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第五章 垣間見る過去とそれぞれの道
06 「笑えよ。佐藤」
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俺の言葉に佐藤さんはポカンと口を開ける。
その顔がおかしくて俺は笑いながら分割した表の中心に丸を囲って「現場」と書く。
「現場のみんなにとってはどんな立場になっても俺は俺だったんだな。あの場所は俺が来るのが当たり前で、他の人の言う事は聞かない。実はな佐藤さん。君が辞めた後……俺が退職する半年前かな。もう俺の退職がほぼ決まっていて別の人に業務を渡す都合で他の社員を紹介した時に一悶着あった。その時は皆の態度が理解できなかったけど、今の話を聞いてわかったよ。それから、現場をまとめていた女の人が以前言っていた『ここの人達はみんな茨城さんの子供みたいだね』って言っていた理由もね」
「ああ。朽木さんですね」
そうだ。確かそんな名前の人だった。
どうにも最近人の名前が覚えられなくて困る。
それが表情に出ていたのだろう。
佐藤さんはほんの少しだけ口元を緩めると指摘する。
「もしかして忘れてたんですか? 確か、茨城さんと同じ年に入社した人ですよね?」
「……現時点では忘れてただけだ。何しろ、あの人君が辞めてから直ぐに辞めたからね」
「そうなんですか?」
「ああ。何人かのベテランは他の部署に散ったんだ。最も、散った人達は殆ど辞めたけどね」
管理者が変われば中の人も変わる。
それは別段珍しいことじゃない。
特に、ある程度の甘えを融通してもらっていた人は特に。
「……本当に。最近後悔してばかりだ」
俺はおしぼりでテーブルの上を拭くと、脇に軽く投げる。
「前の職場で仕事している時は本当に我武者羅で……。でも、どこかだんだん自分が嫌な奴になっていく事を嫌がっている自分もいて……。それでも自分の為、それが皆の為になる。そう思ってやってきた事が、こうして間違いだったと突きつけられる。最近の夢でも君が出てきて俺を責めたよ。嫌になるね。どうも」
「そんな……。みんな茨城さんの事を心配していたから、ああして──」
「なら、どうしてそれを直接俺に言わなかった? 現場には顔を出さなかったかもしれないが、事務所にはいたんだ。言おうと思えばいつだって言えただろう? それでも言わなかった……いや、言えなかった理由は多分みんな一緒だった筈だ。当ててやろうか?」
俺の言葉に佐藤さんは口元をギュッと引き締める。
まるで、これから言われることが分かっていて耐えるように。
「俺が怖かったからだ。意見をして怒鳴りつけられるのが嫌だったからだろう? だから、言いやすい君の所に不平不満が集まった。みんなは君のやり方を批判したのかもしらんが、君は俺から言われた事を愚直に遂行していたに過ぎない。もしも君のやり方が間違っていると皆が言っていたのなら、それは俺のやり方が間違っていたという事だ。そんな事を気にして、本気にして辞めるなんてのはどれだけ純粋だったんだよ。まあ──」
俺はそこで右手で頬杖をつくと佐藤さんに笑いかける。
「──正しい選択だった。と、思うよ。今は。君が居なくなった後はまた現場の管理をしなくちゃならなくなって、君を恨んだ事もあった。でも、実際に自分が退職を決意して、社長に啖呵切った時に思ったよ。「ああ、俺ももっと早くに言いたいこと言えば良かったんだ」ってね。自分自信を守るために決断した事は決して逃げじゃない。そして、自分が、周りが思っている程俺は特別じゃなかった。俺が辞めた所で変わりはいる。あの時、あの場所で俺以外の人間が俺の仕事を出来なかったのは、俺がいたからだ。俺が居なくなれば結局は出来るやり方で出来る奴がやるだけ。俺のやり方に拘らなければやりようはいくらでもあったのさ。でなければ、今でもあの会社が普通に回っているはずがない」
俺は伝票に手を伸ばすと内容を確認して、伝票越しにかつての部下に目を向ける。
そこにいる彼女は、驚いたように目を見開き、初めて俺と対面した時のように不安そうな雰囲気を漂わせていた。
「俺も君も今は違う道を歩き始めた。再会した時の君の雰囲気を鑑みるに、どうやら充実した生活を送っているようだ。それは俺も同じ。給料は前の職場の半分以下になっちまったが、随分と人間らしい生活をさせてもらってる。それ以外の私生活で面倒な事も無いこともないが……。ま、辛気臭い事を考える時間は減ったし、“悪夢”を見る回数は極端に減った。きっと、今の俺も充実しているんだと思う」
