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本編1
09.醜い傷跡と懺悔02
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「え?」
頬にシャツ越しの体温が流れ込んだ。トクンットクンッと規則正しい心音までもが響いてくる。なにが起こっているのかわからないまま硬直し、原始のリズムをずっと聴いていた。次第に身体から力が抜け、行き場を失った手を何度か彷徨わせた。行き着いたのは耀一郞が身につけているシャツのウエスト部分だ。
――樟さんも勇気を持って配偶者さんと話してはどうですか?
安井の言葉が頭に蘇った。
どうしてオメガに手を出さないのか。
それとも気付いているのか、樟が出来損ないだと。
唇を何度も噛んで、勇気を振り絞る。けれど唇を開いたら怖じ気づいて、また噛む。何度も繰り返して腹をくくる。
このままじゃいけないことを樟が一番理解していた。
もし耀一郞が子供を望んでいたとしたら――早く知らせないと。
大きく息を吐き出してから、ゆっくりと吸い込んだ。
自分を落ち着かせて、唇を震わせた。
「あの……しないんですか?」
「……なにをだ」
「僕と結婚したのはそのため、ですよね……でも……」
次の言葉を絞り出すための勇気を集めようとすると、強く耀一郞に肩を掴まれた。指が肉に食い込んでくる。
「……っ!」
痛みに顔を歪ませて耐える。
「お前らは誰にでもそうやってすぐに足を開くのかっ! 誰にでもやらせるのかっ!」
違う。誰でもない。いいや、誰にでもだろうか。
「ごめっ…………あ?」
謝るために開いた唇が、乱暴に塞がれた。肉厚の舌が口内を蹂躙してきた。
「ん……んぁ…………ぅ!」
樟にとって初めての口づけはあまりにも激しかった。歯列を、上顎を舐めた後に舌を絡ませてきたのだ。怯えて引っ込めば後頭部を掴まれもっと奥へと追いかけてきて引きずり出された。
ぞくりと今まで感じたことのない痺れが腹の奥に生まれた。
強引に耀一郞の口内へと導かれ、舌を噛まれたまま先をねっとりと舐られる。
(ああ、これから始まるんだ……)
腹の奥の痺れを持て余して、ギュッと耀一郞のワイシャツを握り絞めた。
(でも伝えなきゃ……怒られるかな? うん、きっと怒って……もしかしたら殴られるかもしれない)
腹の奥に湧きあがったむず痒さに酔ったまま、頭の隅で考える。これから起こる出来事を、最悪の事態を。
たっぷりと樟の舌を嬲ってから唇が離れた。
どうしたら一番怒りを回避できるか。
樟は目を閉じ、詰めた息を吐き出してから耀一郞に背中を向けた。
ズボンを下着ごと下ろしてテーブルに手を突いた。白く細い足が、尻と一緒に露わになる。
耀一郞は「ふざけるなっ!」と吠え、樟が身につけていた洗いざらしのシャツを掴んだ。
(脱がされるっ!)
樟は慌てて前を引っ張って抵抗した。
「なんだ、挿れて貰えるなら私が相手でもいいのだろう! なぜ脱がない! 脱げ!」
「やっ……やめてっ!!」
どれだけ必死になったところで、アルファには児戯ほどの抗いでしかないのだ、オメガの抵抗など。すぐにすべてを剥ぎ取られ、痩身が露わになった。
「っ! …………なんだ、その身体は」
あばらの浮き出た細い身体が耀一郞の目に晒される。しゃがんで、耀一郞には見せたくなかった背中を、アイランドキッチンの壁に押しつけて隠した。見られたショックに身体が小刻みに震える。
そこには、広範囲の醜い傷跡が消えることなく残っていた。一番古い十数年前の傷跡は随分と薄くなっているが、それでも消えずに刻み込まれている。醜い跡は一つだけでなく重なるように無数の傷や火傷の痕跡が刻まれている。
汚いのは誰よりも樟が一番知っていた。だからこそ、知られたくはなかった、耀一郞には。結婚したのがみすぼらしいばかりか、こんなにも醜い背中を持ったオメガだと、知られたくなかった。でももう、手遅れだ。
「……誰にやられた」
耀一郞の硬く低い声がまたしても樟の身体を這い回る。
ブルリと一度震え、ギュッと目を閉じた。
樟は何度も深い呼吸を繰り返し、口を開いた。それしか選択肢がないから。隠せばもっと恐ろしいことが起こる。抵抗すればもっと痛いことをされる。
今までの経験で覚えたことだ。
唇から素直に言葉が出た。
「家族に……それから兄さんの友達……」
「なにをされた」
なんだっただろう。
父と兄から受けた折檻。兄の友達が面白がって押しつけた、火のついたタバコ。切れ味を試したいと撫でられたナイフ。他はなんだっただろうか。全部は無理だけれど、思い出した分だけ舌に乗せた。強く痩身を抱き締めて、小声で。
「なんてことを……」
「でも仕方ないんです。僕がオメガだから……オメガだったから当たり前なんです。ベータやアルファだったら、父さんも兄さんもこんな事はしなかったんです……僕が悪いんです」
