時空を駆ける荒鷲 F-15J未智の空へ

ブラックウォーター

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第四章

絶望の海戦

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 06
 翌日の午後、メッサーティーガーの内閣府では、首都解放を祝う宴が盛大に開かれていた。同盟国の代表であるベネトナーシュ王国の王女であり、外交官も勤めるルナティシアは勝利の女神のようにもてはやされた。引っ切りなしにミザールの貴族や官僚、軍人たちが話しかけてきて、折角のごちそうに口をつける暇もない。
 「ルナティシア姫。なんとお礼を申し上げてよいか。絶望の淵にあった我々に手を差し伸べて下さったのはあなたです。またこの首都に戻れたこのご恩、生涯忘れはしません」
 「わたくしは地上で見ていただけですわ。感謝の気持ちは、多国籍軍の将兵の方々に向けて差し上げてください。理不尽な侵略と暴虐に決して屈しない彼らの思いが、首都を解放したと言えるのです」
 ミザール同盟の首相であるロレンツォ・スカリーゼが、本気で涙を流しながら感謝するのに対し、ルナティシアは苦笑気味に応ずる。
 「おお、お美しく才能に溢れるのに、謙虚でいらっしゃる。
 ああ、して、ベネトナーシュの荒鷲と呼ばれる英雄殿はどちらに?名前は確か…」
 「潮崎隆善一等空尉です。F-15JSのパイロットですね。なんというか…。あちらでご婦人型に囲まれてらっしゃいます」
 ロレンツォがルナティシアが指さす先に目を向けると、空自のものを手直しした青い制服に身を包んだ潮崎が、貴族や大商人、地主らの娘たちと思しい女性たちに包囲され、質問と賞賛と、ついでに抜け目のない色目の集中砲火を浴びているところだった。
 「シオザキ様、あなたの獅子奮迅の戦い、地上から拝見しましたわ!あんなに胸が高鳴ったことはございませんわ!」
 「あの優雅で力強い飛び方、正に荒鷲!わたくし見ほれてしまいました!」
 「シオザキ様、ドゥベのセントウキを多数葬ったと伺っています。戦果は全部でいかほどなのでしょう?」
 「わたくし、ドゥベがこの町に攻め込んできたときに夫を亡くして以来、絶望しかありませんでしたわ。でも、あなたが仇を討ってくださった。その…シオザキ様さえよろしければこの身をお礼に捧げたいくらいですの…」
 「シオザキ様、我らにとっても大恩あるルナティシア姫様の許嫁であるあなたにこのようなことを申し上げるのは無礼とは思いますが、わたくしをおそばに置いて下さいませんか?側室でも、お伽の相手でも構いません!わたくし、もうシオザキ様に夢中ですの!」
  いかにも今が花盛りという感じのお嬢さんから、地球の基準では合法かどうか妖しいまだ幼い美少女、黒のドレスに身を包んだ未亡人という雰囲気のひっそりとした感じの美女まで、潮崎はご婦人方からの熱烈なアプローチに、どうしたものかと困惑するばかりだった。
 モテモテである。ご婦人たちの興味を独り占めである。爆発しろといいたくなる状況である。
 まあ、確かに潮崎は充分イケメンと言える容姿だし、女は男以上に英雄に弱いところがある。だが、女とは計算高く狡猾で、リアリストな生き物だ。それが良家や資産家の生まれの娘であればなおのこと。当然のように潮崎の容姿や名声だけに群がっているわけではない。
 潮崎は後々、その功績をたたえ、慰労と感謝の意味を込めて、ベネトナーシュ王国およびミザール同盟の貴族として爵位が与えられることがほぼ決定している。もはやよそ者の下級士官ではないのだ。
 また、こちらでもよく知られている事だが、義勇兵の待遇は各国の軍人や公務員に準じる事とされているから、潮崎は収入の面でも全く不安がない。空自のパイロットは激務と不自由の多い生活の代価として高給取りなのだ。
