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9章 俺の居ないこの町で
92 カフェ桜へようこそ
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俺はチェリーのことを伏せて、「その店に行こう」と提案した。
「前に、こっちへ来た友達が、行ったって言ってたんだ」
と、適当な説明をすると、宗助が「異世界の人って、そんなにこっちの世界に来てるんですか?」と興味津々にテンションを上げた。
「どんなお店かしら?」
メルが尋ねると、宗助が「コーヒーを飲むところだよ」と説明する。「あの店のお勧めはパンケーキだからね」と加えると、メルも「ケーキ?」と嬉しそうに目を細めた。
メルがパンケーキを知らないというと、宗助は「甘くて、ふかふかで、クリームがたっぷり乗ってるんだよ」と声を弾ませる。
そんな二人の後ろで、クラウが俺を横目に覗いて「誰?」と小声で聞いてきた。
流石、鋭い。
俺は「チェリーだよ」と耳打ちした。
恐らく、その友達のお兄さんとやらがチェリーの『保管者』なのだろう。
「行くのは不味いかな」
「様子を見るくらいなら平気だよ。もしそこに保管者がいたとしても、チェリーの記憶があるだけで僕たちには何も繋がらないから。そうだ、ソースケ。ちょっと頼みがあるんだけど」
「大丈夫」と頷いて、クラウは末弟を振り向いた。
「何か大きな布はないかな。これを包むくらいの」
そう言うと、壁に立てかけてあった俺たちの剣を取り上げる。クラウのマントでぐるぐる巻きにされていて中は見えず、宗助は「え?」と不振がって首を傾けた。
「それは何ですか?」
「僕たちの武器だよ。こっちの世界では、持ってちゃダメってユースケに言われたから。とりあえずこれに包んでいたけど、ずっとこうしておくのはちょっとね」
武器と言って緊張が走るが、クラウがバタバタとマントを剥いで背中に装着したところで、宗助は「あっ」と息をのんだ。ヤツの視線はマント姿の怪しげな長兄ではなく、マントから飛び出た剣に釘付けだ。
「本物……?」
「それゃあ、俺たちは異世界から来たんだからな」
俺は頷いてみたものの、その生々しい光景に背中をザワりと震わせる。
こっちの世界に戻ってきたせいだろうか。ずっと腰につけていたはずの剣に、恐怖さえ沸いてくる。
クラウの剣はきれいな状態だが、俺とメルの剣には幾つもの個所にセルティオの血液が乾いた状態で付着していた。
宗助は興味本位で伸ばした手を引いて、「ちょっと待ってて」と部屋を出て行った。
「後で磨いておかなきゃ」とメルはいつも通りの様子だ。
俺が「こっちの世界では外してくれ」とクラウのマントを引っ張ると、すぐに足音が響いて宗助が戻ってきた。渋々と従うクラウが、宗助の手元を見て険しい顔を見せる。
「ソファのカバーにするとか言って、母親が買ってきたやつです。俺と父親のブーイングを食らって、ずっと閉まってあったから使っていいですよ」
「あっ」
それを聞いて、俺は思わず声を上げた。
俺の記憶の中にも、そのエピソードは存在する。だいぶ前のことで忘れていたが、その黒と橙色の派手な花柄に見覚えがあった。
「いいんじゃないかしら」
「あぁ、カモフラージュになるかな。ありがとうソースケ」
俺はその柄を全く良いとは思わなかったが、メルには意外と好評だ。
クラウはそれを受け取って、床に広げた。ソファカバーというだけあって思った以上に大きく、何重にも巻き付けると中身の形など全く分からなくなる。
最後にビニールテープで縛りつけ、クラウは右肩に担いで立ち上がる。
「じゃあ行こうか」
リビングに下りて、クラウは再び自分の仏壇の前に立った。
「これは?」と不思議がるメルに、「僕だよ」と宗助に隠れてこっそり瑛助の遺影を指差す。
メルは「可愛い」と微笑んで、クラウに真似て手を合わせた。
速水瑛助はちゃんとこの世界に存在しているのに、俺はどこにも居なかった。
家の中の色々な場所が、少しずつ記憶と違っている。
ずっと廊下に飾ってあった、俺が小学校の時に描いた風景画が無くなっていたり、玄関に置かれていた修学旅行土産の金閣寺の置物がなかったり、テーブルに俺の椅子がなかったり。
俺が居た痕跡が何もなかった。
「辛いな」と零した気持ちに、メルが「行きましょう」と俺の手を握ってくれた。それを「ありがとな」と握り返して、俺たちは俺たちの家を後にした。
☆
五時を回っても外はまだ明るかった。
ようやく暑さが落ち着いてきて、心地よい風が流れていく。
川沿いの土手を歩きながら、メルは俺の手を引いて目につくもの一つ一つに歓声を上げた。
「すごい。あれは乗り物? トードはいないのに、どうしてあんなに速く走れるの?」
車を見てはそんなことを言って、空を見上げては「あの鳥は動きが変よ?」と飛行機を指差す。
