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9話
しおりを挟む「このところ、魔法種をカップルに売りつける詐欺が横行しているらしくてな」
強面な団長の言葉をききながら、はあそうですか、とイースは適当に聞き流した。魔法種とは、魔法の種である。魔法の元となる魔力を極限まで小さくさせると、まるで植物の種のような姿になる。それを水に浸すと根を張り、様々な魔法となる。
種の組み合わせで、様々な薬剤にも変わるため、そこはグリュンの本領だが、魔法を使うことのできない人間でも手軽に使用し、持ち運びできるため、国に登録された魔法局にて購入する必要があるのだが、ときおり法の目をかいくぐるものもいるのだ。そこを捕らえることも彼らの仕事の一つである。
「逃げ足が早い上に、姿も変える。警邏隊の人間も苦労している様子でな。そこで話が回ってきたのはうちってわけだ」
「魔法種なら第二部隊の案件では」
「あそこはなよっちいやつらが多いからな。もちろん初めは第二部隊が対応してたさ。でもいつまで経っても捕まらんとなって、うちにきた」
「なるほど」
第二部隊とは魔法に秀でた部隊である。もとはイースはそこに配属されるだろう、と噂されていたが、こちらから断った。第二部隊の団長は彼とは因縁の仲である。その部下になるなど、イースからすれば腹立たしいことであったためだ。しかし彼から入隊を断った事実は、多くの人間は知らない。別に彼にとってみればどうでもいい話だから、言いふらすつもりもない。
わざわざ団長に呼び出されたものだから、何事かと思ったとため息をつくと、隣ではミエルが彼と同じ表情をしている。今日の日課は、まだ行っていないが訓練中だ。息を何度も吸って、吐き出せば平常心になることは容易い。ふう、と彼は息をついた。
「そこでお前たちにはカップルのふりをしておとり捜査を行ってほしいんだが」
「ん、んっ、ぐううう……」
「う、うぐ、うう……」
どちらがどちらの声ともわからず、互いに端正な顔に激しく歪めて、彼らは手を背後に組みながらも呻いた。唇を噛み締めて、空を仰ぎ見る。団長は笑っていた。
「うはは。お前らが仲が悪いってことは知っちゃいるがな。これを機会に、チームプレイってのも学んでみろ。馬が合わない相手とも、寝食をともにすることもあるんだからな」
理屈では理解している。けれども違う。今は違う。その任務、あと二週間後じゃだめだろうか。
これが今朝のことである。ふらふらと力なく消えていくミエルに続こうとしたとき、引き止められたのはイースだ。
『イース、あくまでもこれは任務だが、無理にとは言わんぞ。下手なことをして、向こうに不審がられてもたまらんしな』
第一部隊に女は一人、ならばミエルには選択肢はないが、イースには拒否する権利がある。少しばかり逡巡した。ミエルとデート。ただの恋人のふりとは言え、間違いなくそうだ。彼女の隣を、誰か他の男がいるところを想像して当てはめると、ひどく苛ついた。そんな思考を、まさか団長に知られるわけがなく、『いえ、与えられた任務ですので。好き嫌いで拒否をするなど、ありえませんから』 真面目くさった顔で赤い瞳を吊り上げた。
それならよかった、と大きな体を笑わせたのは団長だ。
『うちの連中は、お前以外でかいガタイのやつらばかりだからな! お前に断られると、さすがにきついと思っていたところだ!』
『…………』
自分で想像しているのかゲラゲラ笑っている。なんとも言えない気持ちで、失礼しますと背を向けて、イースを待っていたミエルに、『何を話していたの?』とげんなりした顔のままで尋ねられたのだが、まさか言えるわけもなかった。とりあえず、デートらしく待ち合わせをすることにした。わかったわ、とポニーテールをかきあげながら適当にため息をつくミエルに、『おい、一応言っておくが、まさかそのままの姿で来るなよ』 釘をさした。
休日でさえも、皮の胸当てを外さず、さながら男のような服ばかりを着ている彼女である。念には念をだ。そそくさと視線を逸らす彼女を見下ろし、びしりとイースは指を向けた。
『デートだからな。きちんと、まともな格好で出てこい。一時間やる。広間の噴水で待ち合わせだ』
***
イースはあのときの自分を後悔していた。噴水の前に座りながら、約束の時間を過ぎても現れないミエルにため息をついて、膝に肘をのせて頬をつきながらため息をついていたときだ。「イース……」 見覚えのない可愛らしい女性が彼の前に立っていた。
銀の糸がさらさらとして、長い髪をおろしている。楚々としたワンピースは胸元に可愛らしいボタンがいくつかついて、手のひらは恥ずかしげに後ろに回され、ぴんくの頬は、わずかばかりの化粧をしていることがわかった。
「ん、あ……あ?」
「お、遅れて悪かったわね。手間取ったのよ」
「……お前、ミエルか?」
「当たり前でしょ……っ!」
服はいくらでも脱がせたことがあるのに、その逆は初めてだ。座りながら彼女を見上げて、ひどくイースは後悔したのだ。長い溜息をついて、頭を抱えて下を向いた。「な、なによ。悪いわね、頑張ったところでこの程度よ。これでも、これでもなんとかしようと」 したんだから、と彼女の語尾は小さくなっていくがその反対だ。可愛すぎてしぬ。
ちらりと見上げた。うぐりとミエルが小さな唇を噛んで、そっぽを向く。いつもは胸当てでわかりはしない彼女の胸がたゆりと揺れた。着ているのに、着ていないときより色気が増すのはどういうことだ。
(……俺は、こいつの服をひっぺがして、毎日好きに喘がせてるのか?)
