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外伝1 ある参謀の追憶

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 01
 え、俺かい?俺はイシュー・カーツカ。
 ナイジェリア系イギリス人で、元は王立海軍の士官。現在は異世界の治安を預かる軍事組織の参謀を務めている。
 まずは俺のことを少し話しておこう。
 俺はオックスフォードの銀行員の次男として生まれた。10代のころは本気でサッカー選手を目指していたこともあったが、ヨーロッパでのハードルの高さを実感して断念。
 ハイスクールを卒業すると、進学先は海軍兵学校を選択した。5人兄妹の4番目で、上の兄や姉が医者やピアニストを本気で目指していて、なにかと金がかかる。くわえて俺自身にはなにか本気で目標にしていることもないとなれば、わざわざ高い金をかけて一般の大学に行かせてもらう必要もないだろう。
 まあその程度の理由で軍人を目指した。海軍の士官はモテるだろうという打算もあったが。ここだけの話、イギリスの中産階級には良くある話だ。
 兵学校の卒業成績は中の中。軍の内部に目立ったコネもないとなれば出世は限られてくる。なにせ王立海軍は予算も組織も縮小される一方だ。
 艦隊で艦の分隊長をしたり、陸で広報や情報戦に関わったりしている内に瞬く間に二十年以上が過ぎていた。艦長や艦隊参謀を経験しているとなればキャリアにもはくがつく。
それに、遅ればせながら結婚もして子供も大きくなっていたとなれば、出世のことばかり考えているわけにもいかない。父親が家に居ない海軍軍人の家庭の子供の非行の割合は昔から高止まりする傾向があるのは知っていたからだ。まあこれは余談だが。
 おそらく大佐になることはできず、50になる前にやんわりと早期退役を勧告されて、そのあとは海軍の外郭団体にでも勤務しながら家族と暮らす。そんな展望を描いていた。
 ところが、どういうわけか俺は急に重大な任務を任されることになる。

 201X年、世界の7カ所に突如として開いたいわゆる“時空門”により、この地球は異世界とつながってしまうことになる。
 俺が新たに拝命した任務は、その異世界の国家からの要請に応じて、こちらより派遣される義勇軍の参謀というポストだった。
 というのも、異世界のロランセア、ナゴワンド両大陸周辺は戦国時代の様相を呈していた。助けを求めて来た異世界の国家を見殺しにすることは、人道的な観点からも、外交や経済の上の損得勘定からもうまくない。
 さりとて、各国が正規の軍隊を派遣してその軍隊同士の戦闘が起こることになれば、国家間戦争が地球にまで飛び火することになりかねない。
 国際条約が異例のスピードで締結され、異世界における義勇軍の戦闘行動は地球の各国のあずかり知らないところ、という建前が確立された。
 各国から異世界に義勇兵が派遣され、当初は義勇兵同士の小競り合いや局地戦が発生したものの、おおむね予定通りに異世界に武力の拮抗による平和がもたらされるかに思えた。
 だが、“ドゥベ戦争”と呼ばれた両大陸を巻き込んだ大規模な戦争が全てをご破算にし、状況を決定的に変えてしまった。
 かつて両大陸に君臨していた覇権国家である帝国の末裔によって統治される大国、ドゥベ公国。かの国では経済の停滞や外交の行き詰まりの反動からナショナリズムが台頭し、全体主義化が進んでいたのだ。
 ドゥベの全体主義化と、戦争へと突き進んだ経緯については別の講釈に譲るが、とにかくドゥベと両大陸の周辺国との大規模な軍事衝突は始まっていた。
 アメリカの支援を受けているだけにドゥベ軍は精強だった。が、周辺国が強固に連携し多国籍軍を編成したことや、無理な軍事侵攻が仇になったことなどが重なり、徐々に追い詰められていくことになる。
 俺は多国籍軍の艦隊の参謀としてドゥベ戦争に関わることとなる。
 戦争は最終的に多国籍軍がわの勝利に終わる。が、それは次の戦いの狼煙でしかなかった。
