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優しさの檻 茂と花梨
離婚に向けて
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「あなたが生まれたときはね、
洗濯も食事も、お義母さんが全部したの。
でも――あれは“特別”だったからよ。
子供産まれたばかりだったからよ。
新婚の新居なんて、姑が勝手に入るわけないじゃない。」
花梨は黙ってうなずいた。
その“当たり前”が、夫の家では通じなかった。
花梨は、まだ誰もいない朝の台所で、ひとつ息を吐いた。
「もう、あの家では息ができない。」
それが言い訳ではなく、事実だとわかった瞬間、
彼女は離婚を決めた。
次の日、会議室
柴崎と人事部の吉田に相談
「会社、辞めたいんです。もう無理で。」
花梨の声は、かすかに震えていた。
「無理って、何が?」
柴崎が眉をひそめる。
吉田が、そっと水を渡す。
「……お義母さんが、合鍵で、うちに入るんです。
私たちが会社にいる間に、掃除とか、洗濯とか……」
「え、ちょっと待って。」
柴崎が思わず声を上げた。
「それ、許可してるの?」
「するわけないです。」
花梨は苦笑した。
「でも夫は、“助かるね、よかったね”って。」
吉田が顔をしかめる。
「……それ、普通にアウトだよ。」
花梨
「そうなんです。
でも、本人たちは“家族だからいいでしょ”って。」
会議室に、長い沈黙が落ちた。
冷たい蛍光灯の音だけが、天井で鳴っていた。
花梨
「それで、お母さんが柔軟剤とか洗剤とか……合成のいい匂いのやつを、部屋中に振りまくんです。」
花梨が声を落とした。
「……私、それで、アレルギーになりました。」
柴崎は、一瞬言葉を失う。
そして、気まずそうに頭をかいた。
「……うわ、それ、俺みたいに掃除しないより、よっぽどひどいな。」
花梨は、苦笑いもできなかった。
沈黙のあと、吉田が小さく言った。
「“いい匂い”って、人によっては毒なんですよね。」
蛍光灯の光が少し白く反射した。
花梨は、やっと自分の言葉が届いた気がした。
「なんとかカプセルだっけ? 最近の柔軟剤って、強いもんなぁ」
柴崎が腕を組んだ。
「ダメな人はほんとダメなんだよな。……でも旦那さん、神経質って思ってそう。」
吉田が、眉をひそめる。
「でも、お母さんが合鍵で入ってくるって、ないわー!
新婚家庭にそれは……やばくない?」
花梨は、肩を落とした。
「“良かれと思って”って言われるんです。」
「“良かれと思って”って、一番タチ悪いんだよな。」
柴崎がため息をついた。
「それは……離婚だなぁ。」
柴崎が腕を組んで言った。
「花梨くん、次は俺と結婚しない? 付き合ってよ。」
「ちょっ……!」
吉田が即座に突っ込んだ。
「ずうずうしい! 人が弱ってる時に言うか、それ!」
「いや、真面目に言ってるんだけどな。」
柴崎は笑ってごまかした。
花梨は、思わず笑ってしまった。
——ここしばらくで、初めて笑った気がした。
「いきなり辞めて、すみません。」
花梨が頭を下げた。
「まあ、事情が事情だからな。」
柴崎は腕を組んで頷いた。
「俺がまず、君の仕事、引き継ぐよ。……わからないときは、電話していい?」
「邪な匂いがするわ。」
吉田がすかさず言う。
「仕方ないだろ、仕事だから。」
柴崎が真顔で言って、わざとらしくため息をつく。
花梨は、ふっと笑ってしまった。
久しぶりに、息ができた気がした。
⸻
柴崎先輩から、次の日から毎日のようにラインが来た。
最初は仕事の引き継ぎの話。
けれど、気づけば雑談ばかりになっていた。
「仕事より、雑談多いですよ。」
そう送ると、すぐ既読がついた。
「仕方ない。狙ってるからね。」
思わず吹き出した。
「私、まだ人妻ですよ。」
「気にしない。気にしてたら、俺、一生独身だよ。」
花梨はスマホを伏せた。
笑ってるのか、困ってるのか、自分でもわからなかった。
