黒豹注意報

京 みやこ

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第5章ダイジェスト(2):2

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 無事、午後の始業にはギリギリセーフで滑り込んだ。精神疲労の程度は、ギリギリアウトな感じではあるけれど。
 私はデスクに腕を投げ出し、コツンとおでこを乗せた。
「タンポポちゃん、どうしたの? 元気ないわね」
 留美先輩がやってきて、デスクに伏せている私の頭を優しく撫でてくる。
「……お昼休みに色々ありましてね」
 そうやってぼやかしたにもかかわらず、先輩はサラッと言い当ててきた。
「ふぅん。竹若君にあれこれされちゃって、それで疲れたってところかしら」
「な、なんで分かるんですか?」
 思わずガバッと顔を上げると、楽しそうにニンマリ微笑んでいる先輩と目が合う。
「あなたがそんな風になっている時は、たいてい竹若君が絡んでいるんだもの。また、恥ずかしい思いをさせられたんでしょう?」
「その通りでございます」
 正直に白状すれば、頭をポンポンと優しく叩かれた。
「竹若君は相変わらずね」
 留美先輩の手の温もりに少しだけ気持ちが和むものの、私の顔には不機嫌の色がありありと残っている。
「先輩、和馬さんに言ってくださいよ。人目があるところでは、過剰な接触をしないようにって。友達付き合いが長い先輩の言葉なら、きっと聞いてくれると思うんです」
 留美先輩なら、和馬さんを説得できるかもしれない。恋人である私が説得できないのは情けないが、プライドよりも平穏な日常の方が大事である。
「そうね、少し注意してみるわ。そうそう、タンポポちゃんプレゼントをあげる」
「プレゼントってなんですか?」
 現金にもキラッと目を輝かせる私のおでこを、先輩が指で突っつく。
「それは、後のお楽しみ。だから、シャキッとしなさいね」
 先輩の表情はこれまでの表情とは違い、キリッと引き締まったものに変わる。
 そんな先輩を見たら、私の背筋が自然と伸びたのだった。

 それからは気持ちを切り替え、きちんと仕事をこなした。集中力が途切れなかったおかげで、あっという間に終業時間である。
 帰り支度をしているところで、留美先輩がこちらにやってきた。
「タンポポちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様です」
 ペコッと頭を下げたところで、小振りの紙袋を差し出される。
「はい、これ。話していたプレゼントよ」
「ありがとうございます」
 受け取った紙袋は、そこそこの重さがあった。中を覗くと、衝撃緩衝材が巻かれた塊が二つ入っている。
「開けてみてもいいですか?」
 先輩に尋ねると了承が返ってきたので、さっそく緩衝材を剥がしにかかる。現れたのはマグカップだった。
 一つはタンポポのイラストが描かれていて、もう一つには黒豹のイラストが描かれていた。まるでタンポポと呼ばれている私と、秘かに黒豹っぽいと思っている和馬さんのために作られたみたいだ。
「わぁっ」
 嬉しくて、歓声を上げてしまう。
「喜んでもらえてよかったわ。それでね、そのマグカップは仕掛けがあってね。ちょっと、貸して」
 私から受け取ったマグカップを、先輩はそれぞれの取っ手を左右の手で持つ。取っ手を外に向け、マグカップの側面をピッタリくっつけると……
 なんと、二つのカップに描かれていたピンク色のよく分からなかった図形が、二つ合わさることによってハートになったのだ。
「うわぁ、可愛いです!」
 こういう遊び心がある雑貨は大好きだ。ますます嬉しくなる。
 満面の笑みで二つのマグカップを見ている私に、先輩も満足そうだ。
「やっぱり、タンポポちゃんはこういう物が好きだったわね。お店には、この他にも色々なイラストのマグカップがあって。男性用と女性用を合わせると、みんなハートマークが浮かぶ仕様なの」
「彼氏がいる友達へのプレゼントでもいいですね」
 誕生日が近い友達になにを買ってあげようかと悩んでいたところだったから、ちょうどよかった。

 その後、迎えに来てくれた和馬さんと地下駐車場に向かいながら、留美先輩から素敵なマグカップをプレゼントしてもらった話をする。
 嬉々として報告する私に、和馬さんは少しだけ寂しそうに笑った。
「ユウカと同性である中村君は、私にはできない気遣いをしてくるでしょうしね。それが、とても悔しいです。あなたのことは、誰よりも分かっていたいのに」
「それは仕方がないですよ。同性ならではのことは、和馬さんでも難しいと思いますし」
 恐ろしいほど勘の鋭い彼であっても、私のすべてを理解するなんて無理な話だ。女性にしか分からない悩みというのもあるしね。
「だからこそ、ユウカには包み隠さず、私に色々と話してほしいんです。察することはできなくとも、話を聞くことで理解はできますから」
「なんか、しょちゅうそう言われているような気がします。私、けっこう和馬さんには話していますよ」
 真面目な悩みから下らない世間話まで、和馬さんはいつでもニコニコ聞いてくれるから、安心して話してしまっているけれど。
 それでも足りないのであれば、どうしようかと考えてしまう。
 首を傾げつつ彼を見上げば、真っ直ぐな視線が向けられる。
「ですが、あなたは大事な話を胸の内に秘めてしまう傾向がありますから。個人的なことまで包み隠さず教えてほしいとは言いませんが、私とあなたに関することは、きちんと話してほしいです。二人の問題は、ユウカ一人で抱えてほしくないのですよ」
 あまりに真剣な様子に、私は静かに頷き返すほかなかった。

