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自分を省みる、
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家を出た。
風が冷たかった。
何かを考えたくなくて、
とりあえず歩いた。
気がついたら、大型本屋の前に立っていた。
中に入ると、棚にぎっしりと本が並んでいた。
「親との関係」「毒親」「嫁姑問題」「離婚を考えたら読む本」
似たようなタイトルがいくつもあった。
気になるものを、片っ端から手に取った。
レジ袋が重くなる。
家に戻って、読んでみた。
ページをめくるたびに、
だんだん顔が青くなっていく。
――いっぱい、俺やらかしてたわ。
本を閉じて、頭を抱えた。
静かな部屋の中で、
自分の息だけがやけに大きく響いた。
ページを閉じたあと、
しばらく何も言えなかった。
一行一行、胸の奥に刺さっていた。
――これも、心当たりある。
これ、母がやってたわ。
“うちの嫁”って言葉、
まるで品物みたいだったけど、
当たり前のように使ってた。
遙のご飯も、思い出した。
実家に行ったとき、
みんなの食事は居間に並んでいたのに、
遙の分だけ、台所の隅に置かれていた。
そのとき俺、笑ってた。
本を閉じた手が、ゆっくり震えていた。
椅子がないから、場所がないから、仕方ないって思ってた。
遙が「いいよ」って言うから、考えなかった。
……俺、離婚されても仕方ない?
コップの水が溢れたって、こういうことか。
一冊の本に書いてあった。
「覆水、盆に返らず」――その言葉だけが頭に残った。
ダメだ。今日は、寝られない。
俺、母さんのことを悪い人だと思ってなかった。
ただ、邪魔くさいと思ってただけだった。
それが、一番の問題だったんだ。
本屋で買った本の中に、
『毒になる親』というタイトルがあった。
――支配的で、子供の人生に干渉し、
自分の価値観で子の個性を潰してしまう。
そんな親を「毒親」と呼ぶらしい。
よく世話をしてくれるからこそ、気づきにくいこともあると書いてあった。
ページを閉じたあと、
胸の奥がずしりと重くなった。
……俺のことか?
母を憎んでいるわけじゃない。
ただ、どうしても理解できない。
俺を思ってのことだったのか、
自分の思い通りにしたかっただけなのか。
その境界が、いまではもう、わからない。
思い出すのは、あの茶碗の模様。
白い器の上に描かれた桜。
花びらのように、ひとつひとつの思い出が散っていく気がした。
母を責める気にもなれない。
でも、もう戻れない。
俺はようやく、自分の人生を歩きはじめれるのか?
いつのまにか、眠っていた。
夢を見た気がするけど、思い出せない。
朝の光が、やけに白かった。
弁護士の無料相談、今日あったはずだ。
スーツに袖を通しながら、休みを取って裁判所の無料相談に向かった。
胸の奥がざわざわしていた。
――行ってみよう。
何か、まだ何か戻せるかもしれない。
裁判所の受付で番号札を渡されて、
小さな部屋に通された。
そこにいた弁護士は、静かな顔をしていた。
俺が話を終えると、
短くため息をついて、
「このケースは、難しいですね」と言った。
「コンテストの受賞作品を、
子供にあげて、壊して捨てた、というのは……
正直、弁護のしようがありません」
俺は、うつむいた。
「離婚届を出した方がいいです。
おそらく、相手の方は本気です。
今どこにいるかもわからないなら、弁護士しか連絡できないですし、弁護士入ったら、直接連絡できないですね。」
その言葉が、静かに突き刺さった。
会社の飲み会。男女5人。
居酒屋の個室には、明るい笑い声が響いていた。
俺は、ひとりグラスを手に黙っていた。
「ねえ佐倉さん、聞いたわよ~。結婚一か月で別居?」
女子社員Aが面白そうに笑う。
「……別居っていうか、まあ、ちょっとな」
「やっぱり対岸の火事って大きいとおもしろいですね!」
