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第五章 垣間見る過去とそれぞれの道
05 立場が変われば役割は変わる
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「俺を潰した? 君が?」
涙声の彼女の言葉に動揺してしまったのは俺の方だった。
正直な話、佐藤さんが何を言っているのかわからなかった。
今になって色々と思い出してみても、佐藤さんが泣き出して慰めている時以外の俺の佐藤さんに対する態度は、お世辞にも褒められたものでは無かった。
世が世でなかったとしても、完全にパワハラ案件だ。
「何か思い違いをしていないか? 君が俺を『パワハラ野郎』と罵しるなら兎も角、俺を潰したとか見当違いも甚だしいぞ?」
「……なら聞きますけど」
佐藤さんはメガネを外すと右手の袖で涙を拭い、こちらに目を向ける。
眼鏡をかけていないその顔は、髪型と髪色が違う筈なのに、嘗て共に働いたかつての部下そのものだった。
「私が入社する前……いいえ。私が茨城さんの下につく前の茨城さんは、あそこまで怒りっぽい人でしたか?」
…………。
俺は彼女の問いに対して背中を背もたれに押し付けると、顎を手でなぞりながら思い出す。
俺は元々気の短い人間だ。
だけど、それでも公私の区別はつけていたつもりだった。
それは前の会社に入ったばかりの頃が特に顕著で、多少の事はムカッと来ても我慢して笑顔を浮かべていたように思う。
だが。
「君が俺の元に付けられた前後かどうかはともかくとして、怒りっぽくなったのは確かだな。でも、あれは単純に寝不足状態になる程仕事量が増えたからだぞ? 人間追い込まれると地が出るからな。君は知らんかもしれんが、俺は元々は気の短い人間だ。それが、極度の寝不足で表に出てきたに過ぎない。それを君の責任だというのは少々自惚れがすぎるんじゃないか?」
諭すような俺の言葉にも、彼女は首を横に降る。
それも、両の瞳にこれまで見た事もないような陰を落として。
「寝不足で茨城さんがおかしくなったのは同意します。それは以前から茨城さんと一緒に仕事していたみんなも言っていましたから。でも、違うんですよ。みんなが口にしていたのはその理由なんです」
あっさり同意した上に、“おかしくなった”とまで口にしたのは驚いた。
どうやら、今の彼女は思った事はそのまま口にすることにしたらしい。いい傾向ではある。いい傾向ではあるが……。
ちょっと聞くのが怖い部分も出てきたのも確かだ。
「『あの人は凄い人なんだ』」
そう思っているのも束の間、突然佐藤さんが低めの声……それも少し訛ったような声を出す。
最初俺は何をやっているんだと? と思ったが、直ぐにピンとくる。
これは俺の部署でリーダーをやってもらっていた従業員の声真似だ。
「『茨城さんは昔からどんな無茶な状況でも何とかしてきたんだよ。あの人の言うやり方でやれば絶対に間違いがないの。でも、最近あの人は私達の前に姿を現さない。どうして?』」
今度は少し甲高い、『どうして?』が口癖の現場を取りまとめていた女性従業員。
「『あの人はいつ寝てるんですか? どうしていつも事務所にいるんですか? あの人がいつもいるのに、どうして貴女は休めるし、眠れるの? 貴女は本当にあの人を助けているの?』」
俺によく相談事をしていた準社員の女の子。
「『あの人が現場に来られない程事務仕事に追われるはずがない。俺はあの人と付き合いが長いからよく知ってる。あの人は言っていたよ。『俺は現場を見ないで無理難題を言ってくる人間の言うことは聞かないようにしてる』って。現場を一番大切にしていたあの人が現場に来られない程、家に帰れない程仕事を抱え込んでいるのは──』」
そして、もう一度現場リーダーの声真似になって言葉に詰まり──。
佐藤さんは自嘲気味に笑うと最後は自分の声で言い切った。
「──あんたの分の仕事も含めて2人分の仕事を押し付けられているからなんじゃないか?」
その言葉に、俺は自分でも意識せずに大きな息を吐き出してしまう。
なんてこった。
俺の知らなかった裏で、そんなやりとりを佐藤さんや現場の人間がしているとは思わなかった。
