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2 うみうし、ぬるぬる(その2)
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矢印に誘導されるままついて行った廊下の先は無人の体育館だった。
その二階突き当たりの扉の前で矢印が蒸発するように消える。
「第二放送室?」
“こんな所になんの用が”と訝しげに扉の掲示を見上げる静刻のとなりで“童女”はスカートのファスナーに突っ込んだ手をもぞもぞさせながら――
「三次元カッター」
――と、つぶやきカッターナイフを取り出す。
そして、きちきちと慣らして伸ばした刃を第二放送室の扉に突き立て縦に下ろすと、その裂け目を両手で開いて身をねじ込む。
“童女”の姿は見る間に裂け目の中へと消えた。
誰もいない廊下に取り残された静刻は静けさの中で“どうしたものか”と、かすかに開いている扉の裂け目に手を伸ばす。
不意にその裂け目がぐいと開いて中から“童女”が顔を覗かせた。
突然のことに驚き、息をのんで硬直する静刻を“童女”が不思議そうに見上げている。
「入らないのです?」
その言葉で我に帰った静刻が覚悟を決める。
「今、行く」
“童女”の顔が引っ込むのを待って、同じように両手で裂け目を開く。
放送室特有の厚く重い遮音扉がゴムでできているかのようにびよんと伸びて裂け目が広がった。
その裂け目におそるおそる右足から身体をねじ込む。
下半身から上半身、そして、最後に頭をくぐらせて扉の向こう側――室内に出た。
そこは横長の部屋で正面に放送設備が並び、右側の窓からは無人の体育館が、左側の窓からは体育教師の怒声が響くグランドが見渡せた。
放送室の最も重大な役目は緊急放送であり、そのため多くの学校では放送室は職員室に隣接している。
そう考えると、この“第二放送室”とやらは体育館やグランドでの行事やイベントに使われるための施設なのだろう。
“童女”は入ってきた静刻に構わず――
「円盤型万能運転ロボ」
――つぶやいてスカートのファスナーに手を突っ込み、直径三十センチほどの円盤を引っ張り出す。
静刻の目にはロボット掃除機にも見えるその円盤は、“童女”の手から浮き上がり、下部から数十本のコードを垂らす。
そのコードが触手のようにくねりながら室内の放送設備をなで回す。
“童女”はさらにファスナーから長方形のプレートを取り出す。
大きさはキャッシュカードをひとまわりかふたまわり大きくしたくらいで手のひらに収まるほどだが“カード”や“プレート”と呼ぶには少し厚い。
表面にふたつの穴が空いている“それ”は、実は“カセットテープ”と呼ばれる記録メディアだが、オーディオマニアでもない平成生まれの静刻にはわからない。
円盤の触手は“童女”の手からカセットテープを受け取ると、慣れた動きでプレーヤーにセットして“play”と書かれたスイッチを押す。
静刻がそんな円盤の動きを目で追っているうちに、背を向けてグランドを見ていた“童女”がつぶやく。
「オッケーなのです」
そして、振り向くといつのまにか装着していたサングラスを外し、静刻へ差し出す。
「見るです?」
「ああ、うん」
なんのことかわからないまま勧められた通りに頷き、サングラスを装着する。
「あそこを見るのです」
小さな手が指差す先には屋外放送用のスピーカーがあった。
そこから“波紋”が広がっているのがはっきり見える。
しかし、その下に整列している生徒や教師にはなにも見えていないらしく、なんの反応も示さない。
これは一体なんなのか? スピーカーから出ているということは音波なのか? 見える音波? 聞こえない音波?――その正体に思案を巡らせる静刻の背後で、“童女”が口を開く。
「再生時間は十五分。これで任務は完了なのです。ふう、なのです」
沈黙が流れた。
静刻は室内を振り返り、サングラスを外すと、放送設備を珍しげに覗き込んでいる“童女”を見る。
一体この子はなんなのだ、そして、ここでなにをやっているのだ。
疑問に思うことはいくらでもある。
グランドから窓ガラス越しに聞こえるかすかな体育教師の怒声と生徒たちの号令以外に音のない第二放送室で、その静けさになんとなく居心地の悪さを感じたこともあり、訊いてみることにする。
まずは――なにから訊く?
