【書籍化進行中】不遇オメガと傲慢アルファの強引な結婚

椎名サクラ

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番外編2

嬉し恥ずかし新婚旅行11

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「ぶらぶら歩きながら一緒に選ぼう」

 どこまでも樟を甘やかす提案が嬉しくて、はにかみ、自然と上がる口角を花餅で隠し頷いた。
 両手が塞がれた樟の肩を抱く耀一郞と一緒にまた歩き出した。
 民芸品を並べた店に方言で「猿の赤ちゃん」と名を付けられた赤い人形があり、夫婦円満や子宝といった願いが込められていると説明されると、耀一郞は躊躇うことなく一番大きいサイズの人形とストラップを買い求めた。

「こんなに大きいのを買ってどうするんですか」
「家の一番目立つ場所に置くに決まっているだろう。夫夫ふうふ円満が私の願いだからな。ストラップもすぐに付けよう」

 樟のポケットからスマートフォンを取り出すと器用に紐を通し、すぐさま耀一郞の愛機にも付けた。素っ気なかった二つの機械に同じ人形がぶら下がる。顔が描かれていないのに、とても愛らしい人形同士が何度もぶつかりあう。
 じゃれている子供の姿にも見えて微笑ましい。
 NPOや会社のお土産を求めて歩き続けると、朝市の端に到着する頃には、二人の両手が塞がるほどの荷物になった。

「思った以上に買ってしまったな。重くはないか? 疲れただろう」

 気遣うが、樟が手にしているのは花餅と民芸品の大きな人形だけ。ほとんどを持っているのは耀一郞だ。

「耀一郞さんの方が大変ですよね。僕、もっと持てますよ」
「大丈夫だ。それより疲れていないか。そこのベンチで休もう」

 そこ、と顎でしゃくったのは、店の前に置かれたいかにもDIYで作ったベンチだ。中では温かい飲み物を売っており、客のために設置したのだろう。

「私はブラックコーヒーにするつもりだが、樟はなにを飲む?」

 なにも買わないで座るのは心が引ける樟の心情をおもんぱかって先に告げた耀一郞は、持っていた荷物をベンチの足下に置き、その傍に樟を座らせる。
 ブラックボードの立て看板に描かれているホイップクリームが乗ったコーヒーを指さした。英語でお洒落に描かれた商品名を口にできなかったが、耀一郞は気にすることなく一度頷くと店内へと入っていった。
 すぐさま店内から悲鳴が上がった。

「えっ……耀一郞さん!」

 慌てて店内を覗いて……樟の顔が曇った。
 店内にいる女性たちが頬を紅潮させ耀一郞を見ているからだ。先程の音は、いわゆる黄色い悲鳴というものなのか。
 綺麗に着飾り、美しい化粧を施した女性がたくさんいて、皆が耀一郞を見ている。店員までもが惚けた顔をしている。

 当然だ、アルファというだけでなく耀一郞はすべてが格好いい。長身に逞しい体躯、あまり表情を変えないが精悍な面。少し厚みのある唇は色っぽいし切れ長の目は涼しげだ。そんな人が突然現れたら、悲鳴だって上がるだろうし見つめてしまうのも仕方ない。
 だが樟の胸に宿ったのは仄暗い感情だ。
 店の中にいる女性たちは皆綺麗で、誰が耀一郞の隣に立っても映えるだろう。
 だが男らしさもないし綺麗でもない樟では見劣りしてしまう。

 不釣り合い。
 わかっていても胸の中で膨らんでいくのは、怒りだ。
 彼は樟の配偶者だ。樟だけの、アルファだ。
 その隣に誰も立ってほしくない、自分以外は。

「あ……」

 一瞬で理解し、樟はフラフラとベンチへと戻った。
 耀一郞もこんな気持ちだったのだろうか、樟が主治医の安井に頭を撫でられたと知って。触れるのも話しかけるのも笑みを向けるのも自分にだけなんて、欲深な感情がこの胸の中にあると知らずにいた。

(ううん、元々僕は欲深なのかもしれない)

 ただ環境がそれを許さなかっただけで、ベータとして生まれ育ったならもっとこの醜い感情はドロドロに育っただろう。こんな思いを抱いてしまった自分が恥ずかしくて、渦巻く感情を処理できないまま俯いた。
 居たたまれなくてこのまま消えてしまいたい。