 ついでに、ビフレスト島攻防戦の折ベネトナーシュに譲渡された地下資源採掘権に関して、功績のあった者たちに採掘権の一部が恩賞として付与されることが最近になって決定された。潮崎も恩賞を受けた一人だった。資源採掘が本格的に始まった後、潮崎は地下資源のあがりを受け取ることを渋っていたが、義理堅いビフレストの領主や金融業者たちは、潮崎のための蔵と金庫を作り、あがりを律儀にプールしてくれている。今いくらになっているか潮崎も把握していないが、ビフレスト島の資源は地球相手に高く売れているから、左うちわは約束されているといえた。
 もう一つ言うなら、潮崎はドローミ海に建造された油田のオーナーの一人でもある。まあ、これはドローミ海海戦で少なからず損害を受けた油田の操業が暗礁に乗り上げかけ、ベネトナーシュ国内で広く出資がつのられ、潮崎も出資に応じていたという事情による。さりとて、油田の採掘は順調で、すぐ黒字を出せることが予測された。当然出資者であり、共同オーナーでもある潮崎たちにも利益は還元されることになる。
 立場も名誉も経済力も、割と、というかかなりすさまじい立場となっていた潮崎を、ご婦人たちが放っておく道理がなかった。特に今は、侵略をうけたミザールはその傷跡が深く、誰もが困窮し、将来に不安を感じている時だからなおのこと。男に男の戦いがあるのと同じく、女には女の戦いがある。こちらの世界では、一つの家、国が生きていくことは楽ではない。いつ戦争や天災で今までの暮らしが奪われるかもしれないのだ。家、家族、そして家で働く従者たち。大切な物を守るため、強い者、豊かな者、名のある者にすり寄り、そのお情けにすがる。時には色仕掛けを用いた籠絡も、愛を受ける代価として隷属を約束することも、高貴なご婦人にはなすべき役割、彼女たちの戦いと言えた。
 ともあれ、このままではまずいかなとも、ロレンツォは思う。彼の横にいるルナティシアは穏やかに振る舞っているが、目が全く笑っていない。さらに、世間で”潮崎ガールズ”と呼ばれる、彼にべったりな女たち、ジャーナリストである翼人アイシア、司祭の妖狐シグレ、王立軍士官である魔族ディーネ、学者で技術者の妖精メイリンたちも宴に参加しているのだが、潮崎にご婦人たちが群がっているのを見て、黒いオーラを放っている。それはもう全開で。ここは、自分が動くべきと判断したロレンツォは、さりげなく潮崎に近づいていく。 
 「あーおほん。ご婦人方、英雄潮崎殿に興味がおありなのはわかりますが、彼が困っている。御覧なさい、酒に口をつける暇さえないではないか。とりあえず私が彼にお酌をしたいのだが、よろしいか?」
 「これは首相閣下、お会いできて光栄です」 
 潮崎は天の助けだとばかりに、ロレンツォに握手を求める。
 「いえ、我らを救っていただいた英雄にお目にかかり、私こそ光栄の至り。さあ、どうぞ一杯」
 「恐れ入ります」
 潮崎は、差し出された陶器の器を受け取り、甕に満たされた果実酒の酌を受けていく。
 「さあどうぞ、皆さまも器を持って。乾杯と参りましょう。シオザキ殿、音頭をお願いします」
 潮崎の周辺には驚くべき素早さで、”潮崎ガールズ”が参集し、彼の脇に居場所を確保しつつ、防壁を作っている。酒をたしなまないルナティシアとメイリンは冷たいお茶を、シグレ、アイシア、ディーネは果実酒の器を手にしている。
 「えーでは、僭越ながら、首都の解放に、我々の勝利に、乾杯!」
 「「「「「乾杯!」」」」」
 潮崎の音頭に従って、皆が器を掲げて中身を飲み干していく。勝利の美酒を地で行くうまさだと、誰もが感じていた。
 「シオザキ、このホタテ、めちゃいけるけえ、はいあーん」
 「シオザキ殿、このライチ、すごく甘くておいしいよ!」
 「シオザキ殿、その、これは日本の料理ではないか...?上げ豆腐とか...私の記憶が正しければ、貴官の好物だったと...」
 「シオザキよ、ほれ、もっといかんかの?この果実酒もいいが、日本酒もどうじゃ?」
 「潮崎様、鶏手羽元のトマト煮込みですわ!すごくよく煮込まれています。召し上がれ」
 潮崎は、”潮崎ガールズ”からの料理+酒攻めに会っていた。嬉しいし美味しいのだが、どうにも落ち着かない。
 「このエビを」「こちらの蒸留酒も」「このローストビーフ絶品です!」「こちらのチーズ、果実酒にあいますのよ?」