もちろん名前からだ。
しかし、自分の部屋で何度か訊いたものの、ことごとくスルーされたことを思い出す。
ならばこっちから名乗ればいい、これならスルーできまい、くっくっくっ――そんなことを考えるが、しかし、高校を出て以来ひとりぐらしであんまり他人と話してないことに気が付いた。
さらに、けして広くない静かな部屋でオンナノコとふたりきりというシチュエーションは、これまでの人生でも数えるほどしかなかったことまで思い出してしまった。
些細なことではあるけれど、あまりヒトヅキアイをしてこなかったがゆえにそんなことでも意識してしまえば、途端にぎこちなくなる、無駄に緊張する。
その時、不意に“童女”と目があった。
“童女”にとってもそれは予想外だったらしく、“へへへ”と照れたような笑みを浮かべる。
その微笑みに背を押され――というより、さらに緊張したことを誤魔化そうと――サングラスを差し出しながら口を開く。
「小幌静刻だ。“しずとき”でも“せーこく”でも、呼びやすい方でいい――」
そして、付け足す。
「――“美しき時の戦士さん”」
受け取ったサングラスをスカートのファスナーに押し込んでいた“童女”の顔面が瞬時に紅潮する。
「そ、それはとっとと忘れるのですっ。あたしの名前は――」
「レクス……なんだっけ。あの“うさぎ”が言ってたな」
「し、知っててわざと言うなんて、いじわるなのです」
ひとりごちて続ける。
「“レクス・ギィア580”なのです。“レクス”でも“ギィア”でも“580”でも呼びやすい方でいいのです」
「名前に番号が付いてるのか」
「アンドロイドですので型番が付与されているのは当たり前なのです」
「アンドロイド……なのか」
どう見てもセーラー服のローティーンである。
「あんまりじろじろ見るものではないのです」
上から下まで見る静刻にギィアが恥ずかしげに身をよじる。
「……ごめん」
謝りながら心中で次の“質問”を考える。
ひとまず自己紹介は終わった、早速数々の疑問について問い質していこう――。
「ここって、やっぱり二十八年前の」
ギィアが頷く。
「山葵坂中学校なのです」
「で、一体なにをやってるんだ」
問いながら“それのことだよ”と、カセットテープを再生中の放送設備に目をやる。
ギィアも“これのことなら”とでも言うように目を向ける。
「音源を流しているのです」
「音源? なんの?」
「よろしいでしょう。お教えしましょう、なのです」
ギィアは姿勢を改め、静刻に向き直る。
「あたしの使命はネイビーブルー・カタストロフィと呼ばれる一九九〇年代に発生する大量絶滅を回避することなのです」
「SFだ」
思わずつぶやく静刻だが、ギィアには聞こえていない。
「この音源は聞いた者が持っている“特定の対象に向いた性的執着”を中和する働きがあるのです。つまり、この音源を聞かせることによってネイビーブルー・カタストロフィの原因である“男子生徒からの性的な目線”を排除することで、ブルマの絶滅を回避することができるのです」
「は?」
今なんつった?
