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本編1
11-1
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それから正月休みが明けるまで、隆則は自分のベッドで眠ることはなかった。
恋人なのだからと何度も求められ流され続けた隆則だったがさすがに連日は無理だと涙ぐみながら懇願して、除夜の鐘を聴きながらの姫はじめを最後に頻度を減らしてもらった。元々それほど性欲の強くない隆則が若い遥人のペースに付き合ったら廃人になる。そうでなくとも初めて咲いた恋の花を持て余してどうしていいかわからずにいるのだ。花が散らぬよう遥人の求めに応えたいが、一日に何度も達かされては僅かしかない体力はすぐに底を尽きる。
「年が明けたら仕事始まるから、頼む」
その一言を口にするのすら勇気がいた。
拒んで嫌われたらどうしようか。優しい遥人ならきっと分かってくれると頭では理解していても、初めての恋はどこまでも隆則を臆病にさせた。遥人に嫌われないようにするにはどうしたらいいのか、そんなことばかりを考えるようになり、自分の気持ちを素直に言えなくなった。
けれど、さすがに限界だった。
「すみません俺、隆則さんが感じてくれるの嬉しくてつい……無茶させてしまいましたね」
そんな風に言われたらこちらが申し訳なくなってしまう。本当なら遥人が満足するまで応えてあげたい。けれど回を追うごとに遥人とのセックスが気持ちよすぎて感じずにいるのが難しくなる。いろんな体位を試され、どれが感じるかを言わされ、その上新たな性感帯の開発までされようとしている。
ベッドの上だけではなく、目が合えば遥人があの優しい笑みを浮かべてはキスをしてくる。軽く済むときもあれば何分にも渡る濃厚なのもあり、そのタイミングが全く計れない。
たった数日で自分の世界ががらりと変わって、嬉しいはずなのに心だけが乗り過ごしてしまった、そんな感覚に陥っていた。
35年も恋を実らせずに生きてきた自分のせいだ。何が正しいのか分からない。どうしていいのかも分からない。遥人とどう距離を取っていいのか掴めないまま流されていっている。
ただテレビを見るだけでも今まで空いていた距離が急になくなり、当然のように隣に腰かけ腰を抱いてくる遥人に戸惑うばかりだ。
(どうしたいんだろう、俺は)
恋の花が咲くなんて思ってもいなかったからどうしていいのか全く分からないし、予習もしていないから知識が全く存在しない。
(こんなことだったらもっと恋愛ドラマとか観ておけばよかった)
いつまでも二人は幸せに暮らしました、で終わるおとぎ話とは違い、現実は常に続きがあって結果次第では幸せが消え失せることもある。システムと同じだ。どんなに完璧に組み立てたって運用を始めればおかしな点が出て改善や修繕、改造を余儀なくされる。いつまでも同じシステムのままではいられない。人もそうだ、何かが変われば自分にも影響が出てきて変わらざるを得なくなる。
恋が始まって隆則は今まで以上の恐怖を知ってしまった。
この恋に終わりが来てしまうのではないかと。まだ始まったばかりなのに、少しも幸せな気持ちに浸ることができないでいた。
なぜ遥人がこんなにも自分に優しくしてくるのか全く理解できない。
遥人はもともとゲイではない。むしろ自分が好きなってしまったからこちらの世界に引っ張り込んでしまったのではないかという罪悪感が心を押しつぶそうとしている。本来であれば同性など恋愛の対象ではなかったはずの彼が、ほんの小さなきっかけで変えてしまったのなら、隆則の罪は重大だ。彼の両親に謝罪してもしきれない。
恐怖と罪悪感。
この二つが今を不安にさせていた。
そして気付く。
