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【1章】晶乃と彩智
10.何でこんなことになったのか
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狭いな……。この中で唯一の“部外者”である晶乃は思う。この応接室は決して狭いわけではない。しかし、中にはすでに10人ほどの人間がおり、やはり狭く感じる。
部屋の中央に置かれたテーブルの左右に4人が掛けられるソファが置かれているが、座っているのは彩智とその横に彼女の兄という男性。彩智の正面にテーブルを挟んでもうじき定年の頭がだいぶ薄くなった校長先生が座っている。そしてもう一人、充希の両親の代理という中年の男が校長先生の横に座っている。彼は弁護士らしい。
彩智の右の眉の上に、大きなガーゼが絆創膏で貼られている。すっぱり裂けた傷跡は出血の量から感じたほどは深くなさそうだったが、右の眉毛の上に横に3センチほどの傷になっていた。
「こんなに大事にすることはなかったのに」
傷口の処置が終わった後、晶乃と彩智のクラス担任と、充希のクラスの担任とが来て、校長先生の所に来るように言われた。来客用の応接室に行くと、充希と真紀が立って待っていた。それに校長を始め教頭に学年主任なども待ち構えている上、双方の保護者も呼んだと聞かされて一番困惑したのは彩智だっただろう。それから30分ほど経ち、役者がそろった時には、生徒同士で謝罪が終わってしまっていたので、簡単な挨拶が終わってあと、妙な沈黙がしばし続いた。
晶乃は彩智を一人にするのが心苦しく、抜けるに抜けられずその場にとどまっていた。
皆が彩智の顔の傷を隠したガーゼを見て心配そうに声をかける中、不満そうな顔をありありとさせていたのが、40過ぎくらいの女性教諭だった。彼女は加藤直子という社会の教諭で写真研究部の顧問らしい。顔は初めて見るが入学する時に先輩から「できるだけ関わらない方がいい教師」と忠告された人物である。
その名前を出した先輩曰く、「思い込みが激しく都合の悪いことはなかったことにする」「人を罵倒してストレス解消するのが趣味」「他人の失敗はネチネチといつまでもに追求する」「自分の過ちは絶対に認めない」「些細なことで瞬間沸騰するヒステリー」「男女平等を口にするくせに都合の悪いときは“女性だから”を声高に主張する」「興味のないことにはやる気も関心もなし」などなど。
中学時代、周りがいい先生ばかりだった晶乃から見ればそんな教師がいるものかと信じられなかったが、こうして我関せずの姿を見ていると、少なくとも最後の部分は間違っていないように見える。
何せ、その場にいる彩智と晶乃のクラスの担任や充希のクラスの担任ばかりでなく、校長や教頭、3年と1年の学年主任までが代わる代わる被害者の彩智や、加害者の充希に声をかけたり気遣ったりしているのに、加藤教諭だけは彩智の怪我を気にするでもなく、充希に事情を聴くでもなく、ただ一番離れた場所で両腕を組んで、不快さを隠そうともしない表情を浮かべていたのだから。そして、待っている時間が長引けば長引くほど、彼女の嫌悪の表情はさらに濃く、皺が深くなっていた。
加藤教諭の本音としては「そんなもん唾つけとけば治るわよ。大げさにしてバカじゃないの」とでも捨て台詞を吐いてこの場を去りたいのだろうが、さすがに校長や教頭も学園主任もいる前でそんな暴言を吐いたらまずいという程度の常識は持っているらしい。
全員がそろったところで写真研究部の部長の真紀と、充希の何回目かの謝罪の言葉があり、年下の後輩に大きく頭を下げている充希を見ると、彼女が何故、こんな凶行に及んでしまったのかと驚く。ひょっとしたら彼女の両親のいずれもこの場にいないことに理由があるのでは? などと邪推してしまう。
「……立場上」
と応えたのは彩智の兄――徳人という名前なのは後で聞いた――という男性だった。30歳そこそこくらいに見える。彩智との話題で出てきたこともある彩智の父親の従兄にあたる人で今は彼女の兄。少し若く見えるが実年齢は37歳という話なので、親子でも十分に通る年齢だ。
「こちらとしては、学校内で妹が怪我を負った以上――しかも、それが授業中の事故などではなく上級生に負傷させられたとあれば、いくら軽傷だったからと言って、なぁなぁで済ませるわけにはいきません」
「もちろんです」
校長は額をハンカチで拭う。
「ただ、これからの妹の学校生活のことを考えると、まずは責任の所在と、こういう事態になった経緯について、詳細に教えていただきたいと思います。謝罪や治療費の話などは、その後のことです」
徳人がすっと目を細めるのを見て、晶乃はぎくりとした。冷静さの中に、どこか狂気を含んでいる。そんな雰囲気に感じたからだ。殺気というものを感じることが出来るのなら、こういうのをいうのかもしれない。
それからしばらく徳人と弁護士とで話し込んでいて、先生方も彩智たちも蚊帳の外に置かれていたようだったが、結局は後日正式に、という話になったらしい。晶乃はしばらくその様子をぼうっと見ていたが、徳人が立ち上がると一緒に彩智も立ち上がったので、話し合いはこれまでらしい。
「……それでは、今日はこれで」
「いえ。ご足労いただきまして」
2人が出ていくと、部屋の中にほっとしたような空気が流れた。
「……疫病神がやっと帰った」
