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四.
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「奈津さんは、あの階段、最後まで登ったのですか?」
瑞穂には階段途中で佐奈が動けなくなって春人に運んでもらったことは言っていなかった。最後は、大急ぎで登ったので、感慨と呼べるものはなかったが、きっと何もなく上まで上がったら大きな達成感を感じていたのだろう。
「はい。何とか頑張ってみました」
と奈津は曖昧な笑みを返した。
「そう言えば、何段あるか数えてたんですけれど、途中で分からないくなってしまいました。瑞穂さんは何段あるのか知っているんですか?」
「実は私も何度か数えてみたんですけれど、毎回途中で分からなくなってしまいます。700段以上あるのは間違いないんですけれど」
瑞穂は恥ずかしそうに笑う。
「死んだ親父が749段と言っていたことがことがある。4と9は古来より“死”と“苦”に通じる忌み数だけれど、そこに7が加わることで“無し”に転じているとか」
春人が言った。
「……そうなんですか?」
「俺は数えたことがないから、本当かどうかは知らないが……」
奈津の疑問符を付けた相槌を、苦笑交じりに返した春人が、少しうつむいて、少し低く声色を変えて「というのも、この神社にはあの階段の数を数えてはいけないという言い伝えがあるんだ」と話し始めた。
唐突に始まった怪談話に、少し場の空気が変わったような気がした。風鈴の音が鳴らなくなり、風が止まったことで場の空気がかすかによどんだような気がして、奈津はハンカチで額を拭いた。
「それは江戸時代の中頃の話だ。なぜ階段の数を数えてはいけないのか誰も知らなかったが、周りの村の者たちは皆、その言い伝えに従って、あの階段を数えて上がる者はいなかった。しかし、いつの世にも跳ね返りはいるもので、ある若者が、その理由を確かめてやろうと階段を数えながら上がって行った」
奈津はその話についつい聞き入ってしまっていた。瑞穂や藤次だけではなく佐奈ももそれにつられたのようで食事の手を止めている。外ではうるさいほどのセミの鳴き声が聞こえているというのに、この部屋だけが音を失っているようだった。
「745,746,747,748……若者は山門のすぐ傍まで来ていた。そうすると、階段は749段と聞かされていたのに、もう一段あった。若者は数え間違えたのだろうかと思いながら750段目に足を置いた」
春人は一瞬言葉を止めた。そして、芝居がかった重々しい口調で、
「その途端、階段はぐらりと動き出して若者は尻もちをついた。その目の前に、大きな大きな蛇の顔が迫ってきた……。そう、若者が750段目だと思ったのは、この山を根城にする大蛇の体だったんだ。うっかりと踏んづけてしまった若者を、大蛇は大きく口を開けて、ぱっくりと――」
「ええぇっ!」
怪談話の終わりと、佐奈の素っ頓狂な悲鳴が重なった。
春人の喋りがあまりにも真に迫っていて、奈津も息をのんで聞いていたので、いきなり上がった素っ頓狂な声に、びくりと肩を震わせる。
「お……お……驚かすんじゃない!」
奈津は上ずった声で沙奈を叱責する。
「だ……だってぇ。ヘビ、出るの?」
恐る恐ると言った感じで春人に尋ねる沙奈。
「シマヘビもマムシもアオダイショウも出ますよ」
と返事をしたのは瑞穂だった。
「さすがに、初めて見たときはびっくりしたけれど、もう慣れました。でも、絶対に手を出しちゃだめですよ。離れていればすぐに逃げますから」
「そういえば、以前、君はマムシと十分くらいにらめっこしてたことがあったな」
「階段に陣取ってて逃げてくれなくて……」
瑞穂が苦笑いする。
「シマヘビは逃げてくれるけれど、マムシは逃げないかならなぁ……。けれど、ある程度の距離に近づかなかったら、攻撃しては来ないから、見つけてもちょっかい出さずに退いてくれるまで待ちなさい」
春人が穏やかな笑みを浮かべながら言うのを、奈津は「分かりました」と元気よく返事する。その拍子に、見かけたら、絶対に手を出しそうな同級生の男の子の顔が何人か思い浮かんだ。
「さて……昼から、俺はアトリエに籠るから。保科さんの邪魔はしないように。別に立っている小さな建物がアトリエだから、そこには近づかないように。屋敷の中は、鍵のかかっていない部屋には入ってもいいけれど、2階の奥の部屋には絶対に入らないように」
「はい」
「お姉ちゃん。一緒に探検しよう!」
沙奈が声を上げたので、奈津は「はいはい」と応じた。それを聞いていたようで「騒がしくして、どうもすみません」と藤次が謝り、「いえいえ、家の中にいてもらった方が、かえって安心です」と春人が答えるやり取りが、奈津の耳にも入ってくる。
「その前に、アイスを食べませんか? 冷凍庫から取ってきますね」
