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06
外伝ex To the side story
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01
「エイトセンシズシステム?まさか?」
「そのまさかだよ。うちにお鉢が回ってきたらしい。評価試験を実施したいそうだ」
環太平洋連合国自衛軍所属、空母“ほうしょう”の艦長室。
飛行長である木ノ原慎治少佐は、艦長である橋本由紀保大佐の言葉に目の前が真っ暗になる気分だった。
「艦長、お断りしましょう!この資料を見る限り、人体実験そのものじゃないですか!」
木ノ原は手渡されたA4の資料を握りつぶしながら大声で橋本に詰め寄る。
とても任務の内容が納得できるものではなかったのだ。今はまだ命令でなく打診の段階だから、拒否すれば担当せずに済むはずだった。が…。
「いや、私は受けようと思う」
橋本はそう答える。
「本艦が受けなくても他の艦なり基地なりが引き受けるだろう。結果が同じなら、できる限り新しいシステムのことを知っておくのも悪くない」
苦虫を噛みつぶしたような顔でそう続ける橋本に、木ノ原は歯がみする。橋本も心底では忸怩たるものを感じているのはわかるからだ。
「俺に妻たちに顔向けできないことをしろとおっしゃる?」
理屈では橋本の言っていることは正しいことを理解している木ノ原は、あえて感情論をぶつけてみる。
最近5人の思い人と結婚した自分に、マッドサイエンティストの人体実験のようなことを手伝えというのかと問う。
「私とて既婚者だ。君の立場はわかるつもりだよ」
橋本は切り返す。実際橋本は既婚で子供もいる。家族に顔向けできないことをしようとしている自覚はあるのだと言外に言っているのが木ノ原にはわかった。
「こちらの世界をソマリアやスーダンにする道ですよ。
いや、もっとひどいことになるかも知れない」
木ノ原はそれだけは言っておきたかった。
アフリカ大陸の中央から南部は、そもそも大航海時代に白人が入植する以前から民族や部族間の争いが絶えなかった。奴隷貿易で売られるアフリカ人奴隷は、実体はほとんどが戦争の捕虜か民族浄化の被害者で、同胞であるはずのアフリカ人によって白人に売られていたのだ。
それでも、弓矢と槍くらいしかない時代は争いと言っても限定的なものだった。弓矢も槍も、使いこなすには習熟が必要だし、使い手が死ねば補充に時間がかかったからだ。
だが、AK47やRPG-7などに代表される、近代的かつシンプルな個人火器の登場で、争いはあっという間に大規模なジェノサイドに発展した。
短期間の訓練で使用でき、破壊力も絶大。しかも子供や老人でさえ即席の兵士に仕立て上げることを可能とするそれらの兵器は、もともとすさんでいたアフリカの地をこの世の地獄に変えてしまったのだ。
エイトセンシズシステムは、それと本質的には同じことをこの異世界にもたらす可能性が極めて高かった。
「ま、あまりそのことを言うとブーメランになるからほどほどにな。
われわれ自衛軍にしたって、こちらの住民を兵士として訓練して戦わせようという意味では同じようなものと言えるからな」
橋本の言葉に、木ノ原は息をぐっと詰まらせる。
地球出身者に暴力装置を独占させるのはこちらの世界の不安定の原因になるから、地球とこちらの出身者を分け隔てなく扱う。と言えば聞こえはいい。
だが、結局のところ、こちらの出身者を残虐な近代戦に巻き込むことに変わりはない。
こちらの住民からも兵力を募り、自衛軍の同胞として遇し戦力とする。自衛軍が今やっていることは、つまりはこちらの世界の住民を戦いの鍋の中に引っ張り込むことに他ならない。
かつてのこの世界の平和の番人だった平和維持軍が威信と兵力を失墜し、再びこちらの世界が不安定になろうとしている。それを防ぐための自衛軍だという建前で、平和に暮らす人びとを戦いに巻き込んでいる。
その意味では、自衛軍所属の自分たちはエイトセンシズシステムを声高に非難できる立場にはない。