 ドゥベ戦争における両陣営の残虐な軍事行動や、ドゥベ領の資源の奪い合いなどの醜悪な現実は、多くの人間に失望と憎悪を抱かせた。
 ドゥベ軍、多国籍軍両サイドから脱走者が相次ぎ、各地で傭兵、軍閥化していった。
 わけても“自由と正義の翼”を名乗る反乱組織の破壊工作は両大陸にとって大きな脅威となった。
 最終的に反乱は鎮圧されたものの、両大陸はすっかり疲弊しきっていた。
 それこそ地方の離反や反乱、暴動、海賊行為などに対処できないほどに。
 治安の回復と経済の立て直しのために、両大陸の諸国の利害がようやく一致。元から存在した7カ国に、新たにドゥベから独立した国家をくわえた国際機関である、環大陸連合が正式に発足。
 各国の正規軍や義勇軍から戦力が抽出され、平和維持軍として再編成される。各国の利害にとらわれることなく、正義と平和を実現することを期待されて発足した軍事組織。
 だが、この平和維持軍の設立こそが真の地獄の始まりであることを、その時は誰も知るよしもなかったのだ。
 
 02
 「現在速力20ノット。予定通り、あと30分で目標地点に到着します」
 平和維持軍派遣機動部隊旗艦である駆逐艦、45型駆逐艦“デアリング”のブリッジ。航海士官が報告する。
 先頃大佐に昇進し、艦隊参謀として乗り込んでいる俺は、苦虫を噛みつぶしていた。
 現在機動部隊は、メグレス連合領ハギ諸島チョー州で起きた組織的な反乱の鎮圧に向かっている。だが、問題が発生していた。
 先行して偵察任務についていた潜水艦“あらしお”から上がってきた作戦中止の上申を受けて、俺は上に作戦中止もしくは延期を具申した。
 “ケイトス”と呼ばれる巨大でどう猛な海洋生物が徘徊する海域に、現状のまま入り込むのは危険だと“あらしお”の艦長が判断し、俺も同意見だったからだ。“あらしお”の艦長は聡明だが臆病な人物ではない。彼がそう言うならその判断を尊重すべきと思ったからだ。
 だが、上申は握りつぶされ、作戦断行の命令が返ってきたのだ。
 そんなに当初の予定通りにことが運ばないのが怖いか。ここまで事なかれ主義と無能がはびこっているとは。俺は忸怩たるものを感じずにはいられなかった。
 平和維持軍の活躍によって、地方の反乱や海賊行為が沈静化すると、シビリアンコントロールの名の下に平和維持軍への統制を強めようと言う動きが強まった。その結果、現場の裁量権を主張するものは出世コースから作為的に外され、必然的に軍上層部は事なかれ主義のイエスマンばかりがそろうことになったのだ。
 現場からすれば手足を縛られて敵の前に放り出されるも同然で、その不満は軍内部の派閥争いに発展していった。現場の裁量権を守ろうとする“佐幕派”と、今までのやり方を見直し、軍の統制を強めるべしとする“一新派”の争いだ。
 もし、現場からの上申を上層部が無視し、その結果トラブルが起こることになれば、両派閥の争いはさらに激化することは火を見るより明らかだった。
 その時、不気味なうなり声とも叫び声ともつかない声が、海中からブリッジまで響いた。まるで俺の危惧が悪い方向に当たったように。
 「艦長!対潜戦闘の準備をして下さい!対潜ヘリをすぐに上げるんです!」
 俺は艦長席に座る艦長に向かって叫んでいた。
 「落ち着きたまえ、例のケイトスとかいう怪物か?」
 艦長は今ひとつ危機感を感じていないようだった。
 だが次の瞬間、全員が嫌でも緊急事態認識することになる。機動部隊の隊列の中から突然火の手が上がったのだ。
 「どうした!?」
 「護衛艦“いなづま”より入電!“怪物の攻撃により右舷破損、機関室浸水、航行不能”」
 通信士の報告に、艦長も含めてブリッジに居るクルー全員の顔から血の気が引く。
 噂に過ぎなかった悪夢が現実となって襲いかかってくる。
 ケイトスはこの異世界の海に生息する巨大なほ乳類だ。大きいものでは50メートルにも達する規格外の身体を持つ。しかも、巨大な海洋生物が跋扈するこの海の頂点捕食者として君臨しており、巨大な歯と頑丈で強大なあごを持つどう猛な捕食者だ。小さな船など、船ごと一口に喰われてしまう。
 さらにたちの悪いことに、エコーロケーションを応用した、高出力の超音波による攻撃手段を持つ。
