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愚痴を聞く
昼休み。職場の休憩室は、電子レンジの音と、お弁当の匂いでほんのり温かい。
芽衣はタッパーを開きながら、向かいに座る同僚の真弓の愚痴を聞いていた。
「聞いてくださいよ、芽衣さん……」
真弓は箸を握ったまま、ため息ですべてを吐き出すように言った。
「この前ね、病院のお見舞いにアレンジ花持って行ったんです。 ちょっと洒落た感じにしようと思って、ユーカリ入れて。匂いも良いし、癒されるやろって」
芽衣はうなずく。「うんうん、ユーカリ人気あるしね」
「でしょ? なのに介護士さんが来て、いきなり『これ匂いキツいので部屋から出しますね』って。
まだお義母さん見てもらってる途中やのに! 籠に詰めて、可愛くアレンジしたのに! もう信じられませんわ!」
「ええっ……」
芽衣は思わず箸を止めた。
(あるわ、そのパターン……)と心の中でつぶやく。
真弓はさらに続ける。
「悪気はないんやろけど、あれ、傷つきますよ? せっかく“良かれと思って”したこと、全部否定されたみたいで」
「うん……気持ちって伝わらん時あるよね。介護現場ってさ、基準だけで動くから」
「ホンマそれ。うちの旦那は『そんなことで怒るな』って言うし。
じゃあ、あんたが一回ユーカリ飾ってこいよ、って思いましたわ」
芽衣は苦笑した。
「……わかるよ。介護してると、気持ちが削られるもんね」
真弓はお茶を一口飲み、「芽衣さんはどう?」と聞き返す。
芽衣は少しだけ遠い目をした。
(私も、似たような“踏まれた気持ち”が何度もあった)
そう思ったが、まだ言葉にはしなかった。
「うん……うちもいろいろあるよ。でも、とりあえず今日は聞く側に回るわ」
真弓はほっと笑い、お弁当のふたを閉じた。
「昼休みにこうやって話せるだけで、ちょっと救われますわ」
芽衣もうなずいた。
この休憩室の、たった45分が、介護を続けるための“命綱”であることを、二人ともわかっていた。
休憩室。
味噌汁の匂いと、微妙に冷えたご飯の湯気。
「芽衣さん、最近ちょっと……疲れてません?」
真弓が小声で聞いてきた。
芽衣は笑おうとしたが、頬がひきつる。
「……わかる? うん……
最近ね、“いずれ介護から卒業したい” って、ふと思うの」
「卒業……」
真弓の箸が止まる。
「なんかね、いつか終わるはずなのに、
終わらない前提で毎日が回ってる気がして」
「うわ……それ、めっちゃわかる……!
私もこの前、ケアマネさんに“長期戦になりますね”って言われて倒れそうになりましたわ」
「長期戦って、何年よってね」
二人は苦笑したが、その笑いはどこか泣き声に似ていた。
⸻
「介護は実子って言うけど、動くの嫁ばっかりやん」
「で、昨日も結局、実子は動かないんですよ」
真弓がほうじ茶をごくっと飲む。
芽衣は、うんうんとうなずく。
「旦那は仕事忙しい、って。
旦那の姉は仕事ある、って。
嫁の私が、行くしかないんちゃう?……って」
「“実子負担”って、言葉だけですよね」
「わかる! 法律の教科書にしか存在してない!」
「うちなんて、実子は“行く行く”って言って、
実際は月に一回の“顔見せ”だけ」
芽衣は少し黙り、ぽつりとこぼす。
「私、あの家の“便利屋”になってたんだな……って夜に気づいた」
真弓は眉をひそめた。
「芽衣さん、それ、早めに距離置いたほうがいいですよ」
「うちはまだ元気、って言われるときのモヤモヤ」
別の同僚・久美子も話に入ってくる。
「わかります? うちの義母、まだ歩けるんですよ。
それで夫が『うちはまだマシ』とか言うんですよ」
「出た、“まだマシ”理論……」
「マシだったら何? って話ですよね。
歩けても、夜のトイレの介助は私なんですけど?」
芽衣もため息をつく。
「あれね……“まだマシ”って言う人ほど、
実際の介護は何にもしてないのよ」
久美子は、うんうんとうなずいた。
「ほんまそれ。
歩けるから、じゃなくて、
“介護度が上がる前に、体力が尽きる”っての、知らんねん」
⸻
「気づいたら、人生全部そこに吸われてく感じ」
真弓はふと言った。
「なんか……人生、吸われますよね」
「わかる」
芽衣が即答。
「介護が嫌なんじゃなくて、
人生全部、そこに持っていかれる恐怖っていうか」
久美子が呟く。
「ほんまは、“自分の人生、持ち直したい”んですよね」
芽衣は、お弁当箱を閉じながら言う。
「うん。
介護もやるけど、
私は私の人生も生きたい。
だから、いずれ卒業したいんだと思う。」
その言葉は、休憩室のざわめきに紛れたが、
三人の胸に静かに落ちていった。