「しかし…これじゃ即席の兵隊を量産して使い捨てるも同然じゃないですか…」
「そうしないための評価試験だ。
危険だということがはっきりすれば開発中止を具申すればよし。
開発が継続されるにしても、安全は最低限確保するよう努力はしないとな」
めっきりトーンダウンした木ノ原の批判に、橋本は議論は終わりだとばかりにぴしゃりと言い放つ。
問題の存在そのものを否定して、本質に踏み込むことなく非難だけするのはネット右翼やイエローメディアのやることだ。
売春をしなければ生活できない人びとにコンドームを配ることを不道徳な行為の助長だと言う人間に限って、じゃあどうすればいいのかという答えも方法論も持っていないものだ。
どうせもう開発されているシステムなら、その非人道性を少しでも和らげる努力が必要だ。それもプロである軍人として一つの責任の持ち方だ。
橋本は木ノ原に言外にそう告げたのだった。
エイトセンシズシステムの開発チームが“ほうしょう”に乗り込んできたのは4日後のことだった。
そしてそれから半年後、木ノ原の危惧は最悪の方向に当たることになるのだった。
02
「西郷さん、どうしてもご再考頂けないか?」
環大陸連合国の最高決定機関である最高評議会の庁舎の赤い絨毯の上、参議の一人であるトッシュ・ミッチ・オークベイは同じく参議の西郷敬望に必死で談判していた。
「オークベイさん、申し訳ないが議論は尽くされたことだ」
西郷は振り向いてオークベイを一瞥して素っ気なく言う。
やましいことをしている自覚はあるわけか。オークベイは思う。今まで、いつも話をするときはこちらを向いてくれた西郷が一瞬こちらを見ただけで、後は背中を向けたままだ。
ロランセア、ナゴワンド両大陸の西方に位置するカーン大陸を統治していたカーラー王国に大規模な内乱が発生。
カーラー王国に滞在しているこちらの人間の救助はもちろん、難民の流入や、治安の悪化に伴う海賊の跳梁などの問題が山積みで、対岸の火事ではない。それはわかる。
だが、これを幸いとばかりに、治安維持を口実に平和維持軍の大部隊を送り込んでカーン大陸を実効支配しようといういわゆる“征カーン論”は非常に危険だった。
先だっての“ボ神戦争”と呼ばれた平和維持軍の内紛のあおりで、平和維持軍の士気は下がりきっている。
また、官僚主義化が進んだ国防省、平和維持軍は両大陸の大衆の支持を失いつつあり、新設された防衛省、自衛軍に取って代わられつつある。
このタイミングで大規模な派兵を行って、もし失敗すればどうなるか。平和維持軍将兵に多大な犠牲を出すだけではない。本当の意味で、平和維持軍はその存在意義を失いかねなかった。
にもかかわらず、最高評議会は西郷ら“征カーン派”に押し切られる形で派兵を決議してしまったのだ。
“ボ神戦争”で平和維持軍が弱体化したことを受けて、防衛省、自衛軍の創設を率先して進めてきたオークベイだったが、平和維持軍を不要と考えているわけでは決してない。彼らの立場は理解しているし、“ボ神戦争”における彼らの功績を忘れたわけでは決してない。
なのに、平和維持軍保守派と、彼らの意を汲んでいる西郷ら“征カーン論”者たちは今は堪え忍ぶときだというオークベイの言葉に耳を貸すそぶりもない。
今の段階で平和維持軍の存在価値を示すための派兵など、自滅という断崖絶壁に向けて全力疾走するに等しい愚挙だった。
ちょうどその時、微妙に聞き慣れないジェットエンジンの音が外に聞こえる。
パイロット出身の西郷とオークベイには、今まで聞いたどのエンジン音とも微妙に違うその音は興味をそそられるものがあった。
窓の外を見ると、遠くに見える飛行場に第5世代戦闘機と思しい機体が着陸しようとしているところだった。第5世代戦闘機はステルス性能を最優先としたデザインであることに加え、産業スパイや盗作がはびこっているせいもあってどれも似たような姿をしている。
だが、その機体は西郷にもオークベイにも全く見慣れないものだった。
「もしかしてあんたの国の新鋭機か?開発は遅延してたって聞いてたが…」
