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氷上救出作戦・第二段階
しおりを挟む「テオドールはね、
小さいころから親がいないから、
“家族”っていう形が、わからないのよ」
スザンヌの声には、
少しだけ寂しさが混じっていた。
「屋敷で、誰も笑ってくれなかったでしょう?
だから、笑われるのが怖いのよ。
奥様に何もできなかったのも……
“どうしたらいいか知らなかった”だけ」
マシュウは頷きながら、
グラスを回した。
「それにしても、
君の“救出作戦”は、やっぱり戦場並みに騒がしいな」
「今に始まったことじゃないわ。
あの子の心、氷の下に沈んでるんですもの。
割らなきゃ出てこないでしょ」
「で、次の作戦は?」
「決まってるじゃない。
“偶然の再会・第二弾”。
あの紅茶屋さんの近くに、新しい市の催しがあるの。
マルグリットが行くに決まってるわ」
「なるほど。そこに甥っ子を――」
「“視察”って名目で放り込むのよ」
マシュウは盛大に吹き出した。
「お前、それほとんど軍略だぞ」
「ええ、愛の戦地よ。
戦地に行ったことない男に、ちょうどいい訓練になるわ」
⸻
マシュウは笑いながらも、
妻の真剣な横顔を見つめた。
「……あの子が誰かを本気で見つめる顔、
一度ぐらい見てみたいね」
「ええ。
その時は、私、泣くかもしれない」
スザンヌは少し照れくさそうに笑い、
紅茶を一口すする。
「さて、作戦名はどうする?」
マシュウが冗談めかして問うと、
スザンヌは胸を張って言い放った。
「“氷上救出作戦・第二段階”。
――今度こそ、氷、割ってみせるわ」
◾️市場祭りの衝突
王都の中心で開かれる市場祭り。
人々の声と音楽が入り混じり、
まるで街全体が笑っているようだった。
視察の名目で訪れたテオドールは、
屋台を回りながらどこか浮き立っていた。
「……あの紅茶屋が出てる」
祭りの一角、レモンの香りのする店先で、
見覚えのある横顔を見つけた。
彼女――マルグリットが、
笑いながら紅茶を試飲している。
思わず、胸が高鳴る。
(また……会えた)
⸻
人混みをかき分けて近づく。
「マリーさん!」
振り向いたその瞬間。
バシィッ!!
乾いた音が、周囲に響いた。
「……っ!?」
テオドールの頬が鮮やかに赤く染まる。
周囲の人々が一瞬、沈黙した。
⸻
「……ずーっと、一度でいいから殴ってみたかったのよ!」
マルグリットの声は、
怒りと涙の混ざった、不思議な響きをしていた。
「戦地に行ったら、そんなに偉いの!?
手紙の一つも、顔見せの一度もなくて、
王命の結婚って、そんなに軽いものだったの!?」
テオドールは押し黙り、
ただ真っ直ぐに彼女を見た。
「……偉く、ないです」
「何ですって?」
「偉くなんか、ありません。
ただ……逃げてたんです」
⸻
マルグリットは、拳を握ったまま言葉を詰まらせた。
「……逃げてた?」
「はい。
あの屋敷に、どう顔を出せばいいかもわからなくて。
怖くて。
――だから、戦地の方が楽でした」
「バカね」
マルグリットは息を吐き、
額を軽く押さえた。
「戦地の方が楽って、
どんな家庭よ」
「本当に、バカだと思います」
テオドールは苦笑した。
⸻
周囲の視線がやわらいでいく。
屋台の主人が気を利かせて、
ワインのカップを二つ差し出した。
「まぁまぁ、お二人さん、
まずはこれでも飲んで落ち着きな」
「……ありがとう」
マルグリットはカップを受け取り、
少しだけ目を伏せた。
「一発じゃ足りない気がするけど、
今はこれで勘弁してあげる」
「はい。
……ありがとうございます」
「感謝するな、腹立つ」
「すみません」
「また謝った!」
二人のやり取りに、
屋台の人たちの笑い声が混じる。
市場の喧騒が戻り、
空には紙の花びらが舞っていた。
少し痛いけど、なんか嬉しい
夜の市場祭りはまだ賑やかだった。
色とりどりの灯りが石畳を照らし、
笛の音と笑い声が風に乗って流れていく。
テオドールは、
人混みから少し離れた路地に立ち止まり、
さっき殴られた頬を押さえた。
「……少し痛いけど、なんか嬉しい」
思わず口にして、
自分でも苦笑する。
⸻
(俺は、あんな風に怒られたの、
たぶん、生まれて初めてだな)
痛みよりも、
胸の奥の熱が、どうしようもなくあたたかい。
月が薄く雲に隠れ、
屋台の残り香が漂ってくる。
「……俺、家族いなかったからな」
テオドールはぽつりと呟いた。
「家族から、逃げてたのかもしれないです。
すいません、マリーさん――」
その瞬間。
バシィッ!
