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【1章】晶乃と彩智
12.最初からあったわけじゃない
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4月22日の日曜日。彩智が見上げた先には、空いっぱいの青が広がっていた。列車で来るという晶乃を待って雀ヶ丘駅の南口の外に立っている。
しばらくこれから向かう商店街の方を眺めていたが、そろそろ列車が入ってくる時間だな、と思い背を向けていた雀ヶ丘駅を振り返る。市の中心部に位置している昭和50年頃に高架駅化された規模の大きな駅である。中の駅ビルにはカフェやスイーツのお店や海外の有名なお菓子屋の支店などが入っていて、彩智がこの駅に来るときはそっちが目的のことが多い。
人口10万人程度の雀ヶ丘市には不似合いなサイズの駅だが、当初から人口40万規模の街の中心駅が想定された陣容だったそうで、それだけの街になるようにという行政の夢――否、野心を込めて建てられた駅だったのだろう。
もっとも、当時の事情を知らない彩智はこう思うだけである。
……昔は金が余ってたんだなぁ。
「彩智」
と声をかけられてそちらに目を向けると、上には桃色のパーカー、下はジーンズという、色気の欠片もない格好の晶乃が立っていた。今日は、実際にカメラを持って歩いてみるので動きやすい服装にしようと互いに申し合わせていたから、彩智も似たような格好である。
「お待たせ」
「おはよう」
彩智はにこりと笑って肩から下げたデジカメの紐を、首の方に寄せた。
「それが、彩智のカメラ?」
「うん……兄さんのお古なんだけれどね。オリンパスってメーカーのOM-D E-M5って機種。これに標準ズームのパンケーキレンズを付けて出歩いていることが多いかな」
彩智は目の位置までシルバーとブラックの落ち着いた色調の、少しクラシックぽさを感じるボディのカメラを上げて、くるくると手首を回してみせる。
「今、後ろの液晶が見えたからデジタルカメラだってわかるけれど、それが無かったら私にはフィルムカメラとデジタルカメラの区別ってつかないなぁ」
彩智のカメラに顔を近づけて晶乃が言う。
「確かに似てるよね。メーカーも意識的に似せようとしている面はあると思うけれど。黎明期には、いかにもデジタルカメラって感じの外観のカメラもそれなりにあったらしいけれど、結局、デジタルカメラもベストな形は、フィルムカメラと同じだったってことなんだろうね」
そう言った彩智は、自分の言葉をいかにも借り物くさい言葉だと思った。自分たちの生まれた時にはデジカメの黎明期なんてとっくに過ぎていたことを知っているからだろう。自分が初めて手を触れた時には、スマホのカメラでさえ800万画素を優に超えていた。気が付いた時には完成されたものが目の前にあった自分には、その過渡期など想像もつかない。
空を見上げた彩智は、「この町もそうなのかなぁ」と、何となく重ね合わせて呟いた。
ちっぽけなこの街を彩智は嫌いだった。真っすぐなメインストリートは典型的なシャッター街になり果てている。見るべきものは何もない田舎町。
その街でも、歴史がある。戦争の時には大した空襲はなかったらしいが、終戦直後の大火事で町全体が焼けてしまったとか、高度経済成長の時代には波に乗れず多くの若者の県外流出を招いてしまったとか。雀ヶ丘駅に代表される無駄なハコモノ行政のおかげで財政は火の車……。
考えていると周りの大人たちの愚痴が思い出され、何だかため息が出てきた。街だって何だって、いきなりこうなったのではなく、少しずつの積み重ねで今がある。
「デジタルカメラには最初からフィルムカメラという完成形があった、という点では、他の”モノ”とは少し違うのかもしれないね」
晶乃が口にした言葉は、単なる思い付きだったのだろうけれど、彩智は自分のカメラを見て少し考え込む。彩智の下げているOM-D E-M5はミラーレス一眼と呼ばれるカメラである。フィルムカメラ時代に完成した一眼レフと呼ばれるカメラにはレフレックスと呼ばれるミラーが入っている。レンズから入ってきた像は、レフレックスを通してファインダーという覗き窓で視認することができる。このミラーを取ってしまったからミラーレスなわけで、現在は一眼レフを追い抜いてミラーレスが主流になりつつある。
フィルムの時代に完成した一眼レフとデジタルの時代に完成したミラーレス一眼。この両者は似て非なるものであり、外観がいかに似通っていたとしても、同じものではない。そもそも、デジタルカメラはフィルムカメラの完成品ではないし、その逆だって成り立たない。例え、追い求めている物が同じだったとしても……。
「フィルムにはできないことがデジタルならできた。逆もまた然り。残したいものが目の前にあるから、写真を撮る。デジタルがいいときはデジタルを使えばいいし、フィルムの方がいいときはフィルムを使えばいい。相互補完……ってことでいいんじゃないかなぁ。まぁ、お恥ずかしながら、ここの、四季さんの受け売りなんだけれどね」
足を止めて彩智が指さす先にはショーウインドーがあり、いくつかのカメラが展示されている。大型のデジタル一眼レフから、小型のコンパクトデジカメまで様々。
目の前には『藤沢写真機店』と白い字で書かれた緑の看板が出されていた。
硝子戸の向こうに見える店内は思っていたよりも広々としていて、ここからカウンターも見える。カウンターの向こう側には、10歳くらい年上に見える女の人が立っていた。彼女が四季なのか、ガラス越しでははっきりと分からない。
