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最終章 別れ
169 勝敗
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『いいか、絶対に死ぬんじゃないぞ? 即死さえ免れれば、治癒師の力で復活できる。いいな? 腸出してでも、息だけはしとけよ?』
俺がこの世の生に目を伏せたのと同時に、ゼストの言葉がまた追い打ちをかけて頭を駆け抜けていった。
俺が俺であることを、まだちゃんと覚えている。
生死の判断材料が呼吸だとすれば、俺はまだ死んでいないのかもしれない。けれど、腸が飛び出している状況は勘弁してほしい。
柔らかな闇に身を委ねて、俺の意識は深い場所へと沈んでいくのだろうと思っていた。それなのに、神様は俺に穏やかな死を迎えさせてはくれないらしい。
全ての感覚から解放された筈の俺は、休んでいる間もなく現実へと引き戻される。
心臓に急激な痛みを覚えて、飛び起きるように目を見開いた。
「ぐは……!」
死を連想せざるを得ない痛みで、俺は自分の生を悟った。
手足は動かないのに、心臓の痛覚だけがやたら敏感だ。
心臓をダイレクトに鷲掴みにされて、グリグリと爪を立てながらかき回されたような痛みと吐き気に、逆にやめてくれと死を願ってしまう。
ぼやけた視界が赤く滲んで、俺ははたとその状況を理解した。
少しずつ鮮明になる風景は、全てが赤く色付いている。
フィルターが掛けられたように見えるのは、すぐそこで赤い光が揺らめていているからだ。
どうやら俺は、赤い悪魔の力で地獄の底から引きずり上げられたらしい。
けれど身体が仰向けになっていること以外、自分の状況が分からない。
「が……」
痛みに足掻いて、貧弱な声を漏らすだけが俺の生きている証明だ。
「ユースケ」
俺を呼ぶ声が聞こえた。
「無茶しないでくれ。お願いだ」
赤く目を光らせる悪魔が、側で俺を見下ろしている。その姿に俺は達成感を膨らませて、大声を上げて泣きたくなった。
なのに、俺の胸にはまた容赦なく痛みが突き刺さってくる。
意識が飛びそうになるのを堪えると、赤い悪魔は「もう大丈夫」と痛みとは真逆の言葉をかけてきた。
「そん、な……」
「信じて」
切なさの滲む穏やかな声を合図に、全身の痛みがフワリと抜ける。
心臓から手足の先に向けて、緩やかに感覚が戻っていった。
「あ――」
はっきりと声が出せることを確認して、俺は赤い光を纏った魔王を見上げた。
彼の持つ剣が、俺達のとは違う色を漂わせている。
「やったじゃねぇか」
そう伝えてみたものの、声は擦れてしまった。
「ユースケのお陰だ。本当は、この姿で戦いたくなかった。暴走すると理性をなくすかもしれないから。けど、杞憂だったみたいだね。ユースケをこんな目に遭わせて悪かったと思ってる」
「申し訳ない」と頭を下げるクラウに、俺は顔を小さく横に振った。
メルが国民に手を掛けたのも、俺やヒルドを襲ったのも、魔王の力で暴走してしまったメルが理性を失ってしまったことが原因だ。確かにクラウもそうなっていたら、聖剣こそ赤く色付くが、ワイズマンを倒すどころの話ではなくなっていたかもしれない。
指先が感覚を取り戻して、俺は真っ先に自分の腹を確認した。
腹の皮が繋がっている。どうやら腸は出ていないようだ。
さっきはメルの膝枕に乗っていた俺の頭は、固い地面の上にある。
よろりと体を起こそうとすると、今度は全身が痛んで慌てて力を抜いた。
そこは戦場のど真ん中。
クラウが暴走した姿で青髪のメルーシュを見据えながら立ち上がる。
「ユースケ。自分にとっての一番を見誤っちゃいけないよ」
「えっ……?」
「美緒は、ちゃんとユースケが連れ帰ってあげて」
『美緒を頼む』
俺が言ったその言葉が、暴走のきっかけだったのだろうか。
「その姿で、はっきりと意識があるのは感心しますね」
ワイズマンが発するメルーシュの声に身構える俺を一瞥して、クラウは赤く染まった聖剣をヤツに向かって伸ばした。