「もちろんこれは“歴史の改編”という大規模プロジェクトであり――」
「待て待て待て」
「はい?」
「“歴史の改編”ってのはわかった、すごいことなのも想像が付く。そのプロジェクトを任されたのが誰あろう“ギィアさん”であることもわかった」
「えっへん、なのです」
誇らしげに粗末な胸を張る。
「で、その“改編の目的”が“ブルマの廃止回避”って聞こえた気がしたんだけど」
「そうなのです」
「えーと」
「はいなのです」
「それはどういう理由で」
「理由と申しますと? なのです」
真意を図りかねると言わんばかりに小首を傾げる。
「いやなんのために“ブルマの廃止”を回避するんだ」
「知らないのです」
「は?」
「そんなことはインプットされていないのです」
「じゃあ、さっきの“ゆきうさぎ”? とかいうバニーガールは」
ギィアの表情が一転して険しくなる。
「あれはあたしたちの対抗勢力が放った妨害者なのです」
「えーと“事象のなんとか”とか」
「そうなのです。超時代結社“事象の時平線”なのです。そういう組織なのです。その思想については知りません。おわり」
静刻の頭が今訊いたばかりの話を反芻し、静刻の口がその率直な感想を無意識に漏らす。
「……なんかすげえくだらないことに巻き込まれてる気がする」
同時に“がしゃん”という音がして振り返る。
カセットテープの再生が終わり、プレーヤーが停止した音だった。
円盤がコードを触手のごとく繰ってカセットテープを取り出し、ギィアに差し出す。
ギィアはカセットテープと円盤を開きっぱなしだったスカートのファスナーへ押し込むと、左の手のひらを自身の頬に添える。
そして、少しの間のあとで声を上げる。
「あ、あたしー」
どうやら手のひらが通話装置になっているらしい。
「こっち終わったー。うん。大丈夫。えー、そんなことないよー。あはは」
普通にしゃべれるんじゃねえか――静刻はそんなことを思いながら聞き流す。
「でさー、そっち、どう? え? うそ、マジ?」
顔色と声色が変わる。
「ちゃんとやったよー。わかんない。うん。え? 確認の電話はいらないって……どーゆーこと?」
その口調に静刻は推測する。
通話相手はギィアを派遣した未来世界に住んでいる“雇い主”か“主人”か“上官”といったところなのだろう。
その“未来人”からいろいろと予想外のことを言われているらしい。
「あ、そーか。……そーだよね。うん、わかった。じゃね」
ため息とともに手を下ろす。
そして、がくりと頭を垂れる。
明らかに落胆しているその様子に静刻が声を掛ける。
「どうした」
「ダメだったのです」
「なにが」
「回避できてないのです。ネイビーブルー・カタストロフィ」
そう言われてもどう答えたものか。
「……そうか。残念だったな」
とりあえず言葉だけでも同情しておくことにする。
そんな静刻から別に問われたわけでもないのにギィアは続ける。
「とにかく“原因を究明して改めて対処する”ということになったのです」
そう言うと“もう、ここには用はない”と、入ってきた時と同様に扉の裂け目を開いて外に出る。
静刻が続く。
扉の前でギィアは体育館から校舎へつながる――自分たちがこの第二放送室まで歩いてきた――廊下の奥に目を凝らしている。
静刻もまたそれに倣う。
廊下の奥、はるか向こうの突き当たりは、自分たちが二〇二〇年から到着した図書室である。
その図書室から廊下を猛烈な速さで向かってきている物体がある。
「あれは、まさか」
向かってくる異様な姿に静刻が思わず声を上げる。
図書室に置き去りにしてきたウミウシだった。
「動くことはないって言ってなかったか」
問い掛けてから根本的なことを知らないことに気付く。
「あれってそもそもなんなんだ」
ギィアが答える。
「ファージなのです」
ウミウシは減速することなく、長い廊下を一直線に向かってくる。
「改変要素が現れた時にそれを排除する歴史の修復機能が顕在化したもの、なのです」
そして、左手を頬に添えてなにごとかささやくと、かたわらの階段へ走る。
「逃げるのです」
無人の体育館へと降り、鉄扉を開いて体育館の裏へ出る。
その後を追って飛び出そうとした静刻はそこで初めて気付く――靴を履いてないことに。
今まではずっと校内を歩いていただけだったのと、ギィアや周囲への関心が心中を占めていたことで忘れていた。
考えてみれば二〇二〇年の自分の部屋からここの図書室へ移動してきたのだから、靴を履いてないのは当たり前である。
しかし、躊躇している場合ではないとギィアを追って地面へ足を踏み出す。
「こっちなのです」
声に誘導されるまま桜の幹に身を隠す。
とりあえず呼吸を落ち着かせながら訊いてみる。
「さっきの、あれ、消火器、みたい、なので、ぶわーっと、やれば」
