【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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本編1

11.伝えられる想い01

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 苛立ちが抑えられない。
 耀一郞はダイニングテーブルを殴ってなんとかしようとしたが、うまくできるはずもない。

(樟が浮気していた、だと。しかも二人も……)

 すぐに頭に浮かんだのは安井の顔だ。異様にベタベタと樟に触り、耀一郞が発する怒りのオーラにも動じなかった男の飄々とした態度が気に入らない。

「くそっ!」

 もう一度テーブルを殴った。凄い音を立て僅かに跳ね、床に戻る。
 あと一人は誰なんだ。もしやそっちが樟の本命なのだろうか、安井はフェイクで。考えれば考えるほど苛立ちは増し、落ち着かなくなる。
 警察の事情徴収のために絞めたネクタイを指で緩め、どしりと椅子に腰掛けた。
 きょうが樟を殴った理由は、小野電機工業が受注契約を打ち切ったからだ。
 樟が粗相をして耀一郞の機嫌を損ねたから契約が打ち切られた、だから樟の性根を叩き直してやるんだというのが彼の主張だったが、仕事に私情を挟むはずがない。

 この歪んだ彼らの認識は、入り婿である菊池社長が己の地位が脅かされないよう、樟の母を攻撃したことにあった。
 自分の親戚にオメガがいることをひた隠し、己に非がないと夜毎詰り続けたのだ。同時に生まれてきたことが罪であるように樟を折檻し続けた。
 椋に伝えたことは嘘ではない。
 興信所が家政婦や近所、菊池社長の生家から聞き取った内容を整理したにすぎない。

 なによりも娘を失った前菊池社長――樟の祖父は憤り娘婿を詰ったが、すでに会社の実権を握られていたため、会長職すら追い出され家にも入れて貰えない状況だったという。
 その家の中がどうなっているか気を揉んだことだろう。
 なぜそこまで菊池社長が頑なに己を守ろうとしたのか……オメガを出した家として田舎で苛めを受けてきたからだ。
 ただオメガが生まれた、それだけで村八分にされていたという。
 だが菊池社長の生い立ちと仕事は無関係だ。

 ずっと菊池製作所に依頼していた部品の質が急激に落ちた。樟と結婚をした途端に。
 今までは高品質で、小野電機工業が提示する規格に沿った忠実で誠実的な仕事をしていたのに。
 そのせいで故障が相次いだ。何度テストを繰り返してもその部品が原因のエラーが発生し、クレームが増えてきた。
 何度も忠告をしたし、クレームを部署から直接担当者に出させたが、菊池社長はあの脂ぎった気持ち悪い笑顔を浮かべ、樟のことへと話を逸らすばかりで一向に元の規格に戻さなかった。

 担当者が言うには、部長になった椋の指示だという。
 規準に満たなくても納品しておけばいい。コストダウンが最優先というのがその理由だから、救いがない。
 自分の体たらくが原因だというのに、逆恨みも甚だしい。
 だが、どうしても浮気をしていたという証言が気になって樟を見ることができなかった。

(あの子もまた私を裏切るのか……許せない!)

 怒りが行き場を失って身体中を駆け巡っていく。
 近頃ようやく穏やかな関係を築き上げることができたのではと思った矢先にあの背中を見せられて、それ以来どう接して良いか分からなくて声がかけられなかったのに、なぜこんなことになるんだ。

 だというのに、樟を手放す選択肢は僅かも耀一郞の頭には浮かばなかった。
 ちらりと時計を見る。
 井ノ瀬から聞いた退院の時間を大幅に過ぎているのに未だ樟は帰ってこない。
 徒歩でも行き来できる距離だというのに。

(もしや、本当にその相手に逢いに行ったのか)

 バッと立ち上がり、慌てて樟の部屋へと駆け込んだ。
 耀一郞が揃えた家具も服も、あれから一つとして増えていない。
 パソコンを立ち上げ検索履歴を確認しようとしたが、映し出されたのはセットアップ画面だ。一度もこのパソコンに触れていないことを物語っている。

「……どういうことだ?」

 スマートフォンのほうかとすぐさま樟がいつも使っている鞄を漁った。
 財布にエコバッグ、それからお薬手帳があるだけで目的の機械を見つけることはできなかった。
 ではどうやって……。
 鞄をひっくり返すとはらはらと桜の花びらのように舞って落ちるものがあった。
 名刺だ。

「…………これはっ」

 父の名が記されたそれに全身が冷や水を浴びたような感覚になる。
 もし椋が言っていたもう一人が隆一郎だとしたら……それは浮気ではなく己の愛人にするための画策に違いない。
 狡猾な隆一郎は舅という立場を利用して樟に近づくはず。そして信頼させてから喰らうつもりだろう。信頼を裏切られたときの顔を見るためだけに手間を掛けるのだ、あの男は。

(もしや父に連れて行かれたのか……)

