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45『二本立て』
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はるか ワケあり転校生の7カ月
45『二本立て』
その日の公演は、チェーホフの『熊』と『結婚の申し込み』の二本立てだった。
『熊』はすごかった。
「すごかった」なんて感想は小学生並み。
でも、一言で言えといわれれば「すごかった」になる。
主役の最初の台詞で、ドーンときた。
「自分は退役砲兵中尉、地主のグレゴリー・スチュ-パノヴィチ・スミノーロフであります」
存在感がある。ドアノブ一つ開けるのにも、ムンズって感じ。歩いても、いかにも「熊」一歩踏み出すごとに、確実に床をとらえているってか、体重を載せていく。けして仕草は大きくないけど、キャラの意思が、台詞だけじゃなく全身から出てくる。
話は、このスミルーノフのオッサンが、未亡人のポポーワのところにきて借金の取り立て。そこに従僕のルカーなんかが、絡んで、意外な結末になる。
面白かった。今時のゲビゲビのギャグなんか無いんだけど、とにかく笑わせてくれる。
途中で、大橋先生が言った「台詞をしゃべっていない役者を見ろ」を思い出し、苦労してやってみた。だって、ついしゃべっている役者さんを見ちゃうんだもん。
発見した。しゃべっていないときの役者の表情や動き……!
ポポーワのおしゃべりの間に何か言おうとして、息をのむ。でもポポーワのおしゃべりに割り込めずに、息を吐く。同時に腕が前に出る。台詞ではないけど「オレにもしゃべらせろ」と、身体が言っている。
これで、ポポーワの台詞や、動きが、スミルーノフとの駆け引きになって、会話ってか、コミュニケーションのボルテージが上がる。
こころなしか、しゃべっていないときの演技が、質量共に多くて、大きいような気がした。
二本目の『結婚の申し込み』は退屈だった。
話は、隣の家の娘さんをお嫁さんにしようと、訪ねてきて、肝心の話ができなくなっちゃう。土地の所有権や、犬の善し悪しに話がとんで、口論になってしまうって喜劇。
なのに面白くない……パワーはあるんだけど滑ってしまってる。
そこで、台詞をしゃべっていない役者に注目……。
あ、そうか……分かっちゃった。
相手が、怒らせるような台詞を言う前に、もう怒った顔になっている。
我慢して聞いている言葉の間に息が乱れていない。
はっきり言って、台詞を聞いていない。動きも大きいんだけど、気持ちが出来ていないから、ただ大げさなだけ。
なんで、あんなに出来の違う作品を並べたんだろう。まるで金賞と佳作の違いみたいに……と思ったら、自分の佳作が思い出された。
吉川先輩は喜んでくれた。わたしも喜んだふりをした。
わたしは、銀賞が欲しかった。あの二十万円が。
佳作は二万円。
二万円では、わたしのタクラミには届かない!
お母さんは、どんな手を使ったのか、もう作品のコピーを持っていた。
「どうして……まさかわたしのパソコン!?」
「見るわけないでしょ。ロックもしてあるし。A書房に電話してね、まあ、その程度には、わたしの名前も通ってるわけよ。ちょっと散文的で、抑制しすぎて甘くなってるけど、まあその甘さに合わせたお祝い」
駅前のコンビニで買ったシュートケーキに、ロウソクを一本立てた。
「金賞だったら、焼き肉。お腹一杯食べにいくつもりだったんだけどね」
わたしは、ショートケーキを焼き肉に見立てて、お箸ではさんで、フーフーしてロウソクの火を消した。ささやかな皮肉。
「なに、それ?」
「焼き肉、フーフーしたつもり。置き換えっていうんだよ、演劇的には」
「ハハハ、はるか、そのうちに『女ハムレット』になるよ」
「なに、それ?」
「芝居も文学も、永遠のオイデ、オイデの悪魔だからね」
「それ、太宰の言葉だね」
「オイデ、オイデは二つも持てないよ」
「三つ目があるかもよ」
「よしてよ、眉間にシワ寄せるのは、わたしだけで……あ、流れ星!」
お母さんが、ベランダを指さした。
「え、どこ?」
「ヘッヘ、願い事、間に合っちゃった」
お母さんだけ間に合うってか(くそ!)