第二性が判明される前は皆が自分に優しかった。一人の人間として扱ってくれた。屈託なく笑いかけてくれた。暴力なんて存在せず、いつだって話を聞いてくれた。
それがたった一夜で変わってしまったのは、オメガと記載された診断書がテーブルに乗ったせいだ。
耀一郞がどんな顔をして怒っているのかを知るのが怖くて、そのまま目を瞑った。秘かに奥歯を噛み締める。いつ、殴られてもいいように。
「……今まで何人に抱かれた」
絞り出すような耀一郞の声に、樟は静かに「わからない」と答えた。
本当にわからないのだ。
「兄さんが家に連れてきた人みんなにされたから」
名前も顔も覚えていない人たちが嗤いながら樟の身体を弄んだ。どんなに抵抗しても、止めてと懇願しても、殴っては嗤い続けこの身体を使った。親が帰ってくるまでの時間をベッドに押さえつけられた。
どれほど泣いても誰も止めてはくれなかった。飽きるまで許されなかった。
兄はそんな樟に軽蔑の眼差しを向け、終わった頃にやってきては「きたねーオメガはさっさと死ね」と殴った。
そんなことが何年も続けば、もう抵抗する気力は削がれ、諾々と身体を差し出すようになる。それでも暴力も暴行も暴言も、優しくなることはなかった。
「でも……僕は妊娠しないんです」
静かに告げた。
「これからも妊娠はしないので、安心してください。子供が欲しいなら……離婚してください」
「なぜそんなことを言い切れるっ! そんなに離婚してほしいのか、あいつの所に行くつもりなのかっ!」
「ごめんなさい……僕は出来損ないのオメガなんです……今まで一度も発情したことがないんです……オメガとしても出来損ないだから、みんなあんなことをしたんです」
発情しなければ妊娠はできない。それではオメガが唯一と言っていい長所すらも存在しないのだ。
まさに、出来損ない。
自嘲して、その顔を膝に埋めて隠した。
「今まで黙ってて、ごめんなさい」
泣きはしなかった。代わりにギュッと身体を縮めた。いつ殴られても堪えられるように。
当たり前だ、アルファの子を誰よりも妊娠しやすいのが特徴のオメガが、その長所を持ち得なかったら、存在する意味すらない。今まで生きていたことが無駄なのだ。
頬にシャツ越しの体温が流れ込んだ。トクンットクンッと規則正しい心音までもが響いてくる。なにが起こっているのかわからないまま硬直し、原始のリズムをずっと聴いていた。次第に身体から力が抜け、行き場を失った手を何度か彷徨わせた。行き着いたのは耀一郞が身につけているシャツのウエスト部分だ。
――樟さんも勇気を持って配偶者さんと話してはどうですか?
安井の言葉が頭に蘇った。
どうしてオメガに手を出さないのか。
それとも気付いているのか、樟が出来損ないだと。
唇を何度も噛んで、勇気を振り絞る。けれど唇を開いたら怖じ気づいて、また噛む。何度も繰り返して腹をくくる。
このままじゃいけないことを樟が一番理解していた。
もし耀一郞が子供を望んでいたとしたら――早く知らせないと。
大きく息を吐き出してから、ゆっくりと吸い込んだ。
自分を落ち着かせて、唇を震わせた。
「あの……しないんですか?」
「……なにをだ」
「僕と結婚したのはそのため、ですよね……でも……」
次の言葉を絞り出すための勇気を集めようとすると、強く耀一郞に肩を掴まれた。指が肉に食い込んでくる。
「……っ!」
痛みに顔を歪ませて耐える。
「お前らは誰にでもそうやってすぐに足を開くのかっ! 誰にでもやらせるのかっ!」
違う。誰でもない。いいや、誰にでもだろうか。
「ごめっ…………あ?」
謝るために開いた唇が、乱暴に塞がれた。肉厚の舌が口内を蹂躙してきた。
「ん……んぁ…………ぅ!」
樟にとって初めての口づけはあまりにも激しかった。歯列を、上顎を舐めた後に舌を絡ませてきたのだ。怯えて引っ込めば後頭部を掴まれもっと奥へと追いかけてきて引きずり出された。
ぞくりと今まで感じたことのない痺れが腹の奥に生まれた。
強引に耀一郞の口内へと導かれ、舌を噛まれたまま先をねっとりと舐られる。
(ああ、これから始まるんだ……)
腹の奥の痺れを持て余して、ギュッと耀一郞のワイシャツを握り絞めた。
(でも伝えなきゃ……怒られるかな? うん、きっと怒って……もしかしたら殴られるかもしれない)
腹の奥に湧きあがったむず痒さに酔ったまま、頭の隅で考える。これから起こる出来事を、最悪の事態を。
たっぷりと樟の舌を嬲ってから唇が離れた。
どうしたら一番怒りを回避できるか。
樟は目を閉じ、詰めた息を吐き出してから耀一郞に背中を向けた。
ズボンを下着ごと下ろしてテーブルに手を突いた。白く細い足が、尻と一緒に露わになる。
耀一郞は「ふざけるなっ!」と吠え、樟が身につけていた洗いざらしのシャツを掴んだ。
(脱がされるっ!)
