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第五章 垣間見る過去とそれぞれの道
03 自然な笑顔はお互いきっと初めてで
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田舎町を散策していると時折「誰が利用しているんだ?」と、首を傾げたくなるような客の入っていない喫茶店を見る事がある。
そういった喫茶店を目にする度に、一体どうやって生計を立てているのだろうと不思議に思う事もあるが、恐らくは決まった時間帯に来るような常連客なんかがいるのだろう。
もしくは、飛び込みで入ったしみったれた一見客か。
そう。俺達のような。
「本当にお久しぶりですね」
流行りのポップスも、洒落たクラシックも流れていない静かな空間に、子供の頃に軒先で耳にした風鈴のような澄んだ声音が対面の女性の口から漏れる。
メガネに茶色に脱色した髪は以前とは違うが、それだけで誰かわからなくなるまでもない位にはよく見た顔だった。
「ああ。まさかこんな場所で会うとは思っていなかったから本当に驚いたな。最も──」
俺はテーブルの上に鎮座していたアイスコーヒーを軽くかき混ぜながら視線を落とす。
静かな店内に氷とグラスがぶつかり合う音がやけに大きく聞こえた。
「──社長から君の名前を聞いた時に何となく近いうちに会うんじゃないか……。心のどこかでそんな気はしていたのかもしれないけどな」
俺の言葉に彼女──佐藤さんは少しだけ驚いたらしい。
口元に右手を当てると「ああ」と小さな声を上げた。
「あの電話の人って社長さんだったんですか? 何だか、『そんな事を聞いてどうすんだ?』って、すごい怖い声で聞いてきたから、てっきり従業員の誰かかと……」
「……何やってんだあの人……。いや、そんな事を従業員が口にしてたらダメだろう。社長だからいいって訳でもないが」
「ふふ。そうですね」
俺の言葉に佐藤さんは笑うと、ホットコーヒーに口をつける。
そして、カップをソーサーに置いたタイミングを見計らって、俺は混ぜていたストローから手を離して顔を上げた。
「……今は充実した生活を送っているようだな」
「……そう見えますか?」
「ああ。そうやって笑う所を初めて見たよ」
俺の言葉に佐藤さんは「ええ?」と言って苦笑する。
困ったようなその笑顔は何度も見た事があるものだったが。
「そうでしたっけ? 私休憩時間とかには結構笑っていたと思うんですけど」
「そもそも、その休憩時間の記憶が薄れてるんだよ。後半は休憩時間なんて無かったから。それに。あんな今にも泣きそうな笑顔を向けられてもどう反応していいのかわからなかった」
「……泣きそうな顔してました?」
「そういうのって本人は意外と気が付いてないもんなんだな」
ちなみに彼女の得意技は笑顔から突然真顔になってそのまま涙を落とす事だ。
最も、本人にそんな意図はなかっただろうし、泣き声すら上げないくらいだったから自覚自体もなかっただろう。
すると、目の前の佐藤さんは俺を見てクスリと笑うと納得したように頷いた。
「確かに。最後の頃の茨城さんって、いつも怒った顔してて。言われてみれば私も茨城さんの笑顔って見た事ないかもしれません」
「……そうだったか?」
「そういうのって本人は意外と気がついていないものなんですね?」
まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべる佐藤さんに向かって両手を上げて“お手上げ”の意思を見せると、俺はグラスを手にしてストローに口をつける。
蒸し暑い外とは違い店内は適温に保たれていたが、冷たい液体が喉を通り抜ける感覚が少しだけ気持ちの昂ぶりを落ち着けたような気がした。
「初めて会ったのが3年前。離れてから2年か……。長かったのか短かったのか感想に困る期間だ」
「……そうですね」
佐藤さんは頷くと顔を窓の外に向ける。
さっきまで小雨だった雨は既に本降りになったらしく、窓に当たった雨粒が幾重もの筋を描いて窓を流れ落ちていた。
「今日は何しにこの町に? まさか、俺に会いに来た訳でもあるまい?」
俺の問いに佐藤さんはゆっくりと俺に向き直ると苦笑しつつ頬をかく。
それは、答え難い質問をされた時に彼女がよく見せた仕草だった。
「“貴方に会いに来ました”。そう言えればロマンチックだったのかもしれませんけど、ご察しのとおり違います。偶々この町に仕事で来る事になったんですけど、その時にふと茨城さんがこの町の会社に転職した事を聞いたのを思い出したんです。それで、一応確認の為に転職先の会社に電話を……まあ、先ほど話したような対応をされてびっくりしましたけど、本当はあまり期待はしてなかったんですよ。今ってほら。個人情報とかうるさいでしょう? きっと適当に流されるな、と思ってたら、少し理由を話したら在籍してることだけは教えてくれて」
理由を話した?
