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『身投げした娘と、泣きながらスープをすする公爵』
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夜が明けきらぬ頃――
森の泉はしんと静まり返り、月明かりだけが水面に揺れていた。
──マルグリットの姿は、もうなかった。
◆
そのころ、神殿の中庭。
朝食後のティータイム。
フィーネとアデルは、テーブルに並べたジャムトーストとミントティーを前に、まったりしていた。
「……さて、そろそろ動こうかな」
「連絡するの? あの子の実家に?」
「うん。父親、あれで厳格なように見えて、すっごい甘やかし系の顔だったから」
「でも、娘が“王子の飾りと実務と育児と子宮”やれって言われてさ……黙ってるわけないよね?」
「うん、クズ発言にも程があるわ、あれ」
アデルが真顔でティーカップを置いた。
「というわけで、例のヤツに頼むわ。
あの、壁抜け得意な影のエース」
「……ライアンね。行ってらっしゃい、忍び足の貴公子」
◆
一方、王都・ロジェ公爵邸。
古びた書斎の、窓のカーテンは閉ざされていた。
ロジェ公爵は椅子にもたれ、机の上に置かれた一枚のスケッチに目を落としていた。
小さな草花が、丁寧に色鉛筆で描かれている。
そこには、少女の細い字で、
「お父様へ」
と、書かれていた。
「……マルグリット……おまえ……」
そう呟いた彼の手には、絹のハンカチが握りしめられていた。
きれいに畳まれたそれは、すでに、しわくちゃだった。
──そのとき。
「失礼します。お嬢様の件で」
音もなく現れた黒衣の男――ライアン。
アデルの命を受け、神殿より派遣された“お忍び外交官”である。
「ロジェ公爵殿。……お嬢様は、ご無事です」
「……っ!」
ロジェの目が、瞬時に見開かれる。
「今は、“聖女フィーネ様”と“筆頭魔法使いアデル様”の保護下にございます。
場所は――森の中。あの泉の奥。結界あり。王子も踏み込めません」
「……そうか……! あのふたりが……!」
その言葉に、ロジェ公爵は目元を押さえた。
が、その姿を誰にも見せぬよう、ただ静かに頷いた。
◆
その夜。
屋敷の離れ。
ロジェ公爵は、珍しく侍女も料理人も呼ばず、自ら火を起こしていた。
鍋に入っていたのは、マルグリットが子どもの頃、よく作ってくれたという田舎風の野菜スープ。
キャベツと芋と人参、塩とハーブだけ。
でも、それがどこまでも優しい。
「……生きていたか……生きて……くれていたか……」
彼は誰もいない部屋で、静かに、スプーンを震わせた。
「マルグリット……もう、おまえを……“王家の駒”には、させん……」
そして、翌日。
彼は一人、結界のある“泉への小道”を進んでいた。
護衛も連れず、魔導馬車にも乗らず、
転移魔法の残響だけを頼りに――
◆
そして森の奥。
「──よーし、こっちはレアでいくよー! ちょっと赤いくらいがベストだってば!」
「ハーブ塩、かけすぎ注意ねー! あとタレ、誰か甘口とピリ辛、配ってー!」
焚き火を囲み、肉と野菜が踊っていた。
串に刺されたイノシシ肉、ジビエのソーセージ、森のキノコと一緒に蒸し焼きにした玉ねぎ、炭火でじんわり焼かれるパン。
わいわいと笑い声を上げていたのは、フィーネ、マロン(通称)と、そして……
「……マルグリット……!」
木々の向こう、思わずロジェ公爵の喉から声が漏れた。
その声に、ひときわ高く笑っていたマルグリットが、動きを止めて振り返る。
「……っ! お、お父様っ!?」
手に皿を持ったまま、ぎこちなく立ち上がる彼女。
その瞬間、空気がピシッと張りつめた。
マロン(小声)「……あれ? これ、逃げた娘が実家の偉い人に見つかるテンプレじゃない?」
アデル(小声)「……いや、どう見ても父親の方が泣きそうなんだが……?」
マロン「わかる。目、うるんでる」
◆
「……マルグリット……っ!」
「……お父様……!」
次の瞬間、焚き火の前でふたりは抱き合っていた。
ロジェ公爵の腕の中で、マルグリットはまるで少女のように、小さくなって震えていた。
「……お父様……わたし……
“王子の飾り”になんて、なりたくなかった……
“王家の道具”にされる子どもなんて、絶対に産みたくなかった……」
「わかっている。……おまえの心は、もう聞こえている。
二度とおまえを、“政略の娘”にはしない」
「……っ」
「この命を賭けてでも、おまえを守る」
その言葉に、マルグリットの頬を、こぼれ落ちる涙。
マロンがそっとスープの鍋に火を足しながら、
「いやもう、今夜のスープは“涙味”確定だね」
アデル「出汁、濃いめだな」
◆
── そして、宴は再開された。
「お父様、肉、焼けてますよ!」
「お、おう……これが……森の……」
「甘口ダレとピリ辛、選べます」
「ま、待て、焼き加減は……おお、意外とうまい……!」
串を手にした公爵の顔がほころぶと、
周囲も安堵と笑いに包まれていく。
マロンはスープを真剣に作り直し、
アデルは焚き火の具合を調整。
そしてライアンは、そっと結界の外に出て、こう呟いた。
「……報告完了。父娘、無事に“再接続”されました。焼き肉形式にて」
◆
こうして、森の宴は今宵も平和。
焚き火の明かりに照らされる、父と娘。
王家に奪われかけたものが、ここで静かに“奪い返された”のだった。
