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第二部
第12話 おしなべて平穏な日々
しおりを挟む森と湖と古城が美しいケイリッヒ王国の王都ケルスルーエ。
ケルスルーエは、白亜の王城を囲む形に網の目のように広がってできた石畳が美しい城下街だ。
大きくわけて、西方に文化施設、東方に商業施設、南方に居住区が広がりを見せている。
そして、中心部からやや離れた北方の広大な敷地にケイリッヒ王立学園は位置する。
ケイリッヒと海を挟んだ南に位置するマレ皇国の第13皇女バステトは、ケイリッヒ王立学園に留学して2年目を迎えようとしていた。
昨年まで在籍していた、ケイリッヒ王国の王太子、国民に絶大な人気を誇る、朱金の髪と浅葱色の瞳を持つ美貌の王子ルークが昨年度卒業し、数多くの令嬢たちが涙を呑んで見送った翌年である。
なぜか、今年から学園教職員棟の一角に「王太子執務室分室」なるものが存在していた。
呼び出されたバステトがそこに入ると、ルークが、護衛のエルマーを従えて、いつもの胡散臭い笑顔を向けていた。
『やあ、黒猫。僕がいなくて、寂しかったかい?』
「……」
「王太子執務室分室」である。
学園にそんなものがある意味が分からない。
「昨日も会ったから別に寂しくない」
「あとで迎えに行くから、ランチは、いつもと違う場所にしよう」
ルークは、相変わらず、バステトの話を聞く気がない。
お昼休み、ルークはバステトのいる講義室へ迎えに来ると、黄色い歓声に手を挙げて答えつつ、座ったままのバステトの前に軽く跪いて手を取った。
「待たせたね、婚約者殿」
なんだかいつもより大げさだ。
ひときわ大きくなった歓声を背に、ルークはバステトの手をとると歩き出した。
男性の腕に女性が軽く手をかける通常のエスコートではなく、指を絡ませるように手を握ってバステトを引っ張っていく。
ルークは、そのまま新入生校舎や、カフェテリアを経由して、校舎を歩き回る。
卒業したそこにいるはずのない王子が現れる度に、その場は騒然とし、歓声が響く。
ルークは、それに当然のように頷き、手を振った。
そして、所々で立ち止まり、顔を寄せて意味のないことをバステトの耳元でささやくのだ。
バステトが、かっと顔を赤らめるとルークは満足したように見下ろす。
相変わらず、バステトを馬鹿にしてからかうのが好きなのだ。
「おとなげないっす」
背後に付き従うエルマーが小声でつぶやいた一言は、バステトの耳には入っていない。
いつもと違う、と言われたランチの場所は、設置された王太子執務室分室の裏庭だった。
小さな中庭のようになっている居心地のよいスペースだが、教職員棟に囲まれているため、生徒の姿はない。
他愛もない話をしながら食事を終え、お茶を飲みながら、バステトは、ずっと聞いてみたいと思っていたあることを切り出した。
「ルークは、バステトのこと、どう思ってる?」
ルークは、一瞬、動きをとめたようだったが、何事もなかったようにいつもの笑みを浮かべる。
「もちろん、大事に思ってるよ。僕のかわいい『黒猫』」
バステトはルークをじっと睨む。
それは、もちろん大事に思っているだろう。
バステトの求愛の剣の舞に応じ、返礼として血の誓約を結んでくれた。
だが、バステトがききたいのは、そういうことではないのだ。
バステトは、ルークが好きだ。
だから、バステトは剣の舞で想いをぶつけた。
全く期待していなかったが、ルークは応えてくれた。
血の誓約は破れない。
バステトは、もう、ルークに囚われてしまった。
血の誓約を結んだら、マレの女は尽くすだけだ。
だから、ルークがバステトをどう思ってるかなんて、気にしたことがなかったのに、この間友人に言われてしまったのだ。
≪え?王子があんたのことどう思ってるか知らないって?そんなの……
王子があんたに普段どうやって接してるか考えてみれば?≫
かわいいとはしょっちゅう言われる。
キスもしたことはある。
よく食べ物をくれる。
でも、恋とか愛とかとは違うのだろう。
だって、言われたことはない。
≪はははは。……そうねー。そうかもねー。
王子はあんたのこと、そんなんじゃじゃないかもねー≫
にやにやしながら友人がそんなことを言うから、それからバステトは気になってしまった。
だから、ルークに直接聞いてみることにしたのだ。