ただ好きな気持ちを抱いて見つめるだけがどれだけ楽で安寧な行為だったのかを。一度でも実ってしまった恋を維持するにはどうすればいいのかわからない。システムのように検証と実装を繰り返せばいいのか。だが人間を相手にどうやって実装すればいいのかわかりかねた。
そして隆則は一番簡単な方法を選んだ、相手に嫌われないようひたすら追随することを。
誘われたら拒まず、何をしたいのか言えないまま、気が付けば新しい年の一日目で限界を迎えてしまった。
(これじゃダメだ……でもどうしたらいいのかわからない)
せめてセックスだけでも頻度を減らしてもらえないかと懇願するのが精いっぱいだった。
(だってあの日からずっと……時間があったらやってるのって無理だ)
隆則の身体のどこがまだ誰の手も触れていないのか、どこがまだ未開発なのか、探求に余念のない遥人は少しでも隆則の『初めて』に触れようと必死になっていた。襞の奥の洗浄もしたがったりするし、立ったまま風呂場で抱かれたこともあった。身長差があり過ぎてつま先立ちになりながら遥人の首筋に唇を押し当て必死で声を押さえたことまでもを思い出して、隆則は慌ててそれを掻き消した。
「仕事、仕事しよう」
なんせもう七草粥を用意しなければならない日になってしまっている。世間はとうに正月休みの空気は消え去り、また舞い込む依頼を調整しながら仕事を進めなければならないフェーズへと入っている。新年早々の仕事を順調にスケジュールより少し早めにこなしながら、頭の隅っこでは遥人のことを考えてしまう。正しくは、遥人との関係を、だ。
果たしてこのままでいいのだろうか。
手を動かし仕様書通り小野プログラムを組みながら、これからどうしようかと考えていく。
(好きになってくれたのは嬉しいんだ)
そう、奇跡が訪れたような嬉しさだ。まさか彼が自分を受け入れてくれるなんて想像もしていなかった。むしろ嫌われる可能性のほうがずっと高いし、こんな趣味を気味悪がられると思っていたから嬉しくて舞い上がりそうで、本当なら35年も不運が続いた自分に神から与えられた祝福なのかと勘違いしてしまっただろう。
(そのまま勘違いしていたかったかも)
今だって勘違いしたがっている心を抱えたまま、駄目だと別の声がこだまする。
遥人の気持ちは本当の恋ではない、と。
今は珍しがって隆則の相手をしているだけで、彼が冷静になりこの関係に疑問を抱いた時が花の散る時なのだろう。
(今から覚悟すればいいんだ……これ以上のめり込まないようにしないと)
この恋には終わりは必ず来る。元々叶わなかった恋が神のいたずらで成就してしまっただけ。神の気まぐれの効果が薄れれば正気になった遥人はこの関係に疑問を抱き離れていくだろう。それがいつかは分からないが、そう遠くないような気がしていた。
(また傷つくんだろうな)
実らなかった初恋のように、この恋もまた心に深い爪痕を刻んで終わるのだろう。
カチカチと少し暗い部屋でキーボードを叩きながら、その日を覚悟しておかないとと自分に言い聞かせる。浮かれて恋人のいる時間を当たり前にしては駄目だ。遥人の勘違いを本気にしては駄目だ。『いつか』のために慣れないほうがいいに決まってる。
最後には失うのだから、いつものように。
芽吹いてはこんな貧相で特に目立った魅力のない自分を嗤われては消え去った恋の数々で嫌というほど理解しているはずだ。相手を引き付ける魅力など自分にはないことを。しかももういい年だ。こんなおじさんを相手にしているのは神のいたずらか気まぐれか以外何物でもないだろう。
(でも……できるならその時間が少しでも後のほうがいいな)
だからといってどうしたらいいのかはわかっていない。ただ遥人のためにできることをする以外は。
(こんな俺といて楽しいのかな?)