「そう言えば、実機は2年前にロールアウトしてたが、予算が下りなくて実戦投入は見送られてたって話だったが…。こちらに派遣されてきたのか…」
オークベイの言葉に、西郷は記憶を読み出そうと試みる。というのも、言われてみれば窓の向こうに見えるのは空自のF-3と呼ばれる新鋭機だったからだ。
参議に就任したとは言え、一応今でも軍人であり、建前としては自衛隊から派遣されているのが自分の立場だ。空自の新鋭機がこちらに派遣されてくるという重大事を自分が知らないというのは大事だった。
だが、どれだけ記憶の中を探ってみても、新鋭機が派遣されてくると言う報告を効いた覚えはなかった。
おおかた、官僚や幕僚たちがホウレンソウを忘れているというところか。これでは先が思いやられる。西郷はため息をつく。
「まあ、ありがたいことじゃないか。
F-3は優秀な機体と聞いている。これならカーン大陸でも負けることはなかろうよ」
西郷が笑顔でオークベイに言う。
オークベイは笑い返す気にはなれなかった。
西郷がついに、他人だけでなく自分にも嘘をつけるようになってしまったことに落胆と絶望を感じずにはいられなかったのだ。
カーン大陸での戦いは激しいものになるだろう。そして、勝とうが負けようが得るもののない戦いになることは自明だった。カーン大陸は古い伝統を持つ土地だ。自分たちの土地がよそものの植民地になることをよしとするはずがない。
まして、それなりに広いカーン大陸を恒久的に軍事支配する力は環大陸連合国にはない。
よしんばできたとして、天災や戦乱で荒れ果てたカーン大陸を再建して産業と経済をゼロから振興していく財政的な余裕など、どこにもありはしない。
にも関わらず派兵を強行する目的は何か。
それは戦いのための戦いだ。
かつてのアレクサンドロス大王のインド遠征や、元帝国の元寇、そして豊臣秀吉の朝鮮出兵と同じだ。
内外に対する軍事的な示威以上でも以下でもない。そして、どう戦いどう勝つか、勝ったとしてどうするかのビジョンすらないものだった。当然だ。本気で勝つ気がないまま戦いに挑んでいるのだから。
西郷は国防省、平和維持軍と心中する気なのだ。オークベイは確信した。
西郷は優しく義に厚すぎる。滅び行く者たちを見捨てることがどうしてもできないのだ。
彼らに戦いの場所を、そして死に場所を与えることを自分の役目だとさえ思っているかもしれない。
その果てに待っているのは破滅だけだ。だが、西郷はそれさえ覚悟してしまっている。
そう悲壮な決意をしてしまった者を止める術はない。それは歴史が示している。
ならば、せめて骨を拾ってやることが自分の責務。
西郷も自分も、見ようによっては同じ穴の狢だ。
戦争の中で手柄を上げて出世し、多くの人間の屍の上に今の地位を築いた。そして、今度は多くの人間に多大な負担を強いて、用済みとなった者は容赦なく切り捨てる冷酷な政策を推し進めている。
どうせいい死に方はしない身の上であるならば、せめて自分の役目に忠実であろう。そして、何があろうとも感謝の気持ちは忘れないようにしよう。
オークベイはそう思うことが最低限の自分の誠意だと了解することにしたのだった。
03
一方、最高評議会庁舎から5キロほど離れた飛行場には、航空自衛隊から平和維持軍に派遣されてきた第5世代戦闘機、F-3の部隊4機が優雅とも言える動作で着陸していた。
キャノピーを開けて地上に降り立った指揮官パイロット、相馬猛徳一等空尉は、大儀そうにヘルメットを脱いで髪を風にさらす。
「ようやく戻ってこられたか」
そんな言葉が口を突いて出ていた。
相馬は“ボ神戦争”が始まった折、ちょうど平和維持軍から空自に呼び戻され、新鋭機であるF-3の慣熟訓練を任されていた。
異世界では毎日のように戦死者が出ているのをよそに、訓練に明け暮れる毎日は針のむしろだった。多くの戦友が命を落としているというのに、その場にいることができないのは身を切られるより辛いことだった。
だからこそ、F-3を受領して再びこちらに配属されたのは感慨深いものがあったのだ。
「相馬一尉、歓迎いたします!
