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出戻り妃の風花雪月
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宇春が準備した出し物は、影絵を利用した、光と影の投影だった。
会場中の視線を虜にした光の風の舞が終わり、灯籠が再び灯されると、人々の歓声があがる。
(風は、表現するのが大変だったのよね。水を使って光を歪めて見せたり)
影絵の中でも一番表現が難しく拙い表現となってしまった風がこれだけ好評だったのだ。もう後は、成功が約束されたも同然だった。
会場のいたるところに影絵の装置を作り、女官たちが音楽に合わせて影を投影する。
宇春は、舞台に近い装置のそばで、全体の指示を行っていた。
第二幕「花」、第三幕「雪」は大歓声と共に終えることができた。
そして、最後の第四幕「月」が始まった時だった。
影絵の装置の側でひざまずく宇春のそばへ足音を立てずに歩み寄る者がいた。
人の出入りが多いため、宇春や周りの女官たちの誰も、その者を気に留めなかった。
参加者へ振舞う飲み物を運ぶ女官も多く、それが使われる目的にまで、注意を払う者など、誰もいなかったのだ。
異変を感じた時には遅かった。
ぱちゃん。
顔に水をかけられ、驚いて顔を上げた宇春の見上げた先には、岑貴妃の侍女の姿があった。
彼女の手に持った盆の上の杯が倒れていた。
「まあ、宇春。大変だわ。顔に水がかかって」
「え」
彼女は、嗤う。
「拭いてさしあげますわね」
抵抗する間もなかった。
誰もそれが悪意からのものだと思いもしなかったのだから。
口元の紅が、彼女の懐からの手拭いでさっとぬぐわれる。
「あ、紅、が……」
紅と共に、宇春の万能感も拭いさられてしまった。
(どうしようどうしようどうしよう)
さあっと血の気が引き、心臓が早鐘のように脈打ち、手ががたがたと震え出す。
『お前なんか、紅がなければ、何もできないくせに』
侍女が耳元でささやく悪意に満ちた言葉が、宇春の心臓を突き刺す。
侍女は、震える宇春を後に残し、にっとほほ笑みながら去っていく。
折り悪く、詩吟の声が途切れた。
本来であれば、ここで宇春が指示をだし、会場は真っ暗になるのだ。
けれど、恐慌状態の宇春には、声を出すことも、合図を行うこともできなかった。
女官たちが宇春の指示を待ち、どうしたらよいかとこちらを見る。
視線が痛い。
頭の中が真っ白になってどうしていいかわからない。
声をだそうとしても喉がひりついて何も出ない。
(誰か助けて。誰か──劉さん)
その時だった。
「灯りを落とせ」
御簾の奥から、威厳を湛えた静かな声が響いた。
皇帝の声だった。
辺りは即座に灯りが落とされ真っ暗になる。
御簾がするりと上がる音がして、その奥から、ひな壇を降りてくる足音がした。
(皇帝……陛下だ)
冷血皇帝と評される皇帝が、詩吟の会を台無しにした宇春に、罰を与えに降りてきたのだろうか。
心臓が、しゅっと縮こまり、もう、何をどうしていいか全くわからない。
暗闇の中、宇春の目の前で皇帝は立ち止まった。
「も、もうしわけ」
「ここまでよく頑張った」
「え?」
伸ばされた手が宇春の背に伸び、体がふわりと浮き上がった。
自分の状況が信じられず、宇春は凍り付く。
皇帝が、宇春を抱き上げたのだ。
そのまま、ゆっくりとひな壇を上がり、御簾の奥へと宇春を抱いたまま入っていった。
「再開だ」
御簾の奥からの皇帝の声に、詩吟の声と、影絵の投影が再開された。
御簾の奥は、わずかに灯りが灯っている。
下ろされた宇春は、あわてて叩頭する。
「顔を上げてくれないか?」
その言葉を聞いて、宇春の心臓は、先ほどまでとは違う感情で凍り付いた。
(嘘。だって。だって、絶対ちがう)
それは、以前、宇春があの場所で聞いたことのある言葉と同じだった。
必死に否定しようとするのに、声も、抑揚も、優しい響きも、全てがあの時のままで。
確かめるのが怖くて顔を上げられない宇春の頬に、皇帝の手が伸ばされた。
その手に導かれるように、宇春は、その顔を見上げた。
「劉、さん?」
劉はただほほ笑む。
そのほほ笑みに、宇春の中の怯えも、恐れも、全てが溶けて消えていくようだった。
「今はまだ、考えるな。この会を成功させるたいんだろう?」
「はい」
「ならば、目をつぶれ。これは、俺の役目だ」
宇春はその声に促されて目を閉じる。
「お前なら、できる」
そして、皇帝詹 劉帆は、出戻り妃呉 宇春の唇に。
──紅を、刷く。
御簾には、中からの光で、男女二人の影が映し出されていた。
むつまじく頬に手を寄せる二人の影絵が。
二人の姿が近づき、人々の視線が御簾に釘付けになったその瞬間。