あれはね、これはね、と半歩前を歩く宗助が一つずつ説明するのをメルは興味深げに聞いていた。
川を中心に俺の住む川島台とチェリーの居た吉水町に分かれている。
メルはふと立ち止まって広がる風景を眺め「町並みは全然違うのに、空や川は一緒なのね」と笑んだ。
すれ違う人が、日本人離れした風貌のメルを振り返る。
そして、見知らぬ女たちがクラウを見ては心臓を射抜かれていく様子に、俺は何とも言えない気分になる。
彼女たちの目には俺や宗助など目に入っていないようだ。
吉水町は隣町だが、俺はあまり行ったことが無かった。川を渡らなくても駅や商店街はあるから向こうへ行く必要性がなかったし、吉水町の駅裏は歓楽街になっているので小さい頃から親に近寄らないように言われてきたのもその理由だ。
「ここだよ」
しばらく歩いて宗助が足を止めた店は、俺の予想と少し違っていた。
チェリーと絡めて俺はもっと異色な感じを想像していたのに、木目調の外観はごくごく普通のお洒落なカフェだったのだ。
入口の横の窓から小さな顔がこちらを覗いていて、俺たちの到着と同時に勢いよく扉が開かれる。
「奏多!」
宗助が、中から飛び出てきたエプロン姿の彼を、そう呼んだ――いや、彼女をそう呼んだのだ。
サッカー友達と聞いて、俺は男子を想像していたが、アニメオタクバージョンの宗助でも、だいぶリア充な交友関係があるらしい。ショートカットで一見中性的に見えるが、ぱっちりした目や顔立ちは女の子らしくて可愛い。
元の世界の宗助もサッカーをしていたので、もしかしたら向こうでも俺の知らないところでこの店と交流があったのかもしれない。
「初めまして。カフェ桜へようこそ」
奏多はハキハキと挨拶すると、手を広げて俺たちを店内へと促した。
先に宗助が連絡してくれたらしく、異世界人の俺たちは歓迎を受けることができた。
店に入ると香ばしいコーヒーの香りが広がった。ここはチェリーが居た場所だ。
そして俺たちは今からヤツの『保管者』と対面する。
俺は緊張を走らせるが、「いらっしゃいませ」の声の相手よりも先に、カウンターの隅に座る少女に目を奪われた。
メルと同じくらいだろうか。長い黒髪の後ろ姿。
ゆっくりと俺たちを振り返った彼女の顔を見て、俺は「そうか」と呟いた。
バラバラに放り出していた記憶が、その状況を受け入れて俺に語り掛けてきたのだ。
――「けど、生憎大人の女には興味ないから、それは分かって」
興味深げに俺たちを見つめるその少女は、チェリーとよく似ていた。
「前に、こっちへ来た友達が、行ったって言ってたんだ」
と、適当な説明をすると、宗助が「異世界の人って、そんなにこっちの世界に来てるんですか?」と興味津々にテンションを上げた。
「どんなお店かしら?」
メルが尋ねると、宗助が「コーヒーを飲むところだよ」と説明する。「あの店のお勧めはパンケーキだからね」と加えると、メルも「ケーキ?」と嬉しそうに目を細めた。
メルがパンケーキを知らないというと、宗助は「甘くて、ふかふかで、クリームがたっぷり乗ってるんだよ」と声を弾ませる。
そんな二人の後ろで、クラウが俺を横目に覗いて「誰?」と小声で聞いてきた。
流石、鋭い。
俺は「チェリーだよ」と耳打ちした。
恐らく、その友達のお兄さんとやらがチェリーの『保管者』なのだろう。
「行くのは不味いかな」
「様子を見るくらいなら平気だよ。もしそこに保管者がいたとしても、チェリーの記憶があるだけで僕たちには何も繋がらないから。そうだ、ソースケ。ちょっと頼みがあるんだけど」
「大丈夫」と頷いて、クラウは末弟を振り向いた。
「何か大きな布はないかな。これを包むくらいの」
そう言うと、壁に立てかけてあった俺たちの剣を取り上げる。クラウのマントでぐるぐる巻きにされていて中は見えず、宗助は「え?」と不振がって首を傾けた。
「それは何ですか?」
「僕たちの武器だよ。こっちの世界では、持ってちゃダメってユースケに言われたから。とりあえずこれに包んでいたけど、ずっとこうしておくのはちょっとね」
武器と言って緊張が走るが、クラウがバタバタとマントを剥いで背中に装着したところで、宗助は「あっ」と息をのんだ。ヤツの視線はマント姿の怪しげな長兄ではなく、マントから飛び出た剣に釘付けだ。
「本物……?」
「それゃあ、俺たちは異世界から来たんだからな」
俺は頷いてみたものの、その生々しい光景に背中をザワりと震わせる。
こっちの世界に戻ってきたせいだろうか。ずっと腰につけていたはずの剣に、恐怖さえ沸いてくる。
クラウの剣はきれいな状態だが、俺とメルの剣には幾つもの個所にセルティオの血液が乾いた状態で付着していた。
宗助は興味本位で伸ばした手を引いて、「ちょっと待ってて」と部屋を出て行った。
「後で磨いておかなきゃ」とメルはいつも通りの様子だ。
