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9章 俺の居ないこの町で
94 彼に惚れたアイツ
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「桜ってのは、俺の親友が付けた名前なんだ」
京也に背を向けて、奏多が込み上げた寂しさをぎゅっとこらえるように目を瞑った。
それはほんの短い間だったが、俺は聞くべきでなかったと後悔する。
「腐れ縁っていうの? 馬鹿ばっかやってきた俺らが、この店やろうってたまたま意見が合って始めたんだ」
俺たちは相槌を打ちながら、妙にかしこまってその話を聞いていた。
「ちょうど春だったから『春』にしようよって言ったら、そいつに猛反対されてさ。春を思わせたいなら、『桜』のほうがいいんじゃないかって言われたんだよね。桜って、みんなが集まる場所だろうってね」
彼がチェリーを名乗ったのと、この店ができたのはどっちが先なんだろう。
「桜ってどんな花なの?」
メルが首を傾げると、京也は「えぇ?」とちょっと驚いた顔をして、メニューに描かれた桜のイラストを指差した。
「素敵な花ね」
「初めて見た? 日本語が上手だけど、日本に住んでるわけじゃないのかな」
「私はグラニカから来たのよ」
躊躇うことなく答えるメルに俺は慌てて立ち上がるが、京也は「ヨーロッパとかの地名かな?」とあまり深く詮索せず納得してくれた。もちろん、そんな名前の場所はこの世界にないと思うけれど。
「そんな人いないんだけどね」
「あの頃は楽しかったな」と懐かしむ京也に、ぼそりと呟いたのは奏多だった。この話に触れることは、京也よりも彼女のほうがタブーだったらしい。
「奏多……」
「ごめんなさい」と俺たちに手を合わせたのは宗助だった。
宗助が黙る彼女の背中をばしんと叩くと、奏多は恥ずかしそうに肩をすくめて会計の客の所にさっさと行ってしまった。
「すみません、何か俺が変なこと聞いちゃって」
「気にしないで。俺も頭の整理が全然できてなくて。何せ突然いなくなったから」
京也は苦笑して、凜を一瞥した。
「凛ちゃんはそいつと似てるんだよ。それで思わず声掛けちゃって。一人っ子だっていうから、俺の勘違いなんだけど」
「京也さんがいいよって言ってくれるから、毎日ここで宿題させてもらってるの」
算数のドリルから顔を上げ、凜は6時過ぎまで両親が家に帰らないことを教えてくれた。
チェリーが居た頃も、そうやって彼女は兄の側にいたのかもしれない。
「そうなんだ。京也さんの親友も、戻ってくるといいですね」
「うん、そうだね」
俺が向こうに戻ったら、チェリーは無事に復活しているだろうか。そしたら俺がこの店に来たことを話してやりたいと思った。
「みんな何が食べたい? 今日は俺がおごるよ」
気前よくシャツを捲り上げる京也に、俺たち三人と宗助が「ありがとうございます」と声を合わせた。
「僕とメルは字が読めないから、ユースケがお勧めを選んでくれる?」
小さな台紙に貼りつけられた、手書きのメニュー表。癖のないお手本のような字だ。
「京也さんの焼くパンケーキが、ここでは一番人気なんですよ」
「私はそれが食べたいわ!」
声を弾ませるメルは、ここへ来る道すがら宗助に話を聞いて、心待ちにしていたのだ。
「じゃあ、俺たちもそれでお願いします」
クラウに確認して、俺たちはパンケーキとブレンドコーヒーを頼んだ。
メルは「メルちゃんはまだ小さいから、コーヒーはダメだよ」と宗助に優しくカフェインの何たるかを教えられ、オレンジジュースになった次第だ。
今まで全然気付かなかったけれど、宗助は意外と世話好きなのかもしれない。
「ユースケさんって宗助と名前が似てるけど、親戚か何かですか? 顔も何となく似てるような……」
機嫌の戻った奏多が痛い所をついてきて、俺と宗助の顔を覗き込んできた。確認のようにクラウへ向けた視線は、「この人は違う」とはっきり表情に表している。
