【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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本編1

07.予期せぬ発作01

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 眼前に広がるのは巨大な恐竜の化石だ。どれほど見上げても顔の化石がよく見えない。こんなにも大きな存在がかつてこの地球上にいたのが信じられず、樟は口を開けたまま呆然とした。
 黒いカシミアのハイネックニットにアースカラーの細身のパンツ、パステルイエローの柔らかく軽い裾が長めのコートというとてもノーブルな装いは、耀一郞が今日のためにと用意してくれたものだ。

 耀一郞の運転する車に乗せられ朝一に到着したのはここ、国立科学博物館だ。日本で発見された首長竜の復元骨格が飾られてなお広い会場の中には、所狭しと化石が展示されている。

「こんなにも大きな恐竜がいたんですね……」

 ぼそりと呟いた声を隣にいる耀一郞はすかさず拾い上げる。

「フタバスズキリュウだ。後期白亜紀の恐竜と言われている。昭和四十三年に福島県で最初の化石が発見され、それから調査を行ったそうだ。名前の由来は発見者の名前と断層名を組み合わせたと言っていたな」

 凄い。解説を見ずにスラスラと告げる彼の頭の中はどうなっているのだろうか。

(これがアルファなんだ……僕とは比べものにならない)

 物覚えがあまり良くない樟は賞賛の眼差しで隣に立つ長身の男を見上げた。例えカンペがあったとしても樟にはできない芸当だ。

「そういえば子供向けアニメーション映画にも登場していたな」
「詳しいんですね。僕はあまりテレビを見ないのでわかりませんが、こんな大きな恐竜が出てくるならきっと夢のあるお話なんでしょうね」

 もう一度フタバスズキリュウを見上げる。首の長さに見合わない小さなひれがとても印象的だ。

「こんなにもアンバランスだと歩くの大変そうですよね」

 ぺたんぺたんと亀のように動く姿を想像する。その愛らしさは捕食の対象となるだろう。

「フタバスズキリュウは海に生息する首長竜くびながりゅうだ。陸上に上がる造りにはなっていないのだろう」
「なるほど! 良かった、すぐに食べられるんじゃなくて逃げる方法があるんですね」

 きっとこのひれは海の中で上手に泳いで、長い首で多くの餌をとっていたのだろう。ほんの少しだけ心が和やかになる。

「とはいえ、この化石の傍には鮫の化石があったと言うから、それほど安全な場所でもなかったようだな、海中も」
「え……あ、ああ……そうですよね」

 捕食されない安寧な場所などこの世にはない現実は、昨今だけじゃないんだと思わせる厳しい事実に、この首長竜はどんな気持ちで生きてきたのだろうと思いを馳せる。

(良かった……辛いのはオメガだけじゃないんだ)

 原始の頃からこの世界は弱肉強食で皆が住みづらくて、必死に生きていくしかないんだ。その事実だけで樟は心が少しだけ軽くなるのを感じた。
 印象的な復元骨格を見た後はアンモナイトを始めとした様々な化石が配された場所をゆっくりと歩き、一つ一つ解説を読んでいく。いつもなら先に行く耀一郞が、今日だけは樟の意思を優先させ、付き添うように僅か後ろを歩く。そして首を傾げればすぐに解説をわかりやすく教えてくれた。

 そのたびに羨望の眼差しで見つめてしまうのだ。
 最上階の三階から下がっていき一階まで下りる頃にはすっかり疲れ果てていた。

「こんな広い場所が都内にあるんですね」

 しかも集めた様々な資料の多さに感嘆する。溢れんばかりにあっては管理も大変だろうと思う一方で、こんなにもワクワクする世界があるのかと胸が躍って……そして落ち込んだ。世の中は樟の知らないことだらけだ。自分があまりにも無学で恥ずかしくなる。
 一方で耀一郞はなんでも知っていて、知識の抽斗ひきだしはあまりにも多く、圧倒される。
 アルファだとかオメガだからとかそれ以前のような気がする。

