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第二章 何時から俺の家はコスプレ会場になったのか
エピローグ
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使い慣れていないハンマーを釘に向かって振い落しながら、俺は世の日曜大工を趣味としているお父さんたちの偉大さを噛み締めていた。
「切り口に合わせて扉を宛てがって、補強用の木材を釘で固定するだけ。ただそれだけだ。そう思っていたんだけどなぁ」
ハンマーを振り下ろすたびにズレていき、全く元の位置に収まらずに愉快なオブジェと化した嘗てドアだった物を蹴っ飛ばして俺は仰向けに寝転がる。
目に入った空は薄らと赤く色づき始め、そろそろ夕刻に差し掛かろうという時間帯だった。
「……一日が終わる。そして、俺の休日も。俺はあれだな。ゆっくり休む事も出来ない運命の星の元に生まれてきたのかもしれないな」
ゆっくりと流れる雲。
あの雲のように心穏やかでいられたら、どんなに生きる事が楽だろうと考える。
しかし、人の世で生きていく以上はそんな物が唯の理想であるという事くらいわかっているつもりだった。
「……上司からの命令は絶対……か。どんな世界でもブラックな職場、パワハラ上司ってのはいるんだな。いや、直接死に関わる命令がないだけこっちの方がマシか?」
一応、過労死的な物はあるが、殺人にまで発展するのは稀だろう。
心身共に疲れ果てて、自ら命を絶つ人が後を絶たないことは知っているし、それが原因で体を壊してしまう人がいる事も知っている。
現に俺も体に異常を感じて死を身近に感じた事があるからよくわかる。
ただ、それと同時に数年程度の激務では、直接的な死には繋がらないという事も……残念ながら実体験として知っていた。
「……カリスは……あれしか選択肢は無かったのだろうか……?」
俺が同じ立場だったらどうしただろう?
恐らく、退職という道を選んだと思う。今回、退職してこの町にまで逃げてきたように。
しかし、カリスはそうするだけの理由が無かったのだろう。それ以上に守るべき大切な物があったのだろう。
それが……自らと。守るべき相手の未来が潰える行動だったとしても。
「社会ってのは本当にくそだよなぁ……。末端の人間ってのはいつだって歯車で、無くなった所で変わりはある。故障しても交換すればいいんだから。だったら、キツくて辛い仕事は他の人に回さないように無理をする部品だって出てくるよな。結果壊れて使い潰されても」
「本当だねぇ」
突然振って沸いた声に俺は少しだけドキリとするが、その声と口調から声の主が誰か分かり、すぐにゲンナリとした気分にさせられた。
「……たしか門は閉めていたはずだが」
「うん。閉まってたねぇ。でも、鍵が付いてなかったら結局同じだと思うのぉ」
「俺、カンヌキ掛けてたと思うけど」
「隙間から手で開けられるし。あれじゃ鍵の意味ないよぉ?」
「意味なくしてるのはお前だけどな。ああいうのはな。『鍵かけてますから入らないでくださいね?』っていう主張なの。そこは空気読んで引き返すべきでしょ。隣人としては」
「いくら何でもそこまでわかったら流石に超能力者の類じゃない? 少なくとも、そういう主張をしたいんだったら張り紙でもつければいいと思うなぁ……」
張り紙、張り紙ね。
何となくだけど、こいつは張り紙があっても関係なく入ってくるような気がした。
俺は上半身を上げると声のした方に顔を向ける。
すると、思っていたよりもずっと近く。
それこそ、俺の顔から一歩しか離れていない距離に膝上のスカートにブラウス姿の女が立っていた。
「……お前。俺があのままの体勢で見上げなかった事を感謝しろよ?」
「どういう意味かな? あ、ひょっとしてお姉ちゃんのパンツ見たかった? 残念だったねぇ」
「一度お前の頭かち割って中身見てみたいわ。マジで」
「悠斗さんってあれだよね。偶に言葉遣いがならず者っぽいよね」
「ならず者ってお前……。年齢が知れるな」
「それはお互い様でしょ?」
「よいしょ」と口にして俺の隣に座り込む女。
今回は椅子がわりになるブロックはないから直座りだが、汚れるとかそういう事は関係ないということだろうか?
