【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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本編1

07.予期せぬ発作02

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「病院に行った方が良いんじゃないかしら?」
「そうします。傍にいてくださったこと、感謝します」

 耀一郞は荷物を抱えるように樟を両腕で抱き上げるとスタスタと近づいてきたときのように大股で歩き出す。

「どうしたんだ……声が出せないのか?」

 楽しい場所に連れてきてくれたのに、また迷惑をかけてごめんなさい。
 謝罪の気持ちは苦しさに出口を塞がれる。
 駐車場にある耀一郞の車に乗せられ、すぐさまシートベルトを掛けられた。

「私だ。緊急事態だ、今からお前の病院に運ぶ」

 すぐに運転席に乗り込むと、急発進させた。
 休日の都内は車が溢れかえり、思うように進まない苛立ちを指でステアリングを叩いて表す。

(大丈夫ですよ、耀一郞さん。こんなんで人間は死にませんから……そんな簡単には死なないから……)

 視線で訴えかけると、信号待ちのタイミングでこちらを見た彼は、眉間に皺を寄せた。

「苦しいな。すぐに病院に連れて行くからもうしばらく我慢してくれ。ちくしょう、救急車を呼ぶべきだったか!」

 ステアリングを殴り、苛立ちを露わにした。

(すみません、迷惑ばかりかけて……)

 声をかけてくれた女性にも礼を言いたかったが、喉から出るのは掠れた呼吸音ばかりで、苦しくて蹲るしかない。
 普段であれば十分ほどで到着する距離を倍の時間を掛けて進み、耀一郞の赤い国産車は救急車が停まるスペースに滑り込んだ。すぐに扉を開けたのは井ノ瀬だ。

「大丈夫ですか、菊池さん……ここに乗れますか?」

 引きずり出され乗せられたストレッチャーは、すぐさま救急外来に入っていく。
 井ノ瀬が聴診器で身体の音を聴き、酸素量などを測っていく。

「……袋持ってきて!」

 すぐに看護師が大きなビニール袋を持ってきて樟の口に当てた。

「ゆっくりと呼吸をしてください。大丈夫です、安心して」

 優しい声に少しずつ強張った筋肉が解れていく。
 いつの間にか安井まで傍に来て樟の背中をさする。
 袋の中の空気を何度も吸い込めば不思議と呼吸が落ち着き、身体中が弛緩するのがわかった。呼吸が落ち着くとストレッチャーから移された先のベッドで、全身が動かなくなった。
 頭もぼーっとし、ただ眼球から映し出す光景を判別することもできず見つめ続ける。
 いつの間にか診察室に耀一郞が入ってきた。
 冷たい目が樟を見ているのをぼんやりと眺めながらも、心は「これで終わった」と悲観し始めた。






 ただひたすら待合室に座らされた耀一郞は、ギュッと両手に握り絞め、床を睨めつけるしかなかった。なぜ突然樟があれほどまでに苦しんだ理由がわからない。
 そう、樟のことについてなに一つ理解していない。
 きつく瞼を下ろすと、白を通り越して蒼くなった樟の顔が思い出される。虚ろな目が助けを求めるように彷徨い、耀一郞を見つけると揺らぎ泣きそうな表情になった。
 ギュッと心臓が掴まれた。あの場に誰もいなかったら自分はどうしていただろうか。
 耀一郞と同じシルエットのシンプルな服を身につけた樟は、中性的な美しさを露わにして人目を惹いた。これは自分のだと見せつけるように歩く心地よさに酔っていた頭が、苦しそうな様子を目にした途端、一気に凍り付いた。

 同時に、樟に声をかける女性を射殺さんばかりの眼差しで睨みつけてた。
 樟の母親といっても差し支えない年齢差とベータという第二性でなければ、なにをしていたか分からない。
 自分でも知らない衝動が沸き起こる。
 同時に言いようのない不安が耀一郞を支配して、感情がままならない。
 床を焼き尽くすほど見た後に、樟が運び込まれた病室を凝視する。今あの中ではなにが行われているのだろうか。どうなっているのだろうか。焦燥はそのまま怒りへと変わろうとする。
 自分が離れたあの一瞬で何があったのか。