Aが勢いよく笑った。
「なんだよ、それ。こっちは真剣なんだぞ」
「だってー、重すぎて笑うしかないでしょ」
Bがビールを注ぎながら肩をすくめる。
「となると、成田離婚の川上さんといい勝負ね。
あの人も一か月ちょいだったわよ。
新婚旅行にお母さん連れて行ったんだって」
「うわぁ~」
全員が一斉に声を上げる。
Bが続けた。
「でも佐倉さんも、姑がけっこう香ばしいかったって噂あるよね」
「……まあ、いろいろな」
「明日、佐倉さんの結婚祝い買いに行くつもりだったけど、映画行こっか?」
「賛成~!」
「何見る?」
「ホラー! 人の不幸よりは軽いでしょ」
笑い声が弾けた。
俺は笑えなかった。
グラスの中の氷が、ひとつ音を立てて沈んだ。
帰り道
店を出たのは、夜の十時を過ぎていた。
外は思ったよりも冷えていて、
街灯の下で、白い息がゆらいだ。
同僚たちは駅の方へ笑いながら歩いていく。
誰かが冗談を言い、
誰かが大声で笑う。
その中で、俺だけが黙っていた。
「佐倉くん、こっち! 二次会行こうよ!」
誰かの声がしたが、
手を軽く上げて断った。
「悪い、明日早いんだ」
背中を向けると、
また笑い声が弾んだ。
俺のことなんて、もう話題にもなっていなかった。
駅までの道は、夜風が強かった。
酔いがどんどん冷めていく。
コンビニの明かりがまぶしくて、
ふとショーウィンドウに映った自分の顔を見た。
疲れていた。
思っていたより、ずっと。
ポケットの中のスマホを見ても、
遙からの連絡は、やはりない。
信号待ちの間、
前に立つカップルの笑い声が聞こえた。
その笑い声が、
なぜか遠い昔のものみたいに思えた。
歩き出す。
アスファルトの上で靴音が響く。
まるで自分ひとりだけが、
世界から切り離されたような夜だった。
風が吹いて、
ビルのすき間から、紙くずが転がってきた。
カサカサと音を立て、
足元をすり抜けていく。
――あの茶碗も、こんなふうに転がったのかもしれない。
立ち止まりかけた足を、
もう一度、前へ出した。
風が冷たかった。
何かを考えたくなくて、
とりあえず歩いた。
気がついたら、大型本屋の前に立っていた。
中に入ると、棚にぎっしりと本が並んでいた。
「親との関係」「毒親」「嫁姑問題」「離婚を考えたら読む本」
似たようなタイトルがいくつもあった。
気になるものを、片っ端から手に取った。
レジ袋が重くなる。
家に戻って、読んでみた。
ページをめくるたびに、
だんだん顔が青くなっていく。
――いっぱい、俺やらかしてたわ。
本を閉じて、頭を抱えた。
静かな部屋の中で、
自分の息だけがやけに大きく響いた。
ページを閉じたあと、
しばらく何も言えなかった。
一行一行、胸の奥に刺さっていた。
――これも、心当たりある。
これ、母がやってたわ。
“うちの嫁”って言葉、
まるで品物みたいだったけど、
当たり前のように使ってた。
遙のご飯も、思い出した。
実家に行ったとき、
みんなの食事は居間に並んでいたのに、
遙の分だけ、台所の隅に置かれていた。
そのとき俺、笑ってた。
本を閉じた手が、ゆっくり震えていた。
椅子がないから、場所がないから、仕方ないって思ってた。
遙が「いいよ」って言うから、考えなかった。
……俺、離婚されても仕方ない?
コップの水が溢れたって、こういうことか。
一冊の本に書いてあった。
「覆水、盆に返らず」――その言葉だけが頭に残った。
ダメだ。今日は、寝られない。
俺、母さんのことを悪い人だと思ってなかった。
ただ、邪魔くさいと思ってただけだった。
それが、一番の問題だったんだ。
本屋で買った本の中に、
『毒になる親』というタイトルがあった。
――支配的で、子供の人生に干渉し、
自分の価値観で子の個性を潰してしまう。
そんな親を「毒親」と呼ぶらしい。
よく世話をしてくれるからこそ、気づきにくいこともあると書いてあった。
ページを閉じたあと、
胸の奥がずしりと重くなった。
……俺のことか?