現場で実際に動いているのは準社員やパート社員。それから派遣社員とアルバイトだ。
俺や佐藤さんのような社員はそれを管理する立場になる。
そうなってくると、現場の不満は現場に姿を現さない俺ではなく、佐藤さんに全て向かっていたのだろう。
「茨城さん。正直に答えてください。私が現場管理の一部しか出来ていなかったせいで、それ以外の全ての仕事を茨城さんが抱えてしまっていたのではないですか?」
成る程。
これが佐藤さんが「俺を潰してしまった」と言った理由か。
だが、もしもこれを彼女が本気で考えているのだとしたら、彼女は余りにもあの会社の事を知らなすぎた。
「どうしてそういう考えになるのかわからんね。それこそ自惚れが過ぎる。君が俺の元に付く前と後で仕事の量が増えたかどうか? 答えは“イエス”だ。だが、それは別に君が入ったことで二人分の仕事量になったからじゃない」
俺は氷だけになったグラスを横にずらすと、丸い跡になっていた水滴を指に絡めて線を書く。
「君も知っているはずだろ? 君が俺の元に付いた年に俺は昇進した。今までは現場だけを見ていれば良かったが、それ以降は経営にもかかわらなけりゃならなくなったんだよ。当然、今まで俺がやっていた仕事を誰かに振らなきゃならなかったんだが、俺のやり方は特殊でね。自分以外の人間を信用していない俺のやり方を、模倣できる人間がいなかったんだ。もっと言うと、それまでの間に唯の一人も俺は後輩の教育をしていなかったわけ。当然、誰も出来ないなら俺がやるしかない。本来は仕事を分担して今までやっていた事はこの人。これからは俺はこれ。って感じで移行していかなきゃならなかったんだが、それが出来なかった」
俺は真ん中に線を一本引くと、右側にカタカナでオレ。左側にカタカナでナシと書いた後に括弧してオレと書いた。
「……他の人が出来ないのに、入社したばかりの君にそれを求めるのは酷だよ。無理、無茶だって事は当時の狂っていた俺でさえ理解できた。だから、君にはせめて現場を見て貰うことにしたんだ。俺が今までやってきた現場での管理業務をやってくれるだけでも、俺にとっては“仕事が減って”、“助かるからね”」
涙声の彼女の言葉に動揺してしまったのは俺の方だった。
正直な話、佐藤さんが何を言っているのかわからなかった。
今になって色々と思い出してみても、佐藤さんが泣き出して慰めている時以外の俺の佐藤さんに対する態度は、お世辞にも褒められたものでは無かった。
世が世でなかったとしても、完全にパワハラ案件だ。
「何か思い違いをしていないか? 君が俺を『パワハラ野郎』と罵しるなら兎も角、俺を潰したとか見当違いも甚だしいぞ?」
「……なら聞きますけど」
佐藤さんはメガネを外すと右手の袖で涙を拭い、こちらに目を向ける。
眼鏡をかけていないその顔は、髪型と髪色が違う筈なのに、嘗て共に働いたかつての部下そのものだった。
「私が入社する前……いいえ。私が茨城さんの下につく前の茨城さんは、あそこまで怒りっぽい人でしたか?」
…………。
俺は彼女の問いに対して背中を背もたれに押し付けると、顎を手でなぞりながら思い出す。
俺は元々気の短い人間だ。
だけど、それでも公私の区別はつけていたつもりだった。
それは前の会社に入ったばかりの頃が特に顕著で、多少の事はムカッと来ても我慢して笑顔を浮かべていたように思う。
だが。
「君が俺の元に付けられた前後かどうかはともかくとして、怒りっぽくなったのは確かだな。でも、あれは単純に寝不足状態になる程仕事量が増えたからだぞ? 人間追い込まれると地が出るからな。君は知らんかもしれんが、俺は元々は気の短い人間だ。それが、極度の寝不足で表に出てきたに過ぎない。それを君の責任だというのは少々自惚れがすぎるんじゃないか?」
諭すような俺の言葉にも、彼女は首を横に降る。
それも、両の瞳にこれまで見た事もないような陰を落として。
「寝不足で茨城さんがおかしくなったのは同意します。それは以前から茨城さんと一緒に仕事していたみんなも言っていましたから。でも、違うんですよ。みんなが口にしていたのはその理由なんです」