「介護が嫌なんじゃなくて、みんなで負担しないのが嫌なのよ。」
芽衣はタッパーを開きながら、向かいに座る同僚の真弓の愚痴を聞いていた。
「聞いてくださいよ、芽衣さん……」
真弓は箸を握ったまま、ため息ですべてを吐き出すように言った。
「この前ね、病院のお見舞いにアレンジ花持って行ったんです。 ちょっと洒落た感じにしようと思って、ユーカリ入れて。匂いも良いし、癒されるやろって」
芽衣はうなずく。「うんうん、ユーカリ人気あるしね」
「でしょ? なのに介護士さんが来て、いきなり『これ匂いキツいので部屋から出しますね』って。
まだお義母さん見てもらってる途中やのに! 籠に詰めて、可愛くアレンジしたのに! もう信じられませんわ!」
「ええっ……」
芽衣は思わず箸を止めた。
(あるわ、そのパターン……)と心の中でつぶやく。
真弓はさらに続ける。
「悪気はないんやろけど、あれ、傷つきますよ? せっかく“良かれと思って”したこと、全部否定されたみたいで」
「うん……気持ちって伝わらん時あるよね。介護現場ってさ、基準だけで動くから」
「ホンマそれ。うちの旦那は『そんなことで怒るな』って言うし。
じゃあ、あんたが一回ユーカリ飾ってこいよ、って思いましたわ」
芽衣は苦笑した。
「……わかるよ。介護してると、気持ちが削られるもんね」
真弓はお茶を一口飲み、「芽衣さんはどう?」と聞き返す。
芽衣は少しだけ遠い目をした。
(私も、似たような“踏まれた気持ち”が何度もあった)
そう思ったが、まだ言葉にはしなかった。
「うん……うちもいろいろあるよ。でも、とりあえず今日は聞く側に回るわ」
真弓はほっと笑い、お弁当のふたを閉じた。
「昼休みにこうやって話せるだけで、ちょっと救われますわ」
芽衣もうなずいた。
この休憩室の、たった45分が、介護を続けるための“命綱”であることを、二人ともわかっていた。
休憩室。
味噌汁の匂いと、微妙に冷えたご飯の湯気。
「芽衣さん、最近ちょっと……疲れてません?」
真弓が小声で聞いてきた。
芽衣は笑おうとしたが、頬がひきつる。
「……わかる? うん……
最近ね、“いずれ介護から卒業したい” って、ふと思うの」
「卒業……」
真弓の箸が止まる。
「なんかね、いつか終わるはずなのに、
終わらない前提で毎日が回ってる気がして」
「うわ……それ、めっちゃわかる……!
私もこの前、ケアマネさんに“長期戦になりますね”って言われて倒れそうになりましたわ」
「長期戦って、何年よってね」
二人は苦笑したが、その笑いはどこか泣き声に似ていた。
⸻
「介護は実子って言うけど、動くの嫁ばっかりやん」
「で、昨日も結局、実子は動かないんですよ」
真弓がほうじ茶をごくっと飲む。
芽衣は、うんうんとうなずく。
「旦那は仕事忙しい、って。
旦那の姉は仕事ある、って。
嫁の私が、行くしかないんちゃう?……って」
「“実子負担”って、言葉だけですよね」
「わかる! 法律の教科書にしか存在してない!」
「うちなんて、実子は“行く行く”って言って、
実際は月に一回の“顔見せ”だけ」
芽衣は少し黙り、ぽつりとこぼす。
「私、あの家の“便利屋”になってたんだな……って夜に気づいた」
真弓は眉をひそめた。
「芽衣さん、それ、早めに距離置いたほうがいいですよ」
「うちはまだ元気、って言われるときのモヤモヤ」
別の同僚・久美子も話に入ってくる。
「わかります? うちの義母、まだ歩けるんですよ。
それで夫が『うちはまだマシ』とか言うんですよ」
「出た、“まだマシ”理論……」
「マシだったら何? って話ですよね。
歩けても、夜のトイレの介助は私なんですけど?」
芽衣もため息をつく。
「あれね……“まだマシ”って言う人ほど、
実際の介護は何にもしてないのよ」
久美子は、うんうんとうなずいた。
「ほんまそれ。
歩けるから、じゃなくて、
“介護度が上がる前に、体力が尽きる”っての、知らんねん」
⸻
「気づいたら、人生全部そこに吸われてく感じ」
真弓はふと言った。
「なんか……人生、吸われますよね」
「わかる」
芽衣が即答。
「介護が嫌なんじゃなくて、
人生全部、そこに持っていかれる恐怖っていうか」
久美子が呟く。
「ほんまは、“自分の人生、持ち直したい”んですよね」
芽衣は、お弁当箱を閉じながら言う。
「うん。
介護もやるけど、
私は私の人生も生きたい。
だから、いずれ卒業したいんだと思う。」
その言葉は、休憩室のざわめきに紛れたが、
三人の胸に静かに落ちていった。
「介護が嫌なんじゃなくて、みんなで負担しないのが嫌なのよ。」
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