ギィアは息ひとつ切らせることなく淡々と返す。
「ファージは処置対象――今のケースではあたしたち――の行動や考えの歴史改変率が上がればそれだけ成長して強大化、凶悪化するのです。今向かってきている“あれ”は、最初に見たものより明らかに成長しているのです。つまり、“原因を究明して改めて対処する”という未来からの指示が歴史改変率に大きく寄与しているということなのです」
「要するに第二放送室からやった“音源を聞かせる”という行為よりも“真の原因を探す”という行為の方が歴史改変的に正しいということか」
「そのようなのです。だから、あたしが指示を受けた時点で歴史改変率が上昇してファージが成長したのでしょう。凝結ガスの効能をキャンセルできるほどに」
さらに続ける。
「なのでさっきまでファージを固めていたクラス一・〇〇よりさらに上位版の凝結ガスでなければ止めることはできないのです」
「その上位版はどこに」
問いながら目線をスカートのファスナーへ向ける。
考えるまでもなく“そこ”にしかない。
しかし、ギィアの答えは。
「さっき、発注したのです。そろそろ届く頃なのです」
「つまり、“今は持ってない”と」
静刻は桜の幹から顔を出し、体育館を窺う。
鉄扉が開けっ放しだった。
閉じれば少しは時間が稼げるかもしれない。
「ちょっと閉めてくる」
言いながら背後のギィアを見る。
そして凍り付く。
ギィアのすぐ背後にファージがいた。
身体を起こし、今にも覆い被さろうとする態勢で。
無意識だった。
静刻はギィアの手を引き、自身の身体と入れ替える。
前に出た静刻めがけて、ファージが覆い被さってくる。
そこで初めて静刻は自分の状態を理解する。
自身の意志とは無関係に、巻き込まれた時間移動でやってきた二十八年前の世界で、“ブルマ廃止の回避に燃えるアンドロイド”というよくわからんものを庇って、ファージとかいう巨大ウミウシに食われようとしている現状を。
なにやってんだオレは――後悔の念に埋もれる静刻の背後から白煙が吹き付けられる。
「届いたのです」
振り向けば消火器のノズルを向けるギィア。
向き直れば凝結したファージ。
その間に挟まれるような位置で、静刻は脱力してへたりこむ。
ギィアは静刻に背を向け、消火器をぶら下げたまま、桜の幹に手を伸ばす。
「もうひとつ届いたものがあるのです」
「なにが」
顔を向ける静刻の前からギィアの身体が消えた。
慌てて立ち上がる静刻の前に桜の幹からギィアが姿を現す。
「拠点となる秘密部屋なのです。……重要な話がございますのです」
その二階突き当たりの扉の前で矢印が蒸発するように消える。
「第二放送室?」
“こんな所になんの用が”と訝しげに扉の掲示を見上げる静刻のとなりで“童女”はスカートのファスナーに突っ込んだ手をもぞもぞさせながら――
「三次元カッター」
――と、つぶやきカッターナイフを取り出す。
そして、きちきちと慣らして伸ばした刃を第二放送室の扉に突き立て縦に下ろすと、その裂け目を両手で開いて身をねじ込む。
“童女”の姿は見る間に裂け目の中へと消えた。
誰もいない廊下に取り残された静刻は静けさの中で“どうしたものか”と、かすかに開いている扉の裂け目に手を伸ばす。
不意にその裂け目がぐいと開いて中から“童女”が顔を覗かせた。
突然のことに驚き、息をのんで硬直する静刻を“童女”が不思議そうに見上げている。
「入らないのです?」
その言葉で我に帰った静刻が覚悟を決める。
「今、行く」
“童女”の顔が引っ込むのを待って、同じように両手で裂け目を開く。
放送室特有の厚く重い遮音扉がゴムでできているかのようにびよんと伸びて裂け目が広がった。
その裂け目におそるおそる右足から身体をねじ込む。
下半身から上半身、そして、最後に頭をくぐらせて扉の向こう側――室内に出た。
そこは横長の部屋で正面に放送設備が並び、右側の窓からは無人の体育館が、左側の窓からは体育教師の怒声が響くグランドが見渡せた。
放送室の最も重大な役目は緊急放送であり、そのため多くの学校では放送室は職員室に隣接している。
そう考えると、この“第二放送室”とやらは体育館やグランドでの行事やイベントに使われるための施設なのだろう。
“童女”は入ってきた静刻に構わず――
「円盤型万能運転ロボ」
――つぶやいてスカートのファスナーに手を突っ込み、直径三十センチほどの円盤を引っ張り出す。
静刻の目にはロボット掃除機にも見えるその円盤は、“童女”の手から浮き上がり、下部から数十本のコードを垂らす。
そのコードが触手のようにくねりながら室内の放送設備をなで回す。
“童女”はさらにファスナーから長方形のプレートを取り出す。
大きさはキャッシュカードをひとまわりかふたまわり大きくしたくらいで手のひらに収まるほどだが“カード”や“プレート”と呼ぶには少し厚い。