あっさり同意した上に、“おかしくなった”とまで口にしたのは驚いた。
どうやら、今の彼女は思った事はそのまま口にすることにしたらしい。いい傾向ではある。いい傾向ではあるが……。
ちょっと聞くのが怖い部分も出てきたのも確かだ。
「『あの人は凄い人なんだ』」
そう思っているのも束の間、突然佐藤さんが低めの声……それも少し訛ったような声を出す。
最初俺は何をやっているんだと? と思ったが、直ぐにピンとくる。
これは俺の部署でリーダーをやってもらっていた従業員の声真似だ。
「『茨城さんは昔からどんな無茶な状況でも何とかしてきたんだよ。あの人の言うやり方でやれば絶対に間違いがないの。でも、最近あの人は私達の前に姿を現さない。どうして?』」
今度は少し甲高い、『どうして?』が口癖の現場を取りまとめていた女性従業員。
「『あの人はいつ寝てるんですか? どうしていつも事務所にいるんですか? あの人がいつもいるのに、どうして貴女は休めるし、眠れるの? 貴女は本当にあの人を助けているの?』」
俺によく相談事をしていた準社員の女の子。
「『あの人が現場に来られない程事務仕事に追われるはずがない。俺はあの人と付き合いが長いからよく知ってる。あの人は言っていたよ。『俺は現場を見ないで無理難題を言ってくる人間の言うことは聞かないようにしてる』って。現場を一番大切にしていたあの人が現場に来られない程、家に帰れない程仕事を抱え込んでいるのは──』」
そして、もう一度現場リーダーの声真似になって言葉に詰まり──。
佐藤さんは自嘲気味に笑うと最後は自分の声で言い切った。
「──あんたの分の仕事も含めて2人分の仕事を押し付けられているからなんじゃないか?」
その言葉に、俺は自分でも意識せずに大きな息を吐き出してしまう。
なんてこった。
俺の知らなかった裏で、そんなやりとりを佐藤さんや現場の人間がしているとは思わなかった。
現場で実際に動いているのは準社員やパート社員。それから派遣社員とアルバイトだ。
俺や佐藤さんのような社員はそれを管理する立場になる。
そうなってくると、現場の不満は現場に姿を現さない俺ではなく、佐藤さんに全て向かっていたのだろう。
「茨城さん。正直に答えてください。私が現場管理の一部しか出来ていなかったせいで、それ以外の全ての仕事を茨城さんが抱えてしまっていたのではないですか?」
成る程。
これが佐藤さんが「俺を潰してしまった」と言った理由か。
だが、もしもこれを彼女が本気で考えているのだとしたら、彼女は余りにもあの会社の事を知らなすぎた。
「どうしてそういう考えになるのかわからんね。それこそ自惚れが過ぎる。君が俺の元に付く前と後で仕事の量が増えたかどうか? 答えは“イエス”だ。だが、それは別に君が入ったことで二人分の仕事量になったからじゃない」
俺は氷だけになったグラスを横にずらすと、丸い跡になっていた水滴を指に絡めて線を書く。
「君も知っているはずだろ? 君が俺の元に付いた年に俺は昇進した。今までは現場だけを見ていれば良かったが、それ以降は経営にもかかわらなけりゃならなくなったんだよ。当然、今まで俺がやっていた仕事を誰かに振らなきゃならなかったんだが、俺のやり方は特殊でね。自分以外の人間を信用していない俺のやり方を、模倣できる人間がいなかったんだ。もっと言うと、それまでの間に唯の一人も俺は後輩の教育をしていなかったわけ。当然、誰も出来ないなら俺がやるしかない。本来は仕事を分担して今までやっていた事はこの人。これからは俺はこれ。って感じで移行していかなきゃならなかったんだが、それが出来なかった」
俺は真ん中に線を一本引くと、右側にカタカナでオレ。左側にカタカナでナシと書いた後に括弧してオレと書いた。
「……他の人が出来ないのに、入社したばかりの君にそれを求めるのは酷だよ。無理、無茶だって事は当時の狂っていた俺でさえ理解できた。だから、君にはせめて現場を見て貰うことにしたんだ。俺が今までやってきた現場での管理業務をやってくれるだけでも、俺にとっては“仕事が減って”、“助かるからね”」
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