ピアノはまだ悲しみを弾いている

夢窓(ゆめまど)

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最終章 ふたりで選ぶ、これからの未来

第17話 もう、悲しみだけじゃない音――ふたりの音楽

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 その日から、ふたりの音楽は少しずつ、日常に溶け込んでいった。

 朝食の後、家の静かな時間に。
 夕暮れ、カモミールの香りが漂う頃に。
 そして、ときには星が降る夜の音楽室で。

 ノアが不器用に弓を動かし、リゼルがそっと鍵盤に触れる。
 そのたびに、どこかに微かにズレたり、響きが重なったり、ふいに笑いがこぼれたりする。

 「そこ、もうちょっとゆっくり弾いてくれる?」

 「うん。……でも、ノアも音を聴いて。焦らなくていいよ」

 「ああ……そうか。リズムじゃなくて、お前の呼吸を聴けばいいんだな」

 そんな会話が、なんでもない一日の一部になっていく。

 かつて――母が遺したオルゴールに、すがるように弾いていたピアノ。
 悲しみの記憶を、音にして溶かしていくような旋律。

 でも今は違う。

 リゼルの指先から流れる旋律は、どこかあたたかく、軽やかだった。
 ときに優しく、少し照れたように、ノアのバイオリンの音を迎え入れていた。

 彼女のピアノが、誰かと響き合う音楽になったのだ。

 そしてノアも、日に日にうまくなっていく。
 ぎぎ、という音が消えて、やわらかに、のびやかに音が伸びていく。

 「ねえ……ピアノ、悲しくないの。もう、今は」

 ある日の演奏の後、リゼルがぽつりとこぼした。

 ノアは少し驚いた顔をして、彼女を見た。

 「母様のことを思い出すのは、変わらない。……でもね、今は、それだけじゃないの」

 彼女は静かに微笑んだ。

 「あなたと弾くと、ほら――ちゃんと、あたたかい気持ちになるの」

 その笑顔を見て、ノアは弓を置いた。
 そして、少し迷いながらも、そっとリゼルの頭に手を乗せた。

 「……なら、ずっと一緒に弾こう。お前が悲しまないように。……ずっと」

 リゼルの頬が少し赤く染まる。

 それでも彼女は、にこっと、心から笑った。

 こうしてふたりは、少しずつ、音で心を繋げていった。

 ピアノはもう、ひとりのための悲しみではなく――
 ふたりで奏でる、未来のための音へと、変わっていった。
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