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第二章 見知らぬ土地ですべき事
幕間 中野総悟 1
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『グゲェ! グボッ!』
顔と腹。その二箇所に断続して与えられる痛みに、俺は思わず声を漏らすが、さっきからその痛みを与えている髭面の大男はまるでその声が聞こえていないかのように拳を、蹴りをやめようとしない。
「オラっ! どうしたよ! さっきまで反抗的な目はもうおしまいかぁ!? 何とか言ってみろやオラァ!」
男の前蹴りが俺の腹にまともに入る。
その勢いでくのじに折れたまま背後の壁に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まるが、俺は何とか顔を上げる。
『て、……テメエ……』
だが、何とか口にした俺の言葉に、男は馬鹿にしたような顔を向けると、右手を耳に当てて更に挑発してくる。
「は? 聞こえねぇなあ。おっと悪かった。お前らみたいな薄汚い亜人には、俺ら人間の高尚な言葉は口にできねぇんだった、なっ!!」
『グゲッ!!』
丸太のような腕から繰り出される拳が俺の顔面に炸裂する。
目の前に星が舞い、口の中が血の味で充満した。口の中を切ったか、もしくは歯が折れたか。
「ゾズマ」
俺に暴行していた男に声をかけたのは、その様子を後ろで見ていた優男だった。
簡素で汚れた布の服を着て清潔感の欠片もない筋肉男とは違い、立派な服装で腰には剣を下げている。普通に考えればあの時洞窟で俺達を襲った女の仲間だろう。
「んだよ、キンブリ邪魔すんな。これからがいいとこなんだからよ」
「こいつは亜人とは言え商品だ。商品である以上その価値は落とすべきではない」
商品だと?
それ以前に“亜人”って何だ?
くそ。分からない事が多すぎる。
そもそも、あっちの言葉はわかるのに、どうしてこっちの言葉が伝わらない?
「けっ! 女の方は兎も角、こいつに価値なんざハナからありゃしねぇよ。精々鉱山行きだろ。だったら、顔に傷の一つでもつけといた方が凄みがでて返って価値がつくってもんだ」
ゾズマと呼ばれた大男は、俺とは反対方向の壁際に下卑た目を向ける。
そこには、俺と同じようにボロい布を縫い合わせただけの酷い服を着た若い女が震えていた。
「いいから止めろ。どうもこいつは亜人とはいえ化ける能力は中々のようだ。見た目も我々人間とかわりないし、どこかの物好きが買ってくれるかもしれん」
「……へっ……そうか……よっ!!」
ゾズマはキンブリと呼ばれた優男の言葉に初めは不満げな表情を見せたが、すぐに口の端を釣り上げ俺を蹴り上げる。
突然顎を蹴り抜かれた俺は何も出来ずに女がいる場所まで吹き飛ばされ、ダラリと横になる事になった。
……正直もう動きたくねぇ。
「ゾズマ」
「へっ! 最後の置き土産だよ。もうしねぇ」
もう天井しか見ていなかったからよく分からないが、やりとりから察するに諌めようとしたキンブリをゾズマが一蹴したらしい。
やがて、扉が開く音が聞こえると、二つの足音が遠ざかり扉が閉まる音がした。
『……あの。すみません。助けなくて……。私怖くて……』
乱暴者がいなくなって一息ついた俺の視界に、ニョッキリとやたら耳の長い女の顔が現れた。多分さっきの若い女だろう。
髪の色は緑で、俺がまともな頭の持ち主だったな唯のコスプレ女に見えたのだろうが、残念ながらここまでの仕打ちで俺のまともな思考はどっかに行ってしまったらしい。
『……別に。あの状況で手ェ出せる女なんていないだろ。寧ろ、黙っててくれてよかった。ああいう場合女が庇うとエスカレートするもんだ』
