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第五章 垣間見る過去とそれぞれの道
04 泣き虫部下と鬼上司
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「……安心した? それはまた大袈裟だな」
「……大袈裟だと思いますか? 茨城さんらしいと言えばらしいですけど」
佐藤さんは俺の声に応えるとコーヒーに口を付け、俺から目を逸らして顔を窓に向ける。
「あの頃茨城さんが他の従業員に何て言われていたか知っていますか? みんな口々に言ってましたよ『あの人は絶対に後数年で過労死する』って。何時も何時も会社にいて、一体いつ寝てるんだろうってみんな言ってました。実際私もそう思ったから、少しでも茨城さんの仕事を減らそうと頑張って……でも……」
そこまで話して、佐藤さんは言いにくそうに押し黙る。
その様子を見て、俺はストローに口を付けてアイスコーヒーを一気に半分まで減らすと口を開く。
「言いたい事があれば言えばいい」
「……え?」
俺の言葉に佐藤さんは驚いたようにこちらを向く。
その目は少し赤くなっていたが、俺は気づかないふりをして口角をあげる。
「今の俺と君の関係は上司と部下でもなければ同僚でも友達でもない。数年ぶりに偶然道端であった顔見知り程度のものだろう? これまで連絡だってしていなかったような薄い関係だよ。ここで変な事を言った所で次に会うのは何年後? ってもんだ」
佐藤さんは俺の瞳をまっすぐ見据えて少しだけ眉を寄せる。
その様子を見て、俺は本当に表情が豊かになったなと場違いな感想を抱く。
「昔の話だ。今更何を言われた所で気にせんよ。寧ろ、行きずりで会ったからこそ、お互い妙な隠し事はしたくない。もしもまた次に同じようにどこかで偶然会った時にしこりは残したくはないじゃないか」
「……また……会う時に……?」
「可能性はあるだろう? 別に会うつもりもなかったのに、ばったり出くわすなんて結構な確率だと思うぞ? 君は知らないかもしれないが、今の俺は中々の出不精でね。休日はゴロゴロしている事が多いから」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。今日は偶々外に用事があっただけだ。もしも君の今日の用事が単発なら、俺たちはこの場でこうして話している事すらなかったんだ。だったら、このチャンスは逃すべきじゃない」
「……チャンス……」
「そう。チャンスだ。以前も言ったと思うが、本当の修羅場の時ほど直感や行動力は大切だ。悠長に考えていたら数少ない逃げ道を潰す事になるからな。時間は待ってはくれない。失った時間は取り戻せない。後になって『ああ。あの時こうしていれば良かった』なんて口が裂けても言えない環境に俺たちはいたんだ。それが間違いであってもいい。行動するのが早いほど、その後のフォローの目も出るからな。一番やっちゃいけないのは“放置”する事。それをやって、君は散々泣かされてきただろう?」
俺の言葉に佐藤さんは目を見開くと、何かを思い出したのか眉を寄せて泣いているのか笑っているのか判断がつかない微妙な表情を浮かべる。
「……あの頃の茨城さん……本当に怖かったです……」
「だろうね。俺も今ならそう思う。はっきり言っちまうが、あの頃の俺はとんでもないキ○ガイだったよ」
直ぐにキレて誰彼構わず怒鳴り散らして……末期には役員や社長にまで怒鳴り散らしていたんだから救えない。
「それでも、俺は今までの行動の全てを後悔している訳じゃない。俺の行動で救われた、助かった、感謝していると。そう言ってくれた人もいたからね。でも、俺が退職する時はみんながホッとするだろうと思っていたのも事実だった。口ではなんて言っていても『助かった』って思う人間が多数を占めると思っていたんだよ。ところがだ。俺が辞める時に職場のみんな……勿論、全員ではないけれど、何をくれたと思う? でっかい花束と高いお酒と寄せ書きだよ。いい大人がさ。寄せ書きだぜ? それも逃げ出した人間にだよ。『今までお酒を飲む暇も無かったでしょう?』って、お前は俺のママかって」
俺は苦笑すると視線を落としてグラスに向ける。
正面に座っている佐藤さんの瞳が、これまでにないくらいに揺れたのが目に入ったからだ。