扉の向こうで今日も甲斐甲斐しく夕食を作っている音がしている。包丁とまな板が奏でるリズミカルな音楽の隙間に遥人の鼻歌が編み込まれていく。今流行りの曲だろうが、もう時代の波から放り出されて久しい隆則の耳には全く馴染みのないものだ。年末年始くらいしかテレビを付けない生活が続きすぎて流行など何一つわかっていないし、気の利いた会話もできない。饒舌になるのは仕事の話くらいの隆則が遥人の世界を理解するのは難題だ。
こんな共通話題一つない相手の一体どこがよくて遥人は「好きだ」と言ってくるのだろうか。
(まさかセックスにはまったとかじゃない、よな……)
その可能性も否めないが、遥人ならこんな貧相なおじさんよりもずっと若い子とだって付き合えるだろう。逞しい身体にあの笑顔だ、ゲイバーに行けば引く手数多で一晩の相手にも困らないだろう。ただそういう場所を知らないのだとしたら、教えたくはない。自分に自信がないくせに独占欲は勝手に働いてしまう。もし他の出会いがあったなら簡単に自分は捨てられるのは火を見るよりも明らかだから。
冷静に考えているようで、期待しないでいたいのに束縛したいなんて矛盾を抱えているのすら分からなくなるほど、秘かに舞い上がっている自分に気づかないまま、どうにか自分を制御しなければと思いながらシステムを組み立てていく。
「この分なら今晩には終わるな」
呟いている間に出汁の香りが扉の隙間をくぐって隆則の鼻孔を擽る。
その匂いに夕食の時間が近づいていると無意識に感知した脳が手の動きを速めさせる。彼がドアをノックするよりも先にエンドマークを付けようとさらに集中を促す。そして最後のコマンドを打ち終わったのと同じタイミングでいつものようにドアがノックされた。
ドアが少し開いて遥人が顔を覗かせる。隆則の様子を伺い、集中しているようならそのままドアを閉めていると知ったのはつい昨日だ。隆則が仕事を始めると周囲の音を全く耳にせず声をかけても返事をしないと、たった数ヶ月の同居で学んだのだろう。
パソコンデスクから振りむき目が合うと、遥人は嬉しそうに表情を崩した。
「ご飯、できましたよ」
「あ……ありがとう、今行く」
見直しは食後にしようとデータを保存しスリープモードにして部屋を出れば、潜り込んできたよりもずっと馨しい香りがダイニングいっぱいに広がっていた。
「今日は『人日の節句』なので、優しいものにしてみました」
耳慣れない単語に疑問符を頭一杯に埋め尽くしながらテーブルに着けば、煮魚と共に出されたのは緑が鮮やかに散りばめられた雑炊だった。
「隆則さんはおかゆよりも雑炊のほうが好きだと思って、アレンジしました」
「これ、七草粥か」
おせちなどを作らず年末年始も当たり前のように遥人が作ってくれた料理はいつも隆則の体調に合わせたメニューで、酷使もストレスもない胃腸は以前に比べて劇的に改善しているから、今日も普通の料理が出てくるのかと思っていた隆則は驚きながらも、食欲をそそる雑炊の香りに引き寄せられる。
恋人なのだからと何度も求められ流され続けた隆則だったがさすがに連日は無理だと涙ぐみながら懇願して、除夜の鐘を聴きながらの姫はじめを最後に頻度を減らしてもらった。元々それほど性欲の強くない隆則が若い遥人のペースに付き合ったら廃人になる。そうでなくとも初めて咲いた恋の花を持て余してどうしていいかわからずにいるのだ。花が散らぬよう遥人の求めに応えたいが、一日に何度も達かされては僅かしかない体力はすぐに底を尽きる。
「年が明けたら仕事始まるから、頼む」
その一言を口にするのすら勇気がいた。
拒んで嫌われたらどうしようか。優しい遥人ならきっと分かってくれると頭では理解していても、初めての恋はどこまでも隆則を臆病にさせた。遥人に嫌われないようにするにはどうしたらいいのか、そんなことばかりを考えるようになり、自分の気持ちを素直に言えなくなった。
けれど、さすがに限界だった。
「すみません俺、隆則さんが感じてくれるの嬉しくてつい……無茶させてしまいましたね」
そんな風に言われたらこちらが申し訳なくなってしまう。本当なら遥人が満足するまで応えてあげたい。けれど回を追うごとに遥人とのセックスが気持ちよすぎて感じずにいるのが難しくなる。いろんな体位を試され、どれが感じるかを言わされ、その上新たな性感帯の開発までされようとしている。
ベッドの上だけではなく、目が合えば遥人があの優しい笑みを浮かべてはキスをしてくる。軽く済むときもあれば何分にも渡る濃厚なのもあり、そのタイミングが全く計れない。
たった数日で自分の世界ががらりと変わって、嬉しいはずなのに心だけが乗り過ごしてしまった、そんな感覚に陥っていた。
35年も恋を実らせずに生きてきた自分のせいだ。何が正しいのか分からない。どうしていいのかも分からない。遥人とどう距離を取っていいのか掴めないまま流されていっている。
ただテレビを見るだけでも今まで空いていた距離が急になくなり、当然のように隣に腰かけ腰を抱いてくる遥人に戸惑うばかりだ。
(どうしたいんだろう、俺は)
