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第三章 魔術都市ランギスト
幕間 中野総悟 2
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レンガ造りの壁にガラスの窓。その窓からは陽の光が注がれて、部屋の中を見渡すのに何の不自由もない。
今俺のいる部屋はそこそこ広い部屋ではあったものの、その領域の殆どをやたら沢山乱立する本棚と、理由のわからない置物──この部屋の持ち主は“魔道具”と呼んでいた──で占められているため、その実、人間が自由に動ける範囲は驚く程少ない。
その少ない領域に半ば無理やり詰め込んだようなおんぼろソファーに腰を下ろし、俺が目を向けているのはこれまた無理やり物置の中に押し込んだような一応高級そうではある事務机。そこに腰を落ち着け、何やら渋面を作って手紙に目を向けている女だった。
白衣……だろう。多分、そうだと思う。既にくすんだ色合いでもはや白衣と呼ぶのはおこがましいが、作りとしては日本でもよく目にした白衣であることには間違いないそれを適当に羽織り、これまた殆ど手入れのされている様子のない赤い長髪は、女の後頭部で一つに束ねられて下ろされていた。所謂ポニーテールという髪型だが、女の前髪があっちこちに跳ねている上に束ねきれなかった髪が側頭部に少なくない量流されて、耳が隠れている様子を見るに、間違いなくおしゃれの為にそうしているわけではないだろう。十中八九邪魔だからまとめているだけだ。
年の頃は20代……恐らく、30にはなっていないだろう。一般的な日本人の女だったらもう少し自分磨きをするだろうに、完全に“女を捨ててます”という主張を全身全霊で体現している女だが、俺がこの女の部屋にこうしているには訳があった。
「あいつらの居場所がわかったのか?」
手紙──何でも、女の古い伝手を頼って調べてくれているはずの報告書を手にしていた女は、俺に声をかけられた事で俺がこの部屋に滞在していた事を遅まきながら気がついたらしい。
声に反応して一瞬体をピクリと動かした後、顔の位置はそのままに目線だけで俺の存在を確認。その後、あろう事か大きな溜息を一つ付くと手紙を乱暴に折りたたんで机の上に置き、ゆっくりと俺と向かい合うように座り直した。
滅茶苦茶に束ねている髪の毛はこの際置いておいても、生まれながらの目つきの悪さはどうにもならないのだろう。こうして対面すると不機嫌に睨みつけられているように見えるのだが、これがこの女の地の表情らしい。
乱暴に羽織っただけの白衣の下から見えるのはこの研究室の制服ということだが、こちらも適当に着ただけらしく、胸の前のボタンが1つづつ掛け違いになっているのはご愛嬌だろうか。いや、毎度の事なのでひょっとして狙ってやっているのかもしれない。所謂ツッコミ待ち。
「……ソウゴくん。君の今の質問に答える前に私から1ついいだろうか」
「いいゼ。俺に答えられる事ならな」
俺の返答に女は「……そうか」等と呟くと、再び大きく息を吐き出すと、右の手で眉の間を捏ねていた。そう言えば、あの部分めっちゃシワが寄っているように見えるな。
もしかして、何時もの“なんちゃって不機嫌顔”じゃなくて、“マジ不機嫌顔”だったのだろうか。
めっちゃわかりにくいなこいつ。紛らわしい。
「君が私の所に来て随分と経ったと記憶しているが……。その間に君が私に提供できた研究の成果を教えて欲しい」
「あん?」
女の質問に俺は腕を組むと天井を見上げる。
成果と来たか……。
正直、俺自身が何かを成したか……と、言われれば一言「無いな」で済むのだが、今のこの女の機嫌的にそれを言ったらアウトだろう。
それに、そもそもの契約上俺の方から何かを提供するというのも違うと思ったので、すぐに思考を切り上げた。
「成果が出ているかは知らんが、毎日のようにお前に裸を晒したりいろんな液を提供したりしているはずだが」
「妙な言い方をするのは止せ。君の体質を調べるために試料を採取しているだけだろうが!」