(これじゃ、僕は馬鹿にされて当たり前だ。いつも耀一郞さんが苛立ってしまうのも、やっぱり僕が不甲斐ないせいなんだろうな)

 落ち込んで、立ち止まった。

「どうしたんだ。疲れたのか?」
「いえ……あの……」

 どうして耀一郞はこんな自分と結婚したのだろうか。
 どうしてここへと連れてきたのだろうか。
 彼の本心を読もうとしても、頭のいいこの人の考えることを樟が理解できるとは思えない。
 生命の歴史が紡がれた記録を見せることで樟になにを訴えているんだろう。

(僕と結婚する理由なんて一つしかないよね。それ以外考えられないし……)

 オメガが他の第二性バースよりも優れている点は……考えなくてもわかる、答えは一つしかないのだから。

(もしそうなら……言わなくちゃ……ちゃんと)

「あの……」

 あなたが結婚したオメガは欠陥品です。早く返品したほうがいいですよ。
 言わなければならないのに、喉の奥から言葉が出てこない。
 早くしなければ、耀一郞に無駄な時間を使わせてしまうとわかっているのに、どうしても大事な言葉が胸の奥から出てこない。
 理由はわかっている。
 実家に……父と兄の元に帰りたくない。
 耀一郞が整えてくれた心地の良い部屋。蔑まれることのない人々とだけ接する生活は、樟にとって天国だった。それを知って、あの家に戻るのが怖い。

「やはり疲れているんだな。無理はするな。しばらくここに座っていろ」

 縋るような表情に独り合点して、耀一郞はあちらこちらに配置されたベンチの一つに樟を座らせた。

「飲み物を買ってくるからここで待っていろ」

 同じように黒のハイネックニットを身につけているのに、耀一郞だと大人びた印象を与える。ニットと同色のパンツに包まれた足は長く、翻すようにはおっているトレンチコートのどれをとっても格好良く映る。今もすれ違った女性が振り向いては、黄色い悲鳴を上げそうな表情をしている。

(耀一郞さんは格好いいな……本当にどうしてあんな凄い人が僕の配偶者なんだろう)

 初めて会ったときはとても怖くて直視できなかった顔も、退院して一緒にご飯を食べるようになってからは無表情だけど柔らかい印象に映る。
 小野電機工業という大きな会社をその肩に背負っているのに気負っていないそぶりすらも格好良くて憧れると同時に……惨めだ。
 嘆息して俯く。

「ねえ、どうしたの?」

 子供に話しかけるように女声が上から降り注いだ。少し高めの、けれど落ち着きのある声音にハッと顔を上げた。

「具合が悪い? もし辛いんだったら医務室があるか聞いてこようか?」

 緩やかにカーブする髪を下ろした、少し年配の女性が見下ろしていた。
 ビクリと身体が飛び上がり、指先から震え始める。けれど女性から目が離せない。頭から血が下がり背中を冷たい汗が流れ落ちていく。

「ど……して……?」

 掠れた息だけの声が絞り出される。
 様子がおかしい樟の前にしゃがみ込んで女性はじっとこちらを見つめる。

「大丈夫? 一人で来たの? 救急車呼ぶ?」

 立て続けの質問に答えられないまま、足まで震え出す。
 フラッシュバックしようとする記憶に、本能が慌てて蓋をして重石を乗せる。けれど名残が樟を苦しめた。
 いつものように呼吸ができない。
 いつものように肺を膨らませられない。
 口がハフハフと閉じられないまま変な音を繰り返し鳴らす。

「なにをしているっ!」

 あの、地を轟かせる低い声が鋭く刺さってきた。
 大股で近づいてきた耀一郞は、かつてのように鬼の形相がそこに浮かんでいる。

「この子のご家族ですか? 良かった……具合が悪そうだから声をかけたら急に顔色を悪くしちゃって」

 振り返った人物を見て耀一郞は表情を変え、走って近づいてきた。

「どうしたんだ!」

 大丈夫です、こんなのはすぐに治ります……死ぬことはないので。
 口にしなければならない言葉が出てこない。
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