恋の花が咲くなんて思ってもいなかったからどうしていいのか全く分からないし、予習もしていないから知識が全く存在しない。
(こんなことだったらもっと恋愛ドラマとか観ておけばよかった)
いつまでも二人は幸せに暮らしました、で終わるおとぎ話とは違い、現実は常に続きがあって結果次第では幸せが消え失せることもある。システムと同じだ。どんなに完璧に組み立てたって運用を始めればおかしな点が出て改善や修繕、改造を余儀なくされる。いつまでも同じシステムのままではいられない。人もそうだ、何かが変われば自分にも影響が出てきて変わらざるを得なくなる。
恋が始まって隆則は今まで以上の恐怖を知ってしまった。
この恋に終わりが来てしまうのではないかと。まだ始まったばかりなのに、少しも幸せな気持ちに浸ることができないでいた。
なぜ遥人がこんなにも自分に優しくしてくるのか全く理解できない。
遥人はもともとゲイではない。むしろ自分が好きなってしまったからこちらの世界に引っ張り込んでしまったのではないかという罪悪感が心を押しつぶそうとしている。本来であれば同性など恋愛の対象ではなかったはずの彼が、ほんの小さなきっかけで変えてしまったのなら、隆則の罪は重大だ。彼の両親に謝罪してもしきれない。
恐怖と罪悪感。
この二つが今を不安にさせていた。
そして気付く。
ただ好きな気持ちを抱いて見つめるだけがどれだけ楽で安寧な行為だったのかを。一度でも実ってしまった恋を維持するにはどうすればいいのかわからない。システムのように検証と実装を繰り返せばいいのか。だが人間を相手にどうやって実装すればいいのかわかりかねた。
そして隆則は一番簡単な方法を選んだ、相手に嫌われないようひたすら追随することを。
誘われたら拒まず、何をしたいのか言えないまま、気が付けば新しい年の一日目で限界を迎えてしまった。
(これじゃダメだ……でもどうしたらいいのかわからない)
せめてセックスだけでも頻度を減らしてもらえないかと懇願するのが精いっぱいだった。
(だってあの日からずっと……時間があったらやってるのって無理だ)
隆則の身体のどこがまだ誰の手も触れていないのか、どこがまだ未開発なのか、探求に余念のない遥人は少しでも隆則の『初めて』に触れようと必死になっていた。襞の奥の洗浄もしたがったりするし、立ったまま風呂場で抱かれたこともあった。身長差があり過ぎてつま先立ちになりながら遥人の首筋に唇を押し当て必死で声を押さえたことまでもを思い出して、隆則は慌ててそれを掻き消した。
「仕事、仕事しよう」
なんせもう七草粥を用意しなければならない日になってしまっている。世間はとうに正月休みの空気は消え去り、また舞い込む依頼を調整しながら仕事を進めなければならないフェーズへと入っている。新年早々の仕事を順調にスケジュールより少し早めにこなしながら、頭の隅っこでは遥人のことを考えてしまう。正しくは、遥人との関係を、だ。
果たしてこのままでいいのだろうか。
手を動かし仕様書通り小野プログラムを組みながら、これからどうしようかと考えていく。
(好きになってくれたのは嬉しいんだ)
そう、奇跡が訪れたような嬉しさだ。まさか彼が自分を受け入れてくれるなんて想像もしていなかった。むしろ嫌われる可能性のほうがずっと高いし、こんな趣味を気味悪がられると思っていたから嬉しくて舞い上がりそうで、本当なら35年も不運が続いた自分に神から与えられた祝福なのかと勘違いしてしまっただろう。
(そのまま勘違いしていたかったかも)
今だって勘違いしたがっている心を抱えたまま、駄目だと別の声がこだまする。
遥人の気持ちは本当の恋ではない、と。
今は珍しがって隆則の相手をしているだけで、彼が冷静になりこの関係に疑問を抱いた時が花の散る時なのだろう。
(今から覚悟すればいいんだ……これ以上のめり込まないようにしないと)
この恋には終わりは必ず来る。元々叶わなかった恋が神のいたずらで成就してしまっただけ。神の気まぐれの効果が薄れれば正気になった遥人はこの関係に疑問を抱き離れていくだろう。それがいつかは分からないが、そう遠くないような気がしていた。
(また傷つくんだろうな)
実らなかった初恋のように、この恋もまた心に深い爪痕を刻んで終わるのだろう。
カチカチと少し暗い部屋でキーボードを叩きながら、その日を覚悟しておかないとと自分に言い聞かせる。浮かれて恋人のいる時間を当たり前にしては駄目だ。遥人の勘違いを本気にしては駄目だ。『いつか』のために慣れないほうがいいに決まってる。
最後には失うのだから、いつものように。
芽吹いてはこんな貧相で特に目立った魅力のない自分を嗤われては消え去った恋の数々で嫌というほど理解しているはずだ。相手を引き付ける魅力など自分にはないことを。しかももういい年だ。こんなおじさんを相手にしているのは神のいたずらか気まぐれか以外何物でもないだろう。
(でも……できるならその時間が少しでも後のほうがいいな)
だからといってどうしたらいいのかはわかっていない。ただ遥人のためにできることをする以外は。
(こんな俺といて楽しいのかな?)
