光の射す方へ

弐式

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2.闇の中に蠢く者

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 闇の中に向かって目を凝らせば、闇の中をうろつきまわる無数の影の存在に気付く者もいるかもしれない。人々はそれをファントムと呼んで恐れるようになっていた。

 ファントムとは人の影のような姿をしているとされる。そして、その手に触れられた者は魂を奪われ、死んでしまう、とも。

 闇の中には、まるで魂を持っていかれたように見える傷一つない人間を含めた数多くの動物の死体が、山のように転がっていると言われている。このご時世で、死因を特定している余裕はとてもないから、つまるところ死因はよく分かっていない。

 恐れはいつしか、その死をファントムに結び付けて、まことしやかに語られるようになっていた。そしておそらくそれは事実だった。ファントムたちは誤って闇の中に入り込んだ人間の横に音も気配もなく忍び寄り、そしてその次の瞬間にはその人間は命を落としていた。

 命からがらすんでのところで光の傍に逃げ込んで事なきを得た者の証言から、やはりファントムは人の命を奪っていくのだと、人々は噂しあった。

 同時に、ファントムから身を護るには光を持ち歩くことしかないことも広く知られるようになっていた。松明でも、ランプでも。わずかな光があれば、ファントムは寄ってこない。しかし、その光が失われたら、どんなに強い者であろうと、聡い者であろうと、善き者であろうと悪しき者であろうと愚か者であろうと――誰であろうとなす術もなく、ファントムの餌食とされてしまう。

  それが今、この世界の“現実”だった。アカリも、他の人間たちも、その現実の中で、その冷酷なルールに則って、生きなければならない。

  旅の過程で手に入れた様々なものを、僅かばかりの食料や水と交換する。貨幣というシステムが姿を消して久しい。紙幣だろうが金貨だろうが、今、この時代には何の意味も持たない。必要なのは油であり、火を起こす道具であり、火を護る道具であり、身を守る手段に他ならない。

 人々は様々なものを町の市に持ち寄った。
 
 それは光が溢れていた頃に備蓄されていた非常食の類でもあるし、たくさんの松明によって護られた畑で作られた野菜や、闇の中に松明を持って決死の覚悟で拾ってきた動物の死骸から取れた肉だったりした。ファントムに命を持ち去られた動物の死骸は不思議と腐らなかった。おそらくファントムは肉の腐敗を促す微生物の命をも奪っていくからだろう。

「何とかいい食料が手に入れられた」

 アカリはほっとしながら手に入れた食料を布の袋に入れて背負った。

 その時だった――。

 東の方――ちょうど風上から、焦げくさい匂いが漂ってきた。

 足下を照らす光の全てを火に頼るようになって、町はあまりに脆弱になってしまった。火は、少しでも扱いを間違えれば、あっという間に炎になり、全てを呑みこんでしまうからだ。

  炎によって燃え尽き、ファントムによって殺しつくされた町を、アカリは何度となく見ていた。しかし、今日この時、たった今、その光景を目の当たりにしようとは思ってもいなかった。

 「燃えたぞ!」

 「早く来てくれ!」

  悲鳴にも似た声が、木の焼ける匂いとともに流れてきた。アカリは、少し迷った。東の方はバルドルを置いた町の端とは正反対の方向。炎がこちらに来る前に逃げればアカリ一人は容易に逃げられるだろう。だからといって、このままきびすを返すわけにはいかず、アカリは匂いの元へと走って行った。

  アカリがその場に着いた時には、すでに燃え盛る炎が、黒い煙を上げて高く上っていた。手遅れなのは明らかだった。付近の建物に燃え移り、さらに火勢を増していく。

  しかし町が焼き尽くされるということは町の人たちの命が消えるのと同義。誰もが無駄だと気付いていたに違いない。しかし、アカリの眼前では砂や水をかけて懸命な努力を続けられていた。生きるための人々の努力をあざ笑うかのように炎の勢いは衰える気配がなかった。

 全てを燃やし尽くすまで――。
 
 わずかな水はあっという間に蒸発した。延焼を防ぐために周囲の建物を破壊しようと懸命の努力が続けられていたが被害は拡大の一途を辿るだけ。

「もうダメだ!」

 誰かが叫んだ。

「焼き尽くされる前に、火を取って逃げるんだ!」

「逃げるたってどこに!」

「どこかにだ!」

 怒声と罵声が入り混じる人ごみにアカリは背を向けて、その場を後にした。炎のせいで背中が熱い。この中にいる人のほとんどが、明日まで生きてはいまい。もっとも、朝も夜も季節すらなくなってしまった今となっては、昨日・今日・明日の概念さえ、あやふやなものになってしまっている。

 明日という概念が失われた世界であっても、そうそう死にたがりが増えるわけでもない。

 ファントムに触れられた“死”は普通の死とは異なり、魂の監獄に永遠に繋がれる。誰とも知れず言い始めたそんな話から来る恐怖も、人々に死への畏怖を忘れさせず、その意思を現世に縛り付けていた。

 死に怯えて逃げ回り続けるくらいなら、いっそ死んでしまえばいい……。

 いっそ死んでしまったら、追い続けられる恐怖を忘れて楽になれるのに……。

 心の中ではそう思っているくせに、アカリだって死を選択する勇気なんてなかった。
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