月の影絵が、御簾に投影され、御簾の奥の二人の姿は消えていった。
皇帝が誰を見初めたのか、誰の目にも明らかだった。
会場中の視線を虜にした光の風の舞が終わり、灯籠が再び灯されると、人々の歓声があがる。
(風は、表現するのが大変だったのよね。水を使って光を歪めて見せたり)
影絵の中でも一番表現が難しく拙い表現となってしまった風がこれだけ好評だったのだ。もう後は、成功が約束されたも同然だった。
会場のいたるところに影絵の装置を作り、女官たちが音楽に合わせて影を投影する。
宇春は、舞台に近い装置のそばで、全体の指示を行っていた。
第二幕「花」、第三幕「雪」は大歓声と共に終えることができた。
そして、最後の第四幕「月」が始まった時だった。
影絵の装置の側でひざまずく宇春のそばへ足音を立てずに歩み寄る者がいた。
人の出入りが多いため、宇春や周りの女官たちの誰も、その者を気に留めなかった。
参加者へ振舞う飲み物を運ぶ女官も多く、それが使われる目的にまで、注意を払う者など、誰もいなかったのだ。
異変を感じた時には遅かった。
ぱちゃん。
顔に水をかけられ、驚いて顔を上げた宇春の見上げた先には、岑貴妃の侍女の姿があった。
彼女の手に持った盆の上の杯が倒れていた。
「まあ、宇春。大変だわ。顔に水がかかって」
「え」
彼女は、嗤う。
「拭いてさしあげますわね」
抵抗する間もなかった。
誰もそれが悪意からのものだと思いもしなかったのだから。
口元の紅が、彼女の懐からの手拭いでさっとぬぐわれる。
「あ、紅、が……」
紅と共に、宇春の万能感も拭いさられてしまった。
(どうしようどうしようどうしよう)
さあっと血の気が引き、心臓が早鐘のように脈打ち、手ががたがたと震え出す。
『お前なんか、紅がなければ、何もできないくせに』
侍女が耳元でささやく悪意に満ちた言葉が、宇春の心臓を突き刺す。
侍女は、震える宇春を後に残し、にっとほほ笑みながら去っていく。
折り悪く、詩吟の声が途切れた。
本来であれば、ここで宇春が指示をだし、会場は真っ暗になるのだ。
けれど、恐慌状態の宇春には、声を出すことも、合図を行うこともできなかった。
女官たちが宇春の指示を待ち、どうしたらよいかとこちらを見る。
視線が痛い。
頭の中が真っ白になってどうしていいかわからない。
声をだそうとしても喉がひりついて何も出ない。
(誰か助けて。誰か──劉さん)
その時だった。
「灯りを落とせ」
御簾の奥から、威厳を湛えた静かな声が響いた。
皇帝の声だった。
辺りは即座に灯りが落とされ真っ暗になる。
御簾がするりと上がる音がして、その奥から、ひな壇を降りてくる足音がした。
(皇帝……陛下だ)
冷血皇帝と評される皇帝が、詩吟の会を台無しにした宇春に、罰を与えに降りてきたのだろうか。
心臓が、しゅっと縮こまり、もう、何をどうしていいか全くわからない。
暗闇の中、宇春の目の前で皇帝は立ち止まった。
「も、もうしわけ」
「ここまでよく頑張った」
「え?」
伸ばされた手が宇春の背に伸び、体がふわりと浮き上がった。
自分の状況が信じられず、宇春は凍り付く。
皇帝が、宇春を抱き上げたのだ。
そのまま、ゆっくりとひな壇を上がり、御簾の奥へと宇春を抱いたまま入っていった。
「再開だ」
御簾の奥からの皇帝の声に、詩吟の声と、影絵の投影が再開された。
御簾の奥は、わずかに灯りが灯っている。
下ろされた宇春は、あわてて叩頭する。
「顔を上げてくれないか?」
その言葉を聞いて、宇春の心臓は、先ほどまでとは違う感情で凍り付いた。
(嘘。だって。だって、絶対ちがう)
それは、以前、宇春があの場所で聞いたことのある言葉と同じだった。
必死に否定しようとするのに、声も、抑揚も、優しい響きも、全てがあの時のままで。
確かめるのが怖くて顔を上げられない宇春の頬に、皇帝の手が伸ばされた。
その手に導かれるように、宇春は、その顔を見上げた。
「劉、さん?」
劉はただほほ笑む。
そのほほ笑みに、宇春の中の怯えも、恐れも、全てが溶けて消えていくようだった。
「今はまだ、考えるな。この会を成功させるたいんだろう?」
「はい」
「ならば、目をつぶれ。これは、俺の役目だ」
宇春はその声に促されて目を閉じる。
「お前なら、できる」
そして、皇帝詹 劉帆は、出戻り妃呉 宇春の唇に。
──紅を、刷く。
御簾には、中からの光で、男女二人の影が映し出されていた。
むつまじく頬に手を寄せる二人の影絵が。
二人の姿が近づき、人々の視線が御簾に釘付けになったその瞬間。
月の影絵が、御簾に投影され、御簾の奥の二人の姿は消えていった。
皇帝が誰を見初めたのか、誰の目にも明らかだった。
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