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第一部 どうせ逃げられないのなら

第5話 赤き炎

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 勇者は、王子は、敵だ。
 私がどれだけ惹かれようと関係ない。
 あの男は再び戻ってきた。
 ドラゴンを狩る者として。
 それだけが事実。

 ならば、私も迎え撃つのみ。
 戦いの本能を持つ地上最強の一族の矜持をかけて。

 力を取り戻し、久しぶりに取り戻したドラゴンの肉体だが不安はない。
 翼をはためかせ上空に飛び立つと、体重を乗せて舞い降り、王子の腕を狙って牙をつき立てる。
 王子は難なく躱し、私が第二打として放つ尾の攻撃も、素手で叩き落した。
 続く爪の一撃も後ろに下がって避ける。

 そのまま切り崩しをねらい、何度も攻撃を繰り返すが、上空からの攻撃は全て読まれ、らちが明かない。
 幾度も、同じような攻守を繰り返し、攻撃が単調になって来たあたりで、私は、起死回生の一手を狙う。

 私は、上空から攻撃を仕掛けると、そのままトップスピードで大地を蹴り、王子に向かう。
 牙をむき、至近距離から火炎を放つ。
 とった!
 業火に包まれる王子の姿。

 でも。
 私の中には、成し遂げたという達成感よりも、喪失感がじわじわと湧き出していた。

「終わっ……た?」

 どうしよう。
 私は勝ったの?
 勝って……しまったの?

 その時、業火がふっと掻き消えるように鎮火し、中から、傷一つない王子の姿が現れた。
 私は、胸に喜びが沸き上がるのを抑えることができなかった。

 ああ、私は、勝てない。
 いや、んだ。
 気づいてしまった事実、私の本当の望み。

 でも、どうせ負けるなら、せめて剣を抜かせたい。
 そして、私が見惚れた、魅せられた、あの美しい太刀筋で、私の首を切り落としてほしい。
 それぐらい、望んでもいいはずだ。

 王子アーレントは、近づきながら、私に問いかける。

「なぜ待たなかった」
「倒されるのを座して待つわけがないでしょう?」

 あなたに、憎しみを向けられるのが怖かったから。
 でも、同時に、私は追ってきて欲しかったんだと思う。

「俺は、そんなにお前にとって、価値のない男か」
「殺戮者にどうして価値を見出せるの?」

 私にとってあなたの価値は、金の鉱脈にも勝る。
 そして、私の、命よりも。

「何も言わずに、姿を消すほどに、逃げ出すほどに厭わしい存在だったということか」
「答えるまでもない」

 いいえ、憎しみを向けられるのが怖くて逃げ出さずにはいられないほど、愛しい存在だった。

「まあ、そんなことはどうでもいい。お前は、俺のもの、それだけだ。思い知らせてやる」

 私は再び大地を蹴った。

 とっくに、思い知っている。
 私はもう、あなたのものよ。
 私の命は、あなたのものだわ。

 相手を殺すという気概を失った私の攻撃は、勇者の強さの前に、全く相手にならなかった。
 そして、私の力も、もう終わりに近かった。
 ――まだだ。
 圧倒的な強さに、ひれ伏したくなるドラゴンの本能を叱咤する。
 まだ、剣を抜かせていない。
 私は、あの美しき軌跡をまだ見ていない。

 その時、素手で私をいなす王子が、不意に足を滑らせた。

 今だ!
 こんなチャンスはもうないだろう。
 私は、王子の頭を噛み千切ろうと口を開けた。
 今度こそ王子は剣を抜くはずだ。
 そして――。

「え?」

 私の口からは、鮮血が滴っていた。
 私の牙は、頭をかばった王子の腕を噛み裂いていた。

「やっ……」

 どうして? どうして?
 私は、ゆっくりと口を開いた。
 鮮血が、私の口元を流れ落ちる。
 それと同時に、力を使い果たした私は、ふらふらと倒れ込むように人型へと移行した。

 王子は、腕の怪我をものともせずに、目の前で座り込む私に手を伸ばした。
 血に塗れた手で、私の首元へと手を伸ばす。
 私は、その位置にあるものと、王子の意図に気づき、びくりと体をこわばらせたが、すぐに力を抜いた。

 もう、いいか。
 完敗だ。勝てはしない。
 力も、心も、全て屈してしまった。

 だから私は、それを与えるべく、首を上げて目をつむった。
 王子の伸ばす手の先にあるのは、竜の「逆鱗」
 
 人型になってもなくならないそれは、引きはがされ、飲み下されると、その相手の奴隷になる。

「美しいな」

 いつか、あの森で聞いたのと同じ一言に、心が揺さぶられる。
 そう言われて、最後まで美しくあろうと思う私は、なんて滑稽なんだろう。
 この男が手に入れた獲物の美しさを自慢できるように、深紅のうろこを美しく、磨き上げよう。
 私は、この男に、これから囚われるのだ。
 隷属し、自ら喜んで血を、肉を捧げつくすのだろう。
 そして、そんな未来を受け入れてしまった。

 男の指先が、私の首に触れる。
 探るようなその動きに心と体が震える。

 逆鱗が引きはがされる痛みは想像を絶するという。
 私は、その瞬間を静かに待った。

 王子の体が近づく気配がする。
 王子のもう一方の手が、私の首の後ろをつかんだ。

 そして、敏感な逆鱗に感じるその感覚が、全身を走り抜ける。

「んっ」

 痛みではなかった。
 まさか。
 王子は、私の逆鱗にそっと口づけていた。

 それは、竜族の「求愛」の証。
 
「俺と一緒に来い。お前しかいない」

 見上げる私の前で。
 勇者の紫の瞳は、私の髪を映して、赤く、揺れていた。

 ――私は、その赤にまた、飲み込まれてしまった。
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