 ケイトスに関して報告を上げた“あらしお”艦長は“メーザー砲”と仮称していた。
 危険な生物だとは思ってはいたが、よもや護衛艦を一撃で大破させるほどの力を持っているとは想定外だった。
 「対潜戦闘用意!魚雷と対潜ミサイルによる攻撃を開始せよ!」
 艦長のその命令は遅きに失した。
 今度は艦隊の先頭を努める巡洋艦“シャイロー”から火の手が上がる。
 「シャイロー被弾!“我操舵不能”を繰り返しています!」
 「対潜攻撃急げ!やつらのキャピテーションノイズを目標に攻撃だ!」
 通信士の報告を受け、艦長が半ば叫ぶように攻撃を命令する。
 機動部隊の僚艦たちもここに至ってようやくケイトスの脅威に気づき、魚雷や対潜ミサイルによる攻撃を開始する。
 だが、ケイトスのキャピテーションノイズの正確なデータがない状況では、魚雷の狙いは正確さを欠いていた。なにせ、魚雷の誘導はスクリュー音やエンジン音をたよりに行うのがセオリーだ。スクリューどころかエンジンさえついていない、巨大な海洋生物の前に、近代兵器は思うように力を振るうことができなかった。
 「おかしい…なんで集まって来るんだ?」
 ブリッジの窓から外を見た俺は、巨大な影が目視で確認できるほど近くに集まっていることに気づく。
 もし、ケイトスを意図的に敵に向かってけしかけるか誘導するかする方法があるとしたら…。
 ケイトスの叫び声がうるさいほど響いてくる。内容まではわからないが、興奮して怒っている様子だった。
 その時、俺ははっきりと見た。対潜ミサイルに追い立てられて浮上したケイトスの姿を。見た目はマッコウクジラに近かったが、シャチを思わせる頑丈そうな顎と巨大な歯を持っている。なにより、艦隊の僚艦と比較すると、50メートルを軽く越える大きさであるのがわかる。
 ケイトスの眼はまるで警告灯のように赤く光っていた。浮上した一際大きなケイトスの個体と視線があった気がした。
 愚かで矮小な人間ども。ここから出て行け。
 眼がそう言っていた気がした。
 「艦長、やばいです!やつら震度を浅く取っています!
 これじゃ魚雷が炸裂しません!」
 水雷長が悲鳴まじりに最悪のバッドニュースを報告する。
 水上艦に搭載されている魚雷や対潜ミサイルには安全装置がかかっている。自分の船体を破損しないように、一定以上の震度でなければ信管が働かず炸裂しないようにできているのだ。
 一方で、ハープーンなどの対艦ミサイルや、駆逐艦の主砲は水面下にいる目標を撃つようにできていない。
 要するに、震度を浅く取って水面下を泳ぎ回るケイトスの群れに対して、こちら側の攻撃オプションは封殺されたことになる。
 ブリッジの窓の外で、群れの長と思しい一際巨大な個体がこちらに頭を向けるのがはっきりと見えた。メーザー砲による攻撃をかけようとしている。
 ブリッジの中の人間たちは、凍り付いたまま言葉を発することすらできなかった。このままメーザー砲が直撃するのを待つばかりに思えた。が…。
 突然ケイトスの脇腹で爆発が起こり、赤い血肉がまき散らされる。
 『一二式魚雷です!“あらしお”が来てくれました!』
 ソナールームからの報告に、ブリッジの中で歓声が上がる。
 先行して海中を偵察していた“あらしお”が救援に来てくれたらしい。潜水艦に搭載された魚雷は、当然のように水上艦を攻撃することも想定しているから、震度を浅く取ったケイトスを攻撃することもできる。
 さらに一二式魚雷による攻撃は続き、ケイトスが一頭、また一頭と海の藻屑と消えていく。
 ケイトスは多数の個体が始末され、残りは遁走していく。
 「助かった…」
 艦長が額の汗をぬぐう。
 「大変なのはこれからです」
 俺は反射的にそう返していた。
 軍上層部が現場からの上申を握りつぶして進撃を強行させた結果がこの有様だ。
 “佐幕派”の将兵たちが「それ見たことか」と言い始めるのは火を見るより明らかだった。“一新派”の将兵たちとの対立が決定的になものになってしまうのが目に浮かんだ。
 その後、俺の危惧は最悪の形で現実になる。