 さっきまで潮崎を包囲していたご婦人たちまでが、料理攻撃に参戦する。潮崎とお近づきになれるかに、家の、家族と従者たちの、そして自分の将来がかかっているだけに、その押しの強さは凄まじかった。
 「リア充もあそこまでいくと、なんかうらやましく思えないから不思議だね」
 「リア充を通り越して女難て言いません?」
 少し離れた場所で、酒をちびちびやりながら、ことの顛末を眺めていた及川と松本が、生温かい視線を向けながらいう。
 「うーむ、作戦失敗か...。助け舟を出すつもりが、却ってややこしくしてしまったわい」
 ロレンツォは、自分の無力に頭を抱えた。いい男に近づこうとするご婦人のパワーとタフネスや恐るべし。
 「う...うまいけど食べきれるかなあ...。あはは...」
 料理や酒を勧めて来る女性たちのキラキラと輝く瞳に、遠慮するとは言えない潮崎が、情けない声を上げるのだった。


 紙吹雪が舞っている。力強い管楽器の音が響いている。ドゥベの首都、バイドラグーンは、歓喜と熱狂に満ちていた。道には住民が集って歓声を上げ、周囲の建物には「公国に栄光を!」「世界に正しい秩序を!」「大公陛下に忠誠を!」などと書かれた垂れ幕が掲げられている。
 こんなに晴れやかで、清々しい気分はいつ以来だろう。ドゥベ公国の君主である、大公リチャード・ドルク・ドゥベは市内の大通りを進む、儀仗兵の隊列の中央部を行く馬の背中で思う。いや、ここまでの恍惚感と高揚は生まれて初めてかもしれない。物心ついたころから、この国には閉塞感や先行きへの不安が充満し、暴動や地方の反乱、治安の悪化、困窮した農民による一揆などが繰り返されてきた。あのころの鬱屈と閉塞感はもうない。
 今の自分たちには大義となすべきことがある。かつてこの地に存在した帝国の血を引くドゥベが中心となり、周辺諸国を糾合して忠誠を誓わせ、ロランセア、ナゴワンド両大陸に統一国家を作り上げ、戦争のない世界を実現する。それは絶対的な正義だと断言できた。
 内閣府の前、大公広場と呼ばれる広大な広場に儀仗兵が到着し、大公である自分がステージの上の一段高い部分、玉座に座る。ほどなく、宰相であり、政治団体”ドゥベ愛国同盟”の長でもある、ドナルド・カードの演説が始まる。
 「今日この日を諸君らと迎えられてことを誇りに思う。
 栄えある我がドゥベの精鋭たちは、先の戦闘で、我が国固有の領土であるグルトップ半島および、五麗湖を我々の手に取り戻すことに成功した!これは大変に偉大なる戦果であり、両大陸統一の大きな一里塚である!
 しかし、我々はさらに進み続けなければならない!
 ミザールとメグレスは、我が国に服属し、新たな秩序の担い手となるべしという要求を拒否、愚かにもドゥベに牙を剥いた!
 それに留まらず、ベネトナーシュまでもが、愛と融和を持って接しようとする我が国に背を向け、あろうことか宣戦布告を突き付けてきたのである!
 このような暴挙、愚挙を許していいのか!?よくはない!
 両大陸の再統一、戦争のない世界の実現!この崇高なる大義を、野蛮で無知蒙昧な周辺諸国の蛮族たちに周知し、彼らの眼を覚まさせるのは諸君である!
 われわれに停滞やためらいは許されない!
 諸君、奮起せよ!理想の世界!約束された場所に至る道は、諸君らによって切り開かれるのである!諸君らこそが、新しい正しき秩序の尖兵なのだ!
 ドゥベ万歳!」
 聴衆から割れんばかりの歓声が沸き起こり、空気が震える。玉座に座るリチャードは、急に言い知れぬ不安に包まれる。
 「「ドゥベ万歳!ドゥベ万歳!」」
 連呼する聴衆の眼は、大公である自分を、あるいは祖国である公国を見ているようで見ていない。強いて言うなら、ここにはないもの、蜃気楼を見ているように思えてしまうのだ。それがありもしない幻想と知っていて、あたかも存在するかのように信じ込もうとしているのではないか?人が自分で自分をだましている、そんなおぞましく危険な雰囲気を感じずにはいられなくなる。
 「ドゥベ万歳!」を連呼する大衆の声が、異論を許さない暴力的な波動となって拡がっていく。
 みな少し落着け!子供や老人だっているんだ!
