孤独なオッサンと、無邪気な少女のスローライフ冒険譚

Mr.Six

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第19話 濃霧の迷い子

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 ネーベル湿原に足を踏み入れると、空気の重さが一層増した。濃霧が一面を覆い、陽光はかろうじて霧の中にぼんやりと輪郭を見せる程度だった。その霧はただの水蒸気ではなく、肌にまとわりつくような湿気を含み、すでにアルスの服は汗とは異なる不快な湿り気でビショビショに濡れていた。

 足元は湿り気を帯びた泥に覆われ、一歩進むごとにずぶりと沈む音が響く。靴を持って行かれるような感覚に、アルスは足を引き抜くのに余計な力を要していた。地面には密集した草が生い茂り、霧のせいでその色もくすんで見える。その根元は常に水に浸かっており、一歩間違えれば深みにはまる危険も感じられる。

 湿原にはところどころに木が立ち並んでいたが、それらも異様な光景を形作っていた。枝葉はジメジメと湿り気を帯び、枝が重たげに垂れ下がっている。幹には苔がびっしりと生え、ところどころ水滴が垂れている。それらは生きた木というより、まるで湿気に溺れた化石のような雰囲気すら漂わせていた。

 鼻をつくのは、湿原特有の生臭いような泥の匂いと腐敗臭が混じった空気だった。あらゆるものが水と湿気に飲まれているこの場所は、人間を寄せ付けない威圧感に満ちている。

「……思った以上に厄介だな」

 アルスは顔をしかめながら周囲を警戒していた。地形が不安定で足を取られるだけでなく、霧によって視界がほとんど確保できない。剣を抜いて振るうにも、霧の中で何に当たるか分からない状況だった。

 一方で、その隣を歩くマルタはというと――。

「ねえ、アルスおじさん! 見て見て! 足が全然沈まないよ!」

 軽やかな足取りで霧の中を進むマルタは、楽しそうに飛び跳ねている。彼女の体重の軽さが幸いして、足元はほとんど沈むことなく、まるで砂場で遊ぶ子供のようにはしゃいでいた。

「……はしゃぐな」

 アルスの低い声が飛んだが、マルタはそれを意に介さず、さらに先へと進む。

「わあ、ここすごい! 霧がいっぱいで、なんか秘密基地みたい!」

 アルスはマルタの姿を追いながら、深い霧の中で足を取られないように慎重に歩を進めた。だが、霧は次第に濃くなり、いつの間にかマルタの姿が完全に見えなくなってしまった。

「……マルタ?」

 アルスが声を上げると、少し離れた場所から元気な返事が返ってきた。

「こっちだよー!」

 その声を確認して安堵しかけたが、アルスの眉間にはすぐに皺が寄った。

「離れるなと言っただろう。どこにいる?」

「大丈夫だってばー! こっちに変なのがいるよ!」

「……変なの?」

 その言葉にアルスの心が警戒を強めた。湿原にはモンスターが多数生息している。もしも危険な相手だったら、マルタ一人では太刀打ちできないだろう。

「離れるなと言ったのに……クソッ」

 アルスは吐き捨てるように呟き、声のする方へ急いだ。足元の泥が抵抗するたびに苛立ちが募るが、それでも彼は足を止めることなく進んでいく。

 ようやく霧の中からマルタの姿が見えてきた。彼女は少し先で何かを見つめており、その顔には驚きと興味が入り混じった表情が浮かんでいた。彼女の目の前には、ぷにぷにとした半透明の無機物のような生命体がいた。

「これ……スライムだよね? 初めて見た!」

 マルタはそのスライムに興味津々で近づき、指先でそっと触れる。

「わあ、柔らかい! ねえ、アルスおじさん、これすごいよ! ぷにぷにしてる!」

「……触るな。何をするか分からん」

 アルスは警戒を解かず、マルタに近づいた。スライムは今のところ害を加える様子はなかったが、その数が次第に増えていることに彼は気づいていた。

「おい、周りを見ろ」

 アルスが指摘すると、マルタも周囲を見回し、ようやく状況に気づいた。いつの間にかスライムの数が増え、彼女を中心にして囲むような形になっていた。

「え……え? なんでこんなに増えてるの?」

「霧蛙が引き連れているのか、それとも湿原に元からいるのかは分からん。ただ、ここで囲まれるのは最悪だな」

 アルスの声には冷静さがあったが、その中に潜む焦りは隠せなかった。彼は剣を引き抜き、周囲を一瞬で見回した。だが、次の行動を取る前に、マルタが咄嗟にナイフを構えているのが目に入った。

「アルスおじさん、これ……私も戦うべきだよね?」

 彼女の声は震えていた。手に持つナイフも小刻みに揺れ、彼女がどれだけ緊張しているかが分かる。その姿を見たアルスは、一瞬だけ心を痛めたが、すぐに心を鬼にした。

「せっかくだ。実践を積むぞ、マルタ」

「えっ……!?」

「俺が手本を見せる。それを覚えておけ。戦わなければ、生き延びることはできない」

 アルスは剣を握り直し、霧の中でうごめくスライムたちに目を向けた。彼の瞳には冷たい光が宿っていたが、その裏にはマルタを守るための決意が込められていた――
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