自分はこの基地の主任パイロットの龍坂玄治郎一尉です!」
ルックスは悪くないが、いかにもどこにでもいる組織人という風体の男が、周囲を飛行する航空機のエンジン音に負けない大声で話しかけてくる。
「あなたは確か、龍坂素子二佐の弟さんの?
お会いできて光栄です!」
「いやいや、姉は前線で戦い続けた英雄でしたが、自分は後方で留守番をしていただけです。
私自身はどこにでもいるパイロットですよ」
なるほど、大衆の評価が一人歩きしているというわけか。と相馬は思う。
龍坂素子二佐は、平和維持軍のパイロットとして“ボ神戦争”を戦い、多くの戦果をあげた。そして、道半ばで戦死したことで軍神に祭り上げられることになった。
死んだ人間というのは残された者の中でいくらでも美化されかっこよくなるものだからたちが悪かった。龍坂素子という人物像や能力には尾びれ背びれがつき、高い能力を持ちながら戦場に散った悲劇のヒロインとして誇張されて語り継がれているのだ。
そして、耳に聞こえのいい英雄象を求める大衆の心理は身勝手なものだ。弟である彼もとばっちりを食っているというところか。
だが、相馬にはその男は英雄の資質があるように思えた。戦闘能力や操縦適正、指揮能力とは別のベクトルで、余人にはないものを感じたのだ。
相馬も龍坂も知らなかった。二人とも無自覚ながら英雄の資質を持っていたために、後の過酷な運命に向かって突き進んでいってしまうことを。
To the side story
「エイトセンシズシステム?まさか?」
「そのまさかだよ。うちにお鉢が回ってきたらしい。評価試験を実施したいそうだ」
環太平洋連合国自衛軍所属、空母“ほうしょう”の艦長室。
飛行長である木ノ原慎治少佐は、艦長である橋本由紀保大佐の言葉に目の前が真っ暗になる気分だった。
「艦長、お断りしましょう!この資料を見る限り、人体実験そのものじゃないですか!」
木ノ原は手渡されたA4の資料を握りつぶしながら大声で橋本に詰め寄る。
とても任務の内容が納得できるものではなかったのだ。今はまだ命令でなく打診の段階だから、拒否すれば担当せずに済むはずだった。が…。
「いや、私は受けようと思う」
橋本はそう答える。
「本艦が受けなくても他の艦なり基地なりが引き受けるだろう。結果が同じなら、できる限り新しいシステムのことを知っておくのも悪くない」
苦虫を噛みつぶしたような顔でそう続ける橋本に、木ノ原は歯がみする。橋本も心底では忸怩たるものを感じているのはわかるからだ。
「俺に妻たちに顔向けできないことをしろとおっしゃる?」
理屈では橋本の言っていることは正しいことを理解している木ノ原は、あえて感情論をぶつけてみる。
最近5人の思い人と結婚した自分に、マッドサイエンティストの人体実験のようなことを手伝えというのかと問う。
「私とて既婚者だ。君の立場はわかるつもりだよ」
橋本は切り返す。実際橋本は既婚で子供もいる。家族に顔向けできないことをしようとしている自覚はあるのだと言外に言っているのが木ノ原にはわかった。
「こちらの世界をソマリアやスーダンにする道ですよ。
いや、もっとひどいことになるかも知れない」
木ノ原はそれだけは言っておきたかった。
アフリカ大陸の中央から南部は、そもそも大航海時代に白人が入植する以前から民族や部族間の争いが絶えなかった。奴隷貿易で売られるアフリカ人奴隷は、実体はほとんどが戦争の捕虜か民族浄化の被害者で、同胞であるはずのアフリカ人によって白人に売られていたのだ。