『……それでも、ごめんなさい』
随分と律儀な女だと思う。
俺は今まで色んな女と付き合ってきたが、こういう女はいなかった。
大概その時楽しければ後の事は考えないという刹那的な女ばかりだったからだ。
まあ、俺がそんな女ばかりを選んできたというのはもちろんあるが。
俺は痛む体を押して上体を起こすと、部屋の中を見渡す。
その際、耳長女が手を貸そうと手を伸ばしてきたが、それを振り払う。
『それより、ここはどこなんだ? 客を持て成すにしたら随分な部屋だが』
『知らないのですか?』
『知らん。ここに来てこの首輪を嵌められるまで連中が何言ってるかわからなかったからな』
石づくりで扉は金属製。おまけに覗き窓は鉄格子というオマケ付き。窓らしきものもないばかりか、俺達が来る前の入居者の忘れ物らしき汚物が部屋の隅に散乱しているという有様だった。
『……ここは奴隷商です。恐らくここ以外の部屋には私達のような亜人の奴隷が捕まっていると思います』
『私達亜人ねぇ……。それに奴隷とか。なるほど、その為の首輪か』
亜人というのが引っかかるが、どうやら俺達は奴隷商とやらに捕まってしまったらしい。奴隷は首輪を付けるとかいう設定も、何処ぞの小説か何かで読んだ事があるせいか妙に納得してしまった。
『奴隷だから……というわけでもありません』
そんな俺に対して、耳長女は自分の首輪に手を添えながら続ける。
『私達亜人は人間の言葉がわかりません。それを理解させるために、【服従】の魔術を込めた首輪を奴隷に付けるのです。服従の魔術をかけられた生物は、様々な言葉を理解できるようになるのです。逆は不可能ですが』
どうやら、この首輪は相手の言葉を翻訳してくれる機能を持っているらしい。こっちの言葉を翻訳してくれないのは不便だが、結構いい道具のように思える。まるでスマホの自動翻訳アプリみたいだ。【服従】という名前は不穏だが。
『へえ。そりゃ便利だな。こっちの言いたい事が伝わらないのは面倒だけど、取り敢えずは何とかやっていけそうじゃね?』
目が覚めて変な洞窟にいた時は少し焦っただけで外に出られたが、その後にやたらガタイのいいおっさん連中に取り囲まれて縛り上げられた時には言葉がわからなくて軽く死を覚悟したもんだが、これがあれば少なくとも何を言われているかわからない恐怖は感じなくて済みそうだ。
だが、そんな俺の感想を耳長女はゆっくりと首を横に振った。
『そんないいものではありませんよ。これは文字通り首輪なんです。【服従】の魔術をかけられた生物は、文字通り行動を縛られて契約者に逆らう事はできなくなります。相手の言葉が分かるのも命令を聞く必要があるというだけで、私達の言うことなど最初から聞くつもりもないというだけ。家畜です。私達亜人奴隷は』
マジかよ。
『……ようするに、この首輪をつけている限り、俺の自由はないってか? 冗談じゃねぇぞ』
本当に冗談じゃねぇ。
俺は自分の首に嵌められた首輪に手をかけて引っ張るも、その手を耳長女に止められてしまう。
『止めた方がいいですよ。一度首輪をかけられた亜人は、既に契約に縛られています。契約に縛られている以上追跡は簡単に行われますし、首輪のない契約済みの亜人は見つかり次第その場で処分されます』
『……マジかよ……』
耳長女の言葉に俺は脱力して背後の壁に背を預ける。
……もう、後ろの壁が汚物で汚れているとかどうでも良くなった。
『……あの……』
そんな俺の顔を自分の服の袖で拭いていた耳長女だったが、少しして手を止めて声をかけてくる。
『何だよ?』
『いえ……随分出血して酷い怪我だと思ったのですが、出血の割には殆ど怪我がないので……。ひょっとして【回復魔術】が使えるのですか?』
『【回復魔術】?』
この女は何を言っているのだろう?
