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二十一.
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「それは何百年も昔の話だ」
ぽつりと春人が話し始めた。奈津は黙ってそれを聞く。
「日本の森が、人間たちの伐採や戦火による焼失によって減少していた時代……。このままでは、日本本来の森が消え去ってしまう。危機感を覚えた“彼ら”は、人に――俺の先祖にある取引を持ち掛けた」
「彼ら? それが神様のことですか」
「どう呼べばいいのかは分からないが、森に宿る精霊のような存在だと俺は思っている」
「土着の神とか森羅万象に宿っている神様――ってことですか」
奈津は乏しい知識の中から当てはまりそうな単語を引っ張り出す。
「個人的には、森を植物と水とそこに住む生物たちの関係によって作られた環境を一つの生命とみなしたとき、そこに発現する意思のようなもの……と捉えている。もちろん、それは人間の意思とは異なる存在なのだろうが」
「難しい話になりますか?」
まさか、こんなところでガイア理論まがいの話が出てくるとは思わなかった。
「いや。大事なのは、その何百年も前に、俺の先祖がその取引に乗ったってことだ。そして、何百年経った今でも、俺の――宮瀬の家はその時の契約を履行してきた、ということだ」
「取引って、具体的に何だったんですか?」
「この森を守ること。その代わり、宮瀬の家には繁栄がもたらされる」
「森を守ることって?」
「物理的に土地や樹木や水を守るということ。それから……」
春人は言葉を区切った。
次の言葉を発するのをしばらく逡巡していたようだったが、奈津は口を挟まず先が続けられるのを待った。
「……宮瀬の血を引いている人間を森に差し出すこと」
感情のこもっていないような口調で紡がれた台詞に、奈津ははっと息を呑む。顔を知らない春人の妹・葉月の名前が脳裏をよぎる。
「それって生贄ってことですか?」
「伝承が確かなら、森は人の血を受け入れることで人と繋がりを持とうとした、とある。神そのもではないとしても、神に準じた存在として森には受け入れられているのだと思う」
生贄とどう違うのかと奈津は思ったが、さすが口には出さなかった。
「俺の先祖たちは、ずっと、そんな因習を延々と続けてきた。だが、俺はそろそろ終わりにするべきだと思っている。いや、終わりにしようとしてきた。俺はずっと独り身で、子供を作らず。次に森が呼ぶべき者が生まれなかったなら、俺が死んだら終わりになると」
「父の研究にご協力いただけたのも、その為ですか?」
「俺の考えがどんな結末を迎えるかは分からない。俺にも、どんな報復があるのか分からない。その前に、宮瀬の家の史料を紐解いて、宮瀬の家がどんなに愚かしいことをしてきたか、世間に明かしてくれる人が必要だった。いや、こんなバカなことを何百年も続けてきた一族がいたことを世の中に何かしらの形で残しておいてもらいたかった。そう考えていたところに、君のお父さんから話が来た」
何百年も続けてきたことを終わらせることで、どんな変化が生まれるのか、それは春人だって分からないことだろう。そもそも、終わらせようとして終わらせられるものなのだろうか。
春人がそれを望まなかったとしても、別の贄が選ばれるだけではないか……。別の……という単語を思いついた瞬間、ぞくりと背中に冷たいものが走る。
佐奈がもし森の中にいるのなら。春人が言う――春人の先祖と取引を持ち掛けたという森の意志の領域の中にいることになる。
いや、その領域内にいるのは奈津だって同じことだ。
春人は「佐奈は宮瀬の家の者ではないから森には呼ばれない」と言った。だが、それは、宮瀬の家の者が森に対して忠実に従っている限りにおいての話に過ぎないのではないか。もしも、森が春人の面従腹背に気付いていたとしたなら。
もしも、この状況自体が、森の意思によって生み出されているのだとしたら……。
* * *
ぽつりと春人が話し始めた。奈津は黙ってそれを聞く。
「日本の森が、人間たちの伐採や戦火による焼失によって減少していた時代……。このままでは、日本本来の森が消え去ってしまう。危機感を覚えた“彼ら”は、人に――俺の先祖にある取引を持ち掛けた」
「彼ら? それが神様のことですか」
「どう呼べばいいのかは分からないが、森に宿る精霊のような存在だと俺は思っている」
「土着の神とか森羅万象に宿っている神様――ってことですか」
奈津は乏しい知識の中から当てはまりそうな単語を引っ張り出す。
「個人的には、森を植物と水とそこに住む生物たちの関係によって作られた環境を一つの生命とみなしたとき、そこに発現する意思のようなもの……と捉えている。もちろん、それは人間の意思とは異なる存在なのだろうが」
「難しい話になりますか?」
まさか、こんなところでガイア理論まがいの話が出てくるとは思わなかった。
「いや。大事なのは、その何百年も前に、俺の先祖がその取引に乗ったってことだ。そして、何百年経った今でも、俺の――宮瀬の家はその時の契約を履行してきた、ということだ」
「取引って、具体的に何だったんですか?」
「この森を守ること。その代わり、宮瀬の家には繁栄がもたらされる」
「森を守ることって?」
「物理的に土地や樹木や水を守るということ。それから……」
春人は言葉を区切った。
次の言葉を発するのをしばらく逡巡していたようだったが、奈津は口を挟まず先が続けられるのを待った。
「……宮瀬の血を引いている人間を森に差し出すこと」
感情のこもっていないような口調で紡がれた台詞に、奈津ははっと息を呑む。顔を知らない春人の妹・葉月の名前が脳裏をよぎる。
「それって生贄ってことですか?」
「伝承が確かなら、森は人の血を受け入れることで人と繋がりを持とうとした、とある。神そのもではないとしても、神に準じた存在として森には受け入れられているのだと思う」
生贄とどう違うのかと奈津は思ったが、さすが口には出さなかった。
「俺の先祖たちは、ずっと、そんな因習を延々と続けてきた。だが、俺はそろそろ終わりにするべきだと思っている。いや、終わりにしようとしてきた。俺はずっと独り身で、子供を作らず。次に森が呼ぶべき者が生まれなかったなら、俺が死んだら終わりになると」
「父の研究にご協力いただけたのも、その為ですか?」
「俺の考えがどんな結末を迎えるかは分からない。俺にも、どんな報復があるのか分からない。その前に、宮瀬の家の史料を紐解いて、宮瀬の家がどんなに愚かしいことをしてきたか、世間に明かしてくれる人が必要だった。いや、こんなバカなことを何百年も続けてきた一族がいたことを世の中に何かしらの形で残しておいてもらいたかった。そう考えていたところに、君のお父さんから話が来た」
何百年も続けてきたことを終わらせることで、どんな変化が生まれるのか、それは春人だって分からないことだろう。そもそも、終わらせようとして終わらせられるものなのだろうか。
春人がそれを望まなかったとしても、別の贄が選ばれるだけではないか……。別の……という単語を思いついた瞬間、ぞくりと背中に冷たいものが走る。
佐奈がもし森の中にいるのなら。春人が言う――春人の先祖と取引を持ち掛けたという森の意志の領域の中にいることになる。
いや、その領域内にいるのは奈津だって同じことだ。
春人は「佐奈は宮瀬の家の者ではないから森には呼ばれない」と言った。だが、それは、宮瀬の家の者が森に対して忠実に従っている限りにおいての話に過ぎないのではないか。もしも、森が春人の面従腹背に気付いていたとしたなら。
もしも、この状況自体が、森の意思によって生み出されているのだとしたら……。
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