「くそっ!」

 離れなければ良かった。あの時に車に乗せれば良かった。
 後悔したところで時間は巻き戻らない。
 彼がなにを好むかわからないからと、男ならば皆好きだろうと国立科学博物館に行ったのを後悔し、自分に対して怒りをぶつける。

 レストランの予約を取り消さなければとか、とりとめのないことを頭に思い浮かべて気を散らそうとするが、苦しそうに丸まったまま、顔色が徐々に悪くなっている様を間近に見てしまえば、彼のことが心配になる。
 勝手に入ってしまおうか。
 だが確実に井ノ瀬に追い出されるだろう。
 アルファとしてのプライドが邪魔をして耀一郞を椅子に縛り付ける。

「小野さん、中へどうぞ」

 看護師が扉から顔を覗かせて朗らかに声をかけた後、立ち上がった耀一郞を見て一瞬にして怯えた表情へと変えるが、気にすることなく扉に突撃する。
 一体、何時間待たせるつもりだ。
 樟はどうなった。
 苛立ちと焦りの表情は、だが簡易ベッドに横臥する樟の背中をさする白衣の男を目にした瞬間に恐ろしいまでの憎しみへと変貌した。鋭い眼差しがじっとその背中を刺す。
 アルファだけが持ちうる威圧のオーラを感情のままに放つ。
 看護師が悲鳴を上げて病室の奥にあるナースステーションへと駆け込むが、井ノ瀬もその男も動じなかった。感じないはずがないのに、二人とも動きを止めない。

「そこに座れ」

 井ノ瀬が回転椅子を指すと耀一郞はやっと視線を逸らした。

「どうなんだ、なぜ突然苦しみだしたのか……病名はわかったのか?」

 電子カルテに入力をしてから、井ノ瀬は耀一郞に向き合った。

過換気かかんき症候群、いわゆる過呼吸だ。その前はどんな様子だったんだ?」
「東京国立博物館に行った。疲れたようなのでベンチに座らせた。私が飲み物を買いに離れて戻ったら、見知らぬ女性がこいつを覗き込んでいた。具合が悪くなったのを気にしていたようだが、その間の詳細は知らない」
「なるほど。その女性はアルファか?」
「いや、ベータだった。五十前後の」

 耀一郞が口にしたことを素早い速度で入力していく井ノ瀬は、女性の年齢まで打ち込んでから嘆息した。

「そうか……極度のストレスがかかったのかもしれないな」
「ストレス? 私と出かけたからか?」

 自分が樟のストレス源になっているというのか!
 吠えようとして……入院するまでの半年、自分が何をしたのかを思い出し、上がった腰をまた回転椅子に下ろした。

 モラルハラスメント。
 ドメスティックバイオレンス。

 訴えられたら確実に非は耀一郞にあると判決が下るだろう――オメガ以外なら。
 なにも暴力を振るうだけがDVドメスティックバイオレンスではない。大声を出したり威嚇のためにものを殴ったり、相手を無視したりするのもすべてDVに該当する。しかし、日本の司法はどこまでもオメガに対して厳しかった。その項目にははっきりと「ただしオメガ性に限り該当しない」と明記されている。他の先進国からは非人道的だと非難を受けており、見直す可能性があると囁かれているが、未だに国会の審議に上がっていない。
 法的に問題がないからといって、耀一郞は自分がしたことを正当化するつもりはない。

「そうか……」
「お前とは限らない。安井医師せんせい、菊池さんの処置を処置室でお願いできますか?」
「わかりました。樟さん、部屋を変えますよ。そのまま横になって目を閉じていてください」

 樟に向けて優しく声をかけた安井は、一度も耀一郞を見ることなく、可動式の簡易ベッドを動かし、ナースステーションの中へと入っていった。

「……あの男は医者なのか」
 アルファだと一目でわかる。そんな男が当たり前のように樟の隣にいて触れていることが許せない。
「安井医師は第二性バース医療のスペシャリストだ。海外で研鑽を積んだ国内の第一人者だ」
第二性バース医療?」
 耳慣れない部門名だ。国内でも第二性バースを専門に取り扱っている医療機関は少なく、この大学病院は国内屈指と言われている。
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