「……どうせもう今後合わないような人間だ。どうせ恨み言の一つでも書いてやろうって人間もいるかと思いきや、どいつもこいつも『もう無理しないで』、『今度はゆっくり出来る所に就職して』って、そればかり。ああ、一人だけ『茨城さんが現場に来た時のピリピリした空気が好きでした』何て、反応に困る事を書いた奴もいたけどな」
「ははっ」と笑い、俺はグラスを指を添える。
結露していたグラスは俺が触った事で水滴を産んで、まるで涙のようにテーブルにスルリと落ちた。
「それでも……。俺はその言葉の全てを覚えているし、今後も忘れる事もない。それは、次に会った時は笑顔で再会したいからだ。なあ、佐藤さん」
俺は顔をあげる。
上げた先にいた佐藤さんの顔は、あの頃一番よく見た無表情ではなかったけれど、泣く寸前の雰囲気によく似ていた。
「『お役に立てなくて申し訳ありませんでした』。あの時、最後に君はそう言っていたな? でも、この言葉はあの時の俺にとっても、今の俺にしてもとんと意味のわからない言葉なんだよ。俺としては随分君には助けられたと感じていたし、寧ろ、潰してしまって謝らなければいけないのは俺の方だと思っていたからね。でも、もう二度と会う事もないかもしれない俺に対して口にした言葉だ。きっと君なりの理由があったんだろう? そして、今君が口にしたくて出来ない言葉は、それに関係している」
「違うかい?」そう締めくくった俺に対して、佐藤さんは薄ら自虐的な笑顔を浮かべて首を横に振った。
「……茨木さんは……どこまでいっても茨城さんのままなんですね。余りに無自覚で鈍感で……職場のみんながどれだけ茨城さんを頼りにしていて、どれだけ茨城さんを心配していたか気がつきもしないくらいに。……私とは違って」
そういった佐藤さんの目から涙が落ちる。
それは、まるで先ほどグラスから流れ落ちた水滴のようだった。
「……茨城さんが私を潰した? ……そんなわけないじゃないですか」
彼女は俯き、言葉に詰まる。
だが、それでもさっきまでの彼女とは違い、振り絞ったような声で行動を起こす。
「……茨城さんが私を潰したんじゃない。……私が茨城さんを潰してしまったんです」
そして、涙声で震えた彼女が口にしたのは、まるで懺悔のような告白だった。
「……大袈裟だと思いますか? 茨城さんらしいと言えばらしいですけど」
佐藤さんは俺の声に応えるとコーヒーに口を付け、俺から目を逸らして顔を窓に向ける。
「あの頃茨城さんが他の従業員に何て言われていたか知っていますか? みんな口々に言ってましたよ『あの人は絶対に後数年で過労死する』って。何時も何時も会社にいて、一体いつ寝てるんだろうってみんな言ってました。実際私もそう思ったから、少しでも茨城さんの仕事を減らそうと頑張って……でも……」
そこまで話して、佐藤さんは言いにくそうに押し黙る。
その様子を見て、俺はストローに口を付けてアイスコーヒーを一気に半分まで減らすと口を開く。
「言いたい事があれば言えばいい」
「……え?」
俺の言葉に佐藤さんは驚いたようにこちらを向く。
その目は少し赤くなっていたが、俺は気づかないふりをして口角をあげる。
「今の俺と君の関係は上司と部下でもなければ同僚でも友達でもない。数年ぶりに偶然道端であった顔見知り程度のものだろう? これまで連絡だってしていなかったような薄い関係だよ。ここで変な事を言った所で次に会うのは何年後? ってもんだ」
佐藤さんは俺の瞳をまっすぐ見据えて少しだけ眉を寄せる。
その様子を見て、俺は本当に表情が豊かになったなと場違いな感想を抱く。
「昔の話だ。今更何を言われた所で気にせんよ。寧ろ、行きずりで会ったからこそ、お互い妙な隠し事はしたくない。もしもまた次に同じようにどこかで偶然会った時にしこりは残したくはないじゃないか」
「……また……会う時に……?」
「可能性はあるだろう? 別に会うつもりもなかったのに、ばったり出くわすなんて結構な確率だと思うぞ? 君は知らないかもしれないが、今の俺は中々の出不精でね。休日はゴロゴロしている事が多いから」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。今日は偶々外に用事があっただけだ。もしも君の今日の用事が単発なら、俺たちはこの場でこうして話している事すらなかったんだ。だったら、このチャンスは逃すべきじゃない」
