さよならPretender

榊 海獺(さかき らっこ)

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Pretender

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「結婚の申込みが腕時計なんて、前代未聞じゃない?」
 隣で彼女がケラケラ笑っている。
「いや、だからあれはクリスマスのプレゼントなんだって。」
「私さ、ちゃんと告白してもらってなかったから、それを言って欲しかったのに、まさかのプロポーズよ。びっくりしちゃった。」
「徹もアホだなぁ。はい。ここサインして。」
「分かった。でも淳。本当に俺でいいんだな。結婚の証人。」
 目の前で淳が大きく頷く。

 淳から結婚の証人を頼まれたのは、クリスマス明けの出社日だった。いい機会だったので、このタイミングで淳に彼女を紹介することにした。年末年始休暇初日。僕らは上野駅構内にあるWIRED CAFEに来ていた。
「一番信頼してる人にお願いしたくてさ、考えに考えた結果、徹にお願い出来ないかなぁ? って。」
「そういうことか。光栄だね。ありがとう。ここに書けばいいのね。」
「うん。お願い。」
 僕が誰かの結婚の証人になるなんて、思いもしていなかった。素直に嬉しかった。ボールペンで署名をし、印鑑を押す。生年月日、住所、本籍を書込み、完了だ。
「おし。書けたぞ。」
「ありがとう。」
 淳が書類をクリアファイルに入れる。
「ねぇ私のサインは要らないの?」
「お前なぁ。初対面の人にサインなんか頼めるかぁ。なぁ淳。」
 淳がケラケラ笑っている。
「いや、ほら、証人って二人必要でしょ? だから、一応聞いとかないとと思って。てへ。」
 そう言って、隣で彼女が戯けた素振りをする。こういうところが堪らなく愛しいのだ。
「千夏ちゃん詳しいんだね。って、常識なのか。」
 彼女の方を見る。彼女も僕の方を見る。思っていることは同じだろう。”だって経験者だもの”だ。あまりに息ぴったりだったので、二人して笑ってしまう。
「なんだよ。アイコンタクトで会話するなよ。俺置いてけぼりじゃん。」
「ごめん。ごめん。なんでもない。」

 帰り際、会計をしようとしたら淳に断られた。
「今日はこっちからお願いしたから、ここは俺が出すよ。」
「気にしないでいいのに。ありがとう。ごちそうさま。」
「ごちそうさまです。」
 隣で彼女も頭を下げる。
「いや、しっかし徹の相手が千夏ちゃんみたいな子でよかったよ。」
「どゆこと?」
「変な女に引っ掛かってなくて安心したってことよ。それに、徹はしっかりしてるように見えて、所々抜けてたりするからさ、千夏ちゃんとなら抜けた部分補いながら、仲良くやっていけそうじゃん。」
「そうかなぁ。」
「なんとなくそんな気がする。」
「任せてよ。淳さんは大船に乗った気持ちでいて。」
「その自信はどこから来るんだよ。」
「ここから。」
 そう言うと、彼女は胸の辺りをポンポンと叩いた。
「私達の時はサイン宜しくね。」
 別れ際、彼女が淳に言った。
「あぁ。分かったよ。とりあえず、今度みんなで飲みに行こう。」
「やったー。」
「お前軽すぎるだろ。」
「てへ。」

 僕のサプライズプロポーズは、とりあえず保留ということになっている。でも淳に”私達の時は”と言っていたから、多分大丈夫だろうと思う。そもそも、僕はこの先でどんなことがあっても、彼女の手を放す気はないのだ。大丈夫だろう。

 淳と別れた後、夕飯の買い物をして帰ってきた。今晩はハンバーグだ。夕飯を食べたら、一緒にマロンの散歩に行くのが最近の楽しみになっている。日課ってやつか。
 夕飯の準備を始める。フライパンを熱しながら、いつものようにシャッフルで音楽を掛けるると、Official髭男dismの『Pretender』が流れ始めた。
「あ。この曲最近人気だよね。」
「そうだね。」
「失恋ソングでしょ?徹好きなの?」
「まあね。」
「あれだ! 彼女に振られた時とかに聞いてたんでしょ。」
「ちがうよ。そもそも彼女居なかったじゃん。千夏と連絡が取れなかった時によく聴いてたんだよ。」
「ははは。そういうことか。徹単純。」
 いつものようにケラケラと笑う。
「いいだろ別に。」
「うん。」
「まぁ今はあんまり響かないけどな。」
「へへへ。あの時寂しかった?」
「当たり前だろ。」
「泣いた?」
「少しな。」
「もう徹ったら、そんなに私のこと好きなのか。」
 フライパンにサラダ油を敷き、ハンバーグを入れる。小気味良い音が響き、香ばしい匂いがし始める。
「まあな。もう泣かさないでくれよ。」
「そのセリフ、普通逆じゃない? 女の人から男の人に言うセリフじゃない?」
「うーん。確かにそうかもな。」
「あはは。」
 顔を見合わせて笑った。

 彼女にとって、運命の人は僕ではないかもしれない。けれど、僕の運命の人は彼女かもしれない。答えは誰にも分からない。だから僕は、歩いてきた道のりを振り返って”運命”と呼べばいいのだと思っている。人生も運命も自分達で作ればいいのだ。僕らには僕らにしか描けない、そんな日々を重ねていけばいいのだ。
 彼女が居なくなった時、彼女のことを想う度に切なさと喪失感に襲われ、どこからか涙が湧いてきた。Pretenderがまるで自分の歌かのように響き、どうしようもなく泣けてきたものだ。それももう終わりにしよう。これからはもう一人じゃない。彼女と二人で歩いていくのだ。Pretenderを聴いて泣く夜とはもうおさらばだ。
さよならPretender。


〈了〉




※この作品はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ありません。

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