まあ、直に寝っ転がっている俺が言うことではないが。
「で? 今日は何の用事で来たんだ?」
春と夏の間に漂う生温い風に吹かれて俺の頬を撫でる女の髪を邪険に振り払いながら問いかける俺に対して、何が面白いのか笑顔の女が目の前に掲げてきたのは布に包まれた四角い箱と、ステンレス製の水筒だった。
「お弁当とお味噌汁の差し入れ。男の人の一人暮らしだし、偏った食生活してるんじゃないかなぁって思って」
「お前……俺が10年以上一人暮らししてたの知らないだろ」
目元を抑えつつ苦言を呈する俺に、女は笑う。
それはどこか楽しそうというよりも苦笑に近い音色を奏でて。
「その10年って酷い会社にいた時の事でしょう? そんなの絶対料理してるわけないじゃない」
「それについちゃ否定する事は出来ないが、それが俺が料理をしない理由にはならないだろ」
「出来るの? 料理」
「…………飯は炊けるぞ」
あと、パンも焼けるし、目玉焼きも焼ける。
「炊飯器使ってでしょう? それって料理って言わないし」
女は今度こそ苦笑すると立ち上がり、転がっていた嘗て扉だった物を飛び越えて裏口に入る。
「おい」
「なぁに? 別に変なことしないよぉ? ただ、ちょっとしたものを作ってあげようかなってだけ」
「いらねぇよ」
俺は立ち上がると扉だった板切れを蹴っ飛ばす。
「俺は他人の力は借りない」
だが、俺のそんな言葉にも、女は柔らかな笑顔を返すだけだった。
「悲しい生き方だね。悠斗さん。そんな生き方したってきっと幸せにはなれないよ」
「お前に俺の何がわかる?」
毎日寝る間も惜しんで命を削り落としながら生きた事もない女にわかるはずもない。
「そりゃぁ、私は悠斗さんじゃないし、悠斗さんの辛さはわからないよ? でも、悠斗さんだって私の事は何もわからないでしょう?」
「分かる必要もない。そもそも、お前は前の旦那に暴力を振るわれて帰ってきたんじゃ無かったのか? 俺が怖くないのか? 俺はお前の言う所のならず者だろう?」
「……悠斗さんの言葉を借りるなら、『貴方に私の何が分かるの?』って返すべきなのかな?」
出来るだけ凄みを効かせた俺の言葉に、女はゆっくりと首を振った。
「全然怖くないよ。悠斗さんなんて。私が悠斗さんが死んじゃう事を覚悟するくらい酷い環境にいた事を知らないのと同じように、悠斗さんも私が死んじゃう事を覚悟するくらい酷い環境にいた事を知らないでしょう? でも、それって知る必要ある? 私は無いと思う。私は悠斗さんが『一人で大変そうだなぁ』って思うからちょっとだけ手助けしたいと思っただけだし、別に変な下心もないし。自衛の手段は身につけてとは言ったけど、悠斗さんのそれは違うよね? 後、これもそう」
女は言いながらボロ板に成り果てた扉を指差す。
「こんなの私のお父さんに言ったらすぐだよ。家のお父さん日曜大工が趣味だから。どうせ悠斗さんの事だから、『ただで仕事を頼むとか後が怖い』とか思ってるんでしょう? そんな訳無いじゃん。変なものばっかり作るから、家の家族はみんな迷惑して最近何も作らせて貰えなくて愚痴ばっかり言ってるような人だよ? ちょっと「裏口壊れちゃったんすよー」とでも言ってあげれば、すぐにでも道具片手に乗り込んでくると思うよ?」
女の言葉に、俺は人の良さそうな隣人のおじさんの顔を思い出す。
そう言えば、今度家族を紹介するとか言っていたような気がするが、俺はあの人が日曜大工をするという事を知らなかった。
「折角お隣になったんだし、好意は素直に受け取るべきだよ悠斗さん。勿論、良い人と悪い人の区別はつけなくちゃいけないとは思うけど、家のお父さん。そんなに悪い人に見える?」
女に言われて、俺は首を横に振る。
「……まあ、千堂さんに関しては悪い人には見えないな」
「嫌な言い方だねぇ……。それって、お父さん以外は悪い人ってこと?」