俺の言葉に何故か目の前の女は顔を赤くして声を荒げると両手で机を叩く。
そんな女の姿を目にして俺は肩を竦めてみせるが、そんな俺の態度を見たからかどうかは知らないが、女は1つ咳払いをした後に再び渋面を作って目を閉じる。
「……ああそうだな。君は私の研究に協力してくれる協力者だが、実際に成果を出すのは私だ。そして、これ程の時間をかけているにもかかわらず、何の成果も上げていない。何たる無能。これで満足か?」
「満足もなにも俺はそこまで言ってなかろうが。不貞腐れるのはそっちの勝手だけど、いい加減俺の質問に答えて欲しいね。それとも、命令して俺の口を塞いでこの部屋から追い出すか? 俺は奴隷だから逆らえねぇし」
俺は右手に嵌められた腕輪──何でも専属奴隷契約とやらの魔術が込められた腕輪らしい──を見せながら口にする。
この腕輪は俺がこの女に買われた時に付けられたもので、俺が“この女の間でのみ奴隷の立場”ですよ。という事を周りに見せる為の物らしい。
ちなみに、この腕輪を付けられた時に奴隷の首輪は外されている。
「嫌な事を言う男だな。君はもう奴隷ではない」
「奴隷だろ。専属奴隷」
「一般的にはそう見られるというだけだ。私が君を奴隷だと思っていない以上、君は既に奴隷ではないんだ。その腕輪をしている限り、君は一市民としてこの国で振舞う事が出来るのだからね」
まあ、そういう事らしい。
本来俺はこの世界では“亜人”と呼ばれる存在らしく、普通に考えたら強制的に奴隷階級の生き物だ。
だが、この腕輪を付けることで飼い主以外の人間からの差別を無くす事が出来るらしい。
だけど、俺がこの世界で市民として生きるにはどうしても埋まらない問題がある事をこの女は気が付いているのだろうか。
……気がついてるよなぁ……。学者であるこの女がその程度気がついていないはずがない。
「お前や亜人以外と会話できない俺が市民とか何のギャグかって話だ」
「それは君が真剣に言語の習得に取り組んでいないからだろう。そもそも、その腕輪は私が君と会話する必要があったから着けただけで、君にはこの国の言語を理解する事が可能なハズなのだ」
女の言葉に俺は眉を寄せる。
俺はこの世界では“亜人”であり、“亜人”はこの世界の人間の言葉は理解できないはずだ。それは、これまでの生活やリーフから仕入れた情報から判明している。
逆に、亜人が市民権を得る為の最低条件が“人間の言葉の理解”であり、それは古の呪いだかなんだかで事例としてはかなり少ないらしい。
例外的に過去に人間の血が入っている亜人の中にそういった例外が生まれる事があるという位らしいのだが……。
「……言い切ったな?」
「事実だからね。最も、その成果を導き出したのが私ではなかった……という事実は甚だ不本意ではあるけどね」
言いつつ、女は机の上の手紙を右手で軽く叩いた。
「君のお待ちかねの情報だ。私の学生時代の恩師の元に、実に優秀な“亜人もどき”が現れたらしい。君が私に話した情報が本当ならば、ほぼ全てがその“亜人もどき”の出現時期、特徴が一致する。ただ、現れたのは一人だけだったらしいが」
「一人か……。ちなみにどっちだ?」
「クリタ・ソウマと名乗ったそうだ。一応身体的特徴も記載されていたが、君の語ったものと一致する。ほぼ本人と見て間違いないだろう」
「栗田か」
俺は口角を上げる。
ある意味では予想通りというべきか、栗田はやっぱり生きていた。
それも、この女が優秀だというくらいなのだから、俺よりも余程上手い事やったのだろう。
ただ、栗田の傍に木嶋がいないという事が予想外だが──。
「彼は既にこの世界の言語を習得し、生きる為の力を身につけて旅に出たそうだ。その目的は──」
「木嶋の捜索だろう? あいつらは常に一緒にいないと気が狂う呪いにかかってるからな」
「? 呪い? 君のいた世界には随分と奇妙な呪いがあるのだね。まるで、この世界の亜人にかけられた呪いのようだ」
「言葉の綾だよ。研究者のくせに呪いなんて信じてんのかよ」
「それが存在しているのであれば呪いも立派な研究材料だ。そこに例外は存在しない」