樟は慌てて前を引っ張って抵抗した。
「なんだ、挿れて貰えるなら私が相手でもいいのだろう! なぜ脱がない! 脱げ!」
「やっ……やめてっ!!」
どれだけ必死になったところで、アルファには児戯ほどの抗いでしかないのだ、オメガの抵抗など。すぐにすべてを剥ぎ取られ、痩身が露わになった。
「っ! …………なんだ、その身体は」
あばらの浮き出た細い身体が耀一郞の目に晒される。しゃがんで、耀一郞には見せたくなかった背中を、アイランドキッチンの壁に押しつけて隠した。見られたショックに身体が小刻みに震える。
そこには、広範囲の醜い傷跡が消えることなく残っていた。一番古い十数年前の傷跡は随分と薄くなっているが、それでも消えずに刻み込まれている。醜い跡は一つだけでなく重なるように無数の傷や火傷の痕跡が刻まれている。
汚いのは誰よりも樟が一番知っていた。だからこそ、知られたくはなかった、耀一郞には。結婚したのがみすぼらしいばかりか、こんなにも醜い背中を持ったオメガだと、知られたくなかった。でももう、手遅れだ。
「……誰にやられた」
耀一郞の硬く低い声がまたしても樟の身体を這い回る。
ブルリと一度震え、ギュッと目を閉じた。
樟は何度も深い呼吸を繰り返し、口を開いた。それしか選択肢がないから。隠せばもっと恐ろしいことが起こる。抵抗すればもっと痛いことをされる。
今までの経験で覚えたことだ。
唇から素直に言葉が出た。
「家族に……それから兄さんの友達……」
「なにをされた」
なんだっただろう。
父と兄から受けた折檻。兄の友達が面白がって押しつけた、火のついたタバコ。切れ味を試したいと撫でられたナイフ。他はなんだっただろうか。全部は無理だけれど、思い出した分だけ舌に乗せた。強く痩身を抱き締めて、小声で。
「なんてことを……」
「でも仕方ないんです。僕がオメガだから……オメガだったから当たり前なんです。ベータやアルファだったら、父さんも兄さんもこんな事はしなかったんです……僕が悪いんです」
第二性が判明される前は皆が自分に優しかった。一人の人間として扱ってくれた。屈託なく笑いかけてくれた。暴力なんて存在せず、いつだって話を聞いてくれた。
それがたった一夜で変わってしまったのは、オメガと記載された診断書がテーブルに乗ったせいだ。
耀一郞がどんな顔をして怒っているのかを知るのが怖くて、そのまま目を瞑った。秘かに奥歯を噛み締める。いつ、殴られてもいいように。
「……今まで何人に抱かれた」
絞り出すような耀一郞の声に、樟は静かに「わからない」と答えた。
本当にわからないのだ。
「兄さんが家に連れてきた人みんなにされたから」
名前も顔も覚えていない人たちが嗤いながら樟の身体を弄んだ。どんなに抵抗しても、止めてと懇願しても、殴っては嗤い続けこの身体を使った。親が帰ってくるまでの時間をベッドに押さえつけられた。
どれほど泣いても誰も止めてはくれなかった。飽きるまで許されなかった。
兄はそんな樟に軽蔑の眼差しを向け、終わった頃にやってきては「きたねーオメガはさっさと死ね」と殴った。
そんなことが何年も続けば、もう抵抗する気力は削がれ、諾々と身体を差し出すようになる。それでも暴力も暴行も暴言も、優しくなることはなかった。
「でも……僕は妊娠しないんです」
静かに告げた。
「これからも妊娠はしないので、安心してください。子供が欲しいなら……離婚してください」
「なぜそんなことを言い切れるっ! そんなに離婚してほしいのか、あいつの所に行くつもりなのかっ!」
「ごめんなさい……僕は出来損ないのオメガなんです……今まで一度も発情したことがないんです……オメガとしても出来損ないだから、みんなあんなことをしたんです」
発情しなければ妊娠はできない。それではオメガが唯一と言っていい長所すらも存在しないのだ。
まさに、出来損ない。
自嘲して、その顔を膝に埋めて隠した。
「今まで黙ってて、ごめんなさい」
泣きはしなかった。代わりにギュッと身体を縮めた。いつ殴られても堪えられるように。
当たり前だ、アルファの子を誰よりも妊娠しやすいのが特徴のオメガが、その長所を持ち得なかったら、存在する意味すらない。今まで生きていたことが無駄なのだ。
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