 和馬さんの部屋で夕食を済ませ、その後にあれこれおしゃべり。
 ひと段落したところで、アパートに送ってもらった。明日も仕事があるので、今日はお泊りナシだ。
「では。ユウカ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 アパートの玄関先で挨拶をして、私は部屋の中に入っていった。
 お風呂を済ませてリビングにやってくると、私はスマートフォンを取り出す。誕生日が近い友達に電話をするためだ。
 高校時代に知り合った彼女は、私と違って四年生の大学に進学した。顔を合わせる機会は減ったものの、なにかにつけて連絡を取り合っている仲の良い友人である。
 数回のコールで、電話が繋がった。
「もしもし?」
『あ、ユウカ。どうしたの? また、困ったことでも起きた?』
「ううん、違うよ。そろそろ友里恵ちゃんの誕生日だから、なにか欲しいものがあるかなって」
『そういうことか。じゃあ、マグカップが欲しいな。さっき落として、取っ手が欠けちゃったから』
 マグカップを贈ろうとしていたので、それはちょうど良かった。
「分かった。職場の先輩に素敵なマグカップを売っているお店を教えてもらったから、そこで買ってくる」
『ありがとうね、楽しみにしてるよ』
「あ、それでね。そのマグカップはペアで買うつもりなんだけど、彼氏さんの分も一緒に買っていいよね?」
 大学のゼミで知り合ったという友里恵ちゃんの彼氏さんに、これまで何度か会っている。あのマグカップはペアで買ってこそ意味があるから、是非とも彼氏さんの分も買わせてもらいたい。
 ところが、これまで和やかだった彼女のテンションが一転した。
『アイツの分はいらない! あんな奴の分を、わざわざユウカが買うことないって!』 
 イライラがはっきりと伝わってくる口調。間違いなく、彼氏さんとケンカしたばかりなのだろう。二人とも言いたいことをポンポンと口にするタイプだから、結構な頻度でケンカしているのだ。
 だけど雨降って地固まるといった感じなので、私は心配していない。
 ところが、友里恵ちゃんはこれまでになく怒っていた。
聞くところによると、デート中にも関わらず、彼氏さんが他の女性のことをベタ褒めしたとのこと。そのことに、相当腹を立てているようだ。
「でも、悪口を言うよりはいいんじゃないのかな?」
 人を貶すよりも長所を認められる度量を持つ人の方が、よほど素晴らしいと思う。そう返したのだが、残念なことに友里恵ちゃんの怒りに火を注いてしまった。
『腹が立っているは、それだけじゃないの。デリカシーがないって怒ったら、アイツ、お前だって気遣いが足りないところがあるだろって言い返してきたのよ!』
 これは、彼女の怒りをすべて吐き出させないと落ち着かないのだろう。私は余計な口を挟むことなく、相づちだけを返していた。
 話をしているうちに幾分気が済んだのか、やがて彼女の声のトーンが落ち着いてくる。
『ホント、ひどい奴だよね。とにかく、私の怒りが収まらないうちは、アイツの分は買わなくていいから』
 素っ気なく言ってくる友里恵ちゃんだけど、彼氏さんとは別れるつもりがないようなので安心した。『怒りが収まらないうちは』というのは、気が済んだら、また元のように仲の良い二人に戻るのだろう。
「うん、分った」
 私は少し笑って、返事をした。
 それからお互いの近況を報告しているうちに、友里恵ちゃんが私に尋ねてくる。
『ところでさ、ユウカは順調なの? あんなに素敵な彼氏だもん、常に女の人が寄って来そうじゃない。そろそろ、ユウカも修羅場を迎える頃かなって』
 友達の中でも一番付き合いが長い友里恵ちゃんは、いつも私を心配してくれている。だから包み隠さず、色々と話ができる人だ。
「修羅場は迎えてないけど、和馬さんが女の人に囲まれていたことはあったよ。特に四月の初めは、一番賑やかだったかな。新入社員が、ものすごく積極的だったから」
『やっぱりねぇ。それで、そういうのを見て、ユウカはやきもちを妬かないの? 恋愛経験が少なくたって、嫉妬くらいはするでしょ?』
 友人の問いかけに、ドキッとした。
 スマートフォンの操作を教えてほしいという後輩女性たちに囲まれた和馬さんを見て、胸の奥がモヤモヤと燻るような感覚に陥ったことを思い出す。
――あのモヤモヤが嫉妬?
 この感情は、つい最近でも抱いたことがあった。
 怒りでも悲しみでもなく、表現のしようがない感情は、嫉妬だったということか。
 はっきりしなかった感情が判明したものの、新たな問題を抱えることになってしまう。
 嫉妬心を露わにする人は、ドラマでも漫画でもいい印象を与えない。
 怖い。鬱陶しい。面倒くさい。
 男性であれ、女性であれ、嫉妬するあまり相手を束縛しようとする様子は、逆に相手が自分から離れて行ってしまうきっかけとなりかねないのだ。
 和馬さんが私から離れてしまう?
 そんなの、嫌だ。だったら、たとえ嫉妬しても、それを彼に見せなければいいのだ。
――そうだよね。心を広く持てば、和馬さんだって私のことを鬱陶しいって思わないだろうし。
 ああ、そうだ。寛容な心というのは、まさしく、大人である証ではないだろうか。
 和馬さんが浮気をするとは思えないから、私は安心して成り行きを見守っていればいいのだ。
『ユウカ、ユウカ! 急に黙り込んで、どうしたの?』
 聞こえてきた友人の声に、思考が中断された。
「あっ。ご、ごめん。なんでもないよ」
 慌てて返事をすれば、気落ちした声が返ってくる。
『もしかして、私、余計なことを言った? ユウカの彼氏だったら絶対浮気しそうにないから、そういう冗談を言っても大丈夫かなって思って』
「私こそ、電話中にボンヤリしちゃってごめんね。本当になんでもないから、友里恵ちゃんは気にしないで」
『そう? だったらいいけど。あ、もう、こんな時間。そろそろ電話を切るよ』
「うん、またね」
 通話を終え、私は寝室に向かった。
 電気を消してベッドに潜り込み、友達との電話中で考えていたことを静かに反芻する。