「そうかよ」
俺の言葉に女は一応の納得を得たのだろう。「で?」と続けてくる。
「この話を聞いて、君は今後どうするつもりなんだ?」
「どうするも何も、俺はお前の持ち物だからな」
腕輪を撫でながら口にした俺を目の前の女は目つきを鋭くして不満げな表情を見せるも、俺にとってはどうでもいい。
「お前から自分の身柄を買い戻すまでは言うこと聞いとくさ」
「……そうか。ならばまずはこの国の言語を身に付ける事だ。最低限それが出来なければ私はその腕輪を外すつもりはない」
「さよか」
表情を和らげ、まるで安心したように細い息を吐き出した赤髪の女を不思議な気分で見ていた俺の前に、湯気が立ち上ったカップが置かれる。
そのカップから離れていく白い腕を追いかけるように視線を移動させると、行き着いた先にいたのは耳の長い緑の髪の女だった。
両手にお盆を携え、その上にもう一つ──赤髪の女の分だろう──カップが準備されている。
その表情は一見無表情に見えたが、口の端が何やらピクピクと痙攣している所を見るに、こいつは絶対に今笑いを堪えている。
「何だよ?」
止せばいいのに俺は思わず語りかける。
『別に? ただ、貴方のような不真面目な人が、本当にこの国の言葉を覚えられるのでしょうか? 何て思っただけです』
「言ってろよ」
そして、耳長女──リーフは、俺にしか伝わっていない事がわかっているから、平然と毒を吐いてくる。
リーフの首には今でも奴隷の首輪がついている。これは彼女が赤髪女にとって価値のある存在では無い事を意味する。
最も、それは俺達が買われた当時の事ではあるが。
「リーフはなんと言っているんだい?」
俺とのやり取りの後にリーフが机に置いたカップを手に取って聞いてきた赤髪の女の問いに、俺は肩を竦めて教えてやる。
「別に大したことじゃねぇよ。『貴方様のような優秀な方なら、この国の言語など直ぐに習得されるでしょうね』って言われただけだ」
「本当かい?」
『嘘です』
「本当だって。俺に嘘を付くメリットがないだろうが」
『嘘つき。何て酷い人』
「そうか? 何だか抗議しているようにも見えるが……」
「照れてんのさ」
口をへの字に曲げてヘソも曲げているリーフをよそに俺はカップに口を付ける。
ほんのりと香草の香りがしたそれは、先ほどの話を聞いて少しだけ高揚した気持ちを落ち着けてくれた。
「……そうか。まあ、君はリーフの通訳も兼ねているのだから其の辺の仕事はしっかりとしてもらうとして……今後の事だ」
カップを机に戻し、相変わらずの半眼で尋ねてくる赤髪女に、俺は少し考えながら話す。
「まず早急に市民権を得る……事だよな。それが出来たら栗田に合流するってとこか。その後はまあ……栗田と相談して……だな」
「もう一人の……キジマ・カイトは探さないのか?」
「そっちは栗田に任せるわ。少なくとも俺からあいつは探さない」
「理由を聞いても?」
「理由は単純。俺があいつと一対一で会いたくないからだ」
俺の言葉に赤髪女は一瞬キョトンとした表情を浮かべるが、直ぐに真面目な表情に戻って聞き返してきた。
「……友人では無かったのか?」
「木嶋とか? 冗談言うなよ。知人だよ。あいつは」
少なくとも、共通の友人である栗田がいなければつるむ事さえなかっただろう。
「だから、俺は別にあいつの生死はどうでもいい。ただ、生きてるんだったら協力して帰る方法を探そうかって位だな」
「帰る方法……か」
俺の言葉に赤髪女は腕を組むと目を閉じて唸る。
一応、俺の契約主であるこの女は、俺を研究材料にする代わりに俺の要望をある程度聞いてくれる事になっていた。
奴隷として買われた俺達が言うのもなんだが、ある意味ではこの女に買われたのは幸運だった。真っ裸で体中をいじられるのは今でも慣れないが。
「……分かった」
やがて、考えが纏まったのか、赤髪女は目を開いて立ち上がると、俺を見下ろす。
「君と私は一蓮托生。亜人研究の同士だからな。イリス・ファンダムの名にかけて、君の要望を叶えると約束しよう。……が、一つ条件がある」
「条件?」