 しかし、リチャードの声にならない声は、聴衆の声と熱狂にかき消されてしまう。全てが熱狂の中、異論も疑念も許さない空気に呑み込まれていく。

 瞼が開くと、そこは寝室の大きなダブルベッドの上だった。
 傍らでは、妃であるレイチェルが、生まれたままの姿で寝息を立てている。
 夢だったか。リチャードは思う。戦争開始直後の閲兵式。わすか1か月前のことなのに、ずいぶん昔だったように感じる。あの時は、ああするのが一番と思えたのだ。
 だが、とリチャードは思う。もし国が破れ、この首都が蹂躙され、そして自分の愛しい妻が敵の兵士たちの慰み者にされたら?
 そうなってから後悔しても遅いと今更ながら気づき、背筋に冷たいものが走る。それだけは避けなくては。リチャードはベッドサイドの水差しから水を飲みながら、考えを巡らせ、善後策を思案し始めた。
 瞼を閉じると、ベネトナーシュとの合同訓練で何度か見かけたことのあるF-15JSが、轟音を響かせて自分たちに向かってくるところを想像してしまう。慌てて瞼を開き、首を振って嫌な想像を追い払う。そうならないために最善を尽くさなくては。リチャードにとって今や問題なのは、国の勝利ではなく、愛しいものを守ることになっていた。

 「対空レーダーに感!トマホーク8発!2時方向より緩やかに変針して近づく!速度毎時800、距離約300!」
 「前に出るぞ!機関全速面舵20!」
 「ようそろ!おーもかーじ!」
 ベネトナーシュ王立海軍第5艦隊所属、ミサイル護衛艦”はぐろ”のCICに報告と命令が飛び交う。
 新暦102年射手月27日、ミザール北西部から海路でグルトップ半島へと進む多国籍軍の船団と、それを阻止せんとするドゥベ海軍の間でし烈な海戦が展開されていた。ドゥベにすればもう後がない。船団が半島に到着すれば、戦力比は1対2になってしまう。ミザール国内に侵攻したドゥベ軍は分断され孤立した果てに各個撃破されてしまい、防衛線が構築された半島まで撤退できた兵力はわずかだったのだ。
 「僚艦とリンクを密に!スタンダード、迎撃始め!」
 「ようそろ!スタンダード、撃ちーかた始めー!」
 "はぐろ"のVLSからSM-2艦対空ミサイル8発が発射され、ほぼ同時に2隻の僚艦もSM-2を発射し、飛来するトマホーク艦対艦ミサイルの予想進路に向けて飛翔していく。
 水上艦はミサイルへの対処で手一杯となれば、敵機のお守りは陸上基地所属の戦闘機の仕事ということになる。両軍の間では、ドゥベ軍のF-35Bと、ミザール北部から飛び立った多国籍軍のF-15JやFA-18E、タイフーンなどの混成部隊の空中戦が展開されていた。
 多国籍軍の船団の護衛を務めるのは、”はぐろ”を旗艦とし、ザクセン級”ヘッセン”、アルバロ・デ・バサン級”メンデス・ヌーニェス”の計3隻で構成される護衛隊。
 迎え撃つのは、ドゥベ海軍所属、タイコンデロガ級”ケープ・セント・ジョージ”を旗艦として、アーレイ・バーク級”ラメージ”、そして航空戦力の拠点としてワスプ級強襲揚陸艦”エセックス”の3隻だった。
 「トマホーク、全弾撃墜を確認!」
 「敵航空隊、10機中8機を撃墜!残りは遁走します!」
 ”はぐろ”以下護衛隊にとりあえずほっとした空気が流れる。当面の脅威は焼失した。だが...。
 「新たな機影を確認!”エセックス”が第2次攻撃隊を上げる模様!」
 スクリーンの中、”エセックス”を示すアイコンから光点が1つ、2つと出てくる。
