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 手元にあるエコー写真をじっと眺めた。そこには小さな袋があり張り付くように小さな塊が映っている。それはどんどん大きくなり人の形になるのだという。碧が予約を入れてくれた病院の帰り、玄は未だ信じられない気持ちのまま、決定的となった写真を握りしめ、本当に自分の中に新しい命が芽生えているんだと実感した。

 産む、しかない。

 不安は当然ある。今までの人生で自分が子供を産むということを想定してこなかったから、知識もなにもないが、産むしかない。

 製薬会社の子供として生まれ、将来その会社を引っ張っていく人間として、命を粗末にすることなんて考えられない。

 一瞬でも殺そうとしたことを恥じ、産むことを決意した。

 したが、どう向き合っていいかわからない。果たして自分は父親なのか母親なのか。気質としては父親にしかなれないが、産むのも自分である。この子にとって自分はどっちなのか。

 分からないまま玄はどっかりと深くソファに腰かけた。なぜか都内の高層マンションの一室に連れ込まれている。病院から出た玄を待ち受けていたのは、桐生だった。平日の午前中、社会人だったら絶対に出社しているはずの時間に病院の出口に佇み、玄が現れるのをひたすら待ち受けていたようだ。そして、人の往来が激しい産婦人科の入り口で平身低頭で執拗に頼みこまれ、仕方なく彼が運転する車に乗り込み、ここに連れて来られた。

「貴様、会社はいいのか。なぜあそこを知っている」

「今、謹慎中なんだ。病院は碧くんに教えてもらったんだ。今日行くこともね……どうしても玄と二人きりで落ち着いて話がしたい」

 なにを話せというのか。

 玄の心は決まっている。子供は産むし、育てる。そのための財力は充分にあるし環境も整えることができる。母が言うには、桐生が持っている相当量の株式が近々玄のものに名義変更されるから、キリュウ・コーポレーションへの口出しも参画も可能だ。生きる目標はできたし、育てるのに困ることもない。

 実感がないから子供に対してのスタンスがよくわからないが、それはこれから子供と一緒に学べばいいと母が言っていた。だから今は産むことに専念しろ、と。その通りだと感じたからこそ、産むことを決意しこの子と向き合うんだとエコー写真を握りしめている。

 腹の子と自分には、桐生は不要だ。いなくても大して問題がない。子種の元ではあるが。

 桐生はエコー写真を玄の隣から見つめながら、とても愛おしそうな手つきで胎児を撫でる。まだ人の形も成していないのに、本当に宝物のように何度も、何度も。

「玄、この子を一緒に育てさせてくれ。頼む。父親として、君とこの子と一緒にいたいんだ」

 あぁそうか。

 確かに玄は一人で子供を育てられるだけの財力はある。人を雇うことも容易だ。子供が玄に付随するのは自分が母親だから、どんな形でも子供を産めば自分の戸籍に入るから。だが桐生は違う。今のように籍を入れなければ赤の他人だ。親権を主張するためには、DNA鑑定をして繋がりを明確化してから裁判を起こすしかない。だが、DNA鑑定を玄が拒否すればそれも叶わない。

(そうか、桐生はそれで私に付きまとっているのか)

 子供の父親であることが彼にとっては大事なのだろう。

「なんだ、そんなにこの子の父親になりたいのか?」

「当たり前だ……頼む、父親にさせてくれ」

 なるほど。

 玄は思案した。次期社長と言われている桐生・アルベルト・篤繁が、自分の地位を盤石にするにはやはり次代が存在するのとしないのでは大きく違うのかもしれない。

 菅原製薬と違い、一族で巨大財閥を運営している桐生家は長子が必ず跡取りというわけではなく、一番能力の高い者が指名される方法を取っている。だからキリュウ・コーポレーションの株式は公開されていない。一族の中で全株所有する形をとっている。桐生会長が半分以上も所得できているのはそれが理由だ。

 そして桐生が今持っている株式を自分に譲渡しようと簡単に考えるのも、そう遠くない未来……現社長が引退した暁には自分の物になる計算があるからだろう。

 系図でいけば、玄も桐生一族との繋がりがあるから他の者たちも玄への譲渡に関して表立ってとやかく言わないでいる。

「貴様と一緒になるメリットがない」

 この一言に尽きる。

 未だに自分の気持ちについてはよくわかっていない玄だ。医師の言葉を何度反芻しても本当に桐生に対して好意があるのか、かつてあったのかすら分かっていない。

「メリットデメリットだけではなく、気持ちを寄り添わせてくれ」

 無理矢理にこの部屋に連れてきてする話が、やはりこれかと呆れる。しかし、と玄は思い直した。
 まっすぐに桐生を見つめる。今までは忙しない中できちんと直視しなかった彼を観察するようにじっくりと眺めた。