「逆に聞くが、お前は俺にとっての善人か? それとも悪人なのか?」
俺の質問に女は少しだけ憤慨したような表情を浮かべようとして……すぐに笑顔になると自分の顔を指さした。
「そうだねぇ……。悠斗さんに関しては悪人かもしれないねぇ」
「何だそれは」
「ふふ。知らないよ。“善か悪か”、“0か100か”でしか考えられない今の悠斗さんには答えたくないしぃ」
無邪気な笑顔を見せつつ、今度こそ本当に家の中に足を踏み入れた女の背中を追いかけつつ、俺はこれまで何度も顔を合わせておきながら、一度も聞いた事がない事があると思い出した。
「そう言えば。俺お前の名前知らないな。折角だし聞いてもいいか?」
その言葉に、前を歩いていた女は足を止めると、ものすごい勢いで振り向いた。
その表情は非常に非常に憤慨しており、さっき折角引っ込めたのに結局見せる事になるのだな。と、場違いな事を考えてしまうくらい誰がどう見ても文句なしの不満顔だった。
「……酷い。今までも色々酷いこと言われたけど、それと比較にならない程酷い。え? 何それ? 悠斗さんって今まで私の事を名前すら聞く必要も無いくらい興味なかったって事? 酷い酷い! それは流石に酷すぎるよぉ! この人でなし!」
「ひ、人でなし? いくら何でもそこまで……じゃなくね? 今はちゃんと興味持ったって事だし……」
「そういう問題じゃないよぉ!!」
あまりの剣幕にタジタジになる俺に、修羅になった女は顔を近づけて物分りの悪い子供に言い聞かせるヒステリックな母親のように口を開く。
「私の名前は翠。千堂翠ですっ! もう絶対に! 絶対に忘れないでよねっ!」
そう言い捨て、プリプリと怒りながら再び家の奥に向かって歩き出す女──翠の後ろを追いかける。
「もしも忘れたらもうご飯作ってあげないんだからぁ!」
いや、それは別にいらない。
そうは思ったが、流石にこの場で口に出せるわけもない。
翠がさっき言ったように純粋な好意は受け取るべきだと思ったからだ。
その後、しばらくしてようやく機嫌の直った翠と共に夕食を食べ、千堂さんに裏口の修理を頼む事で話が付いた。
ただ、この時の俺は次の日の陽が登って間もなくの早朝に、ウッキウキの千堂さんに叩き起される事になるとは知る由もなかった。
「切り口に合わせて扉を宛てがって、補強用の木材を釘で固定するだけ。ただそれだけだ。そう思っていたんだけどなぁ」
ハンマーを振り下ろすたびにズレていき、全く元の位置に収まらずに愉快なオブジェと化した嘗てドアだった物を蹴っ飛ばして俺は仰向けに寝転がる。
目に入った空は薄らと赤く色づき始め、そろそろ夕刻に差し掛かろうという時間帯だった。
「……一日が終わる。そして、俺の休日も。俺はあれだな。ゆっくり休む事も出来ない運命の星の元に生まれてきたのかもしれないな」
ゆっくりと流れる雲。
あの雲のように心穏やかでいられたら、どんなに生きる事が楽だろうと考える。
しかし、人の世で生きていく以上はそんな物が唯の理想であるという事くらいわかっているつもりだった。
「……上司からの命令は絶対……か。どんな世界でもブラックな職場、パワハラ上司ってのはいるんだな。いや、直接死に関わる命令がないだけこっちの方がマシか?」
一応、過労死的な物はあるが、殺人にまで発展するのは稀だろう。
心身共に疲れ果てて、自ら命を絶つ人が後を絶たないことは知っているし、それが原因で体を壊してしまう人がいる事も知っている。
現に俺も体に異常を感じて死を身近に感じた事があるからよくわかる。
ただ、それと同時に数年程度の激務では、直接的な死には繋がらないという事も……残念ながら実体験として知っていた。
「……カリスは……あれしか選択肢は無かったのだろうか……?」
俺が同じ立場だったらどうしただろう?