 そんなはずはない。父には知られないよう目付の人間を付けている。なにか変な行動を起こせばすぐに耀一郞の耳に入るようになっている。だが未だ連絡はない。
 ではどこに?
 耀一郞は樟の部屋を漁った。どれもこれも入院の間に用意したものばかりだが、唯一、耀一郞の知らないものがラックから出てきた。

 NPOのパンフレット。
 オメガの支援を謳うそれに、また冷や水を浴びせられる。

『保護シェルターの案内』
『離婚交渉の窓口』

 その文字が恐怖と共に襲いかかる。
 樟が帰ってこないのは、見切りを付けられたからなのか。
 今までの自分の行動を思い返せば、見限られないはずがないのだ。家のことがなくなってしまえば樟が耀一郞の傍にいる理由は、ない。
 それに、救急車に運ばれる樟を一人にした。

 警察の事後処理と言えば聞こえはいいが、怒りに自分を抑えられなくて、傍にいるのが恐かった。あの細い身体に何をするか、自分でもわからなくて、近づけなかった。
 離れた方が樟の幸せだ。
 わかっている、誰よりも。
 それでも手放したくない。

 耀一郞はすぐさま鍵を手に玄関を飛び出した。重い扉はバタンと閉まるとオートロックがかかる音を背中に投げかけてきたが、耀一郞はそれを聞く余裕はない。いつもなら早いと思うエレベータの到着が今日に限って遅く感じられる。
 すぐに地下の駐車場へと向かい、自家用車に乗り込んだ。
 パンフレットに記載された住所をナビに入力し、出発する。

 ステアリングを握る手に汗が滲む。これほどまで焦るのは初めてで、耀一郞も落ち着かないまま、事故を避けるために安全運転を行うが、気が緩めばすぐさま駆けつけたい気持ちがスピードに跳ね返ってしまう。

 注意して注意して、慎重に運転をして目的地に到着すれば、二十三区の端とはいえ、そのNPOは想像よりもずっと広い敷地を有していた。駐車スペースは広く設けられ、三階建ての建物が横に長く作られている。
 耀一郞はすぐさま車を降り、洒落たショールームを彷彿とさせる入り口をくぐった。

 受付に立っていたのは、かつての面影を残した懐かしい人。
 幼い耀一郞に「家族」を教え、温もりを与えてくれた美濃部みのべ久乃ひさのも顔を上げて、驚きに表情を変えた。

「あ…………美濃部さんっ!」
「…………よ……いちろ……」

 子供の頃のように駆け寄ろうとして、耀一郞ははたと足を止めた。射殺さんばかりの怒りに満ちた目で睨めつけられた。形相は恐ろしく、耀一郞の知っている態度ではなかった。

「よくも俺の前に顔を出せたなっ! お前なんか二度と俺の前に現れんなよっ!」
「美濃部さん…………」

 どこかで心の拠り所にしていた彼の拒絶に、怯んだ。アルファで、小野電機工業という国内では知らぬものなどいない大企業を背負っている耀一郞は、感じないようにしていた恐怖を思い出した。

 なぜあれほどまでにオメガを憎んだか。
 なぜ父をこれほどまでに恨んでいるか。
 すべては美濃部に起因していた。

 親の帰ってこない大きな家で、まだ児童だった耀一郞の教育係でもあった彼に懐き、親のように、または年の離れた兄のように慕った。口は悪いが飾らない言葉で褒めて叱る美濃部が大好きだった。

 専門の教育は家庭教師が入れ替わり立ち替わりやってきたが、親のいない淋しさを補ってくれる者はなく、雇い主の子、しかも大企業の御曹司でアルファとなれば、なにを言っても褒めそやしては媚びを売るばかり。そんな大人たちに囲まれて、随分とひねくれた子供だったのに、美濃部は根気よく接してくれた。生意気な態度を取ると頭を掴んで怒鳴りつけ、頑張れば誰よりも応援してくれた。評価されれば自分のことのように泣き喜びと、喜怒哀楽のすべてを教えてくれた。家族の愛を教えてくれた。

 幼い耀一郞は全幅の信頼を彼に寄せた。
 オメガだとか気にならなかった。

『俺、本当は料理関係の仕事に就きたかったんだけど、オメガだからどこにも就職できなくてさ。ここで雇って貰えて本当に良かったよ』

 太陽のようにニカッと笑うのを見るのが本当に好きだった。
 唯一の家族だと思っていた、のに――。
 あれは耀一郞が中学の時だ。
 顧問が急用で突如その日の部活動がなくなり、珍しく日の高いうちに帰路に就いた。

 いつもなら玄関の扉を開ければすぐに「おかえり」と言いに来るはずなのに、いつまで経っても美濃部は現れず、気になって住み込みの彼の部屋を訪ねた。
 ノックして開けた扉の向こうに――父にのしかかられ喘ぐ美濃部の姿があった。
 信じられない光景に、耀一郞はその場から逃げ出した。鞄を放り投げて家を飛び出し、同じ部活でいつも一緒にいる井ノ瀬の家に押しかけたのだ。
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