表面にふたつの穴が空いている“それ”は、実は“カセットテープ”と呼ばれる記録メディアだが、オーディオマニアでもない平成生まれの静刻にはわからない。
円盤の触手は“童女”の手からカセットテープを受け取ると、慣れた動きでプレーヤーにセットして“play”と書かれたスイッチを押す。
静刻がそんな円盤の動きを目で追っているうちに、背を向けてグランドを見ていた“童女”がつぶやく。
「オッケーなのです」
そして、振り向くといつのまにか装着していたサングラスを外し、静刻へ差し出す。
「見るです?」
「ああ、うん」
なんのことかわからないまま勧められた通りに頷き、サングラスを装着する。
「あそこを見るのです」
小さな手が指差す先には屋外放送用のスピーカーがあった。
そこから“波紋”が広がっているのがはっきり見える。
しかし、その下に整列している生徒や教師にはなにも見えていないらしく、なんの反応も示さない。
これは一体なんなのか? スピーカーから出ているということは音波なのか? 見える音波? 聞こえない音波?――その正体に思案を巡らせる静刻の背後で、“童女”が口を開く。
「再生時間は十五分。これで任務は完了なのです。ふう、なのです」
沈黙が流れた。
静刻は室内を振り返り、サングラスを外すと、放送設備を珍しげに覗き込んでいる“童女”を見る。
一体この子はなんなのだ、そして、ここでなにをやっているのだ。
疑問に思うことはいくらでもある。
グランドから窓ガラス越しに聞こえるかすかな体育教師の怒声と生徒たちの号令以外に音のない第二放送室で、その静けさになんとなく居心地の悪さを感じたこともあり、訊いてみることにする。
まずは――なにから訊く?
もちろん名前からだ。
しかし、自分の部屋で何度か訊いたものの、ことごとくスルーされたことを思い出す。
ならばこっちから名乗ればいい、これならスルーできまい、くっくっくっ――そんなことを考えるが、しかし、高校を出て以来ひとりぐらしであんまり他人と話してないことに気が付いた。
さらに、けして広くない静かな部屋でオンナノコとふたりきりというシチュエーションは、これまでの人生でも数えるほどしかなかったことまで思い出してしまった。
些細なことではあるけれど、あまりヒトヅキアイをしてこなかったがゆえにそんなことでも意識してしまえば、途端にぎこちなくなる、無駄に緊張する。
その時、不意に“童女”と目があった。
“童女”にとってもそれは予想外だったらしく、“へへへ”と照れたような笑みを浮かべる。
その微笑みに背を押され――というより、さらに緊張したことを誤魔化そうと――サングラスを差し出しながら口を開く。
「小幌静刻だ。“しずとき”でも“せーこく”でも、呼びやすい方でいい――」
そして、付け足す。
「――“美しき時の戦士さん”」
受け取ったサングラスをスカートのファスナーに押し込んでいた“童女”の顔面が瞬時に紅潮する。
「そ、それはとっとと忘れるのですっ。あたしの名前は――」
「レクス……なんだっけ。あの“うさぎ”が言ってたな」
「し、知っててわざと言うなんて、いじわるなのです」
ひとりごちて続ける。
「“レクス・ギィア580”なのです。“レクス”でも“ギィア”でも“580”でも呼びやすい方でいいのです」
「名前に番号が付いてるのか」
「アンドロイドですので型番が付与されているのは当たり前なのです」
「アンドロイド……なのか」
どう見てもセーラー服のローティーンである。
「あんまりじろじろ見るものではないのです」
上から下まで見る静刻にギィアが恥ずかしげに身をよじる。
「……ごめん」
謝りながら心中で次の“質問”を考える。
ひとまず自己紹介は終わった、早速数々の疑問について問い質していこう――。
「ここって、やっぱり二十八年前の」
ギィアが頷く。
「山葵坂中学校なのです」
「で、一体なにをやってるんだ」
問いながら“それのことだよ”と、カセットテープを再生中の放送設備に目をやる。
ギィアも“これのことなら”とでも言うように目を向ける。
「音源を流しているのです」
「音源? なんの?」
「よろしいでしょう。お教えしましょう、なのです」
ギィアは姿勢を改め、静刻に向き直る。
「あたしの使命はネイビーブルー・カタストロフィと呼ばれる一九九〇年代に発生する大量絶滅を回避することなのです」
「SFだ」
思わずつぶやく静刻だが、ギィアには聞こえていない。
「この音源は聞いた者が持っている“特定の対象に向いた性的執着”を中和する働きがあるのです。つまり、この音源を聞かせることによってネイビーブルー・カタストロフィの原因である“男子生徒からの性的な目線”を排除することで、ブルマの絶滅を回避することができるのです」
「は?」
今なんつった?