それでも、弓矢と槍くらいしかない時代は争いと言っても限定的なものだった。弓矢も槍も、使いこなすには習熟が必要だし、使い手が死ねば補充に時間がかかったからだ。
だが、AK47やRPG-7などに代表される、近代的かつシンプルな個人火器の登場で、争いはあっという間に大規模なジェノサイドに発展した。
短期間の訓練で使用でき、破壊力も絶大。しかも子供や老人でさえ即席の兵士に仕立て上げることを可能とするそれらの兵器は、もともとすさんでいたアフリカの地をこの世の地獄に変えてしまったのだ。
エイトセンシズシステムは、それと本質的には同じことをこの異世界にもたらす可能性が極めて高かった。
「ま、あまりそのことを言うとブーメランになるからほどほどにな。
われわれ自衛軍にしたって、こちらの住民を兵士として訓練して戦わせようという意味では同じようなものと言えるからな」
橋本の言葉に、木ノ原は息をぐっと詰まらせる。
地球出身者に暴力装置を独占させるのはこちらの世界の不安定の原因になるから、地球とこちらの出身者を分け隔てなく扱う。と言えば聞こえはいい。
だが、結局のところ、こちらの出身者を残虐な近代戦に巻き込むことに変わりはない。
こちらの住民からも兵力を募り、自衛軍の同胞として遇し戦力とする。自衛軍が今やっていることは、つまりはこちらの世界の住民を戦いの鍋の中に引っ張り込むことに他ならない。
かつてのこの世界の平和の番人だった平和維持軍が威信と兵力を失墜し、再びこちらの世界が不安定になろうとしている。それを防ぐための自衛軍だという建前で、平和に暮らす人びとを戦いに巻き込んでいる。
その意味では、自衛軍所属の自分たちはエイトセンシズシステムを声高に非難できる立場にはない。
「しかし…これじゃ即席の兵隊を量産して使い捨てるも同然じゃないですか…」
「そうしないための評価試験だ。
危険だということがはっきりすれば開発中止を具申すればよし。
開発が継続されるにしても、安全は最低限確保するよう努力はしないとな」
めっきりトーンダウンした木ノ原の批判に、橋本は議論は終わりだとばかりにぴしゃりと言い放つ。
問題の存在そのものを否定して、本質に踏み込むことなく非難だけするのはネット右翼やイエローメディアのやることだ。
売春をしなければ生活できない人びとにコンドームを配ることを不道徳な行為の助長だと言う人間に限って、じゃあどうすればいいのかという答えも方法論も持っていないものだ。
どうせもう開発されているシステムなら、その非人道性を少しでも和らげる努力が必要だ。それもプロである軍人として一つの責任の持ち方だ。
橋本は木ノ原に言外にそう告げたのだった。
エイトセンシズシステムの開発チームが“ほうしょう”に乗り込んできたのは4日後のことだった。
そしてそれから半年後、木ノ原の危惧は最悪の方向に当たることになるのだった。
02
「西郷さん、どうしてもご再考頂けないか?」
環大陸連合国の最高決定機関である最高評議会の庁舎の赤い絨毯の上、参議の一人であるトッシュ・ミッチ・オークベイは同じく参議の西郷敬望に必死で談判していた。
「オークベイさん、申し訳ないが議論は尽くされたことだ」
西郷は振り向いてオークベイを一瞥して素っ気なく言う。