俺に説明した時に社長はそんな事は言っていなかった筈だが、あの人の性格を考えれば何となく理由は想像できた。恐らく、俺だけではなく、佐藤さんの境遇にも共感して気を使ったのだろう。
元々俺と同じ会社に勤めていた人間であれば待遇は似たようなものだろうし、住所も連絡先も教えていないのなら、探そうとも思わなければそもそも顔を合わせる可能性も少ないだろうから。
「ちなみに、俺の転職先の事を君に話したのって誰なんだ? 俺の記憶が正しければ元の会社の人は勿論、家族にさえ今の会社に務める事になった事は話してなかったつもりだったんだが……」
「今井さんですよ。事務員の。茨城さんは知らないかもしれませんけど、私退職した後もあの人とは個人的に連絡を取り合っていたんです。それで茨城さんが退職した事も知りましたし、転職した会社の事も知ったんです」
佐藤さんの口から飛び出した「今井」という名前を記憶の中から探ってみると、よく佐藤さんを気にかけていた女性社員の顔が浮かんだ。
そう言えば、最初に彼女に佐藤さんの様子を見てくるように頼まれたのがきっかけで、俺が佐藤さんを慰める役になってしまったような気がする。
「……退職したって聞いた時は…………とても……とても安心しました」
急に神妙な声を漏らした佐藤さんに、俺は視線を上げると顔を見る。
視線の先にいた佐藤さんの目は眼鏡越しにもわかるほど潤んで見えた。
そういった喫茶店を目にする度に、一体どうやって生計を立てているのだろうと不思議に思う事もあるが、恐らくは決まった時間帯に来るような常連客なんかがいるのだろう。
もしくは、飛び込みで入ったしみったれた一見客か。
そう。俺達のような。
「本当にお久しぶりですね」
流行りのポップスも、洒落たクラシックも流れていない静かな空間に、子供の頃に軒先で耳にした風鈴のような澄んだ声音が対面の女性の口から漏れる。
メガネに茶色に脱色した髪は以前とは違うが、それだけで誰かわからなくなるまでもない位にはよく見た顔だった。
「ああ。まさかこんな場所で会うとは思っていなかったから本当に驚いたな。最も──」
俺はテーブルの上に鎮座していたアイスコーヒーを軽くかき混ぜながら視線を落とす。
静かな店内に氷とグラスがぶつかり合う音がやけに大きく聞こえた。
「──社長から君の名前を聞いた時に何となく近いうちに会うんじゃないか……。心のどこかでそんな気はしていたのかもしれないけどな」
俺の言葉に彼女──佐藤さんは少しだけ驚いたらしい。
口元に右手を当てると「ああ」と小さな声を上げた。
「あの電話の人って社長さんだったんですか? 何だか、『そんな事を聞いてどうすんだ?』って、すごい怖い声で聞いてきたから、てっきり従業員の誰かかと……」
「……何やってんだあの人……。いや、そんな事を従業員が口にしてたらダメだろう。社長だからいいって訳でもないが」
「ふふ。そうですね」
俺の言葉に佐藤さんは笑うと、ホットコーヒーに口をつける。
そして、カップをソーサーに置いたタイミングを見計らって、俺は混ぜていたストローから手を離して顔を上げた。
「……今は充実した生活を送っているようだな」
「……そう見えますか?」
「ああ。そうやって笑う所を初めて見たよ」
俺の言葉に佐藤さんは「ええ?」と言って苦笑する。
困ったようなその笑顔は何度も見た事があるものだったが。
「そうでしたっけ? 私休憩時間とかには結構笑っていたと思うんですけど」
「そもそも、その休憩時間の記憶が薄れてるんだよ。後半は休憩時間なんて無かったから。それに。あんな今にも泣きそうな笑顔を向けられてもどう反応していいのかわからなかった」
「……泣きそうな顔してました?」
