戦憶の中の殺意

ブラックウォーター

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第一章 不穏な客たち

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「みなさん、ピアノを弾かせてもらってもいいですか?」
 食事の片付けを終えたラリサが、ロビーでくつろぐ面々に声をかける。
「おお、いいんじゃないかな」
 とラバンスキー。
「ぜひ聞きたいわね」
 と綾音。
「紳士淑女のみなさん、これよりラリサ・ホフチェンコのコンサートの開幕です。携帯電話の電源はお切りください」
 ブラウバウムが、ふざけて頭を垂れる。かなり酒が入っているらしい。ロビーに置かれたピアノに腰掛け、ラリサの指が軽やかに鍵盤の上を踊り始める。
(これ……けっこう古い曲だよな……? なんでラリサが弾けるんだ……?)
 誠はふと違和感を覚えた。記憶が正しければ、ラリサが弾いている曲は相当に昔のものだ。確か、自分が生まれるか生まれないかの時に流行った曲だったはずだ。ラリサの指が最後の音を奏でると、一斉に拍手が上がる。
「懐かしいなあ」
「おっさんにはたまらないな」
「それは遠回しに、私もおばさんだとおっしゃっているのかしら?」
 かつてを思い出したか、山瀬、倉木、綾音が懐かしそうに笑う。
「なあ七美、今の曲なんていったっけ?」
 傍らに腰掛けた幼なじみに聞いてみる。彼女は雑学女王と言われるほどに物知りだ。知っている可能性は高い。
「歌ってた本人がいる前で、ちょっと失礼じゃない? 綾音さんの『水平線の向こうから』だよ。まあ、だいぶ昔のだけどさ」
 嫌みを交えつつも、七美は親切に教えてくれる。
「あら、北条さんお若いのによく知ってるわね? 最後に歌ったのずいぶん昔なのに」
 綾音が意外そうになる。二十歳以上下の少女が、自分が彼女の年齢だったころに歌っていた曲を知っている。まあ当然の反応だ。
「そりゃあ、私が生まれる前だけどあれだけ有名だったんですから。時々テレビでも昔はやった曲として出てますし」
 少女がドヤ顔になる。雑学女王の面目躍如とばかりに。
「あれ……? でも変ね。レミックスの類いも出てないし、最近ではCDも手に入らない。それをピアノで弾けるなんて……」
 綾音が、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
(言われてみれば……。見たところ、楽譜も見ずに弾いてるしな……)
 誠も違和感を覚える。自分は楽譜が読めないが、ピアノの演奏というのは容易ではないことは想像がつく。最近ではネットで楽譜も手に入る。が、二十年近くも昔のものとなると難しいはずだ。
「ああ、実はラリサはいわゆる耳コピーが特技なんですよ」
 ティーポットで紅茶を煎れながら、倉木が疑問に答える。
「耳コピー……? 聞いただけでピアノで演奏できるってことですか?」
 そんなことが可能なのか、と言外ににじませて七美が問い返す。
「まあ、あんまり複雑なのは難しいみたいですがね。実は、綾音さんのファンみたいで、いつもスマホで動画観て音楽聴いてるんですよ」
 いたずらっぽい笑みを浮かべて、倉木が娘の秘密を暴露する。酔っているらしい。堅物そうな彼らしくない、まるで十代のやんちゃ坊主だ。
「ちょっとお父さんたら……」
 ラリサが、金髪碧眼の美貌を朱に染める。さすがに恥ずかしかったらしい。
「耳コピーかあ……。じゃあラリサ、これ弾けるかな?」
 誠は気を利かせて話の軌道を修正する。ネット動画を呼び出す。
「これですか? はい、これなら弾けますよ? ちょっとスマホお借りしますね」
 ラリサが、誠のスマホを耳に近づけて眼を閉じる。どうやら、曲を覚えているようだ。
「では、お立ち会い……」
 スマホを返し、再びピアノの鍵盤に手をかける。切なげなメロディーの演奏が始まる。
「すげえ……本当に弾けてる……」
 誠は驚きを通り越して感動さえ覚えた。今日初めて聞いたはずなのに、完璧に弾いている。微妙な音程の変化さえ、見事に再現している。
 自分が指定した曲は、ドラマのBGMだ。かなり昔のもので、コアなファンは多いがそれほどメジャーでもない。ある少年誌に連載されていたマンガのドラマ版。名探偵の孫である少年が、数々の難事件を解決するものだった。
 回想シーンで主に流されるBGMだ。切なげなピアノの音色が、犯人たちが殺人を犯すに至る経緯を説明する演出ともなっていた。
 なぜ生まれる前に放送されたドラマの事を知っているか。それはこの作品が何度もドラマ化されていて、最近新たなシリーズが制作、放送されたからだ。せっかくなのでと、DVDをレンタルしてドラマ一作目から視聴したのだ。
 曲が終わると、再びロビーに拍手が巻き起こった。
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