黒豹注意報

京 みやこ

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第4章ダイジェスト(1):2

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 週の半ばの水曜日。
 いつもであればちょっと中だるみしてしまいそうになるが、来週に控えた入社式を考えると気が引き締まる。
「なんたって、私は先輩になるんだからね。新入社員の見本になるように、ピシッとしていなくちゃ」
 午後三時は一番睡魔に襲われる時間帯ではあるが、それも気合いで乗り切った。
「あら、タンポポちゃん。今日は一段と張り切っているわね」
 近くを通った留美先輩が声を掛けてくる。
「来週には後輩たちが入ってきますからね。先輩として、だらけていられませんよ」
 クッと握った拳を見せれば、先輩がクスリと微笑んだ。
「ふふっ。タンポポちゃんも随分としっかりしてきたわね、頼もしいわ」
 それから総務部内の業務スケジュールについて先輩と話し合っていると、部長から声がかかった。
「小向日葵(こひまり)君。手が空いていたらでいいんだが、この書類を総務部の資料室に戻しておいてくれないか」
「すぐに行ってきます」
 先輩との話もちょうど終わったところなので、私は元気よく立ちあがる。
「おおっ。小向日葵君、やる気満々だな」
 日頃から厳しい顔立ちの部長は、私の様子に柔らかく相好を崩した。
 私もにっこり笑って、部長から書類を預かる。 
「はい。私は先輩になるんですから」
 その言葉に、留美先輩が軽く吹き出す。
「さっきから、そればっかりよねぇ」
「そ、そうですか?あ、そういえば、そうかも。あははっ」
 どうやら私は、後輩が出来るということが相当嬉しいようだ。
「そうか、そうか。小向日葵君が入社して、もうすぐ一年かぁ。月日が経つのは、早いもんだなぁ」
 しみじみ告げる部長に、私は大きく頷く。
「そうですよ。私だって、いつまでも新入社員気分じゃないんですよ。一年も経てば、立派な社会人です」
「なら、このチョコはいらないかな?ご褒美なんて子供じみていて、小向日葵君には失礼だろうし」
 部長は手にしていた小箱を、上着のポケットにしまおうとする。それをすかさず両手で押さえた。
「いいえ!それとこれとは話が違います!いくつになっても、ご褒美は嬉しいものですし。大人になっても、チョコレートは美味しいものですから!」
 ガシッとしがみつく私に、留美先輩は苦笑い。
「タンポポちゃんの食いしん坊ぶりは、この先もずっと変わらなそうね」

 ……はい。私もそう思います。



 終業後。部長にもらったチョコを食べながら和馬さんのお迎えを待っている。
 金色の包み紙を開けば、現れたのは濃茶の楕円形チョコ。
「いただきます♪」
 豪快に一口でいただく。
 噛みしめると周りのミルクチョコがパリッと割れ、中から香ばしいアーモンドクリームが溢れる。
「うわぁ、美味しい!」
 ニコニコの笑顔でチョコを食べ進め、六個すべてをお腹に収めて余韻に浸っていれば、
「ユウカ、お待たせしました」
 と、優しい声がかかる。
 私はバッグを手に、小走りで彼へと駆け寄った。 
「和馬さん。お疲れ様です」
「ユウカもお疲れ様。中村君から聞きましたよ、今日のユウカは一段と頑張っていたと」
「はい。だって、私は先輩になるんですから」
 私の答えに、和馬さんはいっそう目を細める。
「くれぐれも無理はいけませんよ。それに、一生懸命なあなたに恋心を抱く男性社員が現れることも心配です」
「それを言うのは、私の方です。『現代の光源氏』って呼ばれている和馬さんですからね、新入社員の女の子たちがコロッとなるのが目に浮かびますよ」
 これは断言してもいい。
 社会に出たばかりのまだ初々しい彼女たちが、この大人の色気満載な美青年にハートを奪われないわけがない。
 それを力説すると、和馬さんは苦笑を深める。
「そうでしょうか?私よりも、素敵な男性はたくさんいますよ。たとえば、ほら、社長は、我が社きっての美形ですし。……色々と残念な部分も多いですが」
 彼の言葉に、私は何とも言えない苦い笑いを浮かべたのだった。



「さぁ、帰りますよ」
 そう言って、和馬さんの大きな手がバッグを持っていない方の手に触れる。
 そして手が重なるだけではなくて、お互いの指が組み合うように繋がれた。そう、恋人つなぎである。
「うっ」
 思わず小さく呻いて、瞬時に顔が赤くなった。それでも、この手を振りほどこうとは思わない。
 人目のない時くらいは、何とか羞恥に耐えられる。これも成長と言えるだろう。
 何しろ過去の私は、ちょっと和馬さんに触れられただけで盛大なパニックに陥っていたのだから。
 それが、今は、どうよ!
 絶叫することもなく、腕を振り回して逃走を図ることもしない。この成長に、我ながら深く感心する。
 いや、まぁ、顔が赤くなるのは相変わらずだけど。そのくらいは、しょうがないよね。

 火照る頬を自覚しながら、横にいる彼に話しかける。
「今夜のメニューは、何がいいですか?」
 問いかけると、和馬さんのお母さんがお赤飯を届けてくれているのだと返ってくる。なんでも、妹さんの高校入学のお祝いに炊いたそうだ。
「じゃあ、あとはお吸い物でも作ればいいですかね」
 そう答える私に、和馬さんの顔が近づいてくる。そして、ほっぺにチュッとキスをされた。
「えっ?」
 目を大きくして彼を見上げると、形の良い目がユルリと弧を描く。
「赤飯の様に真っ赤なユウカ、可愛いくて大好きですよ」
 そんなことを麗しい笑顔で告げられ、いっそう私の顔が赤くなったのは言うまでもない。