「……体は壊さなかったんですか?」
「実を言うと壊れちまう寸前だった。医者に行ったら「どうしてもっと早くに来なかったんだ」って怒られるくらいには。でも、仕方ないよな。医者に行く時間も無かったんだから」
自嘲気味に笑う俺に対して、佐藤さんは心底引いたような表情を見せるも、僅かに口元が緩んでいるように見えた。
「……心のつかえは取れたか? 今まで言いたくても言えなかった事は言えたか?」
それはきっと心に残る罪悪感で、俺と佐藤さんの悪夢の原因。
「……はい」
彼女は頷く。
とはいえ、きっと全ての全てを話したわけではないだろう。
人付き合いにおいてはお互い言わなくてもいい事というものはあるものだから。
「だったら……そろそろ笑って見せてくれ。俺の記憶に残っている君の顔は、いつも怯えているか泣いているかのどちらかだった。特に泣き顔の時の君は扱いに困った。俺みたいなモテないおっさんが若い女の子を慰めるのがどんなに大変だったか知らなかっただろう?」
「確かに……そうかもしれませんけど……そもそも、どうして茨城さんが私を慰めるようになったんでしたっけ?」
「俺の方が聞きたいよ。一番の理由としては君が俺以外の人間の前では絶対に泣かなかった事にあるかな。俺が慰めに行くと直ぐに泣くくせに……」
今思えば諸悪の根源は今井とかいうお節介焼きの事務員のせいだとつくづく思うが。
だが、佐藤さんはそうは思わなかったのか、俺の言葉を聞いた後に何やら考え事をするように顎に手を当てて遠くを見るように視線を彷徨わせて……。
やがて、本当に驚いたような瞳を俺に向けた。
「本当だ。私、あの会社で随分と泣かされましたけど、茨城さんの前でしか泣いてない」
「いや、今気がついたのかよ」
「はい。本当にびっくりです」
「だったら」
俺はテーブルに手を置くと少しだけ前のめりになる。
「最後くらいとびっきりの笑顔をみせてくれ。今までの俺の印象を変えるくらい可愛らしい顔でさ。その顔が見られれば、今後は悪夢を見た時でも恐怖が随分と和らぐってもんだ。だから佐藤さん──いや」
俺はこれまで頑なに守っていた自分のルールを敢えて破り、自分なりの笑顔を浮かべて、らしくない言い方で彼女を煽った。
「笑えよ。佐藤」
そんな俺の心情を理解したのかどうか。
それは分からないが、それでも彼女は──佐藤さんは、これまで俺が見たことの無かったとびっきりの笑顔を見せてくれた。
その顔がおかしくて俺は笑いながら分割した表の中心に丸を囲って「現場」と書く。
「現場のみんなにとってはどんな立場になっても俺は俺だったんだな。あの場所は俺が来るのが当たり前で、他の人の言う事は聞かない。実はな佐藤さん。君が辞めた後……俺が退職する半年前かな。もう俺の退職がほぼ決まっていて別の人に業務を渡す都合で他の社員を紹介した時に一悶着あった。その時は皆の態度が理解できなかったけど、今の話を聞いてわかったよ。それから、現場をまとめていた女の人が以前言っていた『ここの人達はみんな茨城さんの子供みたいだね』って言っていた理由もね」
「ああ。朽木さんですね」
そうだ。確かそんな名前の人だった。
どうにも最近人の名前が覚えられなくて困る。
それが表情に出ていたのだろう。
佐藤さんはほんの少しだけ口元を緩めると指摘する。
「もしかして忘れてたんですか? 確か、茨城さんと同じ年に入社した人ですよね?」
「……現時点では忘れてただけだ。何しろ、あの人君が辞めてから直ぐに辞めたからね」
「そうなんですか?」
「ああ。何人かのベテランは他の部署に散ったんだ。最も、散った人達は殆ど辞めたけどね」
管理者が変われば中の人も変わる。
それは別段珍しいことじゃない。
特に、ある程度の甘えを融通してもらっていた人は特に。
「……本当に。最近後悔してばかりだ」
俺はおしぼりでテーブルの上を拭くと、脇に軽く投げる。
「前の職場で仕事している時は本当に我武者羅で……。でも、どこかだんだん自分が嫌な奴になっていく事を嫌がっている自分もいて……。それでも自分の為、それが皆の為になる。そう思ってやってきた事が、こうして間違いだったと突きつけられる。最近の夢でも君が出てきて俺を責めたよ。嫌になるね。どうも」
「そんな……。みんな茨城さんの事を心配していたから、ああして──」
「なら、どうしてそれを直接俺に言わなかった? 現場には顔を出さなかったかもしれないが、事務所にはいたんだ。言おうと思えばいつだって言えただろう? それでも言わなかった……いや、言えなかった理由は多分みんな一緒だった筈だ。当ててやろうか?」