急に気まずくなって俺は彼女から視線を逸らしたが、宗助は俺が異世界人だと疑わなかった。
「まっさか。似てるわけないじゃん」
宗助は奏多の鋭い観察眼をあっさりと否定する。奏多も、「宗助がそう言うなら」とそれ以上の追及はしてこなかった。
「びっくりしたわね」とメルは俺にこっそり言って、店内をぐるぐると見まわしていた。
お洒落な店内と京也のイケメンぶりもあってか、女性客が多い。
クラウもオーダーを待つ間、チラチラとあちこちに目を向けている。
そんな異世界生活の長い二人は、俺にのんびりと落ち着く暇など与えてはくれない。
あろうことか、クラウの口がとんでもないことを言い出したのだ。
「本当に、この世界の女性は胸が大きいんだね」
耳を疑うようなセリフに、俺は全力で「うわぁぁあ」と声を被せた。口元に人差し指を立ててそれ以上の言葉を阻止すると、今度はメルが俺の必死さを無視して困惑顔で奏多の胸を覗き込む。
「奏多は女の子じゃないの?」
「えっ?」
「だって、胸がないんだもの」
「ぐはぁあああっ! な、何言うんだよ。どっから見たって女の子だろ!」
確かに奏多は発育途中で平らだけれど、この世界でその言葉は禁句だ。
追い打ちをかけるように「あっはは」と噴き出す宗助に、奏多の怒りがゲージマックスで突きつけられる。
「宗助!」
「ひぃぃい」
京也が笑いを抑えられないニヤニヤ顔で、「気にしなくていいからな」と焼き上がったパンケーキにホイップクリームを山盛りに絞って俺たちの前に出してくれた。
「うわぁ、凄いわ」
はしゃいだメルの笑顔。
元は大人なメルーシュでも、今はやっぱり見た目相応の女の子なんだなぁと思ったところで、俺の反対側では宗助も同じように「いただきまぁす」と笑顔で手を合わせていた。
束の間の休息。
コーヒーの苦みに顔をしかめるクラウに、俺が勝ち誇った気分でほくそ笑んでいると、奏多が焦げ茶色のエプロンを外して凜に声を掛けた。
「凛ちゃん、そろそろ送っていくね。みなさんゆっくりして行って下さい。上の部屋も掃除機かけておいたんで、使って下さいね」
「ありがとう」
「じゃあ、俺も行くよ。奏多を送ったら、そのまま家に帰るから。明日の朝、また来ます。3人ともそれまでは帰らないですよね?」
「うん、ソースケもありがとうね」
クラウが挨拶すると、宗助は味も分からないだろうスピードでパンケーキをかきこんだ。熱いコーヒーを涙目で流し込むと、「じゃあ」と手を上げて先に出て行ってしまった女子二人を追いかけていく。
カウンターが俺たちだけになったところで、京也はパンケーキに舌鼓を打つ俺たちを満足そうに見つめながら、再び洗い物をしていた。
そして、俺の格好に目を止めて、「一高の制服?」と聞いてくる。
彼の中で、日本人顔の俺は宗助の友達か何かだと思われているらしい。「はい」と頷くと、思い出したように笑ってその話をしてくれた。
「さっきの居なくなったっていう親友の話さ、そいつ男なんだけど、半分裏の顔があったんだ。女の格好して、夜の店で働いて」
俺の脳裏には何故か温泉で見てしまったチェリーの裸が浮かんでしまい、慌てて頭を振ってかき消した。
「へ、へぇ。キャバクラみたいなところですか?」
「もうちょっと大人の店だけどね。そこでやたらしつこい客に絡まれたって困ってた時期があってさ。一高の先生だったんだよね。名誉棄損になるから名前は言わないけど」
それはまさかというか、ゼストだろうと俺は確信する。
「アイツ綺麗だから、本気で女だと思ってたんだろうね。けどアイツは面倒だからって、この店のことを教えたんだ」
「この店のこと?」
「アイツはこの店で夜の顔を出さないからね。思惑通り、その先生は凄い顔してたよ」
ゼストの顔が難なく想像できて、俺は思わず吹き出してしまう。
メルやクラウも「ゼスト?」と聞いてきて、その話を理解して笑っていた。