 「くそ!諦めの悪い奴らだ!」
 ”はぐろ”の航海長が苦々しくつぶやく。敵のミサイルは全て撃墜され、敵機も数で勝る多国籍軍によって全滅した。だが、こちらのミサイルも無限にあるわけではないし、航空兵力も損失を受けている。このままでは、消耗戦の果てに何が起こるか予想がつかない。
 「俺たちは諦められるのか?」
 砲雷長の言葉に、CICのほぼ全員が彼を振り返る。
 「戦場に置いて諦念は美徳じゃない」
 そう続ける砲雷長に、全員が息を飲む。彼の考えが読めたからだ。
 「トマホークと潜水艦魚雷の飽和攻撃による、”エセックス”撃沈を具申します」
 CICは騒然となった。”エセックス”は今は軽空母の役目を果たしているが、ドゥベ軍の陸上部隊の輸送を行うのに不可欠な足でもある。ここで撃沈したら、グルトップ半島にいるドゥベ軍が海峡を越えて撤退するのはほとんど絶望的になってしまう。半島にドゥベ軍を追い詰め、逃げる者は追わず、抵抗するものはつぶすのが今後の予定のはずだ。逃げ場を失ったドゥベ軍の兵たちが死兵となってしまえば、多国籍軍にも大きな損害が予測された。
 だが、今は先の心配をしている余裕はないと強硬に主張する砲雷長の言い分が通り、護衛隊全体にトマホーク発射が命令された。合わせて、ドゥベ軍の3隻の艦を追跡中の2隻の潜水艦、U-34とロメオ・ロメイに連絡が取られ、魚雷攻撃準備が命令される。
 「トマホーク、攻撃始め!」
 ”はぐろ”艦長中井一佐は、自ら命令を下す。
 3隻から計16発のトマホークが発射され、スクリーンに映る”エセックス”に向けて飛翔していく。”エセックス”の定員は何人だった?直撃すれば何人が死ぬ?もうミサイルは撃ってしまった後だが、そんなことを誰もが考えずにはいられなかった。”ちゃらら~ちゃらら~ちゃらら~”そんなBGMが脳内再生されたような気がした。
 もちろんドゥベ側も座して待つことはしない。SM-2による応戦がなされ、先行するトマホークが撃墜されていく。だが、最低限の兵装しか装備しておらず、対空防御力に乏しいエセックスに、ついに撃ち漏らした1発のトマホークが着弾する。格納庫や居住区が猛火に包まれる。
 すこし遅れて、2隻の潜水艦が魚雷を発射する。ドゥベ側の対応は完全に後手に回った。いや、周囲に潜水艦がいる可能性は高かったのに、ミサイルへの対処を優先したために見落としをした、完全なミスと言えた。もし対潜ヘリを飛ばしてディッピングソナーで海中を探れば、潜水艦の存在にまったく気づかないことはなかったはずだった。どれだけドイツ製のUボートが静粛性に優れ、ドイツ、イタリア両海軍出身の義勇兵たちが練度が高く優秀であったとしても。
 2隻の潜水艦は、最初に本命である”エセックス”に計4発。続いて、自分たちの脅威になる程度に対潜能力をもつ”ケープ・セント・ジョージ”に4発の魚雷を発射。いずれも2発を命中させた。ヘリ運用機能がなく、対潜装備も最低限しかない”ラメージ”は最後だ。
 結果、”エセックス”、”ケープ・セント・ジョージ”は撃沈。”ラメージ”は魚雷を1発食らいながらも遁走した。これにより、後に”翠玉海海戦”と呼ばれる海戦は多国籍軍に軍配があがる。それは、多国籍軍が予定通りに海と陸かグルトップ半島を攻撃できるということだった。
 だが、勝者であるはずの多国籍軍将兵たちの顔はいずれも暗かった。我々は後どれだけ人死にを出すのだ?