母を憎んでいるわけじゃない。
ただ、どうしても理解できない。
俺を思ってのことだったのか、
自分の思い通りにしたかっただけなのか。
その境界が、いまではもう、わからない。
思い出すのは、あの茶碗の模様。
白い器の上に描かれた桜。
花びらのように、ひとつひとつの思い出が散っていく気がした。
母を責める気にもなれない。
でも、もう戻れない。
俺はようやく、自分の人生を歩きはじめれるのか?
いつのまにか、眠っていた。
夢を見た気がするけど、思い出せない。
朝の光が、やけに白かった。
弁護士の無料相談、今日あったはずだ。
スーツに袖を通しながら、休みを取って裁判所の無料相談に向かった。
胸の奥がざわざわしていた。
――行ってみよう。
何か、まだ何か戻せるかもしれない。
裁判所の受付で番号札を渡されて、
小さな部屋に通された。
そこにいた弁護士は、静かな顔をしていた。
俺が話を終えると、
短くため息をついて、
「このケースは、難しいですね」と言った。
「コンテストの受賞作品を、
子供にあげて、壊して捨てた、というのは……
正直、弁護のしようがありません」
俺は、うつむいた。
「離婚届を出した方がいいです。
おそらく、相手の方は本気です。
今どこにいるかもわからないなら、弁護士しか連絡できないですし、弁護士入ったら、直接連絡できないですね。」
その言葉が、静かに突き刺さった。
会社の飲み会。男女5人。
居酒屋の個室には、明るい笑い声が響いていた。
俺は、ひとりグラスを手に黙っていた。
「ねえ佐倉さん、聞いたわよ~。結婚一か月で別居?」
女子社員Aが面白そうに笑う。
「……別居っていうか、まあ、ちょっとな」
「やっぱり対岸の火事って大きいとおもしろいですね!」
Aが勢いよく笑った。
「なんだよ、それ。こっちは真剣なんだぞ」
「だってー、重すぎて笑うしかないでしょ」
Bがビールを注ぎながら肩をすくめる。
「となると、成田離婚の川上さんといい勝負ね。
あの人も一か月ちょいだったわよ。
新婚旅行にお母さん連れて行ったんだって」
「うわぁ~」
全員が一斉に声を上げる。
Bが続けた。
「でも佐倉さんも、姑がけっこう香ばしいかったって噂あるよね」
「……まあ、いろいろな」
「明日、佐倉さんの結婚祝い買いに行くつもりだったけど、映画行こっか?」
「賛成~!」
「何見る?」
「ホラー! 人の不幸よりは軽いでしょ」
笑い声が弾けた。
俺は笑えなかった。
グラスの中の氷が、ひとつ音を立てて沈んだ。
帰り道
店を出たのは、夜の十時を過ぎていた。
外は思ったよりも冷えていて、
街灯の下で、白い息がゆらいだ。
同僚たちは駅の方へ笑いながら歩いていく。
誰かが冗談を言い、
誰かが大声で笑う。
その中で、俺だけが黙っていた。
「佐倉くん、こっち! 二次会行こうよ!」
誰かの声がしたが、
手を軽く上げて断った。
「悪い、明日早いんだ」
背中を向けると、
また笑い声が弾んだ。
俺のことなんて、もう話題にもなっていなかった。
駅までの道は、夜風が強かった。
酔いがどんどん冷めていく。
コンビニの明かりがまぶしくて、
ふとショーウィンドウに映った自分の顔を見た。
疲れていた。
思っていたより、ずっと。
ポケットの中のスマホを見ても、
遙からの連絡は、やはりない。
信号待ちの間、
前に立つカップルの笑い声が聞こえた。
その笑い声が、
なぜか遠い昔のものみたいに思えた。
歩き出す。
アスファルトの上で靴音が響く。
まるで自分ひとりだけが、
世界から切り離されたような夜だった。
風が吹いて、
ビルのすき間から、紙くずが転がってきた。
カサカサと音を立て、
足元をすり抜けていく。
――あの茶碗も、こんなふうに転がったのかもしれない。
立ち止まりかけた足を、
もう一度、前へ出した。
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