「最近来てないけど、本当の事知った後もあの先生何回かウチに来てくれたんだよね。けど、その先生が来るようになった辺りから、何となくおかしくなってきたんだよな」
急に神妙な顔で呟いた京也はまた黙り込んで、チェリーの話もそこで終わってしまった。
京也に背を向けて、奏多が込み上げた寂しさをぎゅっとこらえるように目を瞑った。
それはほんの短い間だったが、俺は聞くべきでなかったと後悔する。
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俺たちは相槌を打ちながら、妙にかしこまってその話を聞いていた。
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彼がチェリーを名乗ったのと、この店ができたのはどっちが先なんだろう。
「桜ってどんな花なの?」
メルが首を傾げると、京也は「えぇ?」とちょっと驚いた顔をして、メニューに描かれた桜のイラストを指差した。
「素敵な花ね」
「初めて見た? 日本語が上手だけど、日本に住んでるわけじゃないのかな」
「私はグラニカから来たのよ」
躊躇うことなく答えるメルに俺は慌てて立ち上がるが、京也は「ヨーロッパとかの地名かな?」とあまり深く詮索せず納得してくれた。もちろん、そんな名前の場所はこの世界にないと思うけれど。
「そんな人いないんだけどね」
「あの頃は楽しかったな」と懐かしむ京也に、ぼそりと呟いたのは奏多だった。この話に触れることは、京也よりも彼女のほうがタブーだったらしい。
「奏多……」
「ごめんなさい」と俺たちに手を合わせたのは宗助だった。
宗助が黙る彼女の背中をばしんと叩くと、奏多は恥ずかしそうに肩をすくめて会計の客の所にさっさと行ってしまった。
「すみません、何か俺が変なこと聞いちゃって」
「気にしないで。俺も頭の整理が全然できてなくて。何せ突然いなくなったから」
京也は苦笑して、凜を一瞥した。
「凛ちゃんはそいつと似てるんだよ。それで思わず声掛けちゃって。一人っ子だっていうから、俺の勘違いなんだけど」
「京也さんがいいよって言ってくれるから、毎日ここで宿題させてもらってるの」
算数のドリルから顔を上げ、凜は6時過ぎまで両親が家に帰らないことを教えてくれた。
チェリーが居た頃も、そうやって彼女は兄の側にいたのかもしれない。
「そうなんだ。京也さんの親友も、戻ってくるといいですね」
「うん、そうだね」
俺が向こうに戻ったら、チェリーは無事に復活しているだろうか。そしたら俺がこの店に来たことを話してやりたいと思った。
「みんな何が食べたい? 今日は俺がおごるよ」
気前よくシャツを捲り上げる京也に、俺たち三人と宗助が「ありがとうございます」と声を合わせた。
「僕とメルは字が読めないから、ユースケがお勧めを選んでくれる?」
小さな台紙に貼りつけられた、手書きのメニュー表。癖のないお手本のような字だ。
「京也さんの焼くパンケーキが、ここでは一番人気なんですよ」
「私はそれが食べたいわ!」
声を弾ませるメルは、ここへ来る道すがら宗助に話を聞いて、心待ちにしていたのだ。
「じゃあ、俺たちもそれでお願いします」
クラウに確認して、俺たちはパンケーキとブレンドコーヒーを頼んだ。
メルは「メルちゃんはまだ小さいから、コーヒーはダメだよ」と宗助に優しくカフェインの何たるかを教えられ、オレンジジュースになった次第だ。
今まで全然気付かなかったけれど、宗助は意外と世話好きなのかもしれない。
「ユースケさんって宗助と名前が似てるけど、親戚か何かですか? 顔も何となく似てるような……」
機嫌の戻った奏多が痛い所をついてきて、俺と宗助の顔を覗き込んできた。確認のようにクラウへ向けた視線は、「この人は違う」とはっきり表情に表している。
急に気まずくなって俺は彼女から視線を逸らしたが、宗助は俺が異世界人だと疑わなかった。
「まっさか。似てるわけないじゃん」