「そういうのって本人は意外と気が付いてないもんなんだな」
ちなみに彼女の得意技は笑顔から突然真顔になってそのまま涙を落とす事だ。
最も、本人にそんな意図はなかっただろうし、泣き声すら上げないくらいだったから自覚自体もなかっただろう。
すると、目の前の佐藤さんは俺を見てクスリと笑うと納得したように頷いた。
「確かに。最後の頃の茨城さんって、いつも怒った顔してて。言われてみれば私も茨城さんの笑顔って見た事ないかもしれません」
「……そうだったか?」
「そういうのって本人は意外と気がついていないものなんですね?」
まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべる佐藤さんに向かって両手を上げて“お手上げ”の意思を見せると、俺はグラスを手にしてストローに口をつける。
蒸し暑い外とは違い店内は適温に保たれていたが、冷たい液体が喉を通り抜ける感覚が少しだけ気持ちの昂ぶりを落ち着けたような気がした。
「初めて会ったのが3年前。離れてから2年か……。長かったのか短かったのか感想に困る期間だ」
「……そうですね」
佐藤さんは頷くと顔を窓の外に向ける。
さっきまで小雨だった雨は既に本降りになったらしく、窓に当たった雨粒が幾重もの筋を描いて窓を流れ落ちていた。
「今日は何しにこの町に? まさか、俺に会いに来た訳でもあるまい?」
俺の問いに佐藤さんはゆっくりと俺に向き直ると苦笑しつつ頬をかく。
それは、答え難い質問をされた時に彼女がよく見せた仕草だった。
「“貴方に会いに来ました”。そう言えればロマンチックだったのかもしれませんけど、ご察しのとおり違います。偶々この町に仕事で来る事になったんですけど、その時にふと茨城さんがこの町の会社に転職した事を聞いたのを思い出したんです。それで、一応確認の為に転職先の会社に電話を……まあ、先ほど話したような対応をされてびっくりしましたけど、本当はあまり期待はしてなかったんですよ。今ってほら。個人情報とかうるさいでしょう? きっと適当に流されるな、と思ってたら、少し理由を話したら在籍してることだけは教えてくれて」
理由を話した?
俺に説明した時に社長はそんな事は言っていなかった筈だが、あの人の性格を考えれば何となく理由は想像できた。恐らく、俺だけではなく、佐藤さんの境遇にも共感して気を使ったのだろう。
元々俺と同じ会社に勤めていた人間であれば待遇は似たようなものだろうし、住所も連絡先も教えていないのなら、探そうとも思わなければそもそも顔を合わせる可能性も少ないだろうから。
「ちなみに、俺の転職先の事を君に話したのって誰なんだ? 俺の記憶が正しければ元の会社の人は勿論、家族にさえ今の会社に務める事になった事は話してなかったつもりだったんだが……」
「今井さんですよ。事務員の。茨城さんは知らないかもしれませんけど、私退職した後もあの人とは個人的に連絡を取り合っていたんです。それで茨城さんが退職した事も知りましたし、転職した会社の事も知ったんです」
佐藤さんの口から飛び出した「今井」という名前を記憶の中から探ってみると、よく佐藤さんを気にかけていた女性社員の顔が浮かんだ。
そう言えば、最初に彼女に佐藤さんの様子を見てくるように頼まれたのがきっかけで、俺が佐藤さんを慰める役になってしまったような気がする。
「……退職したって聞いた時は…………とても……とても安心しました」
急に神妙な声を漏らした佐藤さんに、俺は視線を上げると顔を見る。
視線の先にいた佐藤さんの目は眼鏡越しにもわかるほど潤んで見えた。
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