 軍上層部は作戦中止の上申を握りつぶした事実を隠蔽し、あろうことか“あらしお”艦長の報告義務違反の報告書をねつ造したのだ。
 もはやここにあって、平和維持軍の内乱は不可避なものとなっていた。

 03
 話は三年ほど飛ぶ。
 「時間です。そろそろ腹をくくらないとわれわれが危険だ。攻撃隊発艦準備」
 「艦長、まだ答えは出てないんだ!頼むから待ってくれねえか!?」
 空母“ほうしょう”のCIC。俺は階級は同じだが息子ほども年下の大佐である艦長に必死で談判していた。
 木ノ原慎治大佐。先だっての“ボ神戦争”と呼ばれる平和維持軍の内乱で、この“ほうしょう”の航空隊の指揮官として戦った。
 指揮官としての有能さが買われたことと、反乱兵たちのバイオテロによって平和維持軍指揮官の多くが死亡するか職務に当たれない状態となってしまったことを受けて、一足飛びに艦長を拝命した。
 艦長としての責任感と、元々の武人気質な性格から気がせいているらしい。
 確かに、現在われわれが包囲している軍港、セナンで起きている反乱はそれなりに大規模なもので、航空隊とミサイルによる攻撃を決定しなければ反撃を受ける危険があるという理屈はわかる。
 だが俺は、まだ反乱の中心に居る人物の説得を諦めていなかった。
 現在、俺は新設された環大陸連合国自衛軍の参謀として、“ほうしょう”指揮下の機動部隊の参謀を務めている。
 結果から見れば、“ボ神戦争”の終結は、平和維持軍にとって終わりの始まりだった。
 平和維持軍内部の争いが“一新派”の勝利に終わったことは、結果としては大きな意味を持たなかった。
 結局のところ、平和維持軍内部の“佐幕派”不穏分子が反乱を起こしてしまったことは、環大陸連合と平和維持軍上層部の無能不明が原因であることに変わりはなかったのだ。
 さらに、反乱分子によるバイオテロによってロランセア、ナゴワンド両大陸に大規模なパンデミックが発生し、平和維持軍将兵たちも多大な被害を受けた。
 その状況では、両大陸が地球の植民地のような立ち位置にある変わりに、地球出身者で構成される平和維持軍が治安と平和に責任を持つ、という構造を維持することは不可能となった。
 内乱とパンデミックで混乱の渦中にあった両大陸をまとめる必要性から、緩やかな連合体だった環大陸連合は発展的に解体される。変わって中央政府が強力なリーダーシップを発揮することが認められる環大陸連合国が誕生する。
 それを受けて、官僚主義化が進んで国民の信用を失っていた平和維持軍は縮小、段階的な解体が決定された。
 変わって環大陸連合国の平和の担い手となったのは、地球出身者とこちらの世界の出身者の区別なく構成される新たな軍事組織。環大陸連合国自衛軍だった。
 だが、平和維持軍存続を望む将兵たちからすれば、その状況は自分たちの功績を無視したリストラ策に過ぎなかった。
 平和維持軍存続派の不満分子たちによるサボタージュやストライキが両大陸のそこかしこで発生する。
 急ごしらえだが軍事組織の体裁を整えた自衛軍は、それらの反政府運動に対してよく機能した。
 皮肉にして、不満分子たちの切り崩しや鎮圧に尽力したのは、軍内部の派閥争いや“ボ神戦争”の敗者であったはずの旧“佐幕派”から自衛軍に参加した将兵たちだった。
 手前味噌だが俺もその一人だ。
 勝者であったはずの旧“一新派”将兵たちが用済みとばかりにリストラの憂き目に遭い反政府運動に転じる。
 逆に敗者であったはずの旧“佐幕派”将兵たちが新たな立ち位置を得て官軍として鎮圧に当たる。
 正に皮肉としか言いようのない構図だった。
 くわえて、“ボ神戦争”では勝ち組のがわにいながら、時流を読んでいち早く自衛軍に転じた木ノ原のような人間たちは、負け組に転落してしまったかつての仲間たちを撃つことにまったくためらいがない。
 かつて同じ釜の飯を食った仲間でも、敵であり害悪となるなら排除するまで。その冷酷なまでの割り切りはいっそ清々しくさえある。
 だがそれは、説得による事態の解決を諦めていない俺には困ったことでしかなかった。
 「艦長、頼む!待ってくれ!今総攻撃をかけたら反乱分子は統制を失う可能性がある!