「僕だって驚いてるよ。けど、天はどうやら僕に味方してくれるらしい」
「強そうな表情もできるんですね」
「そりゃあ僕だっていつも笑ってるわけじゃないからね」
しっとり笑むワイズマンから視線を逸らし、クラウは戦場の端に固まるメルたちの方へ向かって彼女の名前を呼んだ。
「リト!」
「はい、クラウ様!」
けれど返事は真逆の方向から飛んできた。寝ころんだ俺の頭のすぐ側だった。紛れもない彼女の声だ。
ふんわりと優しい匂いが鼻をかすめる。俺が首の痛みを耐えつつ顔を向けると、黒いタイツの足が二本、目の前に立っていたのだ。
「あ……」
スラリとした長い足の向こうに、親衛隊のハイレグ衣装。そして黒髪に眼鏡をかけたリトが俺をじっと見つめている。
「リトさん……えっと、ど、どうして」
あまりにも突然の登場に動揺を隠せずにいると、「ほぅら、動くと痛いですよ」とリトは膝を地面に下ろして、顔を近付けてきた。
ワイズマンが放ったモンスターと戦闘中だった彼女は、さっきまでここに居なかったはずだ。
「どっから来たんだろう? って顔してますね。気にしないで下さい、ユースケさん」
「リト、ユースケのことは頼んだよ」
「お任せ下さい、クラウ様」
元気よく返事して、リトは俺の頭を乱雑に両手で持ち上げて、黒タイツの膝に乗せた。再び訪れた膝枕の感触は、さっきより柔らかい。
「す、すみません」
「この方が私が楽なだけです」
リトは俺の心臓に右手を押し付けると、反対の手を空に向かって高くかざした。
霧のような白い光が掌から降って来て、俺たちを包み込む。どうやらバリアのようなものらしいが、それもあっという間に消えてしまう。
「まだ貴方を動かすわけにはいかないので。じっとしてて下さいね」
「あ、あぁ」
戦場のど真ん中。光は消えてしまったが、ちゃんと効いているのだろうか。
魔法が直撃したら、無事でいられるとは思えない。
「大丈夫ですよ、クラウ様は強いんです。私も一緒に居ますから、安心してください」
このバリアの性能も、クラウの強さも、今は彼女を信じて従うしかない。
優しく細められた丸い瞳が俺を見ていた。リトからのこんな待遇は治療される身にならないと味わえないのかもしれない。
「そろそろ時間だ」
クラウの声が響いて、同時に赤い光が辺り一面に沸き立った。
ゴオという強い風のような音が繰り返し鳴っている。
俺はリトの作ったバリアのお陰で少々の風すら感じることはなかったが、当のクラウと青髪のワイズマンは、長い髪を風になびかせていた。
「これで決めるよ」
クラウの声が嬉しそうな音を含んでいる。
赤い髪に赤い目は、悪魔や鬼に例えられるくらいに普段とは真逆の雰囲気を醸し出しているが、嗜虐的な様子はなかった。その表情は、まるで勝利を確信したかのようにさえ見える。
「ちょっ」
炎と風の感覚はないけれど、目の前を高速で過ぎていく炎に俺は恐怖を覚えずにはいられなかった。
緋色の炎の奥に黒いシルエットを灯して、激しく行き交うクラウとワイズマン。そんな二人を見据えながら治療を続けるリトの下で、俺は慌てて目を閉じてしまう。
何度も吹きつける炎の風は俺に何のダメージもよこしてはこないが、視覚の恐怖からは逃れることができない。
そして急に音がやんで、リトが「あっ」と声を漏らした。
「目を開けても平気ですよぉ。クラウ様の勝ち。心配いらなかったでしょう?」
「えっ?」
ひゅうと風の音が抜けて、緊張が緩んだ。
何が起きたのかさっぱり分からない。炎の勢いに目を閉じていたのは、ほんの数秒のことだ。
恐る恐る目を開けてその戦場に首を回すと、俺達から少し離れたところで二人が間合いを詰めてじっと対峙しているところだった。
青髪のワイズマンの背と、クラウの正面。
リトの口ぶりからクラウの勝利を確信した俺は、目にした状況に戸惑って「えっ?」と疑問符を投げつけた。
一本の剣先が相手に突きつけられている。
少し動いたら、少しでも気に食わぬことを口にすれば、いつでも仕留めることができる距離感。
これをリトハクラウの勝利だというのか。
「なんで、クラウがやられそうになってるんだよ」