俺の言葉に佐藤さんは口元をギュッと引き締める。
まるで、これから言われることが分かっていて耐えるように。
「俺が怖かったからだ。意見をして怒鳴りつけられるのが嫌だったからだろう? だから、言いやすい君の所に不平不満が集まった。みんなは君のやり方を批判したのかもしらんが、君は俺から言われた事を愚直に遂行していたに過ぎない。もしも君のやり方が間違っていると皆が言っていたのなら、それは俺のやり方が間違っていたという事だ。そんな事を気にして、本気にして辞めるなんてのはどれだけ純粋だったんだよ。まあ──」
俺はそこで右手で頬杖をつくと佐藤さんに笑いかける。
「──正しい選択だった。と、思うよ。今は。君が居なくなった後はまた現場の管理をしなくちゃならなくなって、君を恨んだ事もあった。でも、実際に自分が退職を決意して、社長に啖呵切った時に思ったよ。「ああ、俺ももっと早くに言いたいこと言えば良かったんだ」ってね。自分自信を守るために決断した事は決して逃げじゃない。そして、自分が、周りが思っている程俺は特別じゃなかった。俺が辞めた所で変わりはいる。あの時、あの場所で俺以外の人間が俺の仕事を出来なかったのは、俺がいたからだ。俺が居なくなれば結局は出来るやり方で出来る奴がやるだけ。俺のやり方に拘らなければやりようはいくらでもあったのさ。でなければ、今でもあの会社が普通に回っているはずがない」
俺は伝票に手を伸ばすと内容を確認して、伝票越しにかつての部下に目を向ける。
そこにいる彼女は、驚いたように目を見開き、初めて俺と対面した時のように不安そうな雰囲気を漂わせていた。
「俺も君も今は違う道を歩き始めた。再会した時の君の雰囲気を鑑みるに、どうやら充実した生活を送っているようだ。それは俺も同じ。給料は前の職場の半分以下になっちまったが、随分と人間らしい生活をさせてもらってる。それ以外の私生活で面倒な事も無いこともないが……。ま、辛気臭い事を考える時間は減ったし、“悪夢”を見る回数は極端に減った。きっと、今の俺も充実しているんだと思う」
「……体は壊さなかったんですか?」
「実を言うと壊れちまう寸前だった。医者に行ったら「どうしてもっと早くに来なかったんだ」って怒られるくらいには。でも、仕方ないよな。医者に行く時間も無かったんだから」
自嘲気味に笑う俺に対して、佐藤さんは心底引いたような表情を見せるも、僅かに口元が緩んでいるように見えた。
「……心のつかえは取れたか? 今まで言いたくても言えなかった事は言えたか?」
それはきっと心に残る罪悪感で、俺と佐藤さんの悪夢の原因。
「……はい」
彼女は頷く。
とはいえ、きっと全ての全てを話したわけではないだろう。
人付き合いにおいてはお互い言わなくてもいい事というものはあるものだから。
「だったら……そろそろ笑って見せてくれ。俺の記憶に残っている君の顔は、いつも怯えているか泣いているかのどちらかだった。特に泣き顔の時の君は扱いに困った。俺みたいなモテないおっさんが若い女の子を慰めるのがどんなに大変だったか知らなかっただろう?」
「確かに……そうかもしれませんけど……そもそも、どうして茨城さんが私を慰めるようになったんでしたっけ?」
「俺の方が聞きたいよ。一番の理由としては君が俺以外の人間の前では絶対に泣かなかった事にあるかな。俺が慰めに行くと直ぐに泣くくせに……」
今思えば諸悪の根源は今井とかいうお節介焼きの事務員のせいだとつくづく思うが。
だが、佐藤さんはそうは思わなかったのか、俺の言葉を聞いた後に何やら考え事をするように顎に手を当てて遠くを見るように視線を彷徨わせて……。
やがて、本当に驚いたような瞳を俺に向けた。
「本当だ。私、あの会社で随分と泣かされましたけど、茨城さんの前でしか泣いてない」
「いや、今気がついたのかよ」
「はい。本当にびっくりです」
「だったら」
俺はテーブルに手を置くと少しだけ前のめりになる。
「最後くらいとびっきりの笑顔をみせてくれ。今までの俺の印象を変えるくらい可愛らしい顔でさ。その顔が見られれば、今後は悪夢を見た時でも恐怖が随分と和らぐってもんだ。だから佐藤さん──いや」
俺はこれまで頑なに守っていた自分のルールを敢えて破り、自分なりの笑顔を浮かべて、らしくない言い方で彼女を煽った。
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そんな俺の心情を理解したのかどうか。
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