俺が「こっちの世界では外してくれ」とクラウのマントを引っ張ると、すぐに足音が響いて宗助が戻ってきた。渋々と従うクラウが、宗助の手元を見て険しい顔を見せる。
「ソファのカバーにするとか言って、母親が買ってきたやつです。俺と父親のブーイングを食らって、ずっと閉まってあったから使っていいですよ」
「あっ」
それを聞いて、俺は思わず声を上げた。
俺の記憶の中にも、そのエピソードは存在する。だいぶ前のことで忘れていたが、その黒と橙色の派手な花柄に見覚えがあった。
「いいんじゃないかしら」
「あぁ、カモフラージュになるかな。ありがとうソースケ」
俺はその柄を全く良いとは思わなかったが、メルには意外と好評だ。
クラウはそれを受け取って、床に広げた。ソファカバーというだけあって思った以上に大きく、何重にも巻き付けると中身の形など全く分からなくなる。
最後にビニールテープで縛りつけ、クラウは右肩に担いで立ち上がる。
「じゃあ行こうか」
リビングに下りて、クラウは再び自分の仏壇の前に立った。
「これは?」と不思議がるメルに、「僕だよ」と宗助に隠れてこっそり瑛助の遺影を指差す。
メルは「可愛い」と微笑んで、クラウに真似て手を合わせた。
速水瑛助はちゃんとこの世界に存在しているのに、俺はどこにも居なかった。
家の中の色々な場所が、少しずつ記憶と違っている。
ずっと廊下に飾ってあった、俺が小学校の時に描いた風景画が無くなっていたり、玄関に置かれていた修学旅行土産の金閣寺の置物がなかったり、テーブルに俺の椅子がなかったり。
俺が居た痕跡が何もなかった。
「辛いな」と零した気持ちに、メルが「行きましょう」と俺の手を握ってくれた。それを「ありがとな」と握り返して、俺たちは俺たちの家を後にした。
☆
五時を回っても外はまだ明るかった。
ようやく暑さが落ち着いてきて、心地よい風が流れていく。
川沿いの土手を歩きながら、メルは俺の手を引いて目につくもの一つ一つに歓声を上げた。
「すごい。あれは乗り物? トードはいないのに、どうしてあんなに速く走れるの?」
車を見てはそんなことを言って、空を見上げては「あの鳥は動きが変よ?」と飛行機を指差す。
あれはね、これはね、と半歩前を歩く宗助が一つずつ説明するのをメルは興味深げに聞いていた。
川を中心に俺の住む川島台とチェリーの居た吉水町に分かれている。
メルはふと立ち止まって広がる風景を眺め「町並みは全然違うのに、空や川は一緒なのね」と笑んだ。
すれ違う人が、日本人離れした風貌のメルを振り返る。
そして、見知らぬ女たちがクラウを見ては心臓を射抜かれていく様子に、俺は何とも言えない気分になる。
彼女たちの目には俺や宗助など目に入っていないようだ。
吉水町は隣町だが、俺はあまり行ったことが無かった。川を渡らなくても駅や商店街はあるから向こうへ行く必要性がなかったし、吉水町の駅裏は歓楽街になっているので小さい頃から親に近寄らないように言われてきたのもその理由だ。
「ここだよ」
しばらく歩いて宗助が足を止めた店は、俺の予想と少し違っていた。
チェリーと絡めて俺はもっと異色な感じを想像していたのに、木目調の外観はごくごく普通のお洒落なカフェだったのだ。
入口の横の窓から小さな顔がこちらを覗いていて、俺たちの到着と同時に勢いよく扉が開かれる。
「奏多!」
宗助が、中から飛び出てきたエプロン姿の彼を、そう呼んだ――いや、彼女をそう呼んだのだ。
サッカー友達と聞いて、俺は男子を想像していたが、アニメオタクバージョンの宗助でも、だいぶリア充な交友関係があるらしい。ショートカットで一見中性的に見えるが、ぱっちりした目や顔立ちは女の子らしくて可愛い。
元の世界の宗助もサッカーをしていたので、もしかしたら向こうでも俺の知らないところでこの店と交流があったのかもしれない。
「初めまして。カフェ桜へようこそ」
奏多はハキハキと挨拶すると、手を広げて俺たちを店内へと促した。
先に宗助が連絡してくれたらしく、異世界人の俺たちは歓迎を受けることができた。
店に入ると香ばしいコーヒーの香りが広がった。ここはチェリーが居た場所だ。
そして俺たちは今からヤツの『保管者』と対面する。
俺は緊張を走らせるが、「いらっしゃいませ」の声の相手よりも先に、カウンターの隅に座る少女に目を奪われた。
メルと同じくらいだろうか。長い黒髪の後ろ姿。
ゆっくりと俺たちを振り返った彼女の顔を見て、俺は「そうか」と呟いた。
バラバラに放り出していた記憶が、その状況を受け入れて俺に語り掛けてきたのだ。
――「けど、生憎大人の女には興味ないから、それは分かって」
興味深げに俺たちを見つめるその少女は、チェリーとよく似ていた。
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