瑞穂が立ち上がりながら言ったのを受けて、奈津は「すみません」と恐縮し、「食べるー!」と沙奈が満面の笑みで両手を挙げた。
* * *
瑞穂には階段途中で佐奈が動けなくなって春人に運んでもらったことは言っていなかった。最後は、大急ぎで登ったので、感慨と呼べるものはなかったが、きっと何もなく上まで上がったら大きな達成感を感じていたのだろう。
「はい。何とか頑張ってみました」
と奈津は曖昧な笑みを返した。
「そう言えば、何段あるか数えてたんですけれど、途中で分からないくなってしまいました。瑞穂さんは何段あるのか知っているんですか?」
「実は私も何度か数えてみたんですけれど、毎回途中で分からなくなってしまいます。700段以上あるのは間違いないんですけれど」
瑞穂は恥ずかしそうに笑う。
「死んだ親父が749段と言っていたことがことがある。4と9は古来より“死”と“苦”に通じる忌み数だけれど、そこに7が加わることで“無し”に転じているとか」
春人が言った。
「……そうなんですか?」
「俺は数えたことがないから、本当かどうかは知らないが……」
奈津の疑問符を付けた相槌を、苦笑交じりに返した春人が、少しうつむいて、少し低く声色を変えて「というのも、この神社にはあの階段の数を数えてはいけないという言い伝えがあるんだ」と話し始めた。
唐突に始まった怪談話に、少し場の空気が変わったような気がした。風鈴の音が鳴らなくなり、風が止まったことで場の空気がかすかによどんだような気がして、奈津はハンカチで額を拭いた。
「それは江戸時代の中頃の話だ。なぜ階段の数を数えてはいけないのか誰も知らなかったが、周りの村の者たちは皆、その言い伝えに従って、あの階段を数えて上がる者はいなかった。しかし、いつの世にも跳ね返りはいるもので、ある若者が、その理由を確かめてやろうと階段を数えながら上がって行った」
奈津はその話についつい聞き入ってしまっていた。瑞穂や藤次だけではなく佐奈ももそれにつられたのようで食事の手を止めている。外ではうるさいほどのセミの鳴き声が聞こえているというのに、この部屋だけが音を失っているようだった。
「745,746,747,748……若者は山門のすぐ傍まで来ていた。そうすると、階段は749段と聞かされていたのに、もう一段あった。若者は数え間違えたのだろうかと思いながら750段目に足を置いた」
春人は一瞬言葉を止めた。そして、芝居がかった重々しい口調で、
「その途端、階段はぐらりと動き出して若者は尻もちをついた。その目の前に、大きな大きな蛇の顔が迫ってきた……。そう、若者が750段目だと思ったのは、この山を根城にする大蛇の体だったんだ。うっかりと踏んづけてしまった若者を、大蛇は大きく口を開けて、ぱっくりと――」
「ええぇっ!」
怪談話の終わりと、佐奈の素っ頓狂な悲鳴が重なった。
春人の喋りがあまりにも真に迫っていて、奈津も息をのんで聞いていたので、いきなり上がった素っ頓狂な声に、びくりと肩を震わせる。
「お……お……驚かすんじゃない!」
奈津は上ずった声で沙奈を叱責する。
「だ……だってぇ。ヘビ、出るの?」
恐る恐ると言った感じで春人に尋ねる沙奈。
「シマヘビもマムシもアオダイショウも出ますよ」
と返事をしたのは瑞穂だった。
「さすがに、初めて見たときはびっくりしたけれど、もう慣れました。でも、絶対に手を出しちゃだめですよ。離れていればすぐに逃げますから」
「そういえば、以前、君はマムシと十分くらいにらめっこしてたことがあったな」
「階段に陣取ってて逃げてくれなくて……」
瑞穂が苦笑いする。
「シマヘビは逃げてくれるけれど、マムシは逃げないかならなぁ……。けれど、ある程度の距離に近づかなかったら、攻撃しては来ないから、見つけてもちょっかい出さずに退いてくれるまで待ちなさい」
春人が穏やかな笑みを浮かべながら言うのを、奈津は「分かりました」と元気よく返事する。その拍子に、見かけたら、絶対に手を出しそうな同級生の男の子の顔が何人か思い浮かんだ。
「さて……昼から、俺はアトリエに籠るから。保科さんの邪魔はしないように。別に立っている小さな建物がアトリエだから、そこには近づかないように。屋敷の中は、鍵のかかっていない部屋には入ってもいいけれど、2階の奥の部屋には絶対に入らないように」
「はい」
「お姉ちゃん。一緒に探検しよう!」
沙奈が声を上げたので、奈津は「はいはい」と応じた。それを聞いていたようで「騒がしくして、どうもすみません」と藤次が謝り、「いえいえ、家の中にいてもらった方が、かえって安心です」と春人が答えるやり取りが、奈津の耳にも入ってくる。
「その前に、アイスを食べませんか? 冷凍庫から取ってきますね」
瑞穂が立ち上がりながら言ったのを受けて、奈津は「すみません」と恐縮し、「食べるー!」と沙奈が満面の笑みで両手を挙げた。
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