赤髪女──イリスの言葉に首を捻ると、イリスは俺を指さした。
「友人を探すという君の旅に、この私も同行する事だ。正直な話、言葉を覚えて直ぐに君に旅立たれてしまっては、私の研究も中途半端な上にいいように利用されたような気がして気分が悪い。その点、共に旅をすれば研究を継続する事は出来るからな。その条件が飲めるのならば、今後も君の意見を尊重しよう」
……ちっ。いいように利用しているのがバレたか。いや、隠そうともしなかったけどな。
だが、それくらいならお安い御用だった。確かに、ここまでしてもらってサヨウナラではいくら俺でも寝覚めが悪い。
と。
そんな事を考えていた俺の腕に、何やら触れるものがあった。
横目でみると、いつの間にか俺の隣に立っていたリーフが、俺の腕を撫でていた。なんというか、言いたい事があるのだろうが、イリスの手前言い出せないという所か。
どうせ、言葉は通じないのだから言えばいいのにとも思うが、リーフがなにか喋ればイリスは必ず俺に通訳をしろと言ってくるし、その度に変な言い訳をするのも面倒くさい。
「わかった。その条件をのもう。けど、俺の方からも頼みを一つ。その旅にリーフも連れて行っていいか?」
「リーフも?」
しかし、あっさりと了承してくると思ったイリスは、どうにも微妙な表情で俺とリーフを見比べる。
果たして何往復しただろう。少なくとも、10以上はしたはずだ。
その後に何故か「むぅ」と一つ唸りを上げた後に絞り出すような声を出した。
「……分かった。好きにしろ。だが、何だ……。君とリーフは君の友人達と同じように常に一緒にいないと気が狂う呪いがかかっているのか?」
「だとしたら調べなければ……」等と馬鹿な事を呟くイリスを無視して立ち上がる。
言外に今はそんな事をしている時ではないだろう? という意味も込めて。
「今はそんな事よりも言葉だろう? 今までサボっていた分取り戻さなきゃならねんだから」
「ついに認めたか」
『やっと認めましたね』
「うるせぇよ」
口調は違えど似たような事をハモらせる二人に背を向けて、俺は自らに与えられた部屋へと戻る。
言葉に関しては優秀な教師が近くにいるし、特に心配はしていなかった。
今俺のいる部屋はそこそこ広い部屋ではあったものの、その領域の殆どをやたら沢山乱立する本棚と、理由のわからない置物──この部屋の持ち主は“魔道具”と呼んでいた──で占められているため、その実、人間が自由に動ける範囲は驚く程少ない。
その少ない領域に半ば無理やり詰め込んだようなおんぼろソファーに腰を下ろし、俺が目を向けているのはこれまた無理やり物置の中に押し込んだような一応高級そうではある事務机。そこに腰を落ち着け、何やら渋面を作って手紙に目を向けている女だった。
白衣……だろう。多分、そうだと思う。既にくすんだ色合いでもはや白衣と呼ぶのはおこがましいが、作りとしては日本でもよく目にした白衣であることには間違いないそれを適当に羽織り、これまた殆ど手入れのされている様子のない赤い長髪は、女の後頭部で一つに束ねられて下ろされていた。所謂ポニーテールという髪型だが、女の前髪があっちこちに跳ねている上に束ねきれなかった髪が側頭部に少なくない量流されて、耳が隠れている様子を見るに、間違いなくおしゃれの為にそうしているわけではないだろう。十中八九邪魔だからまとめているだけだ。
年の頃は20代……恐らく、30にはなっていないだろう。一般的な日本人の女だったらもう少し自分磨きをするだろうに、完全に“女を捨ててます”という主張を全身全霊で体現している女だが、俺がこの女の部屋にこうしているには訳があった。
「あいつらの居場所がわかったのか?」
手紙──何でも、女の古い伝手を頼って調べてくれているはずの報告書を手にしていた女は、俺に声をかけられた事で俺がこの部屋に滞在していた事を遅まきながら気がついたらしい。
声に反応して一瞬体をピクリと動かした後、顔の位置はそのままに目線だけで俺の存在を確認。その後、あろう事か大きな溜息を一つ付くと手紙を乱暴に折りたたんで机の上に置き、ゆっくりと俺と向かい合うように座り直した。
