切り取られた世界の中で、広がる世界 ~初心者カメラ女子高生のエンジョイフォト~

弐式

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【1章】晶乃と彩智

43.昔、誰かが考えたんだ

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 昼休憩になり、彩智はここ最近は当たり前になっていた屋上での昼ご飯を終え、ぼうっと空を見上げていた。右手の人差し指と中指で、さっきまで眺めていた4枚の写真を挟んでいる。本当なら朝陽に見せるはずだったが、結局見せずじまいになった写真だ。

「水谷さんが言った通り、ここにいたね」

 女の子の声が聞こえて、そちらに目を向ける。近づいてきたのは充希だった。飾り気のない茶色の紙袋を大事そうに抱えている。

「私に……何か用ですか?」
 
 コンクリートの上に尻を付けたまま、姿勢を正す。

「怪我は……もう大丈夫?」

 怪我……そんなこともあったっけ、と思いながら額に触れる。

「別にもう傷跡も目立たないし、気にしないでください」

「そう」

 充希は彩智の横に腰を下ろした。充希の態度はどこかそわそわしているように見える。

「その写真……修平のカメラで撮った写真?」

「修平?」

「伊庭修平――あいつの下の名前は知らなかった?」

「ええ……。機械式カメラの上に、レンジファインダーなんて初めてだったから、酷いものでした」

「見せてもらってもいい?」

「どうぞ……」

 おずおずと彩智が差し出した4枚の写真を、一枚一枚、目を細めて眺める充希。その口元に柔らかい笑みが浮かぶ。

「いい写真だね」

「モデルが良いんです」

「うん。あなたが水谷さんのことを凄く好きなのが分かるよ」

 臆面もなくそんなことを言われて、彩智は顔が熱くなるのを感じながら俯いた。

「恥ずかしいことを言わないでください」

 写真を通して透けて見えた内面を指摘されるのは気恥ずかしく居心地も悪い。彩智は話題を変えることにした。 

「……先輩は、上村先輩が言っていたことをどう思いますか?」

「朝陽が言ったこと?」

「表に出さない写真はゴミと同じって」

「……どんなに素晴らしい写真でも、その存在を知らない人にとっては、存在しないのと同じだからね」

「だったら……公開するつもりのないこの写真にも価値がないのでしょうか?」

「私が見たから、この写真も、なかったことにはならないよ」

 その言葉に弾かれて顔を上げた彩智の目の前に、充希の顔があった。真剣な眼差しにどきりとした。その真っすぐな視線から逃れようと、彩智は座り込んだままで何歩か後退る。

「そんなのは、屁理屈ですよ」

「それだったら、世の中に向けて、こんな写真がありますよって示せばいい。この写真とかいいんじゃないかな。本人の許可が取れたら、どこかの賞に送ってみたら?」

 それは、晶乃の母校で撮った写真だった。泣いているミノリを慰めている晶乃の写真だった。

「岩井先輩は――」

「充希でいいよ」

「……充希先輩は写真を撮ることはエゴイズムだと思いますか?」

「それも朝陽に言われた?」

 彩智はコクリと頷く。

「私は一方的に上村先輩のことを責めてしまいましたが、この写真だってきっと本人たちは撮られたくはなかった筈です。撮りたいと思ったから、その心のままにシャッターを切った私も、上村先輩と変わりません」

「屋上からの景色っていいよね」

 背中を預けていたフェンスの方を振り返った充希がつぶやく。目の前には学校の敷地があり、その向こう側には田舎町の風景が広がっている。いかにも田舎の町の景色だけれど、自分が生まれた町が好きだし、それを一望できるのが好きだよ、と充希は言う。

「他にも、すっきりとした青い空に広がる雲を誰よりも高い場所から見上げるのは気分いいし、夕方になったら街を赤く染めながら夕日が落ちていくのを眺めるのもいいよね」

「充希先輩?」

「昔、誰かが思ったんだよ。ここにある景色を自分の手の中に収めたい。目の前の一瞬を永遠に自分のものにしたい。とんでもなく傲慢な考えだと思わない? 世界も時間も、決して誰かの手の中に収められるものじゃない。でも人は、それを絵画とか写真といった形で実現した。今、私たちの手元にあるカメラは、そんな傲慢な考えを持った人間たちが試行錯誤を繰り返して、長い時間をかけて作り上げられたものなんだよ。何せ、カメラの歴史を紐解けば、その理論は11世紀には芽吹いていたんだからね」