「どうせ、原稿料上がりますように、でしょ」
「違うわよ。傑作が書けますようにってね……」
「プ……」
「笑うんじゃないわよ。文学ってね、佳作から始まんの。佳作の次はなんだか分かる?」
「名作……?」
「ううん、奇作。で、その次が苦作。今のわたしのレベル。そんで次が傑作」
「ハハハ、で、最後は骨作?」
「なに、それ?」
「死ぬ間際、骨になってでも書く作品」
「もう、親をお茶にして」
「お茶入れるね」
ティーポットにお湯を入れているとカレンダーが目に止まった。
「あ、明日稽古休みだ」
振り返ると、テーブルの上に千円札が二枚乗っていた。
「ワーナーの新作。いいらしいから観といでよ」
スランプ中なのに、娘の佳作に、お母さんの自然な気遣い。
ありがたく手刀を切る(お相撲さんがやるやつよ)娘でありました。
45『二本立て』
その日の公演は、チェーホフの『熊』と『結婚の申し込み』の二本立てだった。
『熊』はすごかった。
「すごかった」なんて感想は小学生並み。
でも、一言で言えといわれれば「すごかった」になる。
主役の最初の台詞で、ドーンときた。
「自分は退役砲兵中尉、地主のグレゴリー・スチュ-パノヴィチ・スミノーロフであります」
存在感がある。ドアノブ一つ開けるのにも、ムンズって感じ。歩いても、いかにも「熊」一歩踏み出すごとに、確実に床をとらえているってか、体重を載せていく。けして仕草は大きくないけど、キャラの意思が、台詞だけじゃなく全身から出てくる。
話は、このスミルーノフのオッサンが、未亡人のポポーワのところにきて借金の取り立て。そこに従僕のルカーなんかが、絡んで、意外な結末になる。
面白かった。今時のゲビゲビのギャグなんか無いんだけど、とにかく笑わせてくれる。
途中で、大橋先生が言った「台詞をしゃべっていない役者を見ろ」を思い出し、苦労してやってみた。だって、ついしゃべっている役者さんを見ちゃうんだもん。
発見した。しゃべっていないときの役者の表情や動き……!
ポポーワのおしゃべりの間に何か言おうとして、息をのむ。でもポポーワのおしゃべりに割り込めずに、息を吐く。同時に腕が前に出る。台詞ではないけど「オレにもしゃべらせろ」と、身体が言っている。
これで、ポポーワの台詞や、動きが、スミルーノフとの駆け引きになって、会話ってか、コミュニケーションのボルテージが上がる。
こころなしか、しゃべっていないときの演技が、質量共に多くて、大きいような気がした。
二本目の『結婚の申し込み』は退屈だった。
話は、隣の家の娘さんをお嫁さんにしようと、訪ねてきて、肝心の話ができなくなっちゃう。土地の所有権や、犬の善し悪しに話がとんで、口論になってしまうって喜劇。
なのに面白くない……パワーはあるんだけど滑ってしまってる。
そこで、台詞をしゃべっていない役者に注目……。
あ、そうか……分かっちゃった。
相手が、怒らせるような台詞を言う前に、もう怒った顔になっている。
我慢して聞いている言葉の間に息が乱れていない。
はっきり言って、台詞を聞いていない。動きも大きいんだけど、気持ちが出来ていないから、ただ大げさなだけ。
なんで、あんなに出来の違う作品を並べたんだろう。まるで金賞と佳作の違いみたいに……と思ったら、自分の佳作が思い出された。
吉川先輩は喜んでくれた。わたしも喜んだふりをした。
わたしは、銀賞が欲しかった。あの二十万円が。
佳作は二万円。
二万円では、わたしのタクラミには届かない!
お母さんは、どんな手を使ったのか、もう作品のコピーを持っていた。
「どうして……まさかわたしのパソコン!?」
「見るわけないでしょ。ロックもしてあるし。A書房に電話してね、まあ、その程度には、わたしの名前も通ってるわけよ。ちょっと散文的で、抑制しすぎて甘くなってるけど、まあその甘さに合わせたお祝い」
駅前のコンビニで買ったシュートケーキに、ロウソクを一本立てた。
「金賞だったら、焼き肉。お腹一杯食べにいくつもりだったんだけどね」
わたしは、ショートケーキを焼き肉に見立てて、お箸ではさんで、フーフーしてロウソクの火を消した。ささやかな皮肉。
「なに、それ?」
「焼き肉、フーフーしたつもり。置き換えっていうんだよ、演劇的には」
「ハハハ、はるか、そのうちに『女ハムレット』になるよ」
「なに、それ?」
「芝居も文学も、永遠のオイデ、オイデの悪魔だからね」
「それ、太宰の言葉だね」
「オイデ、オイデは二つも持てないよ」
「三つ目があるかもよ」
「よしてよ、眉間にシワ寄せるのは、わたしだけで……あ、流れ星!」
お母さんが、ベランダを指さした。
「え、どこ?」
「ヘッヘ、願い事、間に合っちゃった」
お母さんだけ間に合うってか(くそ!)
「どうせ、原稿料上がりますように、でしょ」
「違うわよ。傑作が書けますようにってね……」
「プ……」
「笑うんじゃないわよ。文学ってね、佳作から始まんの。佳作の次はなんだか分かる?」
「名作……?」
「ううん、奇作。で、その次が苦作。今のわたしのレベル。そんで次が傑作」
「ハハハ、で、最後は骨作?」
「なに、それ?」
「死ぬ間際、骨になってでも書く作品」
「もう、親をお茶にして」
「お茶入れるね」
ティーポットにお湯を入れているとカレンダーが目に止まった。
「あ、明日稽古休みだ」
振り返ると、テーブルの上に千円札が二枚乗っていた。
「ワーナーの新作。いいらしいから観といでよ」
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