 「神よ、許したまえ」
 U-34の艦長が十字を切る。轟沈、着底したエセックスから船体を叩く音が聞こえるのだ。いくつかのコンパートメントが浸水を免れ、まだ生存者がいるらしい。だが、この状況ではどうすることもできない。音がやがて間遠になり、聞こえなくなるのを、彼らは聞いていることしかできなかった。
 それは、誰にとっても、この戦争の先行きを暗示する、不吉なものに思えてならなかった。

 「あなた、お願いです!どうかご再考をお願いします!」
 ドゥベ公国首都、バイドラグーン。公城の大廊下に、公妃レイチェルの悲しく、切迫した声が響く。まるで死を知らせる妖精バンシーだ。
 「わが妃よ、すでに決定した事である。そして、必要なことなのだ」
 「それは…でも、あなたにもしもの事があったら、妾はどうしたら良いのです…!?」
 静かな声で返答する大公リチャードに、レイチェルはなおも彼の手を握りながら食い下がる。
 「公妃様、これはなんの騒ぎでしょうや?」
 「落ち着いて下さい。公妃たる母上がそのように取り乱されては」
 普通に美しいと言っていい容貌と優雅な雰囲気を持つ、2人の若い公族が近づいてくる。
 「ああ、ジェイミーにジョージ、そなたたちからも陛下を止めてたもれ!陛下が前線で指揮をとるなど危険が過ぎます!陛下にもしもの事があれば…妾は…この国は…」
 レイチェルは2人に必死で助け船を求める。家族を失うことは、レイチェルにとってなによりも恐れることなのは理解できることなのだが…。
 「なれど母上、グルトップ半島の情勢は…その…微妙です。陛下が御自ら指揮を執るというのは合理的です。兵の士気が上がるのは間違いないことです」
 そう言った金髪の高貴な感じの少年は、ジョージ・ドルク・ドゥベ。リチャードとレイチェルの実子で、いわば嫡子だ。当然のようにドゥベの後継者とみなされている。熱血漢で、人を引きつけるカリスマ性を若くして身につけている。まあ、いつまでも母親にべったりで、マザコンという評価を頂戴しているのが玉に瑕か。
 「そうですとも。それに、陛下とて素人ではありません。そのお力は公妃様もご存じでは?むしろ、多国籍軍の者たちなど、たやすく返り討ちにできましょう」
 自信ありげにそう述べるのはジェイミー・ルク・ドゥベ。同じくリチャードの子であり、ジョージよりも年上だが、レイチェルの子ではない、庶子であるため、臣下の扱いを受けている。あかね色の長い髪をサイドテールとし、大きな宝石のような目、整った顔立ち、細く美しい手足、白く高級品の磁気のような肌、美しい琴の鳴るような声、良く似合うプリーツスカートとフリルのついたブラウスは、どうみても美少女にしか見えないが、実は男の娘。ともあれ、その端麗な容姿を前にしては、性別など些末なこととばかりに、多くの国民から慕われ、アイドルのような立場にいる。
 「同じようなことを開戦前にも聞きました。疲弊したメグレスや、まとまりのないミザールなどたやすく制することができると。そして結果はどうなりましたか?戦死した将兵の中には、妾の縁者や知人もいたのですよ!?」
 「母上!お声が大きいです!うかつな言動は士気にかかわります!」
 ジョージがレイチェルを制する。レイチェルのいうことは正しい。だが、今のドゥベでは正しいか否かは問題ではない。国家への、いや体制への忠誠心があるか、敗北主義者でないか、そこだけが問題と言えた。
 「なあ、わが妃よ。そなたの心配は察するところだ。だが、余は負けはせぬ。ジェイミーの言うとおり、我が精強なる部隊の力を持って敵を制しに行くのだ。心配はいらぬ。ここは聞き分けよ」
 そう言われてしまうと、レイチェルは悲しそうに目を伏せる他になかった。
 「ジョージ、ジェイミー。留守中、この首都とわが妻をよろしく頼む。頼りになるわが子であるそなたたちに、余は期待しておるぞ」
 リチャードの言葉に、ジョージとジェイミーは片膝をつき、頭を垂れる。
 「お任せ下さい父上」
 「このジェイミー、命に代えましても」
 簡単にリチャードの言葉に応じてしまう2人に、レイチェルは愕然とする。どうして誰も本気で心配しない?本気で恐れない?戦場にいくとなれば、誰しも命の危険はあるではないか。まして、この首都では威勢の良い宣伝がなされ、ナショナリズムの扇動がいっそうなされているが、実体は負け戦と噂されている。そんなところに行ったら我が夫は…。
 「心配いたすなレイチェルよ」