 和馬さんの部屋に着いて、私は早速キッチンへと向かう。私の後ろから、和馬さんがピッタリとついてきた。
 和馬さんは何かにつけ、私のそばから離れようとしない人だから。
 過去にストーカーにつけ狙われて、命の危険に晒されたことのある私の事を、彼は過保護なほどに心配している。
 身を挺して、ちゃんと私の事を守ってくれたのに、それでも彼の心の中からは、恐怖に怯えきったあの日の私が消えないのだという。
 私だって、あの時のことは絶対に忘れることは出来ない。
 だけど、それは過去のことだから。
 自分のために、そして和馬さんのために、私は、色々な意味で強くならないといけないのだろう。

――それにしたって……。

 私はすぐ背後にある気配に、ちょっとだけため息をこぼす。
 和馬さんはくっつきすぎだ。
 私はキッチンの入り口までやってきたところで、クルリと振り向いた。
「ここで待っていてください。お吸い物をつくるだけですから、すぐに終わりま……、んっ」
 言葉の途中で、私の唇に和馬さんの唇が重なる。
「え?あ?な、何ですか?」
 思わず足から力が抜け、すぐ背後にある壁にトンと背中がぶつかった。
 その私の両脇に和馬さんが手を着き、まるで取り囲むような状態に。
 羞恥と困惑の入り混じった顔で彼を見上げると、そんな私をジッと見つめて和馬さんが軽く首を傾げた。
「ユウカの口元から、ほんのりと甘い香りがしていたので。ずっと気になっていたんですよ」
 微笑む和馬さんに、私は声を上げる。
「だ、だ、だからって、いちいち、キ、キスをしなくてもいいじゃないですか!」
「社内ではキスをしなかったのですから、そんなに怒らないでください。なるほど、ユウカから甘い匂いがしたのは、チョコを食べたからだったんですね」
 満足そうな声をしているのは、答えが分かったからか、私とキスをしたからか。
 なんにせよ、和馬さんがしたことは恥ずかしかったので、彼の足を踏んづけてやった。
「可愛らしい反撃ですね」
 ところが、和馬さんにはまるで効いていない。
「そうです、チョコを食べたんです!もう、放してください!」
 照れ隠しに彼の足を何度も踏んづける。
 そこで和馬さんの体が僅かに沈み込み、一方の腕で私の膝裏を掬いあげた。
 一瞬のうちに、私は彼に横抱きにされる。
「うわぁっ、な、なんですか!?」
「甘いものを食べ過ぎるのは、体に良くないですよ。特にチョコは糖分と脂肪分が含まれていますからね」
「あ、はい。分かってますよ」
 以前、私がダイエットするという話になった時、食生活のことで彼にあれこれとアドバイスしてもらった。
 それからは、自分のできる範囲で頑張っている。
 そのことは和馬さんだって知っているのに、今、その事を持ち出すのはなぜ?
 首を捻っているうちに和馬さんはどんどん足を進めていて、アッと思った時には寝室のベッドの上だった。
「か、か、か、和馬さん!?」
 今更ながらワタワタと慌てふためき、そこから逃げ出そうと体を捻る。
 ところが凄まじく反射神経の良い和馬さんは、一瞬で私の肩を抑え込み、ベッドに押さえつけた。
「あ、あの、これは、いったい……」
 忙しなく視線を彷徨わせる私を見下ろしながら、和馬さんはネクタイの結び目に長い指をひっかけ、勢いよくヒュッと引き抜く。
「ユウカ。栄養管理も大切なことですが、運動で余計なカロリーを消費したほうが、より体には良いのですよ。……ということで」
 ネクタイに次ぎ、和馬さんは勢いよくワイシャツを脱ぎ捨てた。
「え?え?なんで、服を脱いだんですか!?」
「ユウカの運動不足解消を手伝おうかと。赤飯を食べる前に、チョコの分のカロリーを消費しましょう」
「はい?」
 それがどうしてベッドの上で、しかも、彼が服を脱ぐ必要があるのだろう。 
 ゴクリと息を呑む私に、和馬さんがニッコリと微笑む。
「ダイエットの話が出た時に、二人で出来る運動を一緒にしましょうと言ったではないですか。運動になるうえに気持ちよくて、しかも愛を確かめ合える素晴らしい共同作業を今からしましょうね」
 ニコリと笑う彼の瞳が艶っぽく、そして、獰猛に輝いていた。

 それからは和馬さんに激しく抱かれ、全身が汗びっしょり。
 そんな私のために、彼は濡れタオルを作るために寝室を後にしたのだった。



≪その頃の社長室≫

 終業時間がだいぶ過ぎても、社長はまだ仕事を続けていた。
「とうとう、来週には入社式か。一段と社内が活気づくな」
 どっしりと構えられている椅子に深く腰掛け、社長が会議用の資料に目を通しながらふいに呟いた。
「河原さんと出逢ったのも、このぐらいの時期だったな」
 想い人の姿を思い起こし、社長はクスリと小さく笑う。
 その時、やたらと鼻の奥がむず痒くなり、くしゃみが飛び出す。
「ははっ。もしかして、河原さんが俺のことを噂しているのかも」
 恋する男は、くしゃみ一つでもロマンティックな方向に考えるようだ。
 そんな社長の携帯がメールの着信を告げる。
「ん、誰だ?」
 デスクの上に置いていた携帯を取り上げて届いたメールを確認すると、差出人は竹若だった。
 画面に目を落とすと、そこに書かれていたのは……。

『あなたのくしゃみは、花粉症によるものです。河原さんはいっさい関係ありません』

「竹若の野郎!なんだ、このタイミングの良さは!それにしても、腹立つなぁ!」
 
 新年度になっても、社長と竹若の関係は相変わらずのようである。
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