こっちから見えるということは、彼女の方からも見えるということ。晶乃たちに気付いた女の人が小さく手を振るのが見えた。彩智が小さく手を振り返し、「じゃぁ、入ろうか」と扉の四角い持ち手をつかんで、引き開けて中に入る。
しばらくこれから向かう商店街の方を眺めていたが、そろそろ列車が入ってくる時間だな、と思い背を向けていた雀ヶ丘駅を振り返る。市の中心部に位置している昭和50年頃に高架駅化された規模の大きな駅である。中の駅ビルにはカフェやスイーツのお店や海外の有名なお菓子屋の支店などが入っていて、彩智がこの駅に来るときはそっちが目的のことが多い。
人口10万人程度の雀ヶ丘市には不似合いなサイズの駅だが、当初から人口40万規模の街の中心駅が想定された陣容だったそうで、それだけの街になるようにという行政の夢――否、野心を込めて建てられた駅だったのだろう。
もっとも、当時の事情を知らない彩智はこう思うだけである。
……昔は金が余ってたんだなぁ。
「彩智」
と声をかけられてそちらに目を向けると、上には桃色のパーカー、下はジーンズという、色気の欠片もない格好の晶乃が立っていた。今日は、実際にカメラを持って歩いてみるので動きやすい服装にしようと互いに申し合わせていたから、彩智も似たような格好である。
「お待たせ」
「おはよう」
彩智はにこりと笑って肩から下げたデジカメの紐を、首の方に寄せた。
「それが、彩智のカメラ?」
「うん……兄さんのお古なんだけれどね。オリンパスってメーカーのOM-D E-M5って機種。これに標準ズームのパンケーキレンズを付けて出歩いていることが多いかな」
彩智は目の位置までシルバーとブラックの落ち着いた色調の、少しクラシックぽさを感じるボディのカメラを上げて、くるくると手首を回してみせる。
「今、後ろの液晶が見えたからデジタルカメラだってわかるけれど、それが無かったら私にはフィルムカメラとデジタルカメラの区別ってつかないなぁ」
彩智のカメラに顔を近づけて晶乃が言う。
「確かに似てるよね。メーカーも意識的に似せようとしている面はあると思うけれど。黎明期には、いかにもデジタルカメラって感じの外観のカメラもそれなりにあったらしいけれど、結局、デジタルカメラもベストな形は、フィルムカメラと同じだったってことなんだろうね」
そう言った彩智は、自分の言葉をいかにも借り物くさい言葉だと思った。自分たちの生まれた時にはデジカメの黎明期なんてとっくに過ぎていたことを知っているからだろう。自分が初めて手を触れた時には、スマホのカメラでさえ800万画素を優に超えていた。気が付いた時には完成されたものが目の前にあった自分には、その過渡期など想像もつかない。
空を見上げた彩智は、「この町もそうなのかなぁ」と、何となく重ね合わせて呟いた。
ちっぽけなこの街を彩智は嫌いだった。真っすぐなメインストリートは典型的なシャッター街になり果てている。見るべきものは何もない田舎町。
その街でも、歴史がある。戦争の時には大した空襲はなかったらしいが、終戦直後の大火事で町全体が焼けてしまったとか、高度経済成長の時代には波に乗れず多くの若者の県外流出を招いてしまったとか。雀ヶ丘駅に代表される無駄なハコモノ行政のおかげで財政は火の車……。
考えていると周りの大人たちの愚痴が思い出され、何だかため息が出てきた。街だって何だって、いきなりこうなったのではなく、少しずつの積み重ねで今がある。
「デジタルカメラには最初からフィルムカメラという完成形があった、という点では、他の”モノ”とは少し違うのかもしれないね」
晶乃が口にした言葉は、単なる思い付きだったのだろうけれど、彩智は自分のカメラを見て少し考え込む。彩智の下げているOM-D E-M5はミラーレス一眼と呼ばれるカメラである。フィルムカメラ時代に完成した一眼レフと呼ばれるカメラにはレフレックスと呼ばれるミラーが入っている。レンズから入ってきた像は、レフレックスを通してファインダーという覗き窓で視認することができる。このミラーを取ってしまったからミラーレスなわけで、現在は一眼レフを追い抜いてミラーレスが主流になりつつある。
フィルムの時代に完成した一眼レフとデジタルの時代に完成したミラーレス一眼。この両者は似て非なるものであり、外観がいかに似通っていたとしても、同じものではない。そもそも、デジタルカメラはフィルムカメラの完成品ではないし、その逆だって成り立たない。例え、追い求めている物が同じだったとしても……。
「フィルムにはできないことがデジタルならできた。逆もまた然り。残したいものが目の前にあるから、写真を撮る。デジタルがいいときはデジタルを使えばいいし、フィルムの方がいいときはフィルムを使えばいい。相互補完……ってことでいいんじゃないかなぁ。まぁ、お恥ずかしながら、ここの、四季さんの受け売りなんだけれどね」
足を止めて彩智が指さす先にはショーウインドーがあり、いくつかのカメラが展示されている。大型のデジタル一眼レフから、小型のコンパクトデジカメまで様々。
目の前には『藤沢写真機店』と白い字で書かれた緑の看板が出されていた。
硝子戸の向こうに見える店内は思っていたよりも広々としていて、ここからカウンターも見える。カウンターの向こう側には、10歳くらい年上に見える女の人が立っていた。彼女が四季なのか、ガラス越しでははっきりと分からない。
こっちから見えるということは、彼女の方からも見えるということ。晶乃たちに気付いた女の人が小さく手を振るのが見えた。彩智が小さく手を振り返し、「じゃぁ、入ろうか」と扉の四角い持ち手をつかんで、引き開けて中に入る。
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