(見た目は悪くない、な)

 好みかどうかと聞かれれば、分からないとしか言いようがない。自分がどんなタイプが好きなのかを考えたことがないからだ。目に馴染むかといえば、NOだ。一緒にいたいのかと聞かれれば迷わず末弟の可愛らしさを欲するだろう。この男には全く存在しない可愛さを。

 だが不快ではない。初めて会ったころに比べて精悍で雄の風貌になったが、経年によるしつこさや脂っこさが存在しないから、許容はできる。自分よりも上背があるし、四肢のバランスも悪くない。客観的に見れば女性受けするだろう。

 何を好き好んでアルファである自分をビッチングしたのか。そんな手間をかけなくても、靡いてくる女もオメガも多数いるだろうに。

 あれほど想いを告げられても、玄の心には今一つ桐生の気持ちは響き届くことがなかった。

 どうしても生産性、効率性を重視しすぎ、碧のこと以外は徹底的に無駄を省いてしまう思考回路になっている。

 今、服の下に隠れている筋肉質でワイルドな肉体は、あのホテルでの一週間で嫌と言うほど見たが、不快さはない。

 問題は思考だ……。

 玄は思案し、一つの賭けに出た。

「父親になりたいというが、それは認知したいという意味で取っていいのか?」

「違う、君と結婚したいと言っているんだ」

「なぜ認知では駄目なんだ?」

「それだと、君が他の人と結婚する可能性が出てくるだろう……私は玄と一緒にこの子を育てたいんだ。子供には両親が揃っているほうが良い」

 桐生の子供を用いた懐柔作戦は、少し曲解されて玄へと届く。

(なるほど。確かに将来経営を任せるには、父親母親両名の立場からの教育は必要か)

 菅原家の徹底したアルファ教育を思い出して勝手に納得する。ただ経営のノウハウを伝えるよりも、常に一緒にいる母親にも経営の知識がなければ、菅原家のような徹底した教育はできない。ベビーシッターは子供に対しての専門的知識はあっても、経営者に育てるだけの知識は持ち合わせていない。

 だが、家事育児を主体とする専業主婦になる気はない。子供を育てるにあたり、ある程度の年齢になるまでは経営を熟知したものと一緒に過ごし、常に言い聞かせるのが大切だ。だが、そのためにしばらく仕事にブランクを作っては、時代に取り残され感覚が鈍ってしまう。

 子供を優先するか、それとも仕事を優先するか。

 玄が煮え切らないのは天秤にかけているからだった。

 アルファの嫁を貰うにも、別に番がいる男オメガと結婚したい酔狂な人間は皆無だろう。

 両立する方法は、一つしかない。

「そんなに私と結婚したいのか。認知だけでは駄目なのか?」

「当たり前だろう。私はずっとそう言っている! 玄、真剣に私の想いを受け取ってくれ」

 玄は心の中でニヤリと笑った。

「貴様が専業主夫になるなら考えないでもない。代わりにキリュウ・コーポレーションの仕事は私が引き継ごう」

 否か、諾か。

 どちらに転んでも、玄にはダメージはない。

 もし否と言われれば、自分は菅原製薬の仕事に専念し、子育ては母に任せればいい。

 諾と言えば、菅原製薬の仕事と並行して桐生の仕事を行えばいいだけのことだ。その能力は玄に充分ある。

 玄はどっちだと言わんばかりに腕を組んで顎を少し持ち上げた。不遜な態度に、桐生はあっさりと承諾した。

「専業主夫になろう! それで君と結婚できるなら!」

(チッ、あほが)

 拒絶すると思ったのに、あっさりと承諾するとは……こいつは仕事をなんだと思っているんだと怒鳴りつけてやりたくなった。だがある意味、僥倖なのかもしれない。この無能が次期社長になるくらいなら、玄がやったほうが日本経済のためにはいいに決まっている。

 玄は瞬時にタイムスケジュールの計算を始めた。自分が桐生に成り代わるためには、この子を産み落としてしばらくの時間が必要だ。

「貴様が持っているキリュウ・コーポレーションの情報を寄越せ。そして産後半年までの間、私の言う通りにしろ。仕事でもプライベートでも、だ」

「それは……守秘義務がある」
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