっちの攻撃のタイミングを予知能力で察知したかのようだ。そして、所属不明機は、海面すれすれをアイススケートでもするように飛行しつつ急旋回して2発のミサイルを回避すると、こちらに機首を向けて2発の対空ミサイルを放つ。
ぞわり。背筋を冷たいもので撫でられたように感じた橋本は、反射的に機体を垂直に傾け急降下しながらフレアを放出する。一つだったはずの赤外線反応が急に無数に増えたことで、目標を見失ったミサイルは明後日の方向に飛んでいく。だが、反応のおくれたアールヴ6は、回避が間に合わずミサイルに食いつかれ、爆発四散する。
「あれは一体...?」
あまりに理不尽で不可解な出来事に、橋本はそう言葉を発するので精一杯だった。離脱していく所属不明機を追跡しようという気も起きなかった。悔しさでも、復讐心でも、恐怖でもない。ただ、未知の力を見せつけられたことへの困惑と戦慄だけが、今の橋本にはあった。
こうして、目標、海竜の重要施設への接近阻止という作戦そのものは成功したものの、突然現れた所属不明機により、1機のF-2が撃墜、パイロットもMIA(戦闘中行方不明)という失点を第2航空師団は負うことになる。所属不明機の未知の空戦能力の脅威という、とんでもないおまけつきで。
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