滅茶苦茶に束ねている髪の毛はこの際置いておいても、生まれながらの目つきの悪さはどうにもならないのだろう。こうして対面すると不機嫌に睨みつけられているように見えるのだが、これがこの女の地の表情らしい。
乱暴に羽織っただけの白衣の下から見えるのはこの研究室の制服ということだが、こちらも適当に着ただけらしく、胸の前のボタンが1つづつ掛け違いになっているのはご愛嬌だろうか。いや、毎度の事なのでひょっとして狙ってやっているのかもしれない。所謂ツッコミ待ち。
「……ソウゴくん。君の今の質問に答える前に私から1ついいだろうか」
「いいゼ。俺に答えられる事ならな」
俺の返答に女は「……そうか」等と呟くと、再び大きく息を吐き出すと、右の手で眉の間を捏ねていた。そう言えば、あの部分めっちゃシワが寄っているように見えるな。
もしかして、何時もの“なんちゃって不機嫌顔”じゃなくて、“マジ不機嫌顔”だったのだろうか。
めっちゃわかりにくいなこいつ。紛らわしい。
「君が私の所に来て随分と経ったと記憶しているが……。その間に君が私に提供できた研究の成果を教えて欲しい」
「あん?」
女の質問に俺は腕を組むと天井を見上げる。
成果と来たか……。
正直、俺自身が何かを成したか……と、言われれば一言「無いな」で済むのだが、今のこの女の機嫌的にそれを言ったらアウトだろう。
それに、そもそもの契約上俺の方から何かを提供するというのも違うと思ったので、すぐに思考を切り上げた。
「成果が出ているかは知らんが、毎日のようにお前に裸を晒したりいろんな液を提供したりしているはずだが」
「妙な言い方をするのは止せ。君の体質を調べるために試料を採取しているだけだろうが!」
俺の言葉に何故か目の前の女は顔を赤くして声を荒げると両手で机を叩く。
そんな女の姿を目にして俺は肩を竦めてみせるが、そんな俺の態度を見たからかどうかは知らないが、女は1つ咳払いをした後に再び渋面を作って目を閉じる。
「……ああそうだな。君は私の研究に協力してくれる協力者だが、実際に成果を出すのは私だ。そして、これ程の時間をかけているにもかかわらず、何の成果も上げていない。何たる無能。これで満足か?」
「満足もなにも俺はそこまで言ってなかろうが。不貞腐れるのはそっちの勝手だけど、いい加減俺の質問に答えて欲しいね。それとも、命令して俺の口を塞いでこの部屋から追い出すか? 俺は奴隷だから逆らえねぇし」
俺は右手に嵌められた腕輪──何でも専属奴隷契約とやらの魔術が込められた腕輪らしい──を見せながら口にする。
この腕輪は俺がこの女に買われた時に付けられたもので、俺が“この女の間でのみ奴隷の立場”ですよ。という事を周りに見せる為の物らしい。
ちなみに、この腕輪を付けられた時に奴隷の首輪は外されている。
「嫌な事を言う男だな。君はもう奴隷ではない」
「奴隷だろ。専属奴隷」
「一般的にはそう見られるというだけだ。私が君を奴隷だと思っていない以上、君は既に奴隷ではないんだ。その腕輪をしている限り、君は一市民としてこの国で振舞う事が出来るのだからね」
まあ、そういう事らしい。
本来俺はこの世界では“亜人”と呼ばれる存在らしく、普通に考えたら強制的に奴隷階級の生き物だ。
だが、この腕輪を付けることで飼い主以外の人間からの差別を無くす事が出来るらしい。
だけど、俺がこの世界で市民として生きるにはどうしても埋まらない問題がある事をこの女は気が付いているのだろうか。
……気がついてるよなぁ……。学者であるこの女がその程度気がついていないはずがない。
「お前や亜人以外と会話できない俺が市民とか何のギャグかって話だ」
「それは君が真剣に言語の習得に取り組んでいないからだろう。そもそも、その腕輪は私が君と会話する必要があったから着けただけで、君にはこの国の言語を理解する事が可能なハズなのだ」
女の言葉に俺は眉を寄せる。
俺はこの世界では“亜人”であり、“亜人”はこの世界の人間の言葉は理解できないはずだ。それは、これまでの生活やリーフから仕入れた情報から判明している。