やましいことをしている自覚はあるわけか。オークベイは思う。今まで、いつも話をするときはこちらを向いてくれた西郷が一瞬こちらを見ただけで、後は背中を向けたままだ。
ロランセア、ナゴワンド両大陸の西方に位置するカーン大陸を統治していたカーラー王国に大規模な内乱が発生。
カーラー王国に滞在しているこちらの人間の救助はもちろん、難民の流入や、治安の悪化に伴う海賊の跳梁などの問題が山積みで、対岸の火事ではない。それはわかる。
だが、これを幸いとばかりに、治安維持を口実に平和維持軍の大部隊を送り込んでカーン大陸を実効支配しようといういわゆる“征カーン論”は非常に危険だった。
先だっての“ボ神戦争”と呼ばれた平和維持軍の内紛のあおりで、平和維持軍の士気は下がりきっている。
また、官僚主義化が進んだ国防省、平和維持軍は両大陸の大衆の支持を失いつつあり、新設された防衛省、自衛軍に取って代わられつつある。
このタイミングで大規模な派兵を行って、もし失敗すればどうなるか。平和維持軍将兵に多大な犠牲を出すだけではない。本当の意味で、平和維持軍はその存在意義を失いかねなかった。
にもかかわらず、最高評議会は西郷ら“征カーン派”に押し切られる形で派兵を決議してしまったのだ。
“ボ神戦争”で平和維持軍が弱体化したことを受けて、防衛省、自衛軍の創設を率先して進めてきたオークベイだったが、平和維持軍を不要と考えているわけでは決してない。彼らの立場は理解しているし、“ボ神戦争”における彼らの功績を忘れたわけでは決してない。
なのに、平和維持軍保守派と、彼らの意を汲んでいる西郷ら“征カーン論”者たちは今は堪え忍ぶときだというオークベイの言葉に耳を貸すそぶりもない。
今の段階で平和維持軍の存在価値を示すための派兵など、自滅という断崖絶壁に向けて全力疾走するに等しい愚挙だった。
ちょうどその時、微妙に聞き慣れないジェットエンジンの音が外に聞こえる。
パイロット出身の西郷とオークベイには、今まで聞いたどのエンジン音とも微妙に違うその音は興味をそそられるものがあった。
窓の外を見ると、遠くに見える飛行場に第5世代戦闘機と思しい機体が着陸しようとしているところだった。第5世代戦闘機はステルス性能を最優先としたデザインであることに加え、産業スパイや盗作がはびこっているせいもあってどれも似たような姿をしている。
だが、その機体は西郷にもオークベイにも全く見慣れないものだった。
「もしかしてあんたの国の新鋭機か?開発は遅延してたって聞いてたが…」
「そう言えば、実機は2年前にロールアウトしてたが、予算が下りなくて実戦投入は見送られてたって話だったが…。こちらに派遣されてきたのか…」
オークベイの言葉に、西郷は記憶を読み出そうと試みる。というのも、言われてみれば窓の向こうに見えるのは空自のF-3と呼ばれる新鋭機だったからだ。
参議に就任したとは言え、一応今でも軍人であり、建前としては自衛隊から派遣されているのが自分の立場だ。空自の新鋭機がこちらに派遣されてくるという重大事を自分が知らないというのは大事だった。
だが、どれだけ記憶の中を探ってみても、新鋭機が派遣されてくると言う報告を効いた覚えはなかった。
おおかた、官僚や幕僚たちがホウレンソウを忘れているというところか。これでは先が思いやられる。西郷はため息をつく。
「まあ、ありがたいことじゃないか。
F-3は優秀な機体と聞いている。これならカーン大陸でも負けることはなかろうよ」
