御伽噺の片隅で

黒い乙さん

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第一章 現れる不法侵入者

プロローグ

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 ただとにかく寝たかった。

 まだ学生だった頃、友人から「勉強のために4時間しか寝ていない」という話を聞いた時、俺は心底驚いたものだ。
 元々俺はロングスリーパーのケがあったので、友人の話はまるでファンタジーのようで上手く自分に置き換えることが出来なかったものだ。
 それが、その話を聞いた2年後になって理解できるようになるなんて当時の俺は想像すら出来なかっただろう。
 
 ……いや。

 正確に言えば逆の意味で理解出来なくなってしまっていた。
 すなわち「あの時のあいつ4時間も寝られるなんて恵まれてたんだな」と。

 続々届くお祈りメールに通らない書類選考。
 そんな中でやっと出た内定通知に喜んでいたのは実際に入社して本格的に仕事を振られ始まるまでだった。

 終わりの見えない仕事量。迫り来る納期に伸し掛る責任。まともにやっていてはさばけないから、当然削れるものは何でも削った。
 最初に削ったのはプライベートの時間だった。
 平日の勤務時間が伸びれば次の日の仕事に支障をきたす事がわかっていたから、後日に回せる仕事は後に回して、休日の前日に朝までかけて無理やり終わらせ、休みの日は泥のように眠る。

 しかし、経験を積んで戦力になってくると当然のように仕事量が増え、今までやり方では捌ききれなくなってくる。
 だから、次は食事の時間を削った。食事の度に手を止める事さえ無駄だと思ったから。

 でも、食事の時間を削った所でたかがしれている。
 当然、次に削ったのは睡眠時間だった。
 平日の帰宅時間が日付を跨ぐようになった。休日の前日は次の日の昼過ぎまで残り、ついに休日の睡眠時間も5時間を切った。

 36協定を無視した残業時間に、当然入る監督署の指導。
 本来ならば良くならなければならない改善命令も、タイムカードの打刻をしないサービス残業と、無給の休日出勤というモノに変わっただけだった。

 実際の残業時間は月200時間を超えていたが、明細に記載される「80時間」の残業時間の文字を見ても何も感じなくなった。

 とにかく仕事が終わらなかった。
 期日に間に合わないと全業務がストップする恐怖に駆られて、とにかく寝ないでパソコンの画面を追い、職場を駆けた。
 睡眠時間1日20分が1週間続いた頃、上司が俺を強制的に出張させた。
 出張する事で睡眠を取る事が出来て、その時の出張は上司が俺を心配して組んでくれたものだったと後から知った。

 会社で何も食べられなくなった。

 会社で何かを食べても直ぐに吐いてしまうから、自然と会社で物を食べなくなったが、寧ろ仕事に時間が回せてちょうどいいと思った。
 最後は通勤時間を削った。
 会社に洗面用具を持ち込んで、食堂で洗髪をし、体を拭いた。

 ただ、とにかく寝たかった。

 好きな時間まで眠る事が出来るなら、それはどんなに気持ちがいいだろうと会社の食堂で1時間の睡眠から目覚めるたびにいつも思っていた。
 人間、短い睡眠時間でも慣れてしまえば意外と死なないものだとこの頃他人事のように考えるようになった。

 いつでも体のだるさや熱っぽさが取れず、半病人のような状態だったが、これも慣れれば仕事の効率を落とす要因にはならなくなった。
 ただ、今まででは考えられないくらい怒りっぽくなった。本来俺は温厚な性格だと思っていたのに、追い込まれると本性が現れるのかもしれない。

 全身が我慢できない痒みに襲われるようになった。

 1日に異常な回数尿意に襲われるようになる。しかも我慢が出来なくなり、この歳でおむつを履く羽目になるとか信じられなかった。
 
 掻きすぎによる全身の出血で常に服を血で汚し、頭からの出血で頭を触ると手が血で濡れた。

 それでも、これが仕事だと思っていた。

 人間多少飯を食わなくても死なないじゃないか。

 人間多少眠らなくても死ななないじゃないか。

 そんな変な考えが頭に浮かぶ一方で、本当の俺はとにかく寝たくて仕方なかった。
 この頃から「俺は本当に人間なのか?」と思うようになった。

 そしてあの日……。

 その全ての元凶である社長と面談をして。
 俺の人間としての生活よりも、会社の利益を優先させるのが当然だと平然と言われたあの時に。
 俺の中で何かが壊れ、今までの全てをぶちまけてしまった。

 俺はただ寝たかっただけだ。

 俺はただ食事をしたかっただけだ。

 俺はただ……人間として生きたかっただけだ。

 その全てを否定され、俺はその場で発狂した。

 そして、俺は──。

 ──会社員という肩書きと、貴重な20代の時間を失い。
 
 使う暇もなかったお金と、人間の生活を手に入れた。

 俺の名は茨城 悠斗。32歳。
 この日俺は晴れて“自由”の無職になった──。
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