恐らく、退職という道を選んだと思う。今回、退職してこの町にまで逃げてきたように。
しかし、カリスはそうするだけの理由が無かったのだろう。それ以上に守るべき大切な物があったのだろう。
それが……自らと。守るべき相手の未来が潰える行動だったとしても。
「社会ってのは本当にくそだよなぁ……。末端の人間ってのはいつだって歯車で、無くなった所で変わりはある。故障しても交換すればいいんだから。だったら、キツくて辛い仕事は他の人に回さないように無理をする部品だって出てくるよな。結果壊れて使い潰されても」
「本当だねぇ」
突然振って沸いた声に俺は少しだけドキリとするが、その声と口調から声の主が誰か分かり、すぐにゲンナリとした気分にさせられた。
「……たしか門は閉めていたはずだが」
「うん。閉まってたねぇ。でも、鍵が付いてなかったら結局同じだと思うのぉ」
「俺、カンヌキ掛けてたと思うけど」
「隙間から手で開けられるし。あれじゃ鍵の意味ないよぉ?」
「意味なくしてるのはお前だけどな。ああいうのはな。『鍵かけてますから入らないでくださいね?』っていう主張なの。そこは空気読んで引き返すべきでしょ。隣人としては」
「いくら何でもそこまでわかったら流石に超能力者の類じゃない? 少なくとも、そういう主張をしたいんだったら張り紙でもつければいいと思うなぁ……」
張り紙、張り紙ね。
何となくだけど、こいつは張り紙があっても関係なく入ってくるような気がした。
俺は上半身を上げると声のした方に顔を向ける。
すると、思っていたよりもずっと近く。
それこそ、俺の顔から一歩しか離れていない距離に膝上のスカートにブラウス姿の女が立っていた。
「……お前。俺があのままの体勢で見上げなかった事を感謝しろよ?」
「どういう意味かな? あ、ひょっとしてお姉ちゃんのパンツ見たかった? 残念だったねぇ」
「一度お前の頭かち割って中身見てみたいわ。マジで」
「悠斗さんってあれだよね。偶に言葉遣いがならず者っぽいよね」
「ならず者ってお前……。年齢が知れるな」
「それはお互い様でしょ?」
「よいしょ」と口にして俺の隣に座り込む女。
今回は椅子がわりになるブロックはないから直座りだが、汚れるとかそういう事は関係ないということだろうか?
まあ、直に寝っ転がっている俺が言うことではないが。
「で? 今日は何の用事で来たんだ?」
春と夏の間に漂う生温い風に吹かれて俺の頬を撫でる女の髪を邪険に振り払いながら問いかける俺に対して、何が面白いのか笑顔の女が目の前に掲げてきたのは布に包まれた四角い箱と、ステンレス製の水筒だった。
「お弁当とお味噌汁の差し入れ。男の人の一人暮らしだし、偏った食生活してるんじゃないかなぁって思って」
「お前……俺が10年以上一人暮らししてたの知らないだろ」
目元を抑えつつ苦言を呈する俺に、女は笑う。
それはどこか楽しそうというよりも苦笑に近い音色を奏でて。
「その10年って酷い会社にいた時の事でしょう? そんなの絶対料理してるわけないじゃない」
「それについちゃ否定する事は出来ないが、それが俺が料理をしない理由にはならないだろ」
「出来るの? 料理」
「…………飯は炊けるぞ」
あと、パンも焼けるし、目玉焼きも焼ける。
「炊飯器使ってでしょう? それって料理って言わないし」
女は今度こそ苦笑すると立ち上がり、転がっていた嘗て扉だった物を飛び越えて裏口に入る。
「おい」
「なぁに? 別に変なことしないよぉ? ただ、ちょっとしたものを作ってあげようかなってだけ」
「いらねぇよ」
俺は立ち上がると扉だった板切れを蹴っ飛ばす。
「俺は他人の力は借りない」
だが、俺のそんな言葉にも、女は柔らかな笑顔を返すだけだった。
「悲しい生き方だね。悠斗さん。そんな生き方したってきっと幸せにはなれないよ」
「お前に俺の何がわかる?」
毎日寝る間も惜しんで命を削り落としながら生きた事もない女にわかるはずもない。
「そりゃぁ、私は悠斗さんじゃないし、悠斗さんの辛さはわからないよ? でも、悠斗さんだって私の事は何もわからないでしょう?」
「分かる必要もない。そもそも、お前は前の旦那に暴力を振るわれて帰ってきたんじゃ無かったのか? 俺が怖くないのか? 俺はお前の言う所のならず者だろう?」
