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第二章 見知らぬ土地ですべき事

03 目は口ほどに物を言う

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 人体というのは不思議だ。
 
 例えば、道端に落ちている一本の木の枝を折ったとしても、何時間、何日、何年たっても折れたままだ。
 それは、所謂道具というもの全般に言えるのではないかと思う。
 しかし、人間の体は余程酷い怪我──例えば四肢が欠損したり、不治の病にでも侵されない限りは修復する能力を持っている。

 勿論、場合によっては後遺症を患ってしまう場合もあるだろう。
 逆に、免疫を持つなど以前よりも強くなる場合もある。
 
 だからこそ俺は思うのだ。

 肉が抉れ、骨が飛び出し、視力が奪われ、足が捻れて爪先と踵が180度逆になっているような状態になっていたとしても、元に戻ってしまうことがひょっとしたらあるのではないかと。
 
 ……思ってはいたのだが。そう、半ば妄想上の話として思ってはいたよ。
 それでも──。

『……一ヶ月ちょっとの期間で本当に元に戻るとか普通に思わないからね。異常だから』

 ──それでも。
 流石に一ヶ月と少しの時間で怪我が完治してしまう自分の体のおかしさに『不思議』というよりも『不気味』という感情を抱いてしまう程度には常識人であると思いたかった。

 俺は地面に落ちていた枯れ枝を拾うと目の前で半分に折り、背負っていた籠に投げ入れる。
 
 腰に下げていたスマホのカレンダーは2月1日にチェックされ、俺が海斗達とはぐれてから明日で40日になると教えていた──。



◇◇◇◇



「ソーマ」

 外でおおよそ2時間ほど薪がわりになる枯れ枝を拾うようになったのは、自分自身のリハビリも兼ねていたが、タダ飯を食らい続けていることに罪悪感を感じてしまった事も理由の一つだ。
 そうして日課になってしまった薪拾いが終わって帰ってきた俺は、笑顔のネヴィーさんに出迎えられる。

「※※帰る※※怪我※痛い※無い? 食事※※食べる※※※よい」
「ありがとう。ネヴィー」

 俺はネヴィーさんにお礼を言うとテーブルに向かうと席に着く。
 テーブルにはネヴィーさんの言葉通り食事が並んでいた。メニューは何かの香草の入った薄い塩味のスープと、先日筋肉おっさん改め、ベンズさんが仕留めてきた狼と猪の間の子みたいな獣……便宜上『ブタ狼』と呼ぶが、そいつの肉を塩で焼いたもの、後はよくわからない穀物を練って焼いたパンに似た食べ物だった。
 
 ちなみに、主菜に関してはその日によって違うが、スープとパンもどきに関しては毎食出てくる不動のメニューだ。
 初めは味の薄さとパンの硬さなど色々と閉口したものだが、人間慣れればいくらでも慣れるもので、今の俺にとってはなくてはならないソウルフードとなっていた。まあ、嘘だが。

「ベンズ、どこ?」
「『ボルディー』、※※狩り※※雨※※※※帰る※※遅い」

 俺の問いかけにネヴィーさんは席につきながら答える。
 テーブルには2人分の食事しか用意していなかったから何となく察していたが、どうやらベンズのおっさんは狩りに出かけていて帰ってくるのは遅いらしい。あと、「雨」という単語も混じっていたから、明日は雨が降るのかもしれない。それで、今日のうちに無理してでも狩りに行くことにした……と。多分そんなところだろう。

 ここに来て一ヶ月以上経って、ようやく少しではあるが単語も覚え、会話らしきものが出来るようになったのは良かったのだが、正直本当にあっているかは怪しかったりする。
 一応、ここにお世話になるようになってから午後の何時間かはネヴィーさんが色々と言葉を教えてくれていたのだが、如何せん“正解”がわからないので“多分これだろう”という程度の理解度でしかないのだ。

 当然、どう考えてもわからない単語というのも存在し、先ほどの会話でもでたネヴィーさんがベンズのおっさんを呼ぶ時に使う『ボルディー』もそんな単語の一つだ。
 恐らくは何らかの呼称だろうということはわかる。
 例えるならば「夫」、「兄」、「父親」、「叔父」、「祖父」……流石に祖父はないか。だが、それに近い言葉だとは思う。
 
 多分「夫」を意味する言葉だとは思うのだが、これまで生活してきてどうにも二人の関係がよくわからなくなっていた。
 夫婦と言われればそうだと思うし、兄妹と言われても納得してしまうような感じ。親子……にしては歳が近すぎるから違うと思うが。そもそも、数字がまだ10までしか覚えられていないから二人の年齢もわからないという有様だ。

「ソーマ」

 そんな風に物思いふけりながらパンもどきを口に突っ込んだままぼーっとしていた俺にネヴィーさんがスープを混ぜながら上目遣いでこちらを見ていた。

「本当※※怪我、まだ早い。※※※無理※※駄目。寝る※※※※最善」

 昔の漫画などを読んでいると外国人が片言の日本語をしゃべっているシーンを見る事があるが、自分が当事者になってみるとよく分かる事がある。
 それは、覚える言葉がどうしても単語に偏ってしまうために、実際に喋ると単語を繋ぎ合わせたような変な言葉になってしまうのだ。

 聞く分にはある程度“予想”する事が出来るために何となく何を言いたいかを理解する事が出来るのだが、此方の言いたい事を理解してもらうのがものすごく大変だったりする。
 ちなみに、ネヴィーさんは俺が外に出て薪拾いをする事に反対しており、家で寝ていなさいと言いたいようだ。

 俺としては大いに反論したいところではあるが、残念ながら『リハビリ』という単語がわからない。

「私、大丈夫。仕事、したい。寝る、駄目」
「……ソーマ……」
「食事、美味しい。よかった。ありがとう」
「はい」

 口に入っていたパンを押し込み、スープで流し込んでから口にした俺の言葉に、ネヴィーさんは絶対に納得していない顔だったが、取りあえずは頷いた。
 そして、食欲がないのかスープだけを飲むとパンもどきはネヴィーさんお手製の籠に戻してしまった。

「ネヴィー、時間、有る? 言葉、教えて」
「……※※※※? ……良い」

 完全に拗ねてしまった様子のネヴィーさんの機嫌を取ろうとして勉強の提案をしたのだが、今回はそれだけでは機嫌を直してくれなかったようだ。まだ知らない単語だったからわからなかったが、先の言葉の前半部分は俺に対しての文句だろう。そんなもの言葉がわからなくても不満げな顔と雰囲気、それと不貞腐れたような声音でわかろうというものだ。

 俺はそんなネヴィーさんに苦笑すると、今では俺の自室として割り当てられている3畳一間に足を向ける。
 ベッドしかない無骨で質素なその部屋の格子窓には。
 窓枠に打ち付けられた釘に太陽電池機能付きのモバイルバッテリーがぶら下がっていた。
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