雨音と素肌の記憶

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第二章「不思議な力 — 過去の断片」

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 翌朝、カーテンの隙間から差し込む光が律のまぶたを照らす。小さな寝台でうとうとしていたが、ふと目を開けると、部屋の隅に雫の姿があることを確認して意識がはっきりする。彼女は自分が着替えとして貸したシャツを着て、ぼんやりと窓の外を見つめていた。昨夜の雨は止み、天気は回復傾向にあるようだった。

 「おはよう…」律が声をかけると、雫は振り向いて一瞬だけ微笑むものの、すぐに視線を外す。昨夜のことは夢ではなかった。彼女と触れ合ったときの強烈な記憶の逆流—あれはどう説明すればいいのだろうか。

 少し気まずい沈黙が流れる。律は朝の支度をしようと洗面所へ向かうが、やはり気になって仕方がない。昨夜の感覚が強烈に脳裏にこびりついているのだ。知らずに眉間にシワを寄せていると、背後から雫の小さな声が聞こえた。
 「ごめんなさい。私がいると、あなたは辛いでしょ?」
 不意に、律は彼女の存在に対して安堵と困惑を同時に覚えた。どうやら彼女は自分の力、あるいは自分の存在が人を苦しめる可能性を知っているらしい。しかし、律はすぐには言葉が出てこなかった。

 そのまま雫は、何も言わずに玄関へ向かう。雨の止んだ朝にふさわしくない、寂しげな足取りで。彼女はドアノブに手をかけ、ちらりと律を振り返った。その瞳には「このまま消え去ってもいい」というような覚悟のようなものが見えた。
 「待って…!」
 思わず声を上げる律。その声に、雫は一瞬立ち止まる。律は昨日感じた不可解な衝動を振り払うように、彼女に近寄った。
 「行かないで。俺、まだ君のこと…何も知らないんだ」

 この言葉が律の本心なのか、それともただの好奇心なのか自分でもわからない。けれど、失うことが怖いと思わせるほど、雫の存在は昨夜の数時間で深く食い込んでいた。忘れたいはずの過去の記憶に再び火をつけられたのに、なぜか追い払うことができない。

 雫は小さくうなずくように見えた。そして再びソファに腰を下ろす。律はこの妙な同居状態をどうやって説明すればいいのか頭を抱えながら、仕事へ行く準備を整える。結局、雫をそのまま部屋に置いて出社することになった。鍵はどうするかという話も曖昧なまま、律は「夕方には戻るから」とだけ伝えて家を出たのだった。

 会社での業務中、律は何度もスマートフォンを気にしてしまう。部屋に知らない女性を残してきたという不安もあるが、それ以上に気持ちを占めるのは昨夜の記憶のフラッシュバックだった。あの瞬間、触れた指先から過去の思い出が鮮明によみがえった。まるで自分の脳内を誰かに覗かれているような居心地の悪さと、元恋人の面影がよみがえる懐かしさが交錯し、思考を混乱させる。

 定時を迎える頃には外は再び小雨が降り始めていた。律は書類の片付けもそこそこに、急いでマンションへ戻る。ドアを開けると、淡い部屋の照明の中に雫がぽつんと座っていた。昼間は一度外へ出たのかどうかはわからないが、差し込まれた郵便物をそのままにしている様子からして、彼女がずっとここに留まっていた可能性もある。
 「帰ってきてくれたんだね」
 雫は律の顔を見て、少しだけほっとしたように笑う。その笑顔は一瞬で雨雲を晴らすかのような、不思議な力を持っているように見えた。

 律は思い切って問いかける。
 「雫…君は、触れるだけで相手の記憶を呼び起こすことができるのか?」
 彼女は視線を落とし、静かにうなずいた。
 「でも、それは私の意思じゃない。相手の中に眠っているものが…私と触れ合うことで表に出てくる。いつからこうなったのか、正直私にもわからない」

 言葉の端々に感じるのは、彼女自身がその力に翻弄され続けている事実だ。もしかすると、雫は誰かの過去の記憶を解放するためにこの世に存在しているのだろうか—そんな突拍子もない想像が、雨の音に溶けて律の頭をよぎった。
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