この状況で勝敗が決まったというのなら、もちろん勝利したのは剣を突き付けている人間の筈だ。
それなのに俺が今目にしているのは、短剣を目の前に突き付けられたクラウの姿だった。
俺がこの世の生に目を伏せたのと同時に、ゼストの言葉がまた追い打ちをかけて頭を駆け抜けていった。
俺が俺であることを、まだちゃんと覚えている。
生死の判断材料が呼吸だとすれば、俺はまだ死んでいないのかもしれない。けれど、腸が飛び出している状況は勘弁してほしい。
柔らかな闇に身を委ねて、俺の意識は深い場所へと沈んでいくのだろうと思っていた。それなのに、神様は俺に穏やかな死を迎えさせてはくれないらしい。
全ての感覚から解放された筈の俺は、休んでいる間もなく現実へと引き戻される。
心臓に急激な痛みを覚えて、飛び起きるように目を見開いた。
「ぐは……!」
死を連想せざるを得ない痛みで、俺は自分の生を悟った。
手足は動かないのに、心臓の痛覚だけがやたら敏感だ。
心臓をダイレクトに鷲掴みにされて、グリグリと爪を立てながらかき回されたような痛みと吐き気に、逆にやめてくれと死を願ってしまう。
ぼやけた視界が赤く滲んで、俺ははたとその状況を理解した。
少しずつ鮮明になる風景は、全てが赤く色付いている。
フィルターが掛けられたように見えるのは、すぐそこで赤い光が揺らめていているからだ。
どうやら俺は、赤い悪魔の力で地獄の底から引きずり上げられたらしい。
けれど身体が仰向けになっていること以外、自分の状況が分からない。
「が……」
痛みに足掻いて、貧弱な声を漏らすだけが俺の生きている証明だ。
「ユースケ」
俺を呼ぶ声が聞こえた。
「無茶しないでくれ。お願いだ」
赤く目を光らせる悪魔が、側で俺を見下ろしている。その姿に俺は達成感を膨らませて、大声を上げて泣きたくなった。
なのに、俺の胸にはまた容赦なく痛みが突き刺さってくる。
意識が飛びそうになるのを堪えると、赤い悪魔は「もう大丈夫」と痛みとは真逆の言葉をかけてきた。
「そん、な……」
「信じて」
切なさの滲む穏やかな声を合図に、全身の痛みがフワリと抜ける。
心臓から手足の先に向けて、緩やかに感覚が戻っていった。
「あ――」
はっきりと声が出せることを確認して、俺は赤い光を纏った魔王を見上げた。
彼の持つ剣が、俺達のとは違う色を漂わせている。
「やったじゃねぇか」
そう伝えてみたものの、声は擦れてしまった。
「ユースケのお陰だ。本当は、この姿で戦いたくなかった。暴走すると理性をなくすかもしれないから。けど、杞憂だったみたいだね。ユースケをこんな目に遭わせて悪かったと思ってる」
「申し訳ない」と頭を下げるクラウに、俺は顔を小さく横に振った。
メルが国民に手を掛けたのも、俺やヒルドを襲ったのも、魔王の力で暴走してしまったメルが理性を失ってしまったことが原因だ。確かにクラウもそうなっていたら、聖剣こそ赤く色付くが、ワイズマンを倒すどころの話ではなくなっていたかもしれない。
指先が感覚を取り戻して、俺は真っ先に自分の腹を確認した。
腹の皮が繋がっている。どうやら腸は出ていないようだ。
さっきはメルの膝枕に乗っていた俺の頭は、固い地面の上にある。
よろりと体を起こそうとすると、今度は全身が痛んで慌てて力を抜いた。
そこは戦場のど真ん中。
クラウが暴走した姿で青髪のメルーシュを見据えながら立ち上がる。
「ユースケ。自分にとっての一番を見誤っちゃいけないよ」
「えっ……?」
「美緒は、ちゃんとユースケが連れ帰ってあげて」
『美緒を頼む』
俺が言ったその言葉が、暴走のきっかけだったのだろうか。
「その姿で、はっきりと意識があるのは感心しますね」
ワイズマンが発するメルーシュの声に身構える俺を一瞥して、クラウは赤く染まった聖剣をヤツに向かって伸ばした。
「僕だって驚いてるよ。けど、天はどうやら僕に味方してくれるらしい」
「強そうな表情もできるんですね」
「そりゃあ僕だっていつも笑ってるわけじゃないからね」
しっとり笑むワイズマンから視線を逸らし、クラウは戦場の端に固まるメルたちの方へ向かって彼女の名前を呼んだ。