西郷が笑顔でオークベイに言う。
オークベイは笑い返す気にはなれなかった。
西郷がついに、他人だけでなく自分にも嘘をつけるようになってしまったことに落胆と絶望を感じずにはいられなかったのだ。
カーン大陸での戦いは激しいものになるだろう。そして、勝とうが負けようが得るもののない戦いになることは自明だった。カーン大陸は古い伝統を持つ土地だ。自分たちの土地がよそものの植民地になることをよしとするはずがない。
まして、それなりに広いカーン大陸を恒久的に軍事支配する力は環大陸連合国にはない。
よしんばできたとして、天災や戦乱で荒れ果てたカーン大陸を再建して産業と経済をゼロから振興していく財政的な余裕など、どこにもありはしない。
にも関わらず派兵を強行する目的は何か。
それは戦いのための戦いだ。
かつてのアレクサンドロス大王のインド遠征や、元帝国の元寇、そして豊臣秀吉の朝鮮出兵と同じだ。
内外に対する軍事的な示威以上でも以下でもない。そして、どう戦いどう勝つか、勝ったとしてどうするかのビジョンすらないものだった。当然だ。本気で勝つ気がないまま戦いに挑んでいるのだから。
西郷は国防省、平和維持軍と心中する気なのだ。オークベイは確信した。
西郷は優しく義に厚すぎる。滅び行く者たちを見捨てることがどうしてもできないのだ。
彼らに戦いの場所を、そして死に場所を与えることを自分の役目だとさえ思っているかもしれない。
その果てに待っているのは破滅だけだ。だが、西郷はそれさえ覚悟してしまっている。
そう悲壮な決意をしてしまった者を止める術はない。それは歴史が示している。
ならば、せめて骨を拾ってやることが自分の責務。
西郷も自分も、見ようによっては同じ穴の狢だ。
戦争の中で手柄を上げて出世し、多くの人間の屍の上に今の地位を築いた。そして、今度は多くの人間に多大な負担を強いて、用済みとなった者は容赦なく切り捨てる冷酷な政策を推し進めている。
どうせいい死に方はしない身の上であるならば、せめて自分の役目に忠実であろう。そして、何があろうとも感謝の気持ちは忘れないようにしよう。
オークベイはそう思うことが最低限の自分の誠意だと了解することにしたのだった。
03
一方、最高評議会庁舎から5キロほど離れた飛行場には、航空自衛隊から平和維持軍に派遣されてきた第5世代戦闘機、F-3の部隊4機が優雅とも言える動作で着陸していた。
キャノピーを開けて地上に降り立った指揮官パイロット、相馬猛徳一等空尉は、大儀そうにヘルメットを脱いで髪を風にさらす。
「ようやく戻ってこられたか」
そんな言葉が口を突いて出ていた。
相馬は“ボ神戦争”が始まった折、ちょうど平和維持軍から空自に呼び戻され、新鋭機であるF-3の慣熟訓練を任されていた。
異世界では毎日のように戦死者が出ているのをよそに、訓練に明け暮れる毎日は針のむしろだった。多くの戦友が命を落としているというのに、その場にいることができないのは身を切られるより辛いことだった。
だからこそ、F-3を受領して再びこちらに配属されたのは感慨深いものがあったのだ。
「相馬一尉、歓迎いたします!
自分はこの基地の主任パイロットの龍坂玄治郎一尉です!」
ルックスは悪くないが、いかにもどこにでもいる組織人という風体の男が、周囲を飛行する航空機のエンジン音に負けない大声で話しかけてくる。
「あなたは確か、龍坂素子二佐の弟さんの?