魔術とか完全に映画とか小説みたいな創作の世界の産物だ。そんなものを俺が使えるわけもない。
そう思って無視しようとしたのだが、言われてみれば全身を襲っていた痛みが消えている。
『は? 嘘だろ?』
俺は耳長女の手を振り払うと、着せられていた服を脱ぐ。
すると、内出血くらいしているだろうと思っていた腹も、捕まった時に確かに出血しているのを目にしていた腕の怪我も消えている。
そういえば、血の味と激痛のパレードを開催していた口の中も閑古鳥が鳴いているような状況だった。
『おい、耳長女』
『耳長女ではありません。リーフラインです。リーフと呼んでください』
『あっそ。ひとつ聞く【回復魔術】って何だ?』
『……【回復魔術】は魔術の系統の一つで、使用者の熟練によって様々な怪我や病気を治す事の出来る魔術です。ご存知無かったのですか?』
『知らん。そもそも、俺はその魔術って奴は使えない。怪我が治ってるのは俺にとっても想定の外の出来事だ。こっちがどうなってるのか知りたいくらいだ』
俺の答えに今度こそ耳長女は驚いたらしい。大きく目を開いて真顔で俺に問いかける。
『……亜人……なのですよね?』
『それこそ知らん。俺は自分の事を人間だと思ってたんだけどな。逆に聞くが、俺は亜人なのか?』
亜人。人ならざるもの。
目の前の女はやたら耳が長いし、限りなく人間に近く、それでいて異なる存在なのだろう。普通なら信じられない事でも、目の前に実際に見せられたら信じないわけにもいかない。
そんな俺の答えに、耳長女は暫く考え込んでいるようだったが、やがて考えがまとまったのか、再び俺を見つめてきた。
『……ひょっとしたら、貴方は何とかなるかもしれません』
『ほう。それは奴隷から解放されるという事かな?』
『いいえ。捉えられてしまった以上それは無理かと。しかし、こちらから条件を出す事が出来るような良いご主人様を選ぶ事くらいは出来るかもしれませんね』
『あくまでも奴隷なのかよ……』
『今は……です。条件が良いご主人様に買ってもらえれば、いずれは解放される目があります』
奴隷解放か。
そういえば、そんな事もなんかの本で読んだような気がするな。自分自身を買う……って奴だったか。
それにしてもこいつ、結構色々知ってるな。亜人って話だったが、俺が今まで付き合ってきたどの女よりも頭がいいような気がする。
『おい。耳長女』
『リーフです。どこの誰かも知らない人』
俺の呼びかけに対して顔色一つ変えずに皮肉を返す耳長女。
なんだろう。俺がこれまで俺よりも頭が良さそうな女と付き合わなかった理由が何となくわかったな。純粋に合わない。
『……じゃあ、リーフ。お前このクソみたいな状況を何とかしたいって気持ちはあるか?』
『……この状況……ですか?』
『そうだ』
俺は頷く。
『お前の話が本当ならば、俺には何らかの“付加価値”があるんだろう? で、そいつをアピールすれば多少はマシな生活が出来るかもしれないって事だ。だが、残念ながら俺にはその為の知識がねぇ。もしもお前がその辺を協力してくれるなら、その都合が良いご主人様とやらに便宜をはかってやってもいいぜ?』
『…………』
『別に強制じゃあないがな。だが、お前が今後を不安に思っているなら、縋ってもいい“藁”じゃねぇか? 少なくとも、お前にとっての損はねぇ』
どうせ失敗してもこのままの状況と変化がないだけなんだ。それならば、少しでも可能性がある方を選ぶのが“人”としては余程建設的だろう。
『……お名前を伺っても?』
『そいつは俺の提案に乗ったと見るぜ?』
俺の言葉を聞いても耳長女──リーフは視線を逸らさない。
だから俺は右手を差し出しながら答える。
『中野総悟だ。ソウゴとでも呼んでくれ』
『はい。よろしくお願いします。ソウゴさん』
そして、俺たちは握手をかわす。