「大事、か。それは、婚約者としてうれしい。それは……、ハサンがバステトを大事に思ってくれるような意味?」
ストレートに、自分を好きなのか?と聞いて、違う、と答えられるのがちょっと怖くて、迷った末に、微妙な聞き方をしてしまった。
バステトの3つ年下の従弟ハサン。バステトを姉のように慕ってくれた。
大事な家族。
「ああ、もちろん、そういう意味だよ。とても、とても君の事を大切に思っている」
ルークは、少し遠い目をして震えるようにそう告げた。
そうか。なるほど。
「わかった。バステトのことは、家族みたいに大事に思ってくれてるということだな。だけど、恋とか、愛とか、れんあい、とか、そういうのとは違うということだ」
「え?」
バステトは、大きく頷いた。
「納得した。ルークは、好きとか愛してるとか言わない。それに、バステトと★◇□▲※をしたがらないからな」
ルークの背後に控えていたエルマーが、盛大にむせた。
『バステト、言葉の勉強が足りないようだ。マレの言葉で話そうか』
ルークが若干ひきつった笑顔でマレ語に切り替える。
友人に、ちゃんと聞いたから、あってると思う。
『閨《ねや》ごとのことだ。血の誓約を済ませた男女は、普通、そういう営みをするものだ。それなのに、ルークはキスしかしない。私にそういう気がおきない理由に納得した』
ルークはいつもの皮肉気な笑みを引っ込めて、呆然としたように固まっている。
まあ、バステトもぶっちゃけすぎたような気がするから、仕方ない。
でも、疑問が色々とけてすっきりした。
この際だから、色々はっきりさせてしまおう。
『ルーク、血の誓約は夫婦になるよりもっと重い。魂で縛られる、死ぬまでの誓約だ。離縁もできない。でも、愛とか恋とか恋愛的な気持ちは、必ずしも必要なわけじゃない。これは、神に誓うが、あくまで契約だからな。行動を縛るが、気持ちを縛るものではない。
ルークは、マレに対し、不利益なことは行わないと、血の誓約にかけて誓ってくれた。子爵令嬢の件も、それにまつわる色々な件も、理由があったのだと聞いた。
バステトに、婚約者として誠実であろうとしてくれているのもわかってる。さっき言ってくれたみたいに、とても大事にしてくれてるのも感じてる。
だから、私もルークと同じように、血の誓約に対し誠実でありたいし、義務を果たしたい』
『ケイリッヒは、一夫一妻制だと聞いた。血の誓約は離縁できないから、世継ぎを設けるという義務は、私が絶対果たさなければならない。
だから、ルークがせめて、バステトと閨ごとだけでもしたくなるように、私も、誠実に義務を果たすための努力をする』
そして、バステトは、待っていろ、と宣戦布告さながらにルークに指さして、にっと笑ってみせたのだった。
固まったままのルークを残して、バステトは、午後の授業だ、といって颯爽と去っていった。
「見事に伝わってない。悲しいが、しかしこれは男として喜んでいいのか?一体、彼女は誠実にどんな義務を果たそうとしているんだ?これから何をされるんだ?期待していいのか?手を出していいのか?いや、だめだろう?義父からの試練も果たせてない。でも、別にばれなきゃいいんじゃないか?誰にも知られてない隠れ家は確保できてるし。念のため、婚姻前のそういった事例について、過去の王家の事例や、最近の貴族家の事例を調べておくべきか?それともこれは全部ブラフで僕は、試されてるのか?」
「色々洩れてますよ、殿下」
思春期男子っすねー、とあきれ返ったような護衛の物言いに、ルークは、はっと気づいたように咳ばらいをした。
「だいたい、何で言わないんすか?好きとか、愛してるとか。とっくに言ってんのかと思ったのに」
「……また忘れられるのが怖い」
「……あー」
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「……冗談に決まっているだろう。執務に戻るぞ、エルマー」
「まあ、喜んどけばいいんじゃないんすか? 姫様が迫ってくれて、うはうはってことでしょ?」
エルマーは、固まってしまった場の雰囲気を和ませるために、わざと明るくおどけたが、その内容は王子のお気には召されなかったらしく、腹にいい一撃をもらってしまったのだった。
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