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出戻り妃のこれから1
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「うーん……あれ、宇春様?」
「妹妹! よかった、気がついて」
「おはようございます。そうだっ、詩吟の会は⁉」
翌朝、熱の下がった妹妹は、がばっと布団から起き上がった。
宇春は、妹分の元気な様子にほっと胸をなでおろす。
「どうにか終わったよ。ちょっといろいろあったけど、影絵の舞台が素敵だったって、お褒めの言葉をたくさんもらったよ」
あの後、紅の力で自信を取り戻した宇春は、無事女主人の役割を果たし終えたのだ。
しかし、妹分は目ざとい。
「『ちょっといろいろ』で目が泳いでました! そこ詳しく!」
「え、えええっと、それはその」
妹妹の追求を回避するのは難しく、結局全部吐かされてしまった。
「ええっ⁉ 宇春様を振ったあのくそ男がこうてっもごっ」
あわてて妹妹の口をふさぐが、すぐにその手はおしのけられる。
「で、宇春様はどうするつもりですか⁉」
「え? どうって、何も」
「何を言ってるんですっ。抱きかかえられたんですよ? 御簾の中に入ったんですよ? 紅まで引いてもらったんですよ? これが何を意味するか分かりますよねっ」
「ど、どうしよう妹妹。私、陛下にそんなことまでさせてふ、不敬罪でつかまっちゃう?」
「……はあぁ。まあ、不敬罪にはならないと思いますよー。別の意味で捕まるかもしれませんが」
「妹妹ー」
陛下にとんでもないことをさせてしまった宇春に、妹分の答えは冷たかった。
それから、妹妹の体調が戻るまでの数日間は、いろいろなことがあった。
岑貴妃からは、侍女のしでかしたことについての謝罪があった。
女官の宇春に水をかけて紅をぬぐったことぐらいで、罪になどできない。不思議に思う宇春の前で、岑貴妃が妹妹に問いかけるような視線をやる。
宇春は、妹妹が溺れた時、池の前でぶつかった人影が誰だったかに思い至った。
「私の詩吟が選から漏れてしまったことを逆恨みしたのね。あの子は後宮から出し、きちんと反省させます。私は責任を取って貴妃の座を退きます。どうか、どうか公にすることだけは、許してくれないかしら」
岑貴妃自らの手をついての謝罪だった。
侍女を大切に思う岑貴妃の気持ちは分かる。けれど、一番ひどい目に遭ったのは妹妹だ。
心配して妹妹を見ると、悩むこともせずあっけらかんと、とんでもないことを答える。
「あたしは別にいいですよ。岑貴妃にそこまで大事にされるなんて、ほんとは悪い人じゃないと思いますし。私も宇春様の為なら同じことしたかもしれないですし」
「ありがとう」
岑貴妃の泣き笑いはたいそう可愛らしく、宇春は、今の岑貴妃なら友達になれそうかも、と親しみを覚えた。
岑貴妃を見送ると、妹妹はしみじみと呟く。
「唯一の貴妃様がいなくなると、後宮中が騒がしくなりますねえ」
「そうね。大変かもしれないわね」
「宇春様。なんですか。他人事みたいに!」
何を言っても妹妹に怒られそうで、宇春は曖昧にほほ笑むことにした。
宇春は、妹妹の体調に問題がなくなったのを確認した後、当初の予定通り、すぐに後宮を発つことにした。
女官たちに別れの挨拶をして、最後に女官長を探していると、同僚だった女官から声をかけられた。
「宇春様。女官長様は、門の所で待ってらっしゃるって」
「ありがとう」
けれど、後宮の出入り口である赤い朱塗りの門で、二人を待っていたのは──。
劉こと──皇帝、詹 劉帆だった。
彼は、隆文楼で猫を膝にのせていた時と同じく、近衛武官の衣服に身を包んでいた。記憶にある優しい眼差しが宇春に向かう。
「宇春」
(どうして、ここにいるの?)