 気付いてしまった感情のやり場がなくて、もう一度人形と花餅を抱き締めた。これがあれば幸せになれる、醜い自分を晒さずに済む、耀一郞が愛してくれた自分に戻れる、そんな気がしたからだ。
 心がざわめいたまま耀一郞が戻ってくるのを待っていると、樟の上に影が落ちた。戻ってきたのかと顔を上げて、表情が強張った。

「見覚えのあるヤツがいると思ったら、やっぱ菊池の弟じゃん」

 ざわめきが血とともにスーッと引き、顔面が蒼白になった。熱くもないのに不快な汗が吹き上がる。

「こんな田舎じゃいても面白くねーって思ったけど、ラッキーだったわ。菊池と急に連絡取れなくなっちまってすげー困ってたんだぞ。お前さ、俺たちの玩具おもちゃなんだから勝手にいなくなんなよ」

 兄が連れてきた『友達』の一人だ。ニヤけた口元しか覚えていないが、嘲笑う声はしっかりと鼓膜に焼き付いている。蘇ろうとする記憶に必死で蓋をして、ジリジリとベンチの上を移動した。
 賤しい笑い声が記憶からも現実からも頭の中に響いてくる。

(こわい……こないでっ)

 震えは大きくなり、喉は無駄に入った力で強張り声を出せない。
 腕の中にある人形を一際強く抱き締めた。その腕を掴まれ、かつてのように強い力で引っ張られる。

「なに逃げようとしてるんだよ、オメガのくせに。ほら、来いよ。ふざけんなてめぇっ!」

 だめだ、着いていっては。
 もうあの頃の自分ではない。今の樟は耀一郞の配偶者であり、彼らの都合のいい玩具ではない。なによりも、相手の意思を無視しての性行為は違法だと知った。言いなりになる必要がないことも。
 樟は勇気を出してその手を振り払おうと掴まれないように人形と花餅の枝をきつく抱き締めて身体を丸める。
 怖くて声なんて出ないけれど、それしかできないけれど、必死で自分を守る態勢を取った。

(いやだっはなして! もう愛されていない可哀想なオメガじゃないんだ……耀一郞さんがそれを教えてくれたんだっ!)

 耀一郞にとって大事な存在である事実が、樟に勇気を与えてくれた。もう二度とこの身体を彼以外の誰にも好きにされたくない。
 樟はひたすら身体を丸めたが、怒りに満ちた相手は強引に引っ張る。痛みが腕から力を奪おうとするがそれでも必死に、耀一郞が買ってくれた物を放さないよう拒んだ。

 身体はベンチから落ちても蹲ったままの樟の背中を相手は何度も蹴っては殴る、昔のように。
 そういうときに声を出してはいけない。肺の中の空気がなくなって次に息が吸えなくなるからだ。だから浅い呼吸を繰り返したまま、ひたすら堪える。
 痛くて辛くて、でも昔のように諦めたくない。ずるずると引きずられても、拒み続けた。

(たすけてっ……耀一郞さん……耀一郞さんっ!)

 力を込めて拒みながら心で愛しい人の名を呼んだ。

「樟から離れろっ!」

 低い怒声の後、握られた手が離れたと同時に、醜い呻き声が聞こえ、その後ドスッと重い音が地面からした。

「きゃーーーーーっ!」

 各所から悲鳴が上がったが、樟は顔を上げることができなかった。無理に力を入れたせいで身体のあちらこちらが強ばり、痛みに背中を伸ばせない。
 無理矢理に息を吐き出してゆっくりと吸い込む。そうすれば痛みも緊張も和らぐから。

「大丈夫か、樟! 誰か、救急車を呼んでくれ! それと警察も!」
「警察はもう呼んであるよ! 逃げないようにガムテープで縛っておかないと!」

 最後に立ち寄った露店の店主の声がする。人が大勢集まる音も。
 もう馴染んだ大きな腕に包まれて、ぐらりと身体が頽れた。

「へ……き、です……」

 掠れた声を出すが緊張が一気に解れてしまった身体は、どこもかしこも力が入らない。ゆっくりと目を開ければ、心配そうに覗き込んでくる耀一郞の顔があった。

「どこが痛い? 傍を離れてすまない、すぐに救急車が来るから少し辛抱してくれ」

 樟は手を伸ばし、耀一郞の頬に触れた。赤い人形がコロリと雪の上に転がる。
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