 充希はそう言いながら、抱えていた紙袋から、一台の黒いカメラを取り出した。

 そのカメラを見た彩智の気持ちが沈む。初めて写真研究部に顔を出したことを思い出したからだ。それは彩智の父――桑島修務の形見の『LEICAライカ R8』だった。あの時のごたごたのせいで有耶無耶になっていたR8が目の前にある。彩智はそれを受け取ることはできなかった。

「私は……」

「受け取ってもらえないのなら、あなたのお兄さんに渡すよ」

「連絡する方法があるんですか?」

「顏と名前は知っているから、あなたの中学校の校区の家を一軒一軒回るから」

「……それは勘弁してください」

 何となく、本当にやりそうな雰囲気があったので、渋々手を伸ばして受け取る。R8は1996年に発売された、フィルムを使う銀塩カメラとしては比較的新しいカメラだが、モータードライブが内蔵されていないので、手動の巻き上げレバーがついている。彩智の手にはやや大ぶりに感じるカメラだが、いかにも高級機といった感じの質感の良さを感じた。レンズは50㎜F2.8のレンズが付いている。

「私、父のこと大嫌いだから、このカメラは使わないかもしれません」

「知ってる。だから、私があなたの前で、先生のことを話すのはこれで最後にする。先生は、このカメラであなたと一緒に写真を撮ることを、本当に楽しみにしていたよ。それだけは知っていてほしい」

「独りよがりですよ。今時、銀塩カメラなんて。その上、ライカってことはレンジファインダーでしょ。初めてのカメラで、それは敷居が高すぎます」

「写真の基本をしっかりと身につけたいのなら、機械式の銀塩カメラの方が勉強になるよ。それにフィルムの装填にしたところで、慣れればそんなに難しくない。私が教える。それに何より……レンズを外してみて」

 言われたまま、彩智はレンズを外してみる。銀色の円形のマウント部の中には、レフレックスと呼ばれるミラーがある。

 ……ミラー?

「先輩。これ……一眼レフ?」

「そう……ライカだからってレンジファインダーばかりじゃないってこと。ライカの一眼レフの中でも、R8は機構的には完璧ともいえる完成度の高さを誇った名機なのよ」

「……父なりに、私のことを考えて、このカメラを選択したと、言いたいのですか?」

「カメラのチョイスが独りよがりなのは、確かだと思うけれどね。でも、このカメラで撮った写真を見てみたいとは、思わない?」

「……私には、ちゃんとしたカメラがありますから」

 と言いつつも、彩智はレンズを付けなおし、ファインダーを覗いた。

「実を言うと、写真を撮ることの意味とか付き合い方って、私にもよく分からないんだ。だから朝陽が言うことも、あなたが言うことも、分かるつもりだし、正しいとも違うとも言えない。目の前の現実と写真と、どういうスタンスで向き合うかは、結局のところ、色々撮りながら、自分なりに掴むしかないんじゃないかな」

 そう言って立ち上がった充希は、制服のスカートをパンパンと払う。

「5月5日に、写真研究部で親睦会をするんだけれど、一緒に行こうよ。あなたと一緒にいた水谷さんも誘って」

「……考えて、おきます」

「うん。参加してくれるつもりがあったら、今日の放課後に、多目的室に来てよ。……待っているから」

 ……待たれても困るんだけれど。

 と思いつつ、充希の凛とした後ろ姿を見つめる。

「ああ、そうだ」

 何かを思い出したらしく、充希が振り向いた。

「陸上部の子から聞いたんだけれど、駅伝部に一人、陸上部の長距離の選手が兼部することで話がまとまったらしいよ。1年の教室に駅伝部の上級生がうろうろしてるって問題になっててね。陸上部にも火の粉が飛んできそうになったものだから、とりあえずってことになったみたい。そういうことだから、もう屋上でお昼を食べなくても大丈夫だよ」

「そうなんですか。ありがとうございます」

 小さく手を上げた充希は、その場を後にした。その背中を見送った彩智は、親睦会とやらはどうしようかとちょっと考える。しばらく考えて出た結論はスマホを取り出すことだった。

 ……晶乃が行くって言ったら、参加してみよう。

 そんなことを考えながら、晶乃のスマホの番号を呼び出した。
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