「リト!」
「はい、クラウ様!」
けれど返事は真逆の方向から飛んできた。寝ころんだ俺の頭のすぐ側だった。紛れもない彼女の声だ。
ふんわりと優しい匂いが鼻をかすめる。俺が首の痛みを耐えつつ顔を向けると、黒いタイツの足が二本、目の前に立っていたのだ。
「あ……」
スラリとした長い足の向こうに、親衛隊のハイレグ衣装。そして黒髪に眼鏡をかけたリトが俺をじっと見つめている。
「リトさん……えっと、ど、どうして」
あまりにも突然の登場に動揺を隠せずにいると、「ほぅら、動くと痛いですよ」とリトは膝を地面に下ろして、顔を近付けてきた。
ワイズマンが放ったモンスターと戦闘中だった彼女は、さっきまでここに居なかったはずだ。
「どっから来たんだろう? って顔してますね。気にしないで下さい、ユースケさん」
「リト、ユースケのことは頼んだよ」
「お任せ下さい、クラウ様」
元気よく返事して、リトは俺の頭を乱雑に両手で持ち上げて、黒タイツの膝に乗せた。再び訪れた膝枕の感触は、さっきより柔らかい。
「す、すみません」
「この方が私が楽なだけです」
リトは俺の心臓に右手を押し付けると、反対の手を空に向かって高くかざした。
霧のような白い光が掌から降って来て、俺たちを包み込む。どうやらバリアのようなものらしいが、それもあっという間に消えてしまう。
「まだ貴方を動かすわけにはいかないので。じっとしてて下さいね」
「あ、あぁ」
戦場のど真ん中。光は消えてしまったが、ちゃんと効いているのだろうか。
魔法が直撃したら、無事でいられるとは思えない。
「大丈夫ですよ、クラウ様は強いんです。私も一緒に居ますから、安心してください」
このバリアの性能も、クラウの強さも、今は彼女を信じて従うしかない。
優しく細められた丸い瞳が俺を見ていた。リトからのこんな待遇は治療される身にならないと味わえないのかもしれない。
「そろそろ時間だ」
クラウの声が響いて、同時に赤い光が辺り一面に沸き立った。
ゴオという強い風のような音が繰り返し鳴っている。
俺はリトの作ったバリアのお陰で少々の風すら感じることはなかったが、当のクラウと青髪のワイズマンは、長い髪を風になびかせていた。
「これで決めるよ」
クラウの声が嬉しそうな音を含んでいる。
赤い髪に赤い目は、悪魔や鬼に例えられるくらいに普段とは真逆の雰囲気を醸し出しているが、嗜虐的な様子はなかった。その表情は、まるで勝利を確信したかのようにさえ見える。
「ちょっ」
炎と風の感覚はないけれど、目の前を高速で過ぎていく炎に俺は恐怖を覚えずにはいられなかった。
緋色の炎の奥に黒いシルエットを灯して、激しく行き交うクラウとワイズマン。そんな二人を見据えながら治療を続けるリトの下で、俺は慌てて目を閉じてしまう。
何度も吹きつける炎の風は俺に何のダメージもよこしてはこないが、視覚の恐怖からは逃れることができない。
そして急に音がやんで、リトが「あっ」と声を漏らした。
「目を開けても平気ですよぉ。クラウ様の勝ち。心配いらなかったでしょう?」
「えっ?」
ひゅうと風の音が抜けて、緊張が緩んだ。
何が起きたのかさっぱり分からない。炎の勢いに目を閉じていたのは、ほんの数秒のことだ。
恐る恐る目を開けてその戦場に首を回すと、俺達から少し離れたところで二人が間合いを詰めてじっと対峙しているところだった。
青髪のワイズマンの背と、クラウの正面。
リトの口ぶりからクラウの勝利を確信した俺は、目にした状況に戸惑って「えっ?」と疑問符を投げつけた。
一本の剣先が相手に突きつけられている。
少し動いたら、少しでも気に食わぬことを口にすれば、いつでも仕留めることができる距離感。
これをリトハクラウの勝利だというのか。
「なんで、クラウがやられそうになってるんだよ」
この状況で勝敗が決まったというのなら、もちろん勝利したのは剣を突き付けている人間の筈だ。
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