 反乱の首謀者に反乱分子たちに向けて降伏を命令させる。そういう手はずだったじゃねえか?
 あんたの国のかつての“玉音放送”と同じだ!
 反乱分子たちに降伏を命令できるやつがいなくなって、反乱分子たちが死兵になっちまったら、こっちにも相応の損害が出るぞ!」
 機動部隊の司令部からは再三にわたってセナンに立てこもる反乱分子立ちに降伏の勧告が出されている。
 連日の戦闘で反乱分子たちも疲れ切っている。降伏に応じなければ今度こそ殲滅するという恫喝を含んだ説得は、今なら有効なはずだった。
 「カーツカ参謀、お気持ちはわかりますが、あなた少し人が良すぎませんか?
 言いたくはないが、先だっての“ボ神戦争”の時も派閥争いを回避しようとして結局うまくいかなかったでしょ?
 むしろあなたのやり方を“事なかれ主義”“弱腰”とやり玉にあげる動きすら出た。 
 争いや流血を避けようとする意志やよしですが、今回はもうその段階を過ぎていますよ」
 木ノ原が天気の話でもするような口調で断定する。
 冷たいやつめ。自分のキャリアと立場さえ無事なら、昔の仲間のことなどどうでもいいのか。
 そんな言葉が口から出かかるのを、俺は辛うじて抑えた。
 「なんと言われたってかまわねえ!
 責任は俺が取る!攻撃は待ってくれ!」
 木ノ原は不快そうにため息をつくと、腕時計に目を落とす。
 「攻撃隊の最終調整に10分かかります。
 それがリミットですよ」
 そう言った木ノ原は艦長席の電話を取り、ブリッジの航空管制担当士官に向けて、最終調整に10分をかけるように命令する。
 それっきり木ノ原は口を閉じてしまう。
 CICに重苦しい沈黙が流れる。
 俺は時計から目を離すことができなかった。10分が過ぎれば、木ノ原は間違いなく攻撃隊の発艦を命令するだろう。
 そうなればセナンに立てこもる反乱分子たちに生き残る術はない。そして、攻め手である機動部隊も無傷ではすまない。流れなくてもいい血が流れるのだ。
 「地上部隊より入電!」
 いよいよだめかと思った時、船務士が大きな声で報告する。
 「反乱分子の指導者である西郷大将が投降したそうです!
 反乱分子が武装解除を宣言。基地のゲートを開放しました!」
 CICのあちこちから盛大な安堵のため息が漏れる。
 さながら映画“クリムゾン・タイド”で、敵が降伏して核を発射せずに済んだ後の発令所の中のように。
 実の所、自衛軍はまだまだ組織としては準備の段階と言えた。ここで反乱分子と激しい戦いを演じて艦艇や航空機、なにより将兵たちに損害を出すことはできれば避けたかったのだ。
 それは脇に置いても、純粋に人死にが出ることが避けられたことを喜ぶ気持ちもあると信じたかったが。
 「艦長、時間をくれて感謝する」
 俺は背筋を伸ばして木ノ原に敬礼する。
 「今回はあなたの勝ちだ。よもや、西郷さんが折れるとは思わなかったが」
 木ノ原はしぶしぶという感じで立ち上がり敬礼を返す。
 反乱分子の指導者である西郷敬望大将。かつては木ノ原と同じくこの“ほうしょう”の航空部隊の指揮官を務めていた。
 “ボ神戦争”後、軍上層部の大量の死亡や失脚を受けて将官となり、軍政を一手に引き受けてきた。
 官僚主義に凝り固まっていた平和維持軍の整理にも尽力してきた。
 だが、使い捨てに等しいリストラに憤慨する平和維持軍将兵たちの無念の声をついに無視できなくなり、セナンを占拠して立てこもった反乱分子の指導者として名乗りを上げたのだ。
 見ようによっては、面倒見が良く義に厚い西郷らしい選択と言えた。
 CICのモニターの一つに、偵察ドローンから送信されてくる映像が映る。
 自衛軍の地上部隊に両手を挙げながら投降する人物は、間違いなく西郷だった。