逆に、亜人が市民権を得る為の最低条件が“人間の言葉の理解”であり、それは古の呪いだかなんだかで事例としてはかなり少ないらしい。
例外的に過去に人間の血が入っている亜人の中にそういった例外が生まれる事があるという位らしいのだが……。
「……言い切ったな?」
「事実だからね。最も、その成果を導き出したのが私ではなかった……という事実は甚だ不本意ではあるけどね」
言いつつ、女は机の上の手紙を右手で軽く叩いた。
「君のお待ちかねの情報だ。私の学生時代の恩師の元に、実に優秀な“亜人もどき”が現れたらしい。君が私に話した情報が本当ならば、ほぼ全てがその“亜人もどき”の出現時期、特徴が一致する。ただ、現れたのは一人だけだったらしいが」
「一人か……。ちなみにどっちだ?」
「クリタ・ソウマと名乗ったそうだ。一応身体的特徴も記載されていたが、君の語ったものと一致する。ほぼ本人と見て間違いないだろう」
「栗田か」
俺は口角を上げる。
ある意味では予想通りというべきか、栗田はやっぱり生きていた。
それも、この女が優秀だというくらいなのだから、俺よりも余程上手い事やったのだろう。
ただ、栗田の傍に木嶋がいないという事が予想外だが──。
「彼は既にこの世界の言語を習得し、生きる為の力を身につけて旅に出たそうだ。その目的は──」
「木嶋の捜索だろう? あいつらは常に一緒にいないと気が狂う呪いにかかってるからな」
「? 呪い? 君のいた世界には随分と奇妙な呪いがあるのだね。まるで、この世界の亜人にかけられた呪いのようだ」
「言葉の綾だよ。研究者のくせに呪いなんて信じてんのかよ」
「それが存在しているのであれば呪いも立派な研究材料だ。そこに例外は存在しない」
「そうかよ」
俺の言葉に女は一応の納得を得たのだろう。「で?」と続けてくる。
「この話を聞いて、君は今後どうするつもりなんだ?」
「どうするも何も、俺はお前の持ち物だからな」
腕輪を撫でながら口にした俺を目の前の女は目つきを鋭くして不満げな表情を見せるも、俺にとってはどうでもいい。
「お前から自分の身柄を買い戻すまでは言うこと聞いとくさ」
「……そうか。ならばまずはこの国の言語を身に付ける事だ。最低限それが出来なければ私はその腕輪を外すつもりはない」
「さよか」
表情を和らげ、まるで安心したように細い息を吐き出した赤髪の女を不思議な気分で見ていた俺の前に、湯気が立ち上ったカップが置かれる。
そのカップから離れていく白い腕を追いかけるように視線を移動させると、行き着いた先にいたのは耳の長い緑の髪の女だった。
両手にお盆を携え、その上にもう一つ──赤髪の女の分だろう──カップが準備されている。
その表情は一見無表情に見えたが、口の端が何やらピクピクと痙攣している所を見るに、こいつは絶対に今笑いを堪えている。
「何だよ?」
止せばいいのに俺は思わず語りかける。
『別に? ただ、貴方のような不真面目な人が、本当にこの国の言葉を覚えられるのでしょうか? 何て思っただけです』
「言ってろよ」
そして、耳長女──リーフは、俺にしか伝わっていない事がわかっているから、平然と毒を吐いてくる。
リーフの首には今でも奴隷の首輪がついている。これは彼女が赤髪女にとって価値のある存在では無い事を意味する。
最も、それは俺達が買われた当時の事ではあるが。
「リーフはなんと言っているんだい?」
俺とのやり取りの後にリーフが机に置いたカップを手に取って聞いてきた赤髪の女の問いに、俺は肩を竦めて教えてやる。
「別に大したことじゃねぇよ。『貴方様のような優秀な方なら、この国の言語など直ぐに習得されるでしょうね』って言われただけだ」
「本当かい?」
『嘘です』
「本当だって。俺に嘘を付くメリットがないだろうが」
『嘘つき。何て酷い人』
「そうか? 何だか抗議しているようにも見えるが……」
「照れてんのさ」
口をへの字に曲げてヘソも曲げているリーフをよそに俺はカップに口を付ける。