「もちろんこれは“歴史の改編”という大規模プロジェクトであり――」
「待て待て待て」
「はい?」
「“歴史の改編”ってのはわかった、すごいことなのも想像が付く。そのプロジェクトを任されたのが誰あろう“ギィアさん”であることもわかった」
「えっへん、なのです」
誇らしげに粗末な胸を張る。
「で、その“改編の目的”が“ブルマの廃止回避”って聞こえた気がしたんだけど」
「そうなのです」
「えーと」
「はいなのです」
「それはどういう理由で」
「理由と申しますと? なのです」
真意を図りかねると言わんばかりに小首を傾げる。
「いやなんのために“ブルマの廃止”を回避するんだ」
「知らないのです」
「は?」
「そんなことはインプットされていないのです」
「じゃあ、さっきの“ゆきうさぎ”? とかいうバニーガールは」
ギィアの表情が一転して険しくなる。
「あれはあたしたちの対抗勢力が放った妨害者なのです」
「えーと“事象のなんとか”とか」
「そうなのです。超時代結社“事象の時平線”なのです。そういう組織なのです。その思想については知りません。おわり」
静刻の頭が今訊いたばかりの話を反芻し、静刻の口がその率直な感想を無意識に漏らす。
「……なんかすげえくだらないことに巻き込まれてる気がする」
同時に“がしゃん”という音がして振り返る。
カセットテープの再生が終わり、プレーヤーが停止した音だった。
円盤がコードを触手のごとく繰ってカセットテープを取り出し、ギィアに差し出す。
ギィアはカセットテープと円盤を開きっぱなしだったスカートのファスナーへ押し込むと、左の手のひらを自身の頬に添える。
そして、少しの間のあとで声を上げる。
「あ、あたしー」
どうやら手のひらが通話装置になっているらしい。
「こっち終わったー。うん。大丈夫。えー、そんなことないよー。あはは」
普通にしゃべれるんじゃねえか――静刻はそんなことを思いながら聞き流す。
「でさー、そっち、どう? え? うそ、マジ?」
顔色と声色が変わる。
「ちゃんとやったよー。わかんない。うん。え? 確認の電話はいらないって……どーゆーこと?」
その口調に静刻は推測する。
通話相手はギィアを派遣した未来世界に住んでいる“雇い主”か“主人”か“上官”といったところなのだろう。
その“未来人”からいろいろと予想外のことを言われているらしい。
「あ、そーか。……そーだよね。うん、わかった。じゃね」
ため息とともに手を下ろす。
そして、がくりと頭を垂れる。
明らかに落胆しているその様子に静刻が声を掛ける。
「どうした」
「ダメだったのです」
「なにが」
「回避できてないのです。ネイビーブルー・カタストロフィ」
そう言われてもどう答えたものか。
「……そうか。残念だったな」
とりあえず言葉だけでも同情しておくことにする。
そんな静刻から別に問われたわけでもないのにギィアは続ける。
「とにかく“原因を究明して改めて対処する”ということになったのです」
そう言うと“もう、ここには用はない”と、入ってきた時と同様に扉の裂け目を開いて外に出る。
静刻が続く。
扉の前でギィアは体育館から校舎へつながる――自分たちがこの第二放送室まで歩いてきた――廊下の奥に目を凝らしている。
静刻もまたそれに倣う。
廊下の奥、はるか向こうの突き当たりは、自分たちが二〇二〇年から到着した図書室である。
その図書室から廊下を猛烈な速さで向かってきている物体がある。
「あれは、まさか」
向かってくる異様な姿に静刻が思わず声を上げる。
図書室に置き去りにしてきたウミウシだった。
「動くことはないって言ってなかったか」
問い掛けてから根本的なことを知らないことに気付く。
「あれってそもそもなんなんだ」
ギィアが答える。
「ファージなのです」
ウミウシは減速することなく、長い廊下を一直線に向かってくる。