宇春の名を呼ぶ声は、あの時と変わらず、とても優しい。
宇春は、ぐっと唇をかんで、すぐに膝をつく。
彼が皇帝だと知ってしまった今、以前と同じように振舞うわけにはいかなかった。
一歩ずつ近づいてくる劉は、宇春の元までたどり着くと、宇春と目線を合わせるように、腰を落とした。
「俺は、お前に謝らなければならないことがある──近衛武官だと、身分を偽っていた」
許しを乞うような彼の瞳が、宇春の目をまっすぐに見つめる。
宇春は、こみ上げそうになる感情を押し殺して、笑みを浮かべて見せた。
「当然のことです。陛下の尊き御身を、どこの誰ともわからぬ女に知らせることはできません」
「劉と、呼んではくれないのか」
「お呼びできません」
宇春は、ゆっくりと首を振った。
もう、二人の関係は違うのだ。
あれから宇春は、劉が皇帝陛下だったという事実を何度も繰り返し考えてみた。
劉の事を忘れることはできないし、多分ずっと好きだと思う。
それは変わらない。
でも、皇帝陛下へ同じ気持ちを向けるわけにはいかない。
だから、あのあと起きた全てに目をつぶって、この後宮を抜け出そうとしていたのに。
それなのに。
「あの日のやり直しをさせて欲しい」
「妹妹! よかった、気がついて」
「おはようございます。そうだっ、詩吟の会は⁉」
翌朝、熱の下がった妹妹は、がばっと布団から起き上がった。
宇春は、妹分の元気な様子にほっと胸をなでおろす。
「どうにか終わったよ。ちょっといろいろあったけど、影絵の舞台が素敵だったって、お褒めの言葉をたくさんもらったよ」
あの後、紅の力で自信を取り戻した宇春は、無事女主人の役割を果たし終えたのだ。
しかし、妹分は目ざとい。
「『ちょっといろいろ』で目が泳いでました! そこ詳しく!」
「え、えええっと、それはその」
妹妹の追求を回避するのは難しく、結局全部吐かされてしまった。
「ええっ⁉ 宇春様を振ったあのくそ男がこうてっもごっ」
あわてて妹妹の口をふさぐが、すぐにその手はおしのけられる。
「で、宇春様はどうするつもりですか⁉」
「え? どうって、何も」
「何を言ってるんですっ。抱きかかえられたんですよ? 御簾の中に入ったんですよ? 紅まで引いてもらったんですよ? これが何を意味するか分かりますよねっ」
「ど、どうしよう妹妹。私、陛下にそんなことまでさせてふ、不敬罪でつかまっちゃう?」
「……はあぁ。まあ、不敬罪にはならないと思いますよー。別の意味で捕まるかもしれませんが」
「妹妹ー」
陛下にとんでもないことをさせてしまった宇春に、妹分の答えは冷たかった。
それから、妹妹の体調が戻るまでの数日間は、いろいろなことがあった。
岑貴妃からは、侍女のしでかしたことについての謝罪があった。
女官の宇春に水をかけて紅をぬぐったことぐらいで、罪になどできない。不思議に思う宇春の前で、岑貴妃が妹妹に問いかけるような視線をやる。
宇春は、妹妹が溺れた時、池の前でぶつかった人影が誰だったかに思い至った。
「私の詩吟が選から漏れてしまったことを逆恨みしたのね。あの子は後宮から出し、きちんと反省させます。私は責任を取って貴妃の座を退きます。どうか、どうか公にすることだけは、許してくれないかしら」
岑貴妃自らの手をついての謝罪だった。
侍女を大切に思う岑貴妃の気持ちは分かる。けれど、一番ひどい目に遭ったのは妹妹だ。
心配して妹妹を見ると、悩むこともせずあっけらかんと、とんでもないことを答える。
「あたしは別にいいですよ。岑貴妃にそこまで大事にされるなんて、ほんとは悪い人じゃないと思いますし。私も宇春様の為なら同じことしたかもしれないですし」
「ありがとう」
岑貴妃の泣き笑いはたいそう可愛らしく、宇春は、今の岑貴妃なら友達になれそうかも、と親しみを覚えた。
岑貴妃を見送ると、妹妹はしみじみと呟く。
「唯一の貴妃様がいなくなると、後宮中が騒がしくなりますねえ」
「そうね。大変かもしれないわね」
「宇春様。なんですか。他人事みたいに!」
何を言っても妹妹に怒られそうで、宇春は曖昧にほほ笑むことにした。
宇春は、妹妹の体調に問題がなくなったのを確認した後、当初の予定通り、すぐに後宮を発つことにした。
女官たちに別れの挨拶をして、最後に女官長を探していると、同僚だった女官から声をかけられた。
「宇春様。女官長様は、門の所で待ってらっしゃるって」
「ありがとう」
けれど、後宮の出入り口である赤い朱塗りの門で、二人を待っていたのは──。
劉こと──皇帝、詹 劉帆だった。
彼は、隆文楼で猫を膝にのせていた時と同じく、近衛武官の衣服に身を包んでいた。記憶にある優しい眼差しが宇春に向かう。
「宇春」
(どうして、ここにいるの?)
宇春の名を呼ぶ声は、あの時と変わらず、とても優しい。
宇春は、ぐっと唇をかんで、すぐに膝をつく。
彼が皇帝だと知ってしまった今、以前と同じように振舞うわけにはいかなかった。
一歩ずつ近づいてくる劉は、宇春の元までたどり着くと、宇春と目線を合わせるように、腰を落とした。
「俺は、お前に謝らなければならないことがある──近衛武官だと、身分を偽っていた」
許しを乞うような彼の瞳が、宇春の目をまっすぐに見つめる。
宇春は、こみ上げそうになる感情を押し殺して、笑みを浮かべて見せた。
「当然のことです。陛下の尊き御身を、どこの誰ともわからぬ女に知らせることはできません」
「劉と、呼んではくれないのか」
「お呼びできません」
宇春は、ゆっくりと首を振った。
もう、二人の関係は違うのだ。
あれから宇春は、劉が皇帝陛下だったという事実を何度も繰り返し考えてみた。
劉の事を忘れることはできないし、多分ずっと好きだと思う。
それは変わらない。
でも、皇帝陛下へ同じ気持ちを向けるわけにはいかない。
だから、あのあと起きた全てに目をつぶって、この後宮を抜け出そうとしていたのに。
それなのに。
「あの日のやり直しをさせて欲しい」
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