「……チャンス……」
「そう。チャンスだ。以前も言ったと思うが、本当の修羅場の時ほど直感や行動力は大切だ。悠長に考えていたら数少ない逃げ道を潰す事になるからな。時間は待ってはくれない。失った時間は取り戻せない。後になって『ああ。あの時こうしていれば良かった』なんて口が裂けても言えない環境に俺たちはいたんだ。それが間違いであってもいい。行動するのが早いほど、その後のフォローの目も出るからな。一番やっちゃいけないのは“放置”する事。それをやって、君は散々泣かされてきただろう?」
俺の言葉に佐藤さんは目を見開くと、何かを思い出したのか眉を寄せて泣いているのか笑っているのか判断がつかない微妙な表情を浮かべる。
「……あの頃の茨城さん……本当に怖かったです……」
「だろうね。俺も今ならそう思う。はっきり言っちまうが、あの頃の俺はとんでもないキ○ガイだったよ」
直ぐにキレて誰彼構わず怒鳴り散らして……末期には役員や社長にまで怒鳴り散らしていたんだから救えない。
「それでも、俺は今までの行動の全てを後悔している訳じゃない。俺の行動で救われた、助かった、感謝していると。そう言ってくれた人もいたからね。でも、俺が退職する時はみんながホッとするだろうと思っていたのも事実だった。口ではなんて言っていても『助かった』って思う人間が多数を占めると思っていたんだよ。ところがだ。俺が辞める時に職場のみんな……勿論、全員ではないけれど、何をくれたと思う? でっかい花束と高いお酒と寄せ書きだよ。いい大人がさ。寄せ書きだぜ? それも逃げ出した人間にだよ。『今までお酒を飲む暇も無かったでしょう?』って、お前は俺のママかって」
俺は苦笑すると視線を落としてグラスに向ける。
正面に座っている佐藤さんの瞳が、これまでにないくらいに揺れたのが目に入ったからだ。
「……どうせもう今後合わないような人間だ。どうせ恨み言の一つでも書いてやろうって人間もいるかと思いきや、どいつもこいつも『もう無理しないで』、『今度はゆっくり出来る所に就職して』って、そればかり。ああ、一人だけ『茨城さんが現場に来た時のピリピリした空気が好きでした』何て、反応に困る事を書いた奴もいたけどな」
「ははっ」と笑い、俺はグラスを指を添える。
結露していたグラスは俺が触った事で水滴を産んで、まるで涙のようにテーブルにスルリと落ちた。
「それでも……。俺はその言葉の全てを覚えているし、今後も忘れる事もない。それは、次に会った時は笑顔で再会したいからだ。なあ、佐藤さん」
俺は顔をあげる。
上げた先にいた佐藤さんの顔は、あの頃一番よく見た無表情ではなかったけれど、泣く寸前の雰囲気によく似ていた。
「『お役に立てなくて申し訳ありませんでした』。あの時、最後に君はそう言っていたな? でも、この言葉はあの時の俺にとっても、今の俺にしてもとんと意味のわからない言葉なんだよ。俺としては随分君には助けられたと感じていたし、寧ろ、潰してしまって謝らなければいけないのは俺の方だと思っていたからね。でも、もう二度と会う事もないかもしれない俺に対して口にした言葉だ。きっと君なりの理由があったんだろう? そして、今君が口にしたくて出来ない言葉は、それに関係している」
「違うかい?」そう締めくくった俺に対して、佐藤さんは薄ら自虐的な笑顔を浮かべて首を横に振った。
「……茨木さんは……どこまでいっても茨城さんのままなんですね。余りに無自覚で鈍感で……職場のみんながどれだけ茨城さんを頼りにしていて、どれだけ茨城さんを心配していたか気がつきもしないくらいに。……私とは違って」
そういった佐藤さんの目から涙が落ちる。
それは、まるで先ほどグラスから流れ落ちた水滴のようだった。
「……茨城さんが私を潰した? ……そんなわけないじゃないですか」
彼女は俯き、言葉に詰まる。
だが、それでもさっきまでの彼女とは違い、振り絞ったような声で行動を起こす。
「……茨城さんが私を潰したんじゃない。……私が茨城さんを潰してしまったんです」
そして、涙声で震えた彼女が口にしたのは、まるで懺悔のような告白だった。
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