宗助は奏多の鋭い観察眼をあっさりと否定する。奏多も、「宗助がそう言うなら」とそれ以上の追及はしてこなかった。
「びっくりしたわね」とメルは俺にこっそり言って、店内をぐるぐると見まわしていた。
お洒落な店内と京也のイケメンぶりもあってか、女性客が多い。
クラウもオーダーを待つ間、チラチラとあちこちに目を向けている。
そんな異世界生活の長い二人は、俺にのんびりと落ち着く暇など与えてはくれない。
あろうことか、クラウの口がとんでもないことを言い出したのだ。
「本当に、この世界の女性は胸が大きいんだね」
耳を疑うようなセリフに、俺は全力で「うわぁぁあ」と声を被せた。口元に人差し指を立ててそれ以上の言葉を阻止すると、今度はメルが俺の必死さを無視して困惑顔で奏多の胸を覗き込む。
「奏多は女の子じゃないの?」
「えっ?」
「だって、胸がないんだもの」
「ぐはぁあああっ! な、何言うんだよ。どっから見たって女の子だろ!」
確かに奏多は発育途中で平らだけれど、この世界でその言葉は禁句だ。
追い打ちをかけるように「あっはは」と噴き出す宗助に、奏多の怒りがゲージマックスで突きつけられる。
「宗助!」
「ひぃぃい」
京也が笑いを抑えられないニヤニヤ顔で、「気にしなくていいからな」と焼き上がったパンケーキにホイップクリームを山盛りに絞って俺たちの前に出してくれた。
「うわぁ、凄いわ」
はしゃいだメルの笑顔。
元は大人なメルーシュでも、今はやっぱり見た目相応の女の子なんだなぁと思ったところで、俺の反対側では宗助も同じように「いただきまぁす」と笑顔で手を合わせていた。
束の間の休息。
コーヒーの苦みに顔をしかめるクラウに、俺が勝ち誇った気分でほくそ笑んでいると、奏多が焦げ茶色のエプロンを外して凜に声を掛けた。
「凛ちゃん、そろそろ送っていくね。みなさんゆっくりして行って下さい。上の部屋も掃除機かけておいたんで、使って下さいね」
「ありがとう」
「じゃあ、俺も行くよ。奏多を送ったら、そのまま家に帰るから。明日の朝、また来ます。3人ともそれまでは帰らないですよね?」
「うん、ソースケもありがとうね」
クラウが挨拶すると、宗助は味も分からないだろうスピードでパンケーキをかきこんだ。熱いコーヒーを涙目で流し込むと、「じゃあ」と手を上げて先に出て行ってしまった女子二人を追いかけていく。
カウンターが俺たちだけになったところで、京也はパンケーキに舌鼓を打つ俺たちを満足そうに見つめながら、再び洗い物をしていた。
そして、俺の格好に目を止めて、「一高の制服?」と聞いてくる。
彼の中で、日本人顔の俺は宗助の友達か何かだと思われているらしい。「はい」と頷くと、思い出したように笑ってその話をしてくれた。
「さっきの居なくなったっていう親友の話さ、そいつ男なんだけど、半分裏の顔があったんだ。女の格好して、夜の店で働いて」
俺の脳裏には何故か温泉で見てしまったチェリーの裸が浮かんでしまい、慌てて頭を振ってかき消した。
「へ、へぇ。キャバクラみたいなところですか?」
「もうちょっと大人の店だけどね。そこでやたらしつこい客に絡まれたって困ってた時期があってさ。一高の先生だったんだよね。名誉棄損になるから名前は言わないけど」
それはまさかというか、ゼストだろうと俺は確信する。
「アイツ綺麗だから、本気で女だと思ってたんだろうね。けどアイツは面倒だからって、この店のことを教えたんだ」
「この店のこと?」
「アイツはこの店で夜の顔を出さないからね。思惑通り、その先生は凄い顔してたよ」
ゼストの顔が難なく想像できて、俺は思わず吹き出してしまう。
メルやクラウも「ゼスト?」と聞いてきて、その話を理解して笑っていた。
「最近来てないけど、本当の事知った後もあの先生何回かウチに来てくれたんだよね。けど、その先生が来るようになった辺りから、何となくおかしくなってきたんだよな」
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