茂、弁護士事務所にて、
弁護士は書類をめくりながら、静かに言った。
「……奥さんの訴えの内容、読まれましたか?」
「はい。でも、母は良かれと思ってやっただけです。
掃除も、洗濯も、全部……」
「それが、マザコンなんですよ。」
茂は言葉を失った。
「母親本人が“良かれと思ってやってる”のが一番厄介なんです。
そして、息子のあなたがそれを止められない。
——つまり、自覚がない。」
ペンの音だけが、部屋に響いた。
茂は視線を落とした。
母が悪気なく微笑む姿が、頭の中で離れなかった。
数週間前、
新婚旅行のキャンセルをしようとした。
花梨が体調を崩して、行きたくないと言い出したのだ。
「キャンセル料、けっこう高いんだな……」
ため息をついた時、母が言った。
「もったいないじゃない。せっかく予約したんだから、私が代わりに行くわよ。
国内だし、個人ツアーなら問題ないでしょ?」
冗談かと思った。
けれど母は本気の顔をしていた。
「そうだな……もう一か月切ってるし。
キャンセル料もったいないし……」
何も考えず、了承してしまった。
そのときの自分を、あとで何度も殴りたくなった。
弁護士から届いた書面には、こう書かれていた。
「慰謝料請求なし。財産分与なし。双方合意による協議離婚。」
たったこれだけで、二人の生活が終わる。
たったこれだけで、あの部屋の匂いごと、切り離された。
📱LINE
花梨:「離婚しました」
柴崎:「えっ、マジ? やったじゃん!今日から俺ら合法?」
花梨:「違います」
柴崎:「えー、ノリ悪いなあ。じゃあ“お疲れ会”って名目で映画行こう」
花梨:「それも違います」
柴崎:「……じゃあ、コーヒーだけ。慰労会おごる、慰謝料もらっただろうけど」
花梨:「慰謝料はもらってません」
柴崎:「うわ、さらに可哀想。今すぐ保護したい」
花梨:「冗談が上手ですね」
洗濯も食事も、お義母さんが全部したの。
でも――あれは“特別”だったからよ。
子供産まれたばかりだったからよ。
新婚の新居なんて、姑が勝手に入るわけないじゃない。」
花梨は黙ってうなずいた。
その“当たり前”が、夫の家では通じなかった。
花梨は、まだ誰もいない朝の台所で、ひとつ息を吐いた。
「もう、あの家では息ができない。」
それが言い訳ではなく、事実だとわかった瞬間、
彼女は離婚を決めた。
次の日、会議室
柴崎と人事部の吉田に相談
「会社、辞めたいんです。もう無理で。」
花梨の声は、かすかに震えていた。
「無理って、何が?」
柴崎が眉をひそめる。
吉田が、そっと水を渡す。
「……お義母さんが、合鍵で、うちに入るんです。
私たちが会社にいる間に、掃除とか、洗濯とか……」
「え、ちょっと待って。」
柴崎が思わず声を上げた。
「それ、許可してるの?」
「するわけないです。」
花梨は苦笑した。
「でも夫は、“助かるね、よかったね”って。」
吉田が顔をしかめる。
「……それ、普通にアウトだよ。」
花梨
「そうなんです。
でも、本人たちは“家族だからいいでしょ”って。」
会議室に、長い沈黙が落ちた。
冷たい蛍光灯の音だけが、天井で鳴っていた。
花梨
「それで、お母さんが柔軟剤とか洗剤とか……合成のいい匂いのやつを、部屋中に振りまくんです。」
花梨が声を落とした。
「……私、それで、アレルギーになりました。」
柴崎は、一瞬言葉を失う。
そして、気まずそうに頭をかいた。
「……うわ、それ、俺みたいに掃除しないより、よっぽどひどいな。」
花梨は、苦笑いもできなかった。
沈黙のあと、吉田が小さく言った。
「“いい匂い”って、人によっては毒なんですよね。」
蛍光灯の光が少し白く反射した。
花梨は、やっと自分の言葉が届いた気がした。
「なんとかカプセルだっけ? 最近の柔軟剤って、強いもんなぁ」
柴崎が腕を組んだ。
「ダメな人はほんとダメなんだよな。……でも旦那さん、神経質って思ってそう。」
吉田が、眉をひそめる。
「でも、お母さんが合鍵で入ってくるって、ないわー!
