御伽噺の片隅で

黒い乙さん

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第六章 俺は魔女の能力を侮っていたのかもしれない

04 光に誘われた羽虫の如く

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 通常、次の日が休日の夜というシチュエーションは普段に比べればテンションが高くなるのが常だろう。
 それは特に出かける用事がなくても精神的な開放感というか、普段できないことが出来る。自由な時間がいつもよりも多い。などなど人により様々だろうが、それは俺にとっても例外ではない。

 だが、普段であればいつもよりも多少浮かれた気分でいられるはずの花の金曜日の夜も、今日この時に限って言えば憂鬱な気分でしかなかった。
 別にそれは、小遣いがないからどこにも行けない……とか、金髪が同室だから気が抜けない……など下らない理由などではなく、もっと俺の根元に関わる部分であったが……。

 既に深夜という時間帯。
 俺はリリがすっかり寝入ったのを確認すると部屋を抜け出し、無灯火のリビングにて1人パソコンに向かってキーボードを叩く。

 真っ暗な部屋の唯一つの光源たるディスプレイの明かりは俺の顔を照らし、静かな部屋にキーボードを叩く音だけが虚しく響く。
 ディスプレイに並ぶのは項目別に分けられた数字達だった。

 その数字をこねくり回しては、表に割り振り帳尻を合わせる。
 そこから導き出された答えに対して、良いものはその理由、悪いものには改善項目を付け加えていく。
 その為のデータはメールから拾い、“先方”がわからないと言ってきた事案の分析を行い、原因を特定。施策を打ち込んでいく。

 嘗ては一から十までを一人で費やしていた作業だが、今俺の手元にあるのは以前の仕事のごく一部でしかない。
 強いて言うなら、以前俺だけが行っていた特殊な分野で、俺が退職してからは半ば放棄していたらしい・・・案件だった。
 
 だが、ブランクがあるとはいえ、昔取った杵柄。慣れた作業である。
 更に、ほんの一部であるのなら実際に取り掛かる時間は短い。
 俺は全てをまとめ終わるとファイルに保存し、メーラーを立ち上げる。
 既に一般的な人間ならば寝ている時間ではあるが、きっと彼ら・・はまだ起きているだろう。

「いつまで起きてんだ。もう寝ろよ」

 けれど、俺の言葉はメールの向こう側に居るであろうかつての仲間たちではなく、同じ屋根の下で暮らしている同居人に向けられる。
 僅かに首を曲げ、視界の先に見えたのは暗闇に浮かぶ二つの紅玉。ランランとこちらに向けられる真っ赤な光も、本人曰く暗闇では殆ど見えないということだったが。

「言われんでも寝るわ。じゃが、そう言う主こそこんな夜中に起きて何をやっておる?」

 俺が声をかけた事で俺の作業が一段落した事がわかったのだろう。
 真っ赤な瞳を持つ少女は足音を忍ばせながら──それでも畳の軋む音はさせていたが──こちらに近づく。
 やがて、俺の真後ろに回って、肩口からディスプレイを覗き込むように座ったようだった。

「……前にいた組織の残務処理……というか、アルバイトだな。どこから聞きつけたか知らないが、昼頃にかつての同僚からメールがあって、一つ仕事を頼まれた。なんでも前期の案件の中で、どうしても上役に説明できない施策があったらしい」

 らしいというか、本来俺が担当していた施策だったから、同僚にわからないのも当然だろうが。

「……まえいた組織? 何故にそのような場所の仕事が今更主に来るのだ? もう、関係ない組織なのじゃろ?」
「関係ないな。もっと言うなら、もう二度と関わりたくない組織だな」

 俺はメールの宛先を確認し、送信ボタンを押す。
 ほどなくしてメールは送られ、俺はメーラーを終了すると、そのままパソコンをシャットダウンする。
 
 それでもすぐには消えない画面は、シャットダウンまでのカウントダウンを始め、それまでの時間は部屋を照らしてくれるようだった。

「……関わりたくない。ならば、何故、そのような仕事をしておるのじゃ?」

 淡い光に照らされ、後ろから聞こえてきた声に俺は首を横に振る。

「組織として嫌悪感を抱いていても、そこにいる人間は嫌いになれない。頼まれたら嫌と言えなかった。それだけだ」

 だが、それも今回の事で終わるだろう。
 期が変わり、新たなスタートを切ることで、俺の関わってきた全ての事柄は入れ替わり、現在在籍している人間のもののみになっていく。
 だから、これはある意味ではケジメであり、俺自身の気持ちを切り替える為にちょうど良い機会でもあった。
 金髪にはああ言ったが、きっと、元同僚もその辺を組んでくれたのだと思う。そう思う程度には長い付き合いであったし、このタイミングなら誰から連絡先を聞いたかもある程度は予想できるものだったから。

 やがて、パソコンが落ちてディスプレイからも光が消える。
 だが、多少は余韻が残っているのか、パチパチと音を立てながらも錯覚のような淡い光が目に焼き付いたように残って見える。
 そして、そのぼんやり暗闇に浮かぶディスプレイに映り込むように二つの宝石が浮かび上がると、俺の肩に顎が乗せられたような感触が伝わってきた。

「どんなに嫌な場所、立場であっても、人は全てを忘れて切り離す事は出来ぬ……か。なんとも難儀な生き物じゃ」
「わかったような口をきくじゃないか我が儘娘。まあ、確かにお前さんには俺なんかよりもずっと沢山そう言う過去はありそうだがな」
「……くく……。多少は妾にも興味が出てきたかの?」
「……まあ……。流石に一月近く一緒に暮らせば多少はな……」
「そうか。そうよな」

 恐らく金髪の頭だろう。俺の頬に淡い香りのする糸玉が押し付けられ、絹のようなサラサラとした糸が頬を伝って顎へと流れた。
 金髪の瞳は夜の闇に慣れる事が無いと言う。
 つまり、いま、金髪の目に映るのは酷く底のない漆黒の闇なのだろうか。
 そのような場所で自身の居場所を確認する為には、誰かに寄り添わなければ出来ないのかもしれない。
 例え、それが嫌いな相手でも。

「ならば、お互い少しでも分かり合えるよう昔話でもせんか?」

 静かで、深い暗闇の中を流れた言葉を俺の耳が拾う。
 耳のすぐ傍で囁かれたその声は、きっとリリにも拾うことが出来ないだろう……などと、場違いな事を考えて。

「……明日から。またお互い巫山戯あえる事が出来るように……の」

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