 友人と電話をやり取りした翌日。
 その日は雨だったので、留美先輩と一緒に総務部でお昼ご飯を食べていると、経理部の平田さんがこちらにやってきた。留美先輩と同期で仲が良く、私のことを可愛がってくれる優しいお姉さんだ。
 足早に近寄ってきた平田さんは、プリプリと怒った様子で声をかけてきた。
「留美。今、ちょっといい?」
「ちょうどお昼ご飯を食べ終えたところだから、大丈夫よ」
 先輩の言葉を聞いて、私は腰を浮かせた。そこで、平田さんが制止の声をかけてきた。
「あ、タンポポちゃんに聞かれても平気だから、ここにいて」
「でも、大事なお話なんじゃ……」
「ううん、単なる愚痴。誰かに聞いてもらわないと収まらないから、留美と一緒に付き合って」
 平田さんは近くの椅子を引き寄せて腰を下ろすと、もの凄い勢いで話し出した。
「実はね、彼氏が私に内緒でカラオケに行ってさ。相手は昔からの幼馴染みだったんだけど、それが女だったのよ。もう、信じられない」
 平田さんは一応、声を潜めていたけれど、膝の上に乗せられた拳が小刻みに震えているので、怒りの程度はよく伝わってくる。
「その話は彼氏から聞いたんじゃなくて、たまたま彼の友達が口を滑らせて知ったのよ。彼氏が直接私に教えてくれたのならまだしも、言わなかったってことはやましい気持ちがあったってことでしょ?」
 グッと身を乗り出した平田さんの肩を、留美先輩が優しく叩いた。
「ちょっと落ち着きなさいって。幼馴染を女性と意識していないから、言うほどのことじゃないって判断したかもしれないわよ」
 先輩が宥めても落ちつけない様子の平田さんは、握った拳にさらに力を入れる。
「たとえそうだとしても、第三者から聞かされると納得いかなくって。それで、ついカッとなって、『いくら幼馴染みだとしても、私以外の女と二人きりで出掛けるなんて酷い! それって浮気だわ!』って怒鳴ったの」
「あー。二人きりっていうのは、ちょっとねぇ……」
 同情を窺わせる先輩に、平田さんは腰を浮かせていっそう前のめりになった。
「でしょ! なのに彼ったら、『カラオケに行ったぐらいで、いちいち騒ぐなよ! 鬱陶しい女だな!』って言うのよ!? ああ、腹が立つったらないわ!」
「まぁ、座りなさいって。そんな怖い顔をしたら、美人が台無しよ」
 激情も露わな彼女を留美先輩が宥めるのを見ながら、私は平田さんの彼が口にしたというセリフが頭を巡っていた。
――やきもちを妬くと、鬱陶しいって思われちゃうの? もしかしたら、それが原因で嫌われちゃう?
 昨日、友達との電話で考えたこと。平田さんの話で考えたこと。それがグルグルと回り、やがて、一つに合わさった。
 羞恥心のあまり、すぐに大声を出してしまうことは、これからもなかなか直せそうにない。
 だけど、心を広く持ちことはできるかもしれない。
 今度はこの方向で『大人の女性』を目指してみよう。たとえ和馬さんが女の人と一緒にいるところを目にしても、むやみに怒ったり泣いたりしない。
 そうしたら、この先もずっと、和馬さんと一緒にいられるはず。
 
 ところが、それはあまりいい目標ではなかったと、後になって気付くことになるとは……
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