「改変要素が現れた時にそれを排除する歴史の修復機能が顕在化したもの、なのです」
そして、左手を頬に添えてなにごとかささやくと、かたわらの階段へ走る。
「逃げるのです」
無人の体育館へと降り、鉄扉を開いて体育館の裏へ出る。
その後を追って飛び出そうとした静刻はそこで初めて気付く――靴を履いてないことに。
今まではずっと校内を歩いていただけだったのと、ギィアや周囲への関心が心中を占めていたことで忘れていた。
考えてみれば二〇二〇年の自分の部屋からここの図書室へ移動してきたのだから、靴を履いてないのは当たり前である。
しかし、躊躇している場合ではないとギィアを追って地面へ足を踏み出す。
「こっちなのです」
声に誘導されるまま桜の幹に身を隠す。
とりあえず呼吸を落ち着かせながら訊いてみる。
「さっきの、あれ、消火器、みたい、なので、ぶわーっと、やれば」
ギィアは息ひとつ切らせることなく淡々と返す。
「ファージは処置対象――今のケースではあたしたち――の行動や考えの歴史改変率が上がればそれだけ成長して強大化、凶悪化するのです。今向かってきている“あれ”は、最初に見たものより明らかに成長しているのです。つまり、“原因を究明して改めて対処する”という未来からの指示が歴史改変率に大きく寄与しているということなのです」
「要するに第二放送室からやった“音源を聞かせる”という行為よりも“真の原因を探す”という行為の方が歴史改変的に正しいということか」
「そのようなのです。だから、あたしが指示を受けた時点で歴史改変率が上昇してファージが成長したのでしょう。凝結ガスの効能をキャンセルできるほどに」
さらに続ける。
「なのでさっきまでファージを固めていたクラス一・〇〇よりさらに上位版の凝結ガスでなければ止めることはできないのです」
「その上位版はどこに」
問いながら目線をスカートのファスナーへ向ける。
考えるまでもなく“そこ”にしかない。
しかし、ギィアの答えは。
「さっき、発注したのです。そろそろ届く頃なのです」
「つまり、“今は持ってない”と」
静刻は桜の幹から顔を出し、体育館を窺う。
鉄扉が開けっ放しだった。
閉じれば少しは時間が稼げるかもしれない。
「ちょっと閉めてくる」
言いながら背後のギィアを見る。
そして凍り付く。
ギィアのすぐ背後にファージがいた。
身体を起こし、今にも覆い被さろうとする態勢で。
無意識だった。
静刻はギィアの手を引き、自身の身体と入れ替える。
前に出た静刻めがけて、ファージが覆い被さってくる。
そこで初めて静刻は自分の状態を理解する。
自身の意志とは無関係に、巻き込まれた時間移動でやってきた二十八年前の世界で、“ブルマ廃止の回避に燃えるアンドロイド”というよくわからんものを庇って、ファージとかいう巨大ウミウシに食われようとしている現状を。
なにやってんだオレは――後悔の念に埋もれる静刻の背後から白煙が吹き付けられる。
「届いたのです」
振り向けば消火器のノズルを向けるギィア。
向き直れば凝結したファージ。
その間に挟まれるような位置で、静刻は脱力してへたりこむ。
ギィアは静刻に背を向け、消火器をぶら下げたまま、桜の幹に手を伸ばす。
「もうひとつ届いたものがあるのです」
「なにが」
顔を向ける静刻の前からギィアの身体が消えた。
慌てて立ち上がる静刻の前に桜の幹からギィアが姿を現す。
「拠点となる秘密部屋なのです。……重要な話がございますのです」
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井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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