新婚家庭にそれは……やばくない?」
花梨は、肩を落とした。
「“良かれと思って”って言われるんです。」
「“良かれと思って”って、一番タチ悪いんだよな。」
柴崎がため息をついた。
「それは……離婚だなぁ。」
柴崎が腕を組んで言った。
「花梨くん、次は俺と結婚しない? 付き合ってよ。」
「ちょっ……!」
吉田が即座に突っ込んだ。
「ずうずうしい! 人が弱ってる時に言うか、それ!」
「いや、真面目に言ってるんだけどな。」
柴崎は笑ってごまかした。
花梨は、思わず笑ってしまった。
——ここしばらくで、初めて笑った気がした。
「いきなり辞めて、すみません。」
花梨が頭を下げた。
「まあ、事情が事情だからな。」
柴崎は腕を組んで頷いた。
「俺がまず、君の仕事、引き継ぐよ。……わからないときは、電話していい?」
「邪な匂いがするわ。」
吉田がすかさず言う。
「仕方ないだろ、仕事だから。」
柴崎が真顔で言って、わざとらしくため息をつく。
花梨は、ふっと笑ってしまった。
久しぶりに、息ができた気がした。
⸻
柴崎先輩から、次の日から毎日のようにラインが来た。
最初は仕事の引き継ぎの話。
けれど、気づけば雑談ばかりになっていた。
「仕事より、雑談多いですよ。」
そう送ると、すぐ既読がついた。
「仕方ない。狙ってるからね。」
思わず吹き出した。
「私、まだ人妻ですよ。」
「気にしない。気にしてたら、俺、一生独身だよ。」
花梨はスマホを伏せた。
笑ってるのか、困ってるのか、自分でもわからなかった。
茂、弁護士事務所にて、
弁護士は書類をめくりながら、静かに言った。
「……奥さんの訴えの内容、読まれましたか?」
「はい。でも、母は良かれと思ってやっただけです。
掃除も、洗濯も、全部……」
「それが、マザコンなんですよ。」
茂は言葉を失った。
「母親本人が“良かれと思ってやってる”のが一番厄介なんです。
そして、息子のあなたがそれを止められない。
——つまり、自覚がない。」
ペンの音だけが、部屋に響いた。
茂は視線を落とした。
母が悪気なく微笑む姿が、頭の中で離れなかった。
数週間前、
新婚旅行のキャンセルをしようとした。
花梨が体調を崩して、行きたくないと言い出したのだ。
「キャンセル料、けっこう高いんだな……」
ため息をついた時、母が言った。
「もったいないじゃない。せっかく予約したんだから、私が代わりに行くわよ。
国内だし、個人ツアーなら問題ないでしょ?」
冗談かと思った。
けれど母は本気の顔をしていた。
「そうだな……もう一か月切ってるし。
キャンセル料もったいないし……」
何も考えず、了承してしまった。
そのときの自分を、あとで何度も殴りたくなった。
弁護士から届いた書面には、こう書かれていた。
「慰謝料請求なし。財産分与なし。双方合意による協議離婚。」
たったこれだけで、二人の生活が終わる。
たったこれだけで、あの部屋の匂いごと、切り離された。
📱LINE
花梨:「離婚しました」
柴崎:「えっ、マジ? やったじゃん!今日から俺ら合法?」
花梨:「違います」
柴崎:「えー、ノリ悪いなあ。じゃあ“お疲れ会”って名目で映画行こう」
花梨:「それも違います」
柴崎:「……じゃあ、コーヒーだけ。慰労会おごる、慰謝料もらっただろうけど」
花梨:「慰謝料はもらってません」
柴崎:「うわ、さらに可哀想。今すぐ保護したい」
花梨:「冗談が上手ですね」
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