リーフの右手は、本当にちゃんと物を食べているのか疑うほどにガリガリで皮と骨の感触しかしなかった。
『それじゃあ契約完了だな。よろしく頼むぜ相棒』
俺の言葉にリーフは頷き、今後の事を相談する事にした。
それにしても、奴隷だの魔術だの現実味を感じない話ばかりで既に頭がパンクしそうだ。
これが夢ならとっとと覚めて欲しいものだ。
顔と腹。その二箇所に断続して与えられる痛みに、俺は思わず声を漏らすが、さっきからその痛みを与えている髭面の大男はまるでその声が聞こえていないかのように拳を、蹴りをやめようとしない。
「オラっ! どうしたよ! さっきまで反抗的な目はもうおしまいかぁ!? 何とか言ってみろやオラァ!」
男の前蹴りが俺の腹にまともに入る。
その勢いでくのじに折れたまま背後の壁に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まるが、俺は何とか顔を上げる。
『て、……テメエ……』
だが、何とか口にした俺の言葉に、男は馬鹿にしたような顔を向けると、右手を耳に当てて更に挑発してくる。
「は? 聞こえねぇなあ。おっと悪かった。お前らみたいな薄汚い亜人には、俺ら人間の高尚な言葉は口にできねぇんだった、なっ!!」
『グゲッ!!』
丸太のような腕から繰り出される拳が俺の顔面に炸裂する。
目の前に星が舞い、口の中が血の味で充満した。口の中を切ったか、もしくは歯が折れたか。
「ゾズマ」
俺に暴行していた男に声をかけたのは、その様子を後ろで見ていた優男だった。
簡素で汚れた布の服を着て清潔感の欠片もない筋肉男とは違い、立派な服装で腰には剣を下げている。普通に考えればあの時洞窟で俺達を襲った女の仲間だろう。
「んだよ、キンブリ邪魔すんな。これからがいいとこなんだからよ」
「こいつは亜人とは言え商品だ。商品である以上その価値は落とすべきではない」
商品だと?
それ以前に“亜人”って何だ?
くそ。分からない事が多すぎる。
そもそも、あっちの言葉はわかるのに、どうしてこっちの言葉が伝わらない?
「けっ! 女の方は兎も角、こいつに価値なんざハナからありゃしねぇよ。精々鉱山行きだろ。だったら、顔に傷の一つでもつけといた方が凄みがでて返って価値がつくってもんだ」
ゾズマと呼ばれた大男は、俺とは反対方向の壁際に下卑た目を向ける。
そこには、俺と同じようにボロい布を縫い合わせただけの酷い服を着た若い女が震えていた。
「いいから止めろ。どうもこいつは亜人とはいえ化ける能力は中々のようだ。見た目も我々人間とかわりないし、どこかの物好きが買ってくれるかもしれん」
「……へっ……そうか……よっ!!」
ゾズマはキンブリと呼ばれた優男の言葉に初めは不満げな表情を見せたが、すぐに口の端を釣り上げ俺を蹴り上げる。
突然顎を蹴り抜かれた俺は何も出来ずに女がいる場所まで吹き飛ばされ、ダラリと横になる事になった。
……正直もう動きたくねぇ。
「ゾズマ」
「へっ! 最後の置き土産だよ。もうしねぇ」
もう天井しか見ていなかったからよく分からないが、やりとりから察するに諌めようとしたキンブリをゾズマが一蹴したらしい。
やがて、扉が開く音が聞こえると、二つの足音が遠ざかり扉が閉まる音がした。
『……あの。すみません。助けなくて……。私怖くて……』
乱暴者がいなくなって一息ついた俺の視界に、ニョッキリとやたら耳の長い女の顔が現れた。多分さっきの若い女だろう。
髪の色は緑で、俺がまともな頭の持ち主だったな唯のコスプレ女に見えたのだろうが、残念ながらここまでの仕打ちで俺のまともな思考はどっかに行ってしまったらしい。
『……別に。あの状況で手ェ出せる女なんていないだろ。寧ろ、黙っててくれてよかった。ああいう場合女が庇うとエスカレートするもんだ』