扉の向こうで今日も甲斐甲斐しく夕食を作っている音がしている。包丁とまな板が奏でるリズミカルな音楽の隙間に遥人の鼻歌が編み込まれていく。今流行りの曲だろうが、もう時代の波から放り出されて久しい隆則の耳には全く馴染みのないものだ。年末年始くらいしかテレビを付けない生活が続きすぎて流行など何一つわかっていないし、気の利いた会話もできない。饒舌になるのは仕事の話くらいの隆則が遥人の世界を理解するのは難題だ。
こんな共通話題一つない相手の一体どこがよくて遥人は「好きだ」と言ってくるのだろうか。
(まさかセックスにはまったとかじゃない、よな……)
その可能性も否めないが、遥人ならこんな貧相なおじさんよりもずっと若い子とだって付き合えるだろう。逞しい身体にあの笑顔だ、ゲイバーに行けば引く手数多で一晩の相手にも困らないだろう。ただそういう場所を知らないのだとしたら、教えたくはない。自分に自信がないくせに独占欲は勝手に働いてしまう。もし他の出会いがあったなら簡単に自分は捨てられるのは火を見るよりも明らかだから。
冷静に考えているようで、期待しないでいたいのに束縛したいなんて矛盾を抱えているのすら分からなくなるほど、秘かに舞い上がっている自分に気づかないまま、どうにか自分を制御しなければと思いながらシステムを組み立てていく。
「この分なら今晩には終わるな」
呟いている間に出汁の香りが扉の隙間をくぐって隆則の鼻孔を擽る。
その匂いに夕食の時間が近づいていると無意識に感知した脳が手の動きを速めさせる。彼がドアをノックするよりも先にエンドマークを付けようとさらに集中を促す。そして最後のコマンドを打ち終わったのと同じタイミングでいつものようにドアがノックされた。
ドアが少し開いて遥人が顔を覗かせる。隆則の様子を伺い、集中しているようならそのままドアを閉めていると知ったのはつい昨日だ。隆則が仕事を始めると周囲の音を全く耳にせず声をかけても返事をしないと、たった数ヶ月の同居で学んだのだろう。
パソコンデスクから振りむき目が合うと、遥人は嬉しそうに表情を崩した。
「ご飯、できましたよ」
「あ……ありがとう、今行く」
見直しは食後にしようとデータを保存しスリープモードにして部屋を出れば、潜り込んできたよりもずっと馨しい香りがダイニングいっぱいに広がっていた。
「今日は『人日の節句』なので、優しいものにしてみました」
耳慣れない単語に疑問符を頭一杯に埋め尽くしながらテーブルに着けば、煮魚と共に出されたのは緑が鮮やかに散りばめられた雑炊だった。
「隆則さんはおかゆよりも雑炊のほうが好きだと思って、アレンジしました」
「これ、七草粥か」
おせちなどを作らず年末年始も当たり前のように遥人が作ってくれた料理はいつも隆則の体調に合わせたメニューで、酷使もストレスもない胃腸は以前に比べて劇的に改善しているから、今日も普通の料理が出てくるのかと思っていた隆則は驚きながらも、食欲をそそる雑炊の香りに引き寄せられる。
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