そしてこの森は、今日も誰かの“心の逃げ場所”になっている。
森の泉はしんと静まり返り、月明かりだけが水面に揺れていた。
──マルグリットの姿は、もうなかった。
◆
そのころ、神殿の中庭。
朝食後のティータイム。
フィーネとアデルは、テーブルに並べたジャムトーストとミントティーを前に、まったりしていた。
「……さて、そろそろ動こうかな」
「連絡するの? あの子の実家に?」
「うん。父親、あれで厳格なように見えて、すっごい甘やかし系の顔だったから」
「でも、娘が“王子の飾りと実務と育児と子宮”やれって言われてさ……黙ってるわけないよね?」
「うん、クズ発言にも程があるわ、あれ」
アデルが真顔でティーカップを置いた。
「というわけで、例のヤツに頼むわ。
あの、壁抜け得意な影のエース」
「……ライアンね。行ってらっしゃい、忍び足の貴公子」
◆
一方、王都・ロジェ公爵邸。
古びた書斎の、窓のカーテンは閉ざされていた。
ロジェ公爵は椅子にもたれ、机の上に置かれた一枚のスケッチに目を落としていた。
小さな草花が、丁寧に色鉛筆で描かれている。
そこには、少女の細い字で、
「お父様へ」
と、書かれていた。
「……マルグリット……おまえ……」
そう呟いた彼の手には、絹のハンカチが握りしめられていた。
きれいに畳まれたそれは、すでに、しわくちゃだった。
──そのとき。
「失礼します。お嬢様の件で」
音もなく現れた黒衣の男――ライアン。
アデルの命を受け、神殿より派遣された“お忍び外交官”である。
「ロジェ公爵殿。……お嬢様は、ご無事です」
「……っ!」
ロジェの目が、瞬時に見開かれる。
「今は、“聖女フィーネ様”と“筆頭魔法使いアデル様”の保護下にございます。
場所は――森の中。あの泉の奥。結界あり。王子も踏み込めません」
「……そうか……! あのふたりが……!」
その言葉に、ロジェ公爵は目元を押さえた。
が、その姿を誰にも見せぬよう、ただ静かに頷いた。
◆
その夜。
屋敷の離れ。
ロジェ公爵は、珍しく侍女も料理人も呼ばず、自ら火を起こしていた。
鍋に入っていたのは、マルグリットが子どもの頃、よく作ってくれたという田舎風の野菜スープ。
キャベツと芋と人参、塩とハーブだけ。
でも、それがどこまでも優しい。
「……生きていたか……生きて……くれていたか……」
彼は誰もいない部屋で、静かに、スプーンを震わせた。
「マルグリット……もう、おまえを……“王家の駒”には、させん……」
そして、翌日。
彼は一人、結界のある“泉への小道”を進んでいた。
護衛も連れず、魔導馬車にも乗らず、
転移魔法の残響だけを頼りに――
◆
そして森の奥。
「──よーし、こっちはレアでいくよー! ちょっと赤いくらいがベストだってば!」
「ハーブ塩、かけすぎ注意ねー! あとタレ、誰か甘口とピリ辛、配ってー!」
焚き火を囲み、肉と野菜が踊っていた。
串に刺されたイノシシ肉、ジビエのソーセージ、森のキノコと一緒に蒸し焼きにした玉ねぎ、炭火でじんわり焼かれるパン。
わいわいと笑い声を上げていたのは、フィーネ、マロン(通称)と、そして……
「……マルグリット……!」
木々の向こう、思わずロジェ公爵の喉から声が漏れた。
その声に、ひときわ高く笑っていたマルグリットが、動きを止めて振り返る。
「……っ! お、お父様っ!?」
手に皿を持ったまま、ぎこちなく立ち上がる彼女。
その瞬間、空気がピシッと張りつめた。
マロン(小声)「……あれ? これ、逃げた娘が実家の偉い人に見つかるテンプレじゃない?」
アデル(小声)「……いや、どう見ても父親の方が泣きそうなんだが……?」
マロン「わかる。目、うるんでる」
◆
「……マルグリット……っ!」
「……お父様……!」
次の瞬間、焚き火の前でふたりは抱き合っていた。
ロジェ公爵の腕の中で、マルグリットはまるで少女のように、小さくなって震えていた。
「……お父様……わたし……
“王子の飾り”になんて、なりたくなかった……
“王家の道具”にされる子どもなんて、絶対に産みたくなかった……」
「わかっている。……おまえの心は、もう聞こえている。
二度とおまえを、“政略の娘”にはしない」
「……っ」
「この命を賭けてでも、おまえを守る」
その言葉に、マルグリットの頬を、こぼれ落ちる涙。
マロンがそっとスープの鍋に火を足しながら、
「いやもう、今夜のスープは“涙味”確定だね」
アデル「出汁、濃いめだな」
◆
── そして、宴は再開された。
「お父様、肉、焼けてますよ!」
「お、おう……これが……森の……」
「甘口ダレとピリ辛、選べます」
「ま、待て、焼き加減は……おお、意外とうまい……!」
串を手にした公爵の顔がほころぶと、
周囲も安堵と笑いに包まれていく。
マロンはスープを真剣に作り直し、
アデルは焚き火の具合を調整。
そしてライアンは、そっと結界の外に出て、こう呟いた。
「……報告完了。父娘、無事に“再接続”されました。焼き肉形式にて」
◆
こうして、森の宴は今宵も平和。
焚き火の明かりに照らされる、父と娘。
王家に奪われかけたものが、ここで静かに“奪い返された”のだった。
そしてこの森は、今日も誰かの“心の逃げ場所”になっている。
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