『……それでも、ごめんなさい』
随分と律儀な女だと思う。
俺は今まで色んな女と付き合ってきたが、こういう女はいなかった。
大概その時楽しければ後の事は考えないという刹那的な女ばかりだったからだ。
まあ、俺がそんな女ばかりを選んできたというのはもちろんあるが。
俺は痛む体を押して上体を起こすと、部屋の中を見渡す。
その際、耳長女が手を貸そうと手を伸ばしてきたが、それを振り払う。
『それより、ここはどこなんだ? 客を持て成すにしたら随分な部屋だが』
『知らないのですか?』
『知らん。ここに来てこの首輪を嵌められるまで連中が何言ってるかわからなかったからな』
石づくりで扉は金属製。おまけに覗き窓は鉄格子というオマケ付き。窓らしきものもないばかりか、俺達が来る前の入居者の忘れ物らしき汚物が部屋の隅に散乱しているという有様だった。
『……ここは奴隷商です。恐らくここ以外の部屋には私達のような亜人の奴隷が捕まっていると思います』
『私達亜人ねぇ……。それに奴隷とか。なるほど、その為の首輪か』
亜人というのが引っかかるが、どうやら俺達は奴隷商とやらに捕まってしまったらしい。奴隷は首輪を付けるとかいう設定も、何処ぞの小説か何かで読んだ事があるせいか妙に納得してしまった。
『奴隷だから……というわけでもありません』
そんな俺に対して、耳長女は自分の首輪に手を添えながら続ける。
『私達亜人は人間の言葉がわかりません。それを理解させるために、【服従】の魔術を込めた首輪を奴隷に付けるのです。服従の魔術をかけられた生物は、様々な言葉を理解できるようになるのです。逆は不可能ですが』
どうやら、この首輪は相手の言葉を翻訳してくれる機能を持っているらしい。こっちの言葉を翻訳してくれないのは不便だが、結構いい道具のように思える。まるでスマホの自動翻訳アプリみたいだ。【服従】という名前は不穏だが。
『へえ。そりゃ便利だな。こっちの言いたい事が伝わらないのは面倒だけど、取り敢えずは何とかやっていけそうじゃね?』
目が覚めて変な洞窟にいた時は少し焦っただけで外に出られたが、その後にやたらガタイのいいおっさん連中に取り囲まれて縛り上げられた時には言葉がわからなくて軽く死を覚悟したもんだが、これがあれば少なくとも何を言われているかわからない恐怖は感じなくて済みそうだ。
だが、そんな俺の感想を耳長女はゆっくりと首を横に振った。
『そんないいものではありませんよ。これは文字通り首輪なんです。【服従】の魔術をかけられた生物は、文字通り行動を縛られて契約者に逆らう事はできなくなります。相手の言葉が分かるのも命令を聞く必要があるというだけで、私達の言うことなど最初から聞くつもりもないというだけ。家畜です。私達亜人奴隷は』
マジかよ。
『……ようするに、この首輪をつけている限り、俺の自由はないってか? 冗談じゃねぇぞ』
本当に冗談じゃねぇ。
俺は自分の首に嵌められた首輪に手をかけて引っ張るも、その手を耳長女に止められてしまう。
『止めた方がいいですよ。一度首輪をかけられた亜人は、既に契約に縛られています。契約に縛られている以上追跡は簡単に行われますし、首輪のない契約済みの亜人は見つかり次第その場で処分されます』
『……マジかよ……』
耳長女の言葉に俺は脱力して背後の壁に背を預ける。
……もう、後ろの壁が汚物で汚れているとかどうでも良くなった。
『……あの……』
そんな俺の顔を自分の服の袖で拭いていた耳長女だったが、少しして手を止めて声をかけてくる。
『何だよ?』
『いえ……随分出血して酷い怪我だと思ったのですが、出血の割には殆ど怪我がないので……。ひょっとして【回復魔術】が使えるのですか?』
『【回復魔術】?』
この女は何を言っているのだろう?