背後から、何かが飛んできた。
――手のひら。
⸻
「甘えんなッ!」
再びの衝撃。
「ぐっ!?」
「何が“すいません”よ!
それで済むと思ってるの!?」
バシィィィッ!
「ちょっ、待ってマリーさん、
落ち着いて、飲んでるのか、お願いだから!」
「落ち着いてるわよっ!」
(いや、どこが……!)
テオドールは完全に防戦一方だった。
「戦地に行った? だから何?
逃げたのよね?
家族が怖い? そりゃ私も怖かったわよ!」
「……っ、すいま――」
「まだ謝る! 甘えんなあぁぁ!!」
バシンッ!
⸻
通りすがりの屋台の親父が、
心配そうに顔を出した。
「お、お客さん、ちょっと落ち着いて!
酒、飲みすぎじゃないのか!?」
「酔ってないわよ!」
「酔ってますよね!?」
「程よくなってないの!」
テオドールは、
その場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
「……これ、戦地より怖いかもしれない」
「聞こえたわよ!」
「うわぁぁすいませ――あっ!」
再びバシィッ!
⸻
数分後。
マルグリットは、
ぷいっと顔をそむけながら腕を組む。
「次はないわよ」
「はい」
「ほんとに?」
「はい」
「痛い?」
「はい」
「……なら、いいわ」
小さく息をついて、
マルグリットは侍女とその場を去っていった。
テオドールは頬を押さえながら、
夜空を見上げる。
「……痛いけど、やっぱり嬉しい」
空には、紙のランタンがゆっくりと昇っていく。
その光は、どこか希望の色をしていた。
「……鍛えられたあなたの体は、私が殴っても全く痛くないってのは、知ってる。
でもね、私の我慢は、もう限界を超えたの。
痛くなくても――殴られたことくらい、記憶には残ってくれるでしょう?」
次の日紅茶が二つ運ばれてくる。
マシュウ家中庭、
香りの立つ紅茶が、静かに場を包んだ。
マルグリットは、
カップを手に取りながらぽつりと言う。
「……昨日は、ごめんなさい。
たぶん、酔ってた」
「はい。
……でも、嬉しかったです」
「……もう、どこまでMなのよ、あなた」
二人の笑い声が混じって、
紅茶店の外では春風がやさしく吹いていた。
(もう一度、あなたと)
春の午後、紅茶店のテラス。
マルグリットが頼んだカモミールティーの湯気が、
やわらかく陽に透けていた。
その向かいで、テオドールは両手を膝に置き、
妙にまじめな顔で姿勢を正した。
「……マリーさん。
今日は、きちんとお話がしたくて来ました」
「お話?」
「はい。
正式に――やり直しを、お願いしたいんです」
マルグリットは、カップを持つ手を止めた。
「……やり直し?」
「はい。
あなたと。
もう一度、結婚を」
⸻
あまりにまっすぐな言葉に、
風が止まったように感じた。
テオドールは、続けた。
「……俺、家族に怒られたことがありません。
叱られた記憶が、ないんです。
だから、自分が悪い時に、どうすればいいかもわからなくて。
ただ、逃げて、黙って……
それで、あなたを傷つけた」
マルグリットは、じっと見つめている。
「だから、
俺の悪いところ、あったら――ぶってください」
「は?」
「えっ……いや、その……!
違う意味じゃなくてですね!」
「わかってるわよ!」
彼女の口元がわずかに緩む。
⸻
「家族って、
怒られたり、笑ったり、
それでも一緒にご飯を食べたり、
そういうことだと思うんです。
あなたとなら、それができる気がして。
もしもう一度、許してもらえるなら……」
その声には、
どこか少年のような不器用さが滲んでいた。
マルグリットは、視線を落とす。
「……なんか、変ね」
「え?」
「わたし、やらかしたのかしら」
「やらかした?」
「ええ。
なんか、あなたが真面目すぎて……
ちょっと可愛く見えてきたのよ」
「そ、それは光栄です」
「いや、まだ許してないけど」
「はい……!」
⸻
二人の間に沈黙が落ちた。
だがその沈黙は、もう痛くはなかった。
マルグリットがふっと笑う。
「やり直すかどうかは……
考えておくわ」
「ありがとうございます」
「でも、ぶっていいのね?」
「え? あ、はい、条件付きで」
「条件って?」
「……顔はやめてください」
笑い声が二人の間に弾け、
テラスに春風がやさしく吹き抜けた。
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