お会いできて光栄です!」
「いやいや、姉は前線で戦い続けた英雄でしたが、自分は後方で留守番をしていただけです。
私自身はどこにでもいるパイロットですよ」
なるほど、大衆の評価が一人歩きしているというわけか。と相馬は思う。
龍坂素子二佐は、平和維持軍のパイロットとして“ボ神戦争”を戦い、多くの戦果をあげた。そして、道半ばで戦死したことで軍神に祭り上げられることになった。
死んだ人間というのは残された者の中でいくらでも美化されかっこよくなるものだからたちが悪かった。龍坂素子という人物像や能力には尾びれ背びれがつき、高い能力を持ちながら戦場に散った悲劇のヒロインとして誇張されて語り継がれているのだ。
そして、耳に聞こえのいい英雄象を求める大衆の心理は身勝手なものだ。弟である彼もとばっちりを食っているというところか。
だが、相馬にはその男は英雄の資質があるように思えた。戦闘能力や操縦適正、指揮能力とは別のベクトルで、余人にはないものを感じたのだ。
相馬も龍坂も知らなかった。二人とも無自覚ながら英雄の資質を持っていたために、後の過酷な運命に向かって突き進んでいってしまうことを。
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冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
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誤字報告
タイトル『焼け野原での出会い』会話文より
非難 → 避難
タイトル『霧の中の空戦』末尾付近より
木ノ原ジゴロ伝説大3段 → 木ノ原ジゴロ伝説第3弾
ご確認をお願い致します
一言
受け継がれる伝統(主人公限定)あるいは非リア充の天敵(ガフッ)
ご指摘ありがとうございました。
修正いたしました。
さて、その昔、ある成人向け漫画誌に連載されていたハーレム漫画にこんなコメントが寄せられていました。
”マサル(主人公の名前)なんでこんなにモテるの?
漫画だから?”
そりゃあんた、主人公がモテなきゃお話が成立しないからに決まってます!はははは!
あれ?なんで涙が出て来るんだろう...?
シーズン2更新お疲れ様です
物語の流れからα任務部隊を思い出していたところで艦隊丸ごと反乱に加わる件には予想していた分驚きは却って大きかったです
こちらの場合、反乱艦隊の幹部クラスが狂気に堕ちている上、一方の討伐隊はあらゆる面で不足が目立つのが今回の動乱の悲壮感を際立たせていますね
責任を伴わないシビリアンコントロールがこれ程危険なものであったと恐怖も感じています
今の段階では反乱の行く末が見えないだけに物語に目が離せない思いです
ただ、討伐隊の上層部の敗北は決定的と言えます
事なかれ主義のお役所仕事の体制のまま行けば討伐隊の全滅による軍事的敗北、組織改革を行えば反乱勃発の経緯と併せて今までのツケを払う形で上層部の大半が失脚しての政治的敗北
どちらも敗北であれば後者を推して現場の人間が生き残って欲しいです
長文失礼しました
感想ありがとうございます。
お察しの通り、ガンダムセンチネルは今でも好きな作品ですが、ブレイブ・コッドやトッシュ・クレイ、ブライアン・エイノーという人物たちには今一つ共感できませんでした。
自分たちの主義主張が通らないからと言って、家族や組織を捨てて反乱を起こすだろうかと疑問だったのです。
今回のストーリーでは、登場人物たちが組織を裏切って反乱を起こす理由をわかりやすくするために、組織の無為無策で戦友や家族を失い、狂気に呑まれたという形としました。
”ザ・ロック”のハメル准将や、”亡国のイージス”の宮津二佐をイメージしています。
討伐隊の戦力がぱっとしないのは。単にわたくしの趣味という側面もあります。(←...)
特に、ファントム系統の機体と、第5世代戦闘機の戦闘は、絶対に書いてみたいと思っておりました。
今回の国家と軍の無為無策は、自分でも書いていて少し悲しくなります。
前作の登場人物たちが必死で守り、作り上げて来たものの成れの果てがこれだと思うと...。
ただ、どんな体制も権力を持つと堕落するということは、作品の一つのテーマでもあります。
おっしゃる通り、上層部の敗北はすでに決定的です。
最終的に反乱がどうなるかはまだ未定の部分が多いのですが、これからもご期待頂ければ幸いです。