 そう言って自分を抱きしめるリチャードに、胸中の不安を口にする機会を逸してしまう。
 「あなた、どうぞご武運を…」
 そう応じるのが、レイチェルの精一杯だった。レイチェルとて分からず屋ではない。もし本当に戦うべき場所、皆が生きるため、家族のために戦う価値のある場所なら、最愛の夫を涙を呑んで送り出すこともいとわない。しかし、今回の戦争に、それだけの価値も大義もあるようには思えなかったのだ。
 生きていてくれればいい。例えどんな形でも。生きていてさえくれれば。レイチェルは胸の奥で繰り返し祈った。

 同じ頃、ミザール北部沿岸、アルヴァルディ基地飛行場。いくつもの種類の軍用機が並ぶ、航空戦力の展覧会のような場所の一角に、ベネトナーシュ王立軍の姿もあった。
 「シオザキ一尉、ひと言お願いします。この次の戦いはどのようになるでしょうか?」
 「敵の航空戦力は残り少ないと聞く。恐らく俺たちの仕事はないよ。字義通り高見の見物さ」
 報道プレスのパスを首から下げたアイシアのインタビューに、潮崎は謙遜とも皮肉ともつかないコメントを返す。まあ、最近ドゥベの航空兵力はさっぱり元気がないから、そう言われればそうかとも思えるのだが。
 「司祭様、あなたの今度の戦いの見通しはどうでしょうか?」
 「まだまだ油断はできぬと思うておる。だが、支援についてはぬかりなしじゃ。われの情報網を最大限活用しておるからの」
 シグレは言葉を選びながらも、自信を持って答える。実際、シグレの人脈と情報網は見事なもので、多国籍軍が反攻戦に転じ、勝利を収めてこられたのも、シグレの功績に寄るところが大きい。宗教団体の信徒たちに情報を集めさせ、価値ある情報はそれなりの報酬を払って買い取る。一般人の中に溶け込んだものの誰が情報員かなど、見分けがつくものではなかった。
 シグレの提言で、情報の迅速化のために、飛行船型UAVを成層圏に複数滞空させておくこととしたのも、情報戦を有利にした。ドゥベ領内で起きたことを、5分もあれば電波を中継させて知ることができるのだ。しかも、複数の飛行船の中からランダムに選ばれたものを中継させて暗号通信でやりとりをするから、ジャミングや傍受がなされる前に、こちらは全ての情報を知っているという寸法だった。
 「ねえ、シグレはどうしてこんなに俺たちに協力してくれるんです?」
 「なんじゃ?いまさら水くさいの?」
 潮崎は、常々疑問に思っていたことを口にしていた。
 「だってさ、シグレは無限に近い寿命があるんですし?戦争なんてくだらないことに付き合わず、野蛮なやつらを高いところから眺めててもよさそうなもんじゃないですか?」
 ここで口にする事ではないかもしれない。でも確かめたいと思った。
 「そうじゃの…。われが、楽しい世の中が好きだから、かの?」
 「楽しい世の中?」
 シグレは、夕焼けの空を見上げて少し考える。銀髪と、9本の美しいしっぽが夕日に映える。
 「今のドゥベはつまらんよ。国家には規律と秩序が第一などと言って、衣食住さえ足りていればそれが人の分だとでも言わんばかりじゃ。自由に生きたい。いろいろなことを語り合いたい。芸術を創作し、楽しみたい。そんな人の自然な感情を否定して、体制に都合の悪いことは考えることさえ罪だと、人々を恫喝し、従わせようとする。
 われの望む世の中とはほど遠いものじゃ。そして、そこに人としての幸せも、明るい未来もないと信じておる。
 その点、ベネトナーシュは人の思い、多様な考えを尊び、支援する政を進めておるではないか。それこそ、われの理想かも知れぬ。だから守りたい。だから、それを害しようとするものを許せない。
 それが先ほどの答えじゃ。どうかの?」
 潮崎は、にっこりと微笑み、親指を立てることで応じる。
 「さすがシグレですね。あなたがいてくれて嬉しいですよ!今度も、よろしくお願いしますよ!」
 シグレも白い歯を見せて、親指を立てる。
 グルトップ半島に対する全面攻勢の時は、刻一刻と迫っていた。みな、緊張しつつも表情は明るく、光があった。イージス艦もエセックスも沈んだ。敵の航空隊は消耗しきってエアカバーもままならないありさまだ。陸上部隊も、ミザールのあちこちから潰走して半島に逃げ込んだ敗残兵たちに過ぎない。負ける要素が見当たらないではないか。
 多国籍軍の将兵たちは意気軒昂と作戦の時間を待っていた。
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