ぼそりとした呟きが晶乃の耳にも届いた。呟いたのは聞くまでもない加藤教諭だ。思わず睨みつけると、晶乃も「失礼します」と一声かけて、部屋を出て、彩智を追った。
部屋の中央に置かれたテーブルの左右に4人が掛けられるソファが置かれているが、座っているのは彩智とその横に彼女の兄という男性。彩智の正面にテーブルを挟んでもうじき定年の頭がだいぶ薄くなった校長先生が座っている。そしてもう一人、充希の両親の代理という中年の男が校長先生の横に座っている。彼は弁護士らしい。
彩智の右の眉の上に、大きなガーゼが絆創膏で貼られている。すっぱり裂けた傷跡は出血の量から感じたほどは深くなさそうだったが、右の眉毛の上に横に3センチほどの傷になっていた。
「こんなに大事にすることはなかったのに」
傷口の処置が終わった後、晶乃と彩智のクラス担任と、充希のクラスの担任とが来て、校長先生の所に来るように言われた。来客用の応接室に行くと、充希と真紀が立って待っていた。それに校長を始め教頭に学年主任なども待ち構えている上、双方の保護者も呼んだと聞かされて一番困惑したのは彩智だっただろう。それから30分ほど経ち、役者がそろった時には、生徒同士で謝罪が終わってしまっていたので、簡単な挨拶が終わってあと、妙な沈黙がしばし続いた。
晶乃は彩智を一人にするのが心苦しく、抜けるに抜けられずその場にとどまっていた。
皆が彩智の顔の傷を隠したガーゼを見て心配そうに声をかける中、不満そうな顔をありありとさせていたのが、40過ぎくらいの女性教諭だった。彼女は加藤直子という社会の教諭で写真研究部の顧問らしい。顔は初めて見るが入学する時に先輩から「できるだけ関わらない方がいい教師」と忠告された人物である。
その名前を出した先輩曰く、「思い込みが激しく都合の悪いことはなかったことにする」「人を罵倒してストレス解消するのが趣味」「他人の失敗はネチネチといつまでもに追求する」「自分の過ちは絶対に認めない」「些細なことで瞬間沸騰するヒステリー」「男女平等を口にするくせに都合の悪いときは“女性だから”を声高に主張する」「興味のないことにはやる気も関心もなし」などなど。
中学時代、周りがいい先生ばかりだった晶乃から見ればそんな教師がいるものかと信じられなかったが、こうして我関せずの姿を見ていると、少なくとも最後の部分は間違っていないように見える。
何せ、その場にいる彩智と晶乃のクラスの担任や充希のクラスの担任ばかりでなく、校長や教頭、3年と1年の学年主任までが代わる代わる被害者の彩智や、加害者の充希に声をかけたり気遣ったりしているのに、加藤教諭だけは彩智の怪我を気にするでもなく、充希に事情を聴くでもなく、ただ一番離れた場所で両腕を組んで、不快さを隠そうともしない表情を浮かべていたのだから。そして、待っている時間が長引けば長引くほど、彼女の嫌悪の表情はさらに濃く、皺が深くなっていた。
加藤教諭の本音としては「そんなもん唾つけとけば治るわよ。大げさにしてバカじゃないの」とでも捨て台詞を吐いてこの場を去りたいのだろうが、さすがに校長や教頭も学園主任もいる前でそんな暴言を吐いたらまずいという程度の常識は持っているらしい。
全員がそろったところで写真研究部の部長の真紀と、充希の何回目かの謝罪の言葉があり、年下の後輩に大きく頭を下げている充希を見ると、彼女が何故、こんな凶行に及んでしまったのかと驚く。ひょっとしたら彼女の両親のいずれもこの場にいないことに理由があるのでは? などと邪推してしまう。
「……立場上」
と応えたのは彩智の兄――徳人という名前なのは後で聞いた――という男性だった。30歳そこそこくらいに見える。彩智との話題で出てきたこともある彩智の父親の従兄にあたる人で今は彼女の兄。少し若く見えるが実年齢は37歳という話なので、親子でも十分に通る年齢だ。
「こちらとしては、学校内で妹が怪我を負った以上――しかも、それが授業中の事故などではなく上級生に負傷させられたとあれば、いくら軽傷だったからと言って、なぁなぁで済ませるわけにはいきません」
「もちろんです」
校長は額をハンカチで拭う。
「ただ、これからの妹の学校生活のことを考えると、まずは責任の所在と、こういう事態になった経緯について、詳細に教えていただきたいと思います。謝罪や治療費の話などは、その後のことです」
徳人がすっと目を細めるのを見て、晶乃はぎくりとした。冷静さの中に、どこか狂気を含んでいる。そんな雰囲気に感じたからだ。殺気というものを感じることが出来るのなら、こういうのをいうのかもしれない。
それからしばらく徳人と弁護士とで話し込んでいて、先生方も彩智たちも蚊帳の外に置かれていたようだったが、結局は後日正式に、という話になったらしい。晶乃はしばらくその様子をぼうっと見ていたが、徳人が立ち上がると一緒に彩智も立ち上がったので、話し合いはこれまでらしい。
「……それでは、今日はこれで」
「いえ。ご足労いただきまして」
2人が出ていくと、部屋の中にほっとしたような空気が流れた。
「……疫病神がやっと帰った」
ぼそりとした呟きが晶乃の耳にも届いた。呟いたのは聞くまでもない加藤教諭だ。思わず睨みつけると、晶乃も「失礼します」と一声かけて、部屋を出て、彩智を追った。
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