魔術とか完全に映画とか小説みたいな創作の世界の産物だ。そんなものを俺が使えるわけもない。
そう思って無視しようとしたのだが、言われてみれば全身を襲っていた痛みが消えている。
『は? 嘘だろ?』
俺は耳長女の手を振り払うと、着せられていた服を脱ぐ。
すると、内出血くらいしているだろうと思っていた腹も、捕まった時に確かに出血しているのを目にしていた腕の怪我も消えている。
そういえば、血の味と激痛のパレードを開催していた口の中も閑古鳥が鳴いているような状況だった。
『おい、耳長女』
『耳長女ではありません。リーフラインです。リーフと呼んでください』
『あっそ。ひとつ聞く【回復魔術】って何だ?』
『……【回復魔術】は魔術の系統の一つで、使用者の熟練によって様々な怪我や病気を治す事の出来る魔術です。ご存知無かったのですか?』
『知らん。そもそも、俺はその魔術って奴は使えない。怪我が治ってるのは俺にとっても想定の外の出来事だ。こっちがどうなってるのか知りたいくらいだ』
俺の答えに今度こそ耳長女は驚いたらしい。大きく目を開いて真顔で俺に問いかける。
『……亜人……なのですよね?』
『それこそ知らん。俺は自分の事を人間だと思ってたんだけどな。逆に聞くが、俺は亜人なのか?』
亜人。人ならざるもの。
目の前の女はやたら耳が長いし、限りなく人間に近く、それでいて異なる存在なのだろう。普通なら信じられない事でも、目の前に実際に見せられたら信じないわけにもいかない。
そんな俺の答えに、耳長女は暫く考え込んでいるようだったが、やがて考えがまとまったのか、再び俺を見つめてきた。
『……ひょっとしたら、貴方は何とかなるかもしれません』
『ほう。それは奴隷から解放されるという事かな?』
『いいえ。捉えられてしまった以上それは無理かと。しかし、こちらから条件を出す事が出来るような良いご主人様を選ぶ事くらいは出来るかもしれませんね』
『あくまでも奴隷なのかよ……』
『今は……です。条件が良いご主人様に買ってもらえれば、いずれは解放される目があります』
奴隷解放か。
そういえば、そんな事もなんかの本で読んだような気がするな。自分自身を買う……って奴だったか。
それにしてもこいつ、結構色々知ってるな。亜人って話だったが、俺が今まで付き合ってきたどの女よりも頭がいいような気がする。
『おい。耳長女』
『リーフです。どこの誰かも知らない人』
俺の呼びかけに対して顔色一つ変えずに皮肉を返す耳長女。
なんだろう。俺がこれまで俺よりも頭が良さそうな女と付き合わなかった理由が何となくわかったな。純粋に合わない。
『……じゃあ、リーフ。お前このクソみたいな状況を何とかしたいって気持ちはあるか?』
『……この状況……ですか?』
『そうだ』
俺は頷く。
『お前の話が本当ならば、俺には何らかの“付加価値”があるんだろう? で、そいつをアピールすれば多少はマシな生活が出来るかもしれないって事だ。だが、残念ながら俺にはその為の知識がねぇ。もしもお前がその辺を協力してくれるなら、その都合が良いご主人様とやらに便宜をはかってやってもいいぜ?』
『…………』
『別に強制じゃあないがな。だが、お前が今後を不安に思っているなら、縋ってもいい“藁”じゃねぇか? 少なくとも、お前にとっての損はねぇ』
どうせ失敗してもこのままの状況と変化がないだけなんだ。それならば、少しでも可能性がある方を選ぶのが“人”としては余程建設的だろう。
『……お名前を伺っても?』
『そいつは俺の提案に乗ったと見るぜ?』
俺の言葉を聞いても耳長女──リーフは視線を逸らさない。
だから俺は右手を差し出しながら答える。
『中野総悟だ。ソウゴとでも呼んでくれ』
『はい。よろしくお願いします。ソウゴさん』
そして、俺たちは握手をかわす。
リーフの右手は、本当にちゃんと物を食べているのか疑うほどにガリガリで皮と骨の感触しかしなかった。
『それじゃあ契約完了だな。よろしく頼むぜ相棒』
俺の言葉にリーフは頷き、今後の事を相談する事にした。
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