「……悠斗さんの言葉を借りるなら、『貴方に私の何が分かるの?』って返すべきなのかな?」
出来るだけ凄みを効かせた俺の言葉に、女はゆっくりと首を振った。
「全然怖くないよ。悠斗さんなんて。私が悠斗さんが死んじゃう事を覚悟するくらい酷い環境にいた事を知らないのと同じように、悠斗さんも私が死んじゃう事を覚悟するくらい酷い環境にいた事を知らないでしょう? でも、それって知る必要ある? 私は無いと思う。私は悠斗さんが『一人で大変そうだなぁ』って思うからちょっとだけ手助けしたいと思っただけだし、別に変な下心もないし。自衛の手段は身につけてとは言ったけど、悠斗さんのそれは違うよね? 後、これもそう」
女は言いながらボロ板に成り果てた扉を指差す。
「こんなの私のお父さんに言ったらすぐだよ。家のお父さん日曜大工が趣味だから。どうせ悠斗さんの事だから、『ただで仕事を頼むとか後が怖い』とか思ってるんでしょう? そんな訳無いじゃん。変なものばっかり作るから、家の家族はみんな迷惑して最近何も作らせて貰えなくて愚痴ばっかり言ってるような人だよ? ちょっと「裏口壊れちゃったんすよー」とでも言ってあげれば、すぐにでも道具片手に乗り込んでくると思うよ?」
女の言葉に、俺は人の良さそうな隣人のおじさんの顔を思い出す。
そう言えば、今度家族を紹介するとか言っていたような気がするが、俺はあの人が日曜大工をするという事を知らなかった。
「折角お隣になったんだし、好意は素直に受け取るべきだよ悠斗さん。勿論、良い人と悪い人の区別はつけなくちゃいけないとは思うけど、家のお父さん。そんなに悪い人に見える?」
女に言われて、俺は首を横に振る。
「……まあ、千堂さんに関しては悪い人には見えないな」
「嫌な言い方だねぇ……。それって、お父さん以外は悪い人ってこと?」
「逆に聞くが、お前は俺にとっての善人か? それとも悪人なのか?」
俺の質問に女は少しだけ憤慨したような表情を浮かべようとして……すぐに笑顔になると自分の顔を指さした。
「そうだねぇ……。悠斗さんに関しては悪人かもしれないねぇ」
「何だそれは」
「ふふ。知らないよ。“善か悪か”、“0か100か”でしか考えられない今の悠斗さんには答えたくないしぃ」
無邪気な笑顔を見せつつ、今度こそ本当に家の中に足を踏み入れた女の背中を追いかけつつ、俺はこれまで何度も顔を合わせておきながら、一度も聞いた事がない事があると思い出した。
「そう言えば。俺お前の名前知らないな。折角だし聞いてもいいか?」
その言葉に、前を歩いていた女は足を止めると、ものすごい勢いで振り向いた。
その表情は非常に非常に憤慨しており、さっき折角引っ込めたのに結局見せる事になるのだな。と、場違いな事を考えてしまうくらい誰がどう見ても文句なしの不満顔だった。
「……酷い。今までも色々酷いこと言われたけど、それと比較にならない程酷い。え? 何それ? 悠斗さんって今まで私の事を名前すら聞く必要も無いくらい興味なかったって事? 酷い酷い! それは流石に酷すぎるよぉ! この人でなし!」
「ひ、人でなし? いくら何でもそこまで……じゃなくね? 今はちゃんと興味持ったって事だし……」
「そういう問題じゃないよぉ!!」
あまりの剣幕にタジタジになる俺に、修羅になった女は顔を近づけて物分りの悪い子供に言い聞かせるヒステリックな母親のように口を開く。
「私の名前は翠。千堂翠ですっ! もう絶対に! 絶対に忘れないでよねっ!」
そう言い捨て、プリプリと怒りながら再び家の奥に向かって歩き出す女──翠の後ろを追いかける。
「もしも忘れたらもうご飯作ってあげないんだからぁ!」
いや、それは別にいらない。
そうは思ったが、流石にこの場で口に出せるわけもない。
翠がさっき言ったように純粋な好意は受け取るべきだと思ったからだ。
その後、しばらくしてようやく機嫌の直った翠と共に夕食を食べ、千堂さんに裏口の修理を頼む事で話が付いた。
ただ、この時の俺は次の日の陽が登って間もなくの早朝に、ウッキウキの千堂さんに叩き起される事になるとは知る由もなかった。
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