だめだ、考えていると頭が馬鹿になってくる。
「行くぞ」
「い、いくって、ど、どこに……」
「デートだろ。適当にカップルらしくデートして、適当に捕まえるぞ」
すたすたと数歩進んで、彼の後ろを慌てて振り返った。
「ほら」
「……あの?」
「馬鹿かお前は。俺の後ろにくっついて歩いてるだけじゃなんにもならないだろうが」
手のひらを突き出すと、その意味を理解したのか、ミエルはぎくりと体を固くした。イースは静かに舌を打った。こちらのことが嫌いなことは知っている。性欲をおさめることと、今の現状は彼女の中では別なのだろうが、ひどく苛立った。おずおずと手のひらを握られると、剣を握るものだから少し硬い手のひらではあったが、なにか、奇妙な気持ちになった。どくどくと心臓が大きく高鳴る。ぷいと顔をそむけた。
そのときのミエルの気持ちは、イースとひどく近いものであった。まともな格好をとイースに言われたものだから、慌ててクローゼットの中をひっくり返した。
驚くべきほどに、彼が言う“まともな服”なんてあるわけもなく、ただ一着、自身ではあることすら忘れていたワンピースが端の方でひらひらしていた。鏡を見て、下手くそな化粧をした。訓練のためきつく結んでいた髪をほどいて、櫛でといてとしている間に、あっという間に1時間など過ぎていた。不機嫌に眉をひそめるイースの前に立ったとき、彼女の心臓は潰れてしまうかと思った。
そして、イースに腕をひかれ、ただただ死んでしまいそうな気持ちで顔を下に向けた。
イースに嫌われていることは知っている。だから、彼がこうしてミエルの手を握ることは、彼にとって屈辱なはずだ。彼と性を満足させる行為をしているときとは、わけが違う。
(けれども、これも任務なのだから)
自身が鬱々としてしまうのは、もちろん薬のせいに決まっていた。女々しくもおかしく暴れる感情を抑えて顔を上げた。そのときだ。いつの間にか屋台の前に立っていたらしい。「ほらよ」 渡されたのは焼き菓子だ。薄い生地の中にはクリームがしきつめられていて、季節のフルーツが可愛らしく覗いていた。
「……あの?」
「……デートだって言ってるだろ。黙って食え」
困って瞬きを繰り返したあとに、イースが手に持つクレープを、ぱくりと食べた。おいしい。「……お前、グリュンとよく甘いもの食ってるしな」 知られていたことに、わずかに恥ずかしさがあった。筋肉の付きづらい体だから、なるべく食事にも気を使わねばと思っているのに、どうしても耐えきれないときがあった。イースからクレープを受け取り、ベンチに座ってもそもそとミエルはクレープを食べた。
「……うまいのか、それ」
「……そうね」
恥ずかしくて、味なんてわからないけど。と思ったとき、今度はミエルが持つそれを、横からぱくりとイースが食べてしまった。
「……!!」
「まあ、食べられないこともない」
「な、な、なにするのよ……!!」
「少しぐらいいいだろ」
ケチくさいやつだな、と言われたものの、そういう問題ではない。イースが食べたあとだと思うと、持っているそれがひどく緊張する。でも、そんなそぶりを見せるわけにもいかない。だってキスなんて、もう何度もしているのだ。それどころか、もっとひどいところまで舐められている。それを今更、こんなことで照れているなど、知られるわけにはいかない。ミエルは気合をこめて、かじりついた。首元が真っ赤だった。
そんな彼女の様子を見ながら、イースはただミエルにキスがしたかった。一つ同じベンチに座ってもぐもぐと口を動かす彼女を見つめた。足元では餌を求めた鳥たちが喉を鳴らしながらやってくる。いい天気だから、子供たちが広場で遊んでいる声が響いている。彼女と、自分はデートをしている。
からになってしまって、手持ち無沙汰に膝に置かれたミエルの手に、イースはそっと自身の手を伸ばした。触れた瞬間、びくりと彼女は震えた。握った手のひらをベンチの間で揺らした。イースの大きな手が、ミエルの手を包み込んでいた。互いに心臓が弾けてしまいそうだった。ミエルはただ足元を、イースはそっぽを向いたまま、互いの手を握っていた。
ときおり、彼らは手を組み替えて、指先をこすった。そうする度に、怖くて、緊張していた。イースの動きにミエルが、ミエルの動きにイースが。動きに答える度にほっとして、嬉しくて、でもやっぱり怖くて。
ただたまらず、時間ばかりが過ぎていく。
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