ほんのりと香草の香りがしたそれは、先ほどの話を聞いて少しだけ高揚した気持ちを落ち着けてくれた。
「……そうか。まあ、君はリーフの通訳も兼ねているのだから其の辺の仕事はしっかりとしてもらうとして……今後の事だ」
カップを机に戻し、相変わらずの半眼で尋ねてくる赤髪女に、俺は少し考えながら話す。
「まず早急に市民権を得る……事だよな。それが出来たら栗田に合流するってとこか。その後はまあ……栗田と相談して……だな」
「もう一人の……キジマ・カイトは探さないのか?」
「そっちは栗田に任せるわ。少なくとも俺からあいつは探さない」
「理由を聞いても?」
「理由は単純。俺があいつと一対一で会いたくないからだ」
俺の言葉に赤髪女は一瞬キョトンとした表情を浮かべるが、直ぐに真面目な表情に戻って聞き返してきた。
「……友人では無かったのか?」
「木嶋とか? 冗談言うなよ。知人だよ。あいつは」
少なくとも、共通の友人である栗田がいなければつるむ事さえなかっただろう。
「だから、俺は別にあいつの生死はどうでもいい。ただ、生きてるんだったら協力して帰る方法を探そうかって位だな」
「帰る方法……か」
俺の言葉に赤髪女は腕を組むと目を閉じて唸る。
一応、俺の契約主であるこの女は、俺を研究材料にする代わりに俺の要望をある程度聞いてくれる事になっていた。
奴隷として買われた俺達が言うのもなんだが、ある意味ではこの女に買われたのは幸運だった。真っ裸で体中をいじられるのは今でも慣れないが。
「……分かった」
やがて、考えが纏まったのか、赤髪女は目を開いて立ち上がると、俺を見下ろす。
「君と私は一蓮托生。亜人研究の同士だからな。イリス・ファンダムの名にかけて、君の要望を叶えると約束しよう。……が、一つ条件がある」
「条件?」
赤髪女──イリスの言葉に首を捻ると、イリスは俺を指さした。
「友人を探すという君の旅に、この私も同行する事だ。正直な話、言葉を覚えて直ぐに君に旅立たれてしまっては、私の研究も中途半端な上にいいように利用されたような気がして気分が悪い。その点、共に旅をすれば研究を継続する事は出来るからな。その条件が飲めるのならば、今後も君の意見を尊重しよう」
……ちっ。いいように利用しているのがバレたか。いや、隠そうともしなかったけどな。
だが、それくらいならお安い御用だった。確かに、ここまでしてもらってサヨウナラではいくら俺でも寝覚めが悪い。
と。
そんな事を考えていた俺の腕に、何やら触れるものがあった。
横目でみると、いつの間にか俺の隣に立っていたリーフが、俺の腕を撫でていた。なんというか、言いたい事があるのだろうが、イリスの手前言い出せないという所か。
どうせ、言葉は通じないのだから言えばいいのにとも思うが、リーフがなにか喋ればイリスは必ず俺に通訳をしろと言ってくるし、その度に変な言い訳をするのも面倒くさい。
「わかった。その条件をのもう。けど、俺の方からも頼みを一つ。その旅にリーフも連れて行っていいか?」
「リーフも?」
しかし、あっさりと了承してくると思ったイリスは、どうにも微妙な表情で俺とリーフを見比べる。
果たして何往復しただろう。少なくとも、10以上はしたはずだ。
その後に何故か「むぅ」と一つ唸りを上げた後に絞り出すような声を出した。
「……分かった。好きにしろ。だが、何だ……。君とリーフは君の友人達と同じように常に一緒にいないと気が狂う呪いがかかっているのか?」
「だとしたら調べなければ……」等と馬鹿な事を呟くイリスを無視して立ち上がる。
言外に今はそんな事をしている時ではないだろう? という意味も込めて。
「今はそんな事よりも言葉だろう? 今までサボっていた分取り戻さなきゃならねんだから」
「ついに認めたか」
『やっと認めましたね』
「うるせぇよ」
口調は違えど似たような事をハモらせる二人に背を向けて、俺は自らに与えられた部屋へと戻る。
言葉に関しては優秀な教師が近くにいるし、特に心配はしていなかった。
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