 西郷の立場はこの先相当に厳しいものになる。現役の軍人でありながら反乱を起こした罪は重い。
 だが、少なくとも西郷を死に追いやることは避けられた。
 “ボ神戦争”の英雄であり、多くの人間の精神的支柱である男を殺さずに済んだ。そしてやつを最後まで諦めずに説得したのは俺だ。
 その事実は、俺にとって一生物の自慢となった。
 
 セナンの反乱を最後に、平和維持軍の不満分子による反政府運動は終焉を迎える。
 俺は、西郷の投降、逮捕によって事態が解決したことをただの結果論でしかないとは思いたくなかった。
 “ボ神戦争”の折り、参謀を務めていた機動部隊の将兵たちにクーデターを起こされ、ボートで放り出された時、クーデターの指導者の一人は俺を罵倒した。
 争いを回避するために、俺が“佐幕派”と“一新派”の間を取り持とうとしたことを、“八方美人”“事なかれ主義”と罵倒したのだ。
 やつらは言った。「ハギ諸島の不始末の時、“佐幕派”が団結していれば」と。
 もしそうしていたらどうなったか。結局“佐幕派”と“一新派”の攻守と優勢劣勢を入れ替えて争いが起きていただけだったろう。
 どっちが勝ったかは問題じゃない。戦争が起きれば大量の人死にが出るという事実に何の変わりもないのだ。
 世の中には結果から見て、ああしていればこうしていればと非難する者たちが大勢居る。
 はっきり言ってナンセンスだ。
 かつて、ナチスドイツがチェコを併合した時に、いや、そもそもロカルノ条約に違反してラインラントに進駐した時に、英仏米がドイツに攻め込んでいれば、ドイツに勝ち目はなく、第二次世界大戦は起こらなかったと臆面もなく言う者も居る。
 中途半端な平和主義が戦争を返ってひどくしたのだと。
 だが、当時のフランスは第一次世界大戦と世界恐慌で疲弊しきっていて、(軍事的にはともかく国民のコンセンサスという意味では)ドイツと戦える状態になかった。
 イギリスも同様の上に、こちらはドイツに攻め込むとなれば海を越えなければならなかった。そんな余裕がなかったのは言うまでもない。
 アメリカに至ってはモンロー主義を標榜し、欧州の戦いに関わること自体が不可能な状態だった。日本の真珠湾攻撃でようやく戦争の大義名分が立った有様だったのだ。
 全て結果を知っているから後知恵で、ああしていればこうしていればと言えるに過ぎない。
 “事なかれ主義”“弱腰”と罵倒されようともかまわない。今でも俺はそう思う。
 中途半端な平和主義は危険だという理屈を、対話の道を最初から諦め、拙速な軍事行動を容認する言い訳にはしたくない。
 ハギ諸島で家族や友人を失い、復讐を誓ってクーデターを起こした者たちの狂気に満ちた眼は今でも忘れることはできない。
 消せない恨みや憎しみはあるのだろう。
 だが、それでもと思う。
 恨みや憎しみが消せないからと言って、最初から対話を諦め力に任せることを繰り返していたらどうなるのか。
 平和を担保するために武力が必要であることは否定しない。
 だが、対話も譲歩もなく、ただ武力のみによって事態を解決していくことなど誰にもできはしないのだ。その先にあるのは、全てが滅ぶまで戦う未来でしかない。
 武力で全てが解決できると根拠もなく見積もった結果が、ベトナム戦争であり、アフガン侵攻だったことを忘れるべきではない。
 この先どれだけ罵倒されようと、どれだけ嫌な顔をされようと、“話し合おう”“交渉しよう”と言